衆議院 表決方法

衆議院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/24 05:59 UTC 版)

表決方法

起立投票
問題を可とする者を起立させ、起立者の多少を認定して、問題の可否を決する表決方法である。衆議院において基本的な表決方法である。
記名投票
問題を可とする議員は白票を、問題を否とする議員は青票を投票箱にて投票し、問題の可否を決する表決方法である。議長もしくは出席議員の5分の1以上の要求があった場合に行われる。記名投票中は議場が閉鎖される。
異議なし採決
議長が問題について異議の有無を議院に諮り、異議がない場合には問題を可決する方法である。ただし20名以上の異議があった場合は、起立投票を行わなければならない。

なお参議院で行われている表決方法で押しボタン式投票があるが、2017年1月10日現在衆議院では採用されていない[10]

明治憲法下の衆議院

選挙権・被選挙権

選挙権
旧憲法下では1925年(大正14年)に制定された普通選挙法により、日本国内(北海道から沖縄県、いわゆる「内地」)に居住する25歳以上男子で日本国籍(外地と呼ばれた台湾朝鮮等の国籍者を含む)を有する者に与えられた。大正14年の普通選挙制導入までは、1年以上その府県内において一定額以上の直接国税を納めている者に制限していた。樺太では1943年(昭和18年)まで、また俗に「外地」と呼ばれる台湾や朝鮮半島などの地域では終戦まで選挙区がなかったために選挙は行われず、外国在日本人には選挙権がなかった。また、皇族華族の戸主、旧陸軍海軍の現役軍人にも選挙権はなかった[11]
被選挙権
30歳以上の日本内外地籍を問わず、日本国籍の男子なら立候補出来た。選挙権は大正14年まで納税資格が設けられていたのに対し、被選挙権はそれ以前の明治33年に納税資格が撤廃された[11]。選挙区は日本内地にしかなかった。選挙権も被選挙権もない者としては、皇族、華族の戸主、現役軍人がある。選挙権はあるが、被選挙権のみない者としては判事・検事、会計検査官、収税官吏、警察官吏がある。一般官吏や府県議会議員には被選挙権があるが、衆議院議員と兼務できないので当選した場合は職を辞す必要がある[11]
選挙権・被選挙権における
直接国税納税額
実施年 選挙権 被選挙権
1890年(明治23年) 15円以上 15円以上
1902年(明治35年) 10円以上 制限なし
1920年(大正9年) 3円以上 制限なし
1928年(昭和3年) 制限なし 制限なし

定数

定数は衆議院議員選挙法によって定められていた。1889年(明治22年)に衆議院議員選挙法によって300人と定められた後、増員が繰り返され、1925年(大正14年)に466人となった。ただ、実際に466人が選出されたのは1928年(昭和3年)の第16回総選挙であった。敗戦後、大選挙区制が採用された1945年(昭和20年)12月の選挙法改正で468人とされたが、うち2人を占める沖縄県は米軍の統治下に置かれて、1972年(昭和47年)5月15日沖縄返還本土復帰するまで、日本の選挙法が施行されなかったので、1946年(昭和21年)4月の戦後第1回総選挙(現行憲法下での初の衆議院選挙、第22回総選挙)は沖縄を除く466人について実施され、新憲法下に継承された(議員定数も参照)。

選挙区

小選挙区制(第1次)

1889年市制]を単位に257の選挙区に分け、1選挙区から1人を選出する小選挙区制を原則としたが、43選挙区は2人区とされ、全体で定数300人となった。投票方法について1人区においては当然に1名単記とされたが、2人区では2名連記が採用された。1890年(明治23年)7月1日執行の第1回総選挙から1898年(明治31年)8月10日執行の第6回総選挙までがこの選挙法によって実施された。

大選挙区制(第1次)

