落語立川流 立川流顧問

落語立川流

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/08 12:07 UTC 版)

立川流顧問

立川流設立時、権威付けの意味合いで、談志と親しい、格上ないし惚れ込んだ著名人に名を貸してくれるよう頼んだのが始まり。その名残から名義だけ(森繁久彌 ほか)のものもいれば、昇進試験の際の審査も行うもの(野末陳平、吉川潮 ほか)まで多様であった。特に元・顧問の吉川潮は、談志が全面的に信頼を寄せていたため、談志に対する発言力が大きく(二代目快楽亭ブラックの除名を決めたのは吉川とされる。)、事実上の筆頭顧問として立川流の運営に関わっていたが、多くの弟子たちからは疎んじられていたようである[要出典]

元・顧問

  • 吉川潮(演芸評論家、2014年辞任)

組織構成

立川流はA・B・Cの3コースがあったが、のちに廃止(時期は不明)。Aコースは落語家、Bコースはビートたけし他の芸能人を中心とする有名人、Cコースは一般人で構成され、それぞれ昇進基準が異なっていた。

昇進基準

Aコースの職業落語家は噺のほか、舞踊などの修得が必修とされ、家元の面前での試験により昇進の可否が決定される。B・Cコースの基準はそれに比して緩やかである。Bコース初の真打は、1988年11月昇進の立川藤志楼こと高田文夫であった。

Aコースの弟子は、

  • 二つ目昇進は、落語50席と都々逸長唄かっぽれなどの歌舞音曲
  • 真打昇進は、落語100席と歌舞音曲

の修得が求められる。2012年6月の新体制発足以後は、前座修行が最低3年必要になった(入門からわずか1年半で、新体制発足直前に二つ目に昇進した談笑門下の立川吉笑のような例が今後なくなる)。家元である談志は昇進の条件として「持ちネタが2席でも、客を爆笑させることができればよい」ともしていたが、その基準をクリアできる弟子はいないのが現状である。以上のように実力主義のため、落語協会、落語芸術協会のような入門順などは基本考慮されていない。2023年5月5日より、立川流初の女性落語家である立川こはる改メ立川小春志(立川談春門下)が同派としては初めて女性で真打に昇進した[7]

2002年5月、「二つ目への昇進意欲が感じられない」として、一門の前座6名が破門を言い渡された。これにより前座が1名になってしまったため、翌月に立川談吉(現:立川小談志)が立川談一の名で復帰。2003年5月、復帰試験が行われ立川談修のみが合格。不合格となった立川志加吾と立川談号は2003年8月に名古屋を拠点とする雷門小福門下に移籍し、それぞれ雷門獅篭雷門幸福(現:登龍亭獅篭、登龍亭幸福)となった。2004年1月、立川キウイ立川談大(2010年死去)は、一門の新年会席上で再度復帰試験を受ける。判断に窮した談志は立川流真打達に判断を一任。厳しい意見が相次いだが、二つ目ではなくあくまでも前座としての復帰という条件を談志が提示、談志の意を汲んだ談四楼、志の輔らの音頭によって、ようやく一門復帰を許された。

また、2019年5月、立川志らく門下の二つ目7人について全員を前座に降格とした。これは、志らくが主宰する劇団の稽古に一門の弟子たちが一度も見学に来なかったことを理由に「弟子が師匠に対して興味がないのなら弟子である必要はありません」としている。この中には同年夏に真打昇進が決定していた立川志獅丸や、3月に二つ目に昇進したばかりの立川志ら鈴も含まれているが、いずれも期間を決めた上(志獅丸は真打昇進の前日まで)での前座再修行としている[8]。その後、同年7月1日付で志獅丸は真打に昇進(形式上、異例の前座からの真打昇進)となり、志奄、らく兵、らく人、がじらの4名が二ツ目へ復帰した(志ら門、志ら鈴は「二ツ目に昇進したばかり」との理由でこの時点で二ツ目に復帰できなかったが、2020年1月1日付で二つ目に復帰した)[9][10]

構成員

家元

  • 立川談志(2011年死去。落語立川流家元 死去時は真打)

談志の死去後、家元は廃止された。

旧・Aコース(弟子)

香盤順[11]

真打

二ツ目

前座

  • 立川生ぼう
  • 立川笑王丸
  • 立川のの一
  • 立川志音
  • 立川談声
  • 立川公四楼

故人

破門・廃業・除名・退会等(主なもの)

