華族 特権

華族

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/01 20:42 UTC 版)

特権

司法

華族や勅任官・奏任官は1877年の民事裁判上勅奏任官華族喚問方(明治10年10月司法省丁第81号達)により民事裁判への出頭を求められることがなく、また華族は1886年の華族世襲財産法により公告の手続によって世襲財産を認められ得た。

特権

その他、宗秩寮爵位課長を務めた酒巻芳男は華族の特権を次のようにまとめている[7]

  1. 爵の世襲(華族令第9条)[8]
  2. 家範[注釈 17]の制定(華族令第8条)
  3. 叙位[注釈 18](叙位条例、華族叙位内則)
  4. 爵服の着用許可(宮内省
  5. 世襲財産の設定(華族世襲財産法)[8]
  6. 貴族院の構成(大日本帝国憲法・貴族院令)[8]
  7. 特権審議(貴族院令第8条)
  8. 貴族院令改正の審議(貴族院令第13条)
  9. 皇族王公族との通婚(旧皇室典範皇室親族令
  10. 皇族服喪の対象(皇室服喪令
  11. 学習院への入学(華族就学規則)
  12. 宮中席次の保有(宮中席次令・皇室儀制令)
  13. 堂上華族保護資金(旧堂上華族保護資金令)

財産

1886年に華族は第三者からの財産差し押さえなどから逃れることが出来るとする華族世襲財産法が制定されたことにより、世襲財産を設定する義務が生まれた。世襲財産は華族家継続のための財産保全をうける資金であり、第三者が抵当権質権を主張することは出来なかった。しかし同時に、世襲財産は華族の意志で運用することも出来ず、また債権者からの抗議もあって、大正5年(1915年)に当主の意志で世襲財産の解除が行えるようになった。財産基盤が貧弱であった堂上貴族は旧堂上華族保護資金令により、国庫からの援助を受けた。さらに財産の少ない奈良華族や神官華族には、男爵華族恵恤金が交付された。

教育

学歴面でも、華族の子弟は学習院に無試験で入学でき、高等科までの進学が保証されていた。また1922年(大正11年)以前は、帝国大学に欠員があれば学習院高等科を卒業した生徒は無試験で入学できた。旧制高校の総定員は帝国大学のそれと大差なく、旧制高校生のうち1割程度が病気等の理由で中途退学していたため帝国大学全体ではその分定員の空きが生じていた。このため学校・学部さえ問わなければ、華族は帝大卒の学歴を容易に手に入れることができた。

但し学習院の教育内容も「お坊ちゃま」に対する緩いものでは無く、所謂「ノブレス・オブリージュ」という貴族としての義務・教養を学ぶ学校であり、正に旧制高等学校同等の教育機関であった。

貴族院議員

1889年大日本帝国憲法により、華族は貴族院議員となる義務を負った。30歳以上の公侯爵議員は終身、伯子男爵議員は互選で任期7年と定められ、「皇室の藩屏」としての役割を果たすものとされた。

また貴族院令に基づき、華族の待遇変更は貴族院を通過させねばならないこととなり、彼らの立場は終戦後まで変化しなかった。議員の一部は貴族院内で研究会などの会派を作り、政治上にも大きな影響を与えた。

なお、華族には衆議院議員の被選挙権はなかったが、高橋是清のように隠居して爵位を息子に譲った上で立候補した例がある。

皇族・王公族との関係

同年定められた旧皇室典範と皇族通婚令により、皇族との結婚資格を有する者は皇族または華族の出である者[注釈 19]に限定された。

また宮中への出入りも許可されており、届け出をすれば宮中三殿のひとつ賢所に参拝することも出来た。侍従も華族出身者が多く、歌会始などの皇室の行事では華族が役割の多くを担った。また、皇族と親族である華族が死亡した際は服喪することも定められており、華族は皇室の最も近い存在として扱われた。