1900年(明治33年)、第2次山県有朋内閣により選挙法が改正され選挙権・被選挙権が拡大されるとともに、従来の小選挙区制から原則として1つの府県を1つの選挙区としてそれぞれから2人~12人を選出する大選挙区制に改められた。ただし、市部や離島は1選挙区として郡部からは分離され、東京市(現在のほぼ東京23区に該当)・京都市大阪市(のち横浜市も追加)を除いて定数1人の小選挙区とされた。これにより総定数は369人となったが、1902年(明治35年)に第1次桂太郎内閣の下で再度選挙法が改正されて、この間に新たに発足した市が郡部選挙区から分離して総定数は381人となった。このうち、札幌区・小樽区・函館区を除く北海道と沖縄県への施行は当初は見合わされ、千島列島を除く北海道全域には1903年(明治36年)、宮古郡・八重山郡を除く沖縄県には1912年(明治45年・大正元年)にようやく選挙法が施行された。この改正から大選挙区においても単記制が採用された。1902年(明治35年)8月10日実施の第7回総選挙から1917年(大正6年)4月20日実施の第13回総選挙までがこの選挙法によって行われた。

小選挙区制(第2次)

大正デモクラシーの下での普選運動の高まりに対して原敬内閣1919年(大正8年)に選挙法を改正して、納税額による選挙権の制限を残しながらも選挙権の拡大を図るとともに、大選挙区となっていた郡部選挙区を分割して、従来から事実上の小選挙区であった市部・離島と合わせて小選挙区を原則とする選挙制度に改めた。総定数は464と大幅に増員され374の選挙区が設定されたが、そのうち68選挙区が2人区、さらに11選挙区は3人区とされて、小選挙区制の原則からは大きく逸脱したものであった。1920年(大正9年)5月10日執行の第14回総選挙および1924年(大正13年)2月20日の第15回総選挙がこの選挙法によって行われた。沖縄の宮古郡・八重山郡での衆院選は1920年・第14回から施行された。

中選挙区制

第2次護憲運動の高まりの下で行われた第15回総選挙で護憲三派が勝利することによって発足した加藤高明内閣が1925年(大正14年)に衆議院議員選挙法を全面改正することによって普通選挙(ただし男子のみ)が実現した。この改正衆議院議員選挙法を一般に普通選挙法と呼称する。北海道から沖縄県までの全国(得撫島以北の千島列島および小笠原島を除く)に1選挙区の定数を3人~5人とする122選挙区が設定され、総定数は466となった。直前の小選挙区制とも府県を1選挙区とする大選挙区制とも違うという意味で中選挙区制と呼ぶ。1928年(昭和3年)2月20日執行の第16回総選挙から1942年(昭和17年)4月30日執行の第21回総選挙までの総選挙がこの選挙法によって行われた。

この選挙法は植民地である樺太朝鮮台湾には最後まで施行されなかった。第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)4月に、これら地域にも議席を割り当てる選挙法改正が公布されたが、施行日は勅令で定めるとされ、未施行のまま8月の日本の敗戦となった[12]。この未施行法による各地域への議席配分は樺太:3人(3人区1つ)、朝鮮:23人(3人区1つ、2人区7つ、1人区5つ)、台湾:5人(1人区5つ)とされ、選挙権・被選挙権は当該地域に居住する日本人だけでなく朝鮮人台湾人などにも当然に与えられる事となっていたが、選挙権については「引続キ一年以上直接国税十五円以上ヲ納ムル者」という制限があった。

また、得撫島以北の千島列島小笠原島と新南群島(現在の南沙諸島、1939年から台湾高雄州高雄市に編入されていた)には最後まで選挙法が施行されなかった。

大選挙区制(第2次)