  • 立川談志門下
  • 桂文字助門下
    • 桂文字ら
  • 立川談四楼門下
    • 立川康四楼
    • 立川長四楼
    • 立川語楼
  • 立川志らく門下
    • 立川らく丸
    • 立川らく吉
    • 立川こらく
    • 立川らく坊
    • 立川らくみん
    • 立川うぉるたー(2017年より落語家休業中。志らくから「タコ太郎」の芸名をもらい、酒井莉加(志らく夫人)主宰の劇団「謎のキューピー」で役者としての活動は続けていたが、2020年、一門サイトから名前が消えた。)
    • 立川らく葉
    • 立川怒志
    • 立川らく者
    • 立川志ら松
  • 立川志の輔門下
  • 立川談春門下
    • 立川はる一
    • 立川春太
    • 立川はるく
    • 立川春吾(現在[いつ?]は落語・コント作家のナツノカモ
    • 立川春樹
    • 立川春松
    • 立川はるか
    • 立川春太郎
    • 立川春来
    • 立川ちはる
    • 立川春次郎
  • 立川談笑門下
    • 立川笑吾
    • 立川笑笑(2015年6月末、漫才に転向するため廃業。)
    • 立川笑坊
    • 立川笑ん
    • 立川錦笑
  • 立川談修門下
    • 立川花修

移籍

談幸一門の落語芸術協会移籍の際に、芸協での香盤は談幸は2年間は「準会員」として扱われており、2017年1月に「正会員」となった後も芸協の香盤では真打でも別枠として扱われた。2019年6月より香盤に入れられ、2016年真打昇進者の下に列せられた。一方で師とともに移籍した吉幸、幸之進は離脱時点で立川流二ツ目であったが、芸協では吉幸は1年間、幸之進は2年間前座修業の期間を改めて課された。
他流ではあるものの、特に吉幸は立川流で約10年近い前座修業に加え、その後二ツ目を7年経験しており、その者に改めて前座の修業を課した事には業界でも物議を醸し、立川志らくは自身のブログで「彼を前座に戻すということは、芸術協会は立川流を認めていないことになる。つまり談志を否定していることになる」と芸協を痛烈に批判している(後に削除した)[15][注釈 13]。その後、吉幸は芸協移籍後の2019年5月上席より真打に昇進しており、芸協移籍後4年(芸協で二ツ目昇進から3年)で真打に昇進していることから、立川流での修業期間も反映されたと考えられている[注釈 14]

旧・Bコース(談志が認めた有名人)

☆は真打昇進している(昇進披露を行った)者。

故人

除名 (主なもの)

Bコースメンバー整理の際に除名された主な人物。

旧・Cコース (談志が認めた一般人)

  • 立川久蔵
  • 立川呑志
  • 立川志隆(現・濱乃志隆)
  • 立川七志
  • 立川朝志
  • 立川談二三
  • 立川新談
  • 立川談地妻
  • 立川抜志
  • 立川志長
  • 立川談薬
  • 立川志ん朝
  • 立川小龍包
  • 立川談茶可
  • 立川談我良
  • 立川成行
  • 立川堅志
  • 立川談骨
  • 立川久六
  • 立川志ん介
  • 立川旭志
  • 立川小ミチ
  • 立川凡志
  • 立川清志楼
  • 立川談ペット
  • 立川談々丸
  • 半澤伸
  • 福田浩章
  • 大久保祐司
  • 小笠原慎治
  • 宝田一夫
  • 中村雅則
  • 谷野幸二
  • 吉田章
  • 大橋薫
(立川平林はCコースからの入門)

系図

  • 現在Aコースに所属しているものを列記した(破門や脱会したものは含まない)。
  • 順は香盤ではなく、入門順である。真打は太字、前座は小文字で示した。
  • †印は物故者、名跡の後の数字は代数を表す。
  • 小談志、平林、談吉は談志門下だったが、談志の死去により移籍した。その後、談吉は左談次の死去により、さらに移籍した。
立川談志(7)
 
土橋亭里う馬(10)
 
 
 
 
 
 
 
立川左談次
 
立川左平次
 
 
 
 
 
 
 
立川談四楼
 
立川わんだ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川寸志
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川だん子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川只四楼
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川琉四楼
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川半四楼
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川談声
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川公四楼
 
 
 
 
 
 
立川ぜん馬(6)
 
 
 
 
 
 
立川龍志
 
立川小談志(2)
 
 
 
 
 
 
 
立川談之助
 
 
 
 
 
 
立川志の輔
 
立川晴の輔
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川志の八
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川志の春
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川志のぽん
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川志の彦
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川志の太郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川志の麿
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川志の大
 
 
 
 
 
 
立川文都(6)
 
 
 
 
 
 
立川談春
 
立川小春志
 
 
 
 
 
 
 
立川志らく
 
立川こしら
 
立川かしめ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川志らら
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川志ら乃
 