注釈

  1. ^ このうち広島新田藩浅野家は廃藩後に華族となることを辞退した。
  2. ^ 松崎家(松崎万長家)・玉松家(玉松操家)・岩倉具経家(岩倉具視の三男)・北小路家北小路俊昌家)・若王子家(聖護院院家若王子住職家)。
  3. ^ 徳川御三卿のうち2家(一橋徳川家田安徳川家)、徳川御三家附家老家5家(成瀬家・竹腰家(尾張徳川家)、安藤家水野家紀伊徳川家)、中山家水戸徳川家))、毛利氏の家臣扱いだった岩国藩吉川家、1万石以上の所領を持つ交代寄合6家(山名家池田家山崎家平野家本堂家生駒家)、1万石以上の所領を持つ高家だった大沢家。ただし大沢家は所領の水増し申告が露見し1万石以下であることが確認されたことから、後に華族の身分を剥奪され士族に編入された。
  4. ^ 徳川御三卿の清水徳川家は当主不在であり、翌年に徳川篤守が相続した際に華族に列せられた。
  5. ^ 大久保家と木戸家は明治11年(1878年)5月23日に華族に列した。いずれも後に侯爵
  6. ^ 広沢家は明治12年(1879年)12月27日に華族に列した。後に伯爵
  7. ^ 南北朝時代南朝方の忠臣だった新田義貞の功により新田家新田岩松家)が、名和長年の功により名和家が、菊池武光の功により菊池家米良菊池家)が、それぞれ華族になっている。いずれも後に男爵。
  8. ^ ただし、全ての華族が同時に叙爵されたわけではなく、戸主が女性であった家や終身華族・門跡華族・戸主が実刑を受けていた芝亭家などは叙爵が遅れた。
  9. ^ 清水徳川家で初め徳川篤守が伯爵、次代の徳川好敏が男爵となったが、これは篤守が爵位を返上ののち、家督を継いだ好敏が改めて自身の功績により男爵に叙せられたものである。
  10. ^ 大名家の表向きの石高である「草高」ではなく、実収を基準に決められた石高を現米とする。
  11. ^ 尚氏当主の尚泰の叙爵は翌年の明治18年(1885年5月2日。叙爵内規では「旧・琉球藩王」となっている。
  12. ^ 中納言を一旦辞すことなく直に大納言に任じられることを「直任」といい、一旦中納言を辞した後に改めて大納言に任じられることよりも格上とみなされた
  13. ^ 成羽藩矢島藩村岡藩
  14. ^ 平田家は家格こそは押小路家・壬生家の次とされていたが、実質においては「地下官人之棟梁」として両家と同格扱いを受けていた。詳細は西村慎太郎『近世朝廷社会と地下官人』第一部「近世地下官人の組織と制度」第二章<近世地下官人組織と「地下官人之棟梁」>に詳しい。
  15. ^ 北島家千家家出雲大社)、到津家・宮成家(宇佐神宮)、河辺家・松木家(伊勢神宮)、津守家住吉大社)、阿蘇家阿蘇神社)、紀家日前神宮・國懸神宮)、高千穂家(英彦山神社)、小野家(日御碕神社)、金子家(物部神社)、西高辻家太宰府天満宮
  16. ^ 渋谷家(佛光寺)、華園家(興正寺)、常磐井家専修寺)、木辺家(錦織寺)。ただしいずれの門跡も当時は皇族摂家から養子に入った者であった。
  17. ^ 華族の一族内に限って通用する法規
  18. ^ 有爵者、もしくは有爵者の嫡子が20歳になると従五位に叙せられる。
  19. ^ ただし実際にはほとんどが「有爵者(当主)の子女」だった。大正天皇第二皇子の雍仁親王(秩父宮)松平恒雄長女の節子(勢津子妃)と結婚した際には、恒雄が無爵だったことが大きな話題となった(子爵会津松平家の当主は恒雄の兄の容大、その跡を恒雄の弟の保男が継いでおり、結婚に際して保男が勢津子の養父となった)。
  20. ^ 姫路藩主酒井家で、酒井文子が当主を務めたのち、満8歳で家督を譲られた忠興が同時に伯爵を授爵している。
  21. ^ 白洲次郎の各種述懐による。

出典

  1. ^ 浅見雅男『華族誕生』リブロポート、1994年、24頁。
  2. ^ 神谷次郎、安岡昭男et al.、小西四郎(監修)『幕末維新事典』新人物往来社、1983年9月20日、596-599頁。
  3. ^ 同じ時期の士族は188万3265人、卒7246人。旧神官8914人、僧19万8435人、尼7680人。平民3151万4835人(このほかに樺太人2374人)。『幕末維新事典』による
  4. ^ 居相正広『華族要覧(第1輯)』居相正広、1936年9月28日、21頁。doi:10.11501/1018502
  5. ^ 佐藤雄基「松田敬之『〈華族爵位〉請願人名辞典』(吉川弘文館、二〇一五年)」『史苑』第78巻第2号、2018年、 109-110頁、 doi:10.14992/00016470
  6. ^ a b c 細野哲弘「一文字大名 脱藩す」『特技懇』第290号、特許庁技術懇話会、2018年、 130-137頁。
  7. ^ 酒巻芳男「第11章 華族の特権」『華族制度の研究 在りし日の華族制度』霞会館、1987年、301-331頁。
  8. ^ a b c 浅見雅男『華族たちの近代』NTT出版、1999年、20頁。
  9. ^ 小林和幸 2013, pp. 75-76.
  10. ^ 小林和幸 2013, pp. 66.
  11. ^ 小林和幸 2013, pp. 67-78.
  12. ^ 小林和幸 2013, pp. 76.
  13. ^ 浅見雅男『華族誕生 名誉と体面の昭和』中央公論新社〈中公文庫〉、243-252頁。ISBN 978-4-12203542-3
  14. ^ 内藤一成『貴族院』同成社、2008年、122頁。
  15. ^ a b 芦田均日記 憲法改正関連部分(拡大画像) 日本国憲法の誕生”. ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2020年2月12日閲覧。


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