薙刀術
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 06:33 UTC 版)
主な流派
薙刀術の流派
- 穴澤流 - 流祖は穴澤主殿助盛秀。現在、15本の形を残すのみである[3]。
- 静流
- 巴流
- 楊心流
- 肥後古流
- 一心流
- 月山流
- 鈴鹿流
- 直元流
- 直心影流
- 神道無螫流
- 常山流
- 香取流
- 円流
- 随変流
- 我徳流
- 戸田派武甲流薙刀術
- 先意流
- 清和流
流派の表武器術以外に薙刀術があるもの
- 天真正伝香取神道流
- 馬庭念流
- 竹内流 - 備中伝長刀
- 荒木流
- 立身流
- 宝蔵院流(槍術のみ現存。薙刀術は現存せず)
- 駒川改心流
- 渋川流(現存する広島藩伝の渋川流には薙刀術も伝わっている)
- 心月無想柳流(小薙刀術)
- 無辺流
- 聖徳太子流
- 心形刀流(枕刀術と称す)
- 水鴎流
- 北辰一刀流
- 根岸流(手裏剣術のみ現存。薙刀術は現存せず?)
- 不遷流
- 法神流
- 新陰疋田流
他、多数の流派が存在
伝統芸能との関わり
鹿児島県種子島に「なぎなた踊り」(おつや口説)という郷土芸能が存在する。なぎなた踊りは出端・本踊り・引端から構成され、その筋書きは以下の通りである[4]。
なぎなた踊り(おつや口説)は、今から八百余年前、源氏と平氏の争いの中、当時の源氏の武将石山氏の娘「おつや」が、五年前に平家の武将に弓矢で討たれた父親の仇を討つため、京都の東山の清水寺に籠って兵法の稽古に励み、薙刀・小太刀・手裏剣を持って、父の仇である藤島氏を探し求めて、見物人の多い中で見事父の仇を討ち、仇を討つのを見ていた人々も、おつやの見事な仇討ち姿に感激して、籠一竿、金子百両、それとたくさんの人々から心温まる供応を受け、丹波の国へ帰るという筋書きであります。
また、能の小道具として、登場人物の出立を際立たせるといった「風流性」を支えるために用いられた、あるいは多武峰様の演出に関連して用いられたと推測されている[5]。
- ^ a b c d e f g h 前畠ひとみ (2006-12-20) (日本語), 「薙刀 (長刀)」から「なぎなた」へ, doi:10.18878/00001787 2020年4月23日閲覧。
- ^ 榊田八重子 (1976) (日本語), 薙刀(古武道)の沿革と新しいなぎなたについて, doi:10.11214/budo1968.9.2_84 2020年4月23日閲覧。
- ^ 小佐野淳 (1988) (日本語), 穴澤流薙刀術について, doi:10.11214/budo1968.21.2_49 2020年4月23日閲覧。
- ^ “なぎなた踊り - 種子島の伝統行事・郷土芸能 - ふるさと種子島”. www.furusato-tanegashima.net. 2020年4月23日閲覧。
- ^ 伊海孝充 (2007-07-31), 能における長刀の「風流性」 : 長刀と多武峰様具足能との関係を基点に, doi:10.15002/00007398 2020年4月23日閲覧。
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