立川のの一
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川志ゑん
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川志ら玉
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川らく朝
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川らく次
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川志らべ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川志獅丸
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川らく兵
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川がじら
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川らく人
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川志ら鈴
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川うぃん
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川志ら門
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川らく萬
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川志らぴー
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川志音
 
 
 
 
 
 
立川生志
 
立川生ぼう
 
 
 
 
 
 
 
立川雲水
 
 
 
 
 
 
立川志遊
 
 
 
 
 
 
立川談慶
 
立川平林
 
 
 
 
 
 
 
立川キウイ
 
 
 
 
 
 
立川談笑(6)
 
立川吉笑
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川笑二
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川談洲
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川笑えもん
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川笑王丸
 
 
 
 
 
 
立川談修
 
立川談吉
 
 
 
 
 
 
 
立川談大
 

注釈

  1. ^ 談志自身は「五代目」を称している。立川談志 (名跡)#7代目が5代目を自称した経緯を参照。
  2. ^ 定席とは、年間ほぼ毎日演芸を開催している寄席の通常興行のこと。狭義における東京(江戸)落語の定席は鈴本演芸場新宿末廣亭浅草演芸ホール池袋演芸場の4席で、広義として国立演芸場を含む場合もある。立川流が通常出演不可という意味は「狭義」の4席に当たる。
  3. ^ 談之助以外の著名な例として2020年2月19日神田伯山の真打昇進襲名披露興行に立川志らくが出演した他、2021年2月桂宮治の真打昇進披露興行には立川談春、談笑が出演している。
  4. ^ 両演芸場ともいわゆる江戸落語の寄席の定義から外れている。
  5. ^ 初代司会者であった立川談志の出演時期は、落語立川流創設前の落語協会在籍時であった。
  6. ^ 同番組で不定期に放送される真打昇進披露口上も他流派と合同で行われるほか(但し、口上で恒例となっている新真打の師匠や関係者の出演は無い)、地上波や派生番組(『笑点 特大号』等)で行われる「若手大喜利」には立川流の落語家も出演している。
  7. ^ 二番弟子の三遊亭さん生(後の川柳川柳)と三番弟子の三遊亭好生(後の春風亭一柳)。師の圓生との関係が悪化していたことから、三遊協会に加わらない判断をしており、圓生からは破門されて高座名の強制返却となり、それぞれ改名の上で他の一門(川柳は小さん、一柳は八代目林家正蔵)の客分となった。
  8. ^ すなわち、それまでは志ん朝、圓楽、談志であった香盤順を、談志、圓楽、志ん朝に入れ換えようと目論んだ。談志が決行直前に新団体設立の動きから離脱したのは、新団体における志ん朝の香盤を談志の下にすることを圓生が拒否したためと、談志本人も認めるところである。
  9. ^ この「温情」については北村銀太郎の圧力が働いていた。復帰者の処罰(香盤降下)を検討していた小さんに対し、北村は幹部側にも落ち度があったとして協会執行部の総辞職を要求している。また、圓楽とともに「騒動」の首謀者でありながら、直前に裏切って勢力を温存した談志を牽制する小さん派の協会幹部の思惑も含まれていたとされる。
  10. ^ 立川ぜん馬の妻である歌手のさこみちよが「江戸の唄」の演目で色物として出演する(前出の「余一会」では常連となっている)ほか、松元ヒロ(スタンドアップコメディ)、柳家小菊(粋曲、夫は元立川流顧問の吉川潮)、元立川流Aコースの落語家であったマグナム小林(ヴァイオリン漫談)、東京ボーイズ米粒写経などが顔付けされた事がある。また過去には高田文夫が「立川流の落語家」ではなく「漫談」で出演したほか、落語立川流顧問の野末陳平や談志と親交の深い毒蝮三太夫も出演したこともある。
  11. ^ 落語立川流顧問であった元衆議院議員で法務・文部大臣を歴任した稲葉修(故人)の息子。
  12. ^ 演芸場側の責任者から「立川流の落語家を定席の仲入り前と主任として出演させたければ、落語協会と落語芸術協会からの許可をそちら(立川流)で直接もらってください(つまり「立川流が両協会に直接頭を下げてください」というお願い)」という難題を突き付けられ、出演を断念した。
  13. ^ 一方で師である談幸や吉幸本人は、改めての前座修業について肯定的なコメントをしている。吉幸は「お茶くみ一つとってもやり方が違う。(立川流は)太鼓をたたく機会が格段に少なかった。システムが違うしやって良かったと思います」と語っている[15]。なお、談幸は立川流に移籍する前の落語協会在籍時に約4年間、定席寄席での前座修業を経験している。
  14. ^ 通常は二ツ目昇進後約10年が真打昇進の基準[16]とされる。
  15. ^ のちに、立川談春の落語会に出演してからは「立川梅春(たてかわばいしゅん)」に改名して落語を何度か口演している。
  16. ^ Aコース「立川談かん」からビートたけし門下へ移籍、改名後、1986年2月にBコースへ再入門、そのまま「ダンカン」を名乗る。
  17. ^ 師匠の談志から芸名を付けてもらうにもネタが尽きたらしく(師匠曰く『直木賞作家に敬意を表して』と)、師匠から「芸名は自分で考えて来るように」と言われ困っていたところ、新宿駅でふと見た中央線快速の行き先表示『立川・八王子方面』に、コレだと思って芸名にした、という[17]。景山本人もざこば・鶴瓶らくごのごのゲスト出演の際に立川八王子の由来を同じように語っている。
  18. ^ 1990年頃に所属。既に円楽一門会所属の落語家ではあったが、プロ落語家としての二重加盟を避ける意味で著名人枠のBコースにも所属していた。三遊亭円楽_(6代目)#人物・逸話を参照。
  19. ^ (1940年5月15日 - 2022年3月11日)静岡県沼津市出身。1972年立川談志に色物弟子として入門「立川文志」。弟子に立川談文(本名:三浦淳一、1968年 - )、「談文」の命名は立川談志。文志没後は江戸文字(有)文志の代表を務める。