敗戦後、連合国軍の占領下に置かれ連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指導の下に行われた「民主化政策」の一環として幣原喜重郎内閣によって1945年(昭和20年)12月に衆議院議員選挙法が改正されて女性に選挙権が与えられるとともに、都道府県を単位とする大選挙区制が導入された。1900年(明治33年)の大選挙区制とは違い、各都道府県全域を1選挙区とすることを原則に総定数468人を沖縄県を含む各47都道府県の人口に基づいて配分された。これにより15人以上が配分される東京都大阪府兵庫県新潟県愛知県福岡県および北海道の7都道府県についてはこれを分割して2選挙区とした。この結果、各選挙区では4人~14人の議員(沖縄県は2人)を選挙することとなり、定数10人以下の選挙区では2名、11人以上の選挙区では3名を連記して投票する制限連記が採用された。これによる総選挙は1946年(昭和21年)4月10日に執行された第22回総選挙が、米軍の直接統治下に置かれた沖縄県には実施されず、実際にはこれを除いた466人について選挙が行われた。

新憲法施行を控えた1947年(昭和22年)3月の衆議院議員選挙法改正により中選挙区制が復活し、同年4月25日に執行された第23回総選挙はこの復活した中選挙区制によって行われたので、大選挙区制による総選挙は第22回のみに終わった。

任期

1890年(明治23年)第1回総選挙から1932年(昭和7年)第19回総選挙で選出された議員の任期は4年(ただし、解散時には任期満了前に議員資格を失う)。1900年(明治33年)の衆議院議員選挙法の改正によって、1902年(明治35年)の第7回総選挙以降において選出された議員は議会開会中に任期を終了しても閉会となるまで在任となった。そのような例として、第9回総選挙において選出された議員がある。

衆議院議員任期延長ニ関スル法律の制定によって、1937年(昭和12年)第20回総選挙において選出された議員は1941年(昭和16年)4月から任期が1年延長されて1942年(昭和17年)4月までとなった。

会議録

帝国議会では第1回から速記録の「衆議院議事速記録」、要領筆記の「衆議院議事録」が作成されたが、公式記録は議長が署名を行う議事録とされ速記録に優先して扱われた[13]。また委員会では委員の会議録として「衆議院委員会議録」が作成され、本会議と同じく速記録と議事録が作成されていたが、第15回帝国議会で速記録に一本化されこれを「衆議院委員会議録」とした(貴族院では委員会の会議録とされ「貴族院委員会会議録」が作成された)[13]

国会では第1回から速記録の「衆議院会議録」が作成されている[13]。委員会では委員の会議録として「衆議院委員会議録」が作成されている(参議院では委員会の会議録とされ「参議院委員会会議録」が作成されている)[13]


  1. ^ 議長細田博之(自由民主党)・副議長:海江田万里(立憲民主党)を含む。
  2. ^ 任期満了で衆院選は1度のみ 3年超の解散は11回” (日本語). 日本経済新聞 (2021年1月4日). 2021年10月17日閲覧。
  3. ^ 松澤浩一著 『議会法』 ぎょうせい、1987年、119-122頁
  4. ^ OECD諸国の国会議員1人当たりの人口、人口当たりの議員数(2011年) ※ 現在はインターネットアーカイブ内に残存《2017年10月14日閲覧》
  5. ^ [1]
  6. ^ “選挙権年齢「18歳以上」に 改正公選法が成立”. 47NEWS. (2015年6月17日). https://web.archive.org/web/20150617032536/http://www.47news.jp/CN/201506/CN2015061701001110.html 2017年10月14日閲覧。  ※ 現在はインターネットアーカイブ内に残存
  7. ^ 会派名及び会派別所属議員数”. www.shugiin.go.jp. 2021年12月23日閲覧。
  8. ^ a b c d e 衆議院の役員等一覧”. 衆議院. 2018年10月26日閲覧。
  9. ^ 本会議・委員会等~情報監視審査会 - 衆議院Webサイトより
  10. ^ 国会について~本会議の主な議事(5 議案の審議) - 衆議院Webサイトより
  11. ^ a b c 百瀬孝 1990, p. 40.
  12. ^ 衆議院議事速記録 昭和21(1946)年6月29日 本会議、大村国務大臣発言(P137)参照
  13. ^ a b c d 石倉賢一「国会会議録について」 、2021年2月9日閲覧。






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