行幸 行幸の概要

行幸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/26 10:34 UTC 版)

昭和天皇行幸碑の例(広島県福山市
第18回都市対抗野球大会開幕式における昭和天皇香淳皇后三笠宮崇仁親王の行幸啓(1947年8月3日)

また、御幸(ごこう、ぎょこう、みゆき)という場合もあるが、これは上皇法皇女院に対しても使う。

語法

皇后皇太后皇太子皇太子妃の外出を行啓(ぎょうけい)/巡啓(じゅんけい)というほか、行幸と併せて行幸啓(ぎょうこうけい)/巡幸啓(じゅんこうけい)という。単に「行幸啓」といった場合には、天皇と皇后が一緒に外出することを指す場合が多い。

行幸啓した皇族が外出先から帰ることを還幸(かんこう)、還啓(かんけい)、還幸啓(かんこうけい)という。

日本書紀には「天皇幸」で、天皇の行幸となり、「天皇至自」で、天皇の還幸と言う意味になっている。一方、「天皇」が外れると、皇族もしくはそれに近い者の行幸、還幸と言う意味になる。


これら以外の皇族の外出は御成りお成り(おなり)、お成りをした皇族が外出先から帰ることを御帰還(ごきかん)という。

行幸の際に宿泊するところを行宮(あんぐう、かりみや)という。[2]

行幸に際し、地名や社名が付く場合がある。特に、目的地を持った行幸には地名が付くことがある。例えば、住吉大社に行幸する場合は「住吉行幸」などと呼ばれる。また、鎌倉時代の書物の中には「鞍馬御幸」などの表記もうかがえる。江戸時代に入ると、慶安4年2月25日(1651年4月15日)の後光明天皇による朝覲行幸以後、文久3年3月11日(1863年4月28日)の孝明天皇による上賀茂神社下鴨神社行幸まで行幸は行われなかった(ただし、火災等による御所移動時の行幸は除く。また、天保8年(1837年)には江戸幕府との合意によって仁孝天皇による朝覲行幸が計画されていたが、対象となる光格上皇の病気と崩御によって実現されなかった)[注 1]。明治の「東京行幸」は行幸という言葉を使い、その形態を装っているが、実質的な東京奠都という意味で用いられる。

現在、宮内庁法他に用いられる法令用語でもある[注 2]

官報

独立行政法人国立印刷局が発行する官報には、天皇・皇后の行幸啓があった場合、下記の項目が掲載される。

  • 行幸啓した者(天皇の行幸・皇后の行啓・両者の行幸啓)
  • 行幸啓先とその目的
  • 出門と還幸啓の日時

具体的には、下記の例のように掲載される。

天皇陛下は、九月二十八日午後零時四十一分御出門、第百六十五回国会開会式に御臨場のため、国会議事堂へ行幸、同一時十九分還幸になった。
(平成18年10月2日月曜日付官報第4434号より引用)

歴史上著名な行幸啓

神戸税関行幸記念碑。1899年(明治32年)11月、居留地撤廃を記念しての行幸。
第107代後陽成天皇
第108代後水尾天皇
第122代明治天皇
第124代昭和天皇
在位中、沖縄県を除く46都道府県に行幸した。
第125代天皇(現:上皇明仁
在位中、全47都道府県に行幸した。

注釈

  1. ^ これについて、高埜利彦は江戸幕府が社会に広く天皇の存在と権威を直接示すことを拒む朝廷統制策(「江戸幕府による行幸禁止政策」)があったとする。これに対して藤田覚は行幸の衰退・廃絶傾向は鎌倉時代後期から一貫して見られる現象であり、なおかつ財政的な問題もあったことから、それが江戸時代における朝廷側の行幸への消極的な姿勢につながっているとする[3]。また、鎌倉時代後期から行幸の衰退・廃絶について、佐古愛己は財政的な問題に加え、行幸に際して随行した公家たちの対する叙位が行われたことで、随員に選ばれず他者に超越される(位階を越される)ことになった公家の反発を招いて公家社会内部でのトラブルが深刻化したことにより、徳政の目標として「公平な人事」を求める声が高まり、叙位発生の原因となる行幸そのものが抑制された可能性を指摘する[4]
  2. ^ この規則は、天皇の行幸、皇后、皇太后、皇太子及び皇太子妃の行啓並びにその他の皇族のお成りの場合の警衛に関し必要な基本的事項を定め、もってその適正な実施を図ることを目的とする[5]

出典

  1. ^ 精選版 日本国語大辞典『行幸』 - コトバンク
  2. ^ 日本書紀にも記載がある為、奈良時代の朱鳥年間には既に使われていたものと思われる
  3. ^ 藤田覚『近世政治史と天皇』(吉川弘文館、1999年)第6章「天保期の朝廷と幕府-朝覲行幸再興を中心に」
  4. ^ 佐古愛己『平安貴族社会の秩序と昇進』(思文閣出版、2012年)補論2「中世公家社会における叙位の一考察」
  5. ^ 国家公安委員会規則『警衛要則』第1条
  6. ^ 富山県護国神社『富山県における聖帝四代の御製を拝す 』富山県護国神社、2012年、p27頁。 
  7. ^ 柴崎力栄「関東地方における明治天皇親率演習---一八八一年の厚木行幸を中心に」(年報近代日本研究12・近代日本と情報、山川出版社、1990年)133-136頁に「明治天皇聖蹟の史跡指定」について記述がある。
  8. ^ 遠山美都男『天皇と日本の起源「飛鳥の大王」の謎を解く』(講談社現代新書、2003年)pp.289-290.
  9. ^ 永田英明「天皇の行幸」館野和己・出田和久 編『日本古代の交通・流通・情報 2 旅と交易』(吉川弘文館、2016年) ISBN 978-4-642-01729-9 P94-95
  10. ^ 山本雅人『天皇陛下の全仕事』(2009年、講談社現代新書)
  11. ^ 第71航空隊 US-1A 90号除籍記念式典






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