出典

  1. ^ “落語立川流:家元制度廃止 今後は理事会が意思決定”. 毎日jp. (2012年6月7日). オリジナルの2012年7月9日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/M1c1 2012年6月7日閲覧。 
  2. ^ 「笑点」新メンバーに立川晴の輔さん 日テレ”. 時事通信 (2024年4月7日). 2024年4月8日閲覧。
  3. ^ 立川流の新年会 談志を喜ばせることが最大の験担ぎだった - NEWSポストセブン 2021年1月2日
  4. ^ 立川こしら (2024年1月3日). “落語立川流新年会2024”. youtube. 2024年1月4日閲覧。
  5. ^ 5月特別企画公演「立川流落語会」【渋谷区文化総合センター大和田6階伝承ホール】 - 独立行政法人 日本芸術文化振興会
  6. ^ 吉川潮『談志歳時記』新潮社、2012年11月21日、168 - 170,192 - 193頁。ISBN 9784104118076 
  7. ^ <芸道まっしぐら>立川流初、女性真打ちへ 落語家・立川こはる (日本語) - 東京新聞 TOKYO Web 2023年2月24日
  8. ^ 立川志らく、二つ目の弟子全員を前座に降格処分 (日本語) - 日刊スポーツ 2019年5月21日
  9. ^ 立川志らく、志獅丸を真打ちに昇進「戻さないといろんな人に迷惑がかかる」 (日本語) - SANSPO.COM 2019年7月14日
  10. ^ 立川志らくの弟子、志ら鈴と志ら門が二つ目復帰!新年の節目に決断 (日本語) - SANSPO.COM 2020年1月1日
  11. ^ 東京かわら版編・東西寄席演芸家名鑑。
  12. ^ 立川談四楼 [@Dgoutokuji] (2015年10月21日). "立川談四楼さんはTwitterを使っています: 「文字助が立川流を離脱すると言う。ほう、隠居ですな。そりゃいい、祝儀不祝儀の義理から開放されますよ。違う、立川流を辞めて文字助組を結成し、組長になるんだ。組長? 流行りだけど子分はいるの? 飲み友達が子分だ。組長という発想は分からないが、一門に迷惑をかけているとの自覚はあるようだ。」 / Twitter". X(旧Twitter)より2022年11月9日閲覧
  13. ^ 井上正弘 編『落語 第30号 最新東西全落語家名鑑』弘文出版、1990年11月1日、29頁。 NCID AN10301576 
  14. ^ “立川談幸、立川流を脱退 談志の内弟子、落語芸術協会へ”. 朝日新聞. (2014年12月28日). http://www.asahi.com/articles/ASGDM563WGDMUCVL01C.html 2014年12月28日閲覧。 
  15. ^ a b 真打ち目前で前座に逆戻り 数奇な運命を歩んだ立川吉幸が来年5月に真打ち昇進決定 - スポーツ報知 2018年8月6日
  16. ^ 落語家の階級 - 落語ってなに? - 落語はじめの一歩 - 落語芸術協会
  17. ^ 立川談四楼のツイッター - 2019年7月18日閲覧
  18. ^ 佐藤榮子. “夫 立川文志儀 かねてから自宅療養中でございましたが 去る3月11日に永眠いたしました(享年81)”. 江戸文字の文志. facebook. 2022年7月22日閲覧。





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