菊池氏 陸奥菊池氏

菊池氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/13 08:49 UTC 版)

陸奥菊池氏

陸奥菊池氏も肥後菊池氏と同族で、建武の新政に関った人々の中に菊池一族も名前を連ねていることから後醍醐天皇の多くの皇子に伴って全国各地に散らばったとされる。

遠野菊池氏もその一族で、海路より青森県八戸に上陸し岩手県遠野にたどり着いたとされ、家紋にいわれが残っている。菊池氏は「丸に並び鷹の羽」もしくは「丸に違い鷹の羽」を用いることが多く、遠野菊池氏は通常の家紋に海路から入ったことを表す波紋が加えられ「丸に並び鷹の羽に波紋」で表す方が多いようだ。人口の二割を菊池姓で占めている岩手県遠野市1998年平成10年)8月1日菊池市と友好都市宣言を結んだ。

この他にも岩手県では菊池姓、菊地姓を名乗る人が多く、遠野菊池氏の他にも宮城県石巻から北上川を北上してきた一族がいたなどの言い伝えが残っており、岩手県奥州市(江刺地域)に多い。末裔に中央大学初代総長の菊池武夫や盛岡の実業家菊池金吾などがいる。

常陸菊池氏

常陸国にも菊池氏がある。肥後菊池氏の流れをひく陸奥菊池氏と同族という。遠祖は関白藤原道隆。また、茨城郡谷田村にも菊池氏が見える。 多賀谷重経の家臣にも菊池氏の名が見える。他、久慈郡稲村神社の由来書には鎮守府将軍源義家が藤原広重の娘に産ませた、藤原義広に従属する武士として松浦氏、菊池氏、原田氏があったという[13]

なお、常陸国から佐竹氏の秋田転封に随行した菊池氏が数流見える。以下、菊と名乗る家と菊と名乗る家があるのでそれぞれ区別して掲載した[14]

  • 菊地忠政流

菊池忠政はその子 政勝の代に秋田に随行した。知行高は200石という[15][注釈 8]

系譜 忠政―政勝―良政―政房―政武―新左衛門政恒
  • 菊地武直流

菊地武直は筑紫の生まれであるという。本姓 藤原氏。流離して出羽国に移住する。新田開発大番となる[14][16]

系譜 武直―武経―武奥―武治―伝兵衛武清
  • 菊池縫殿允流

十左衛門の代に佐竹義宣に従い秋田に転封に随行し、出羽国仙北郡六郷に住み、隠居 佐竹義重に仕えるという。義重卒後は同郡刈和野に移り、後に秋田城下に移り住むという[15]

系譜 縫殿允―十左衛門―某(十左衛門)一某
  • 菊地正国流

本姓は藤原氏。菊池正国の代に佐竹義宣に従い秋田に転封に随行するという。子孫は平鹿郡横手に住む。知行30石。 家紋は薄[14][注釈 9]

系譜 正国―正光―正行―味兵衛正勝
  • 菊地金信流

本姓は藤原氏。菊地金信の代に佐竹義宣に従い秋田に転封に随行するという。秋田郡十二所に住むという[14]

系譜 金信一晴信―一信―茂左衛門尹信

仙北郡角館に住まうという。十二所に45石を有する[14][17]

系譜 舎治―舎廣―舎次

はじめ常陸国宍戸藩主となった、秋田実季に仕えるという。その後、秋田藩 佐竹氏の一門 蘆名義勝に仕え、蘆名氏断絶後は佐竹一門の佐竹北家の義隣に仕えて仙北郡角館に住まうという[14]

系譜 菊池武清―武光―武久―武知―忠兵衛直武

武久の代に佐竹義宣に従い秋田に転封、平鹿郡横手に住まうという[14][注釈 10]

系譜 武次―武久―武道―武吉

秀長の代に佐竹義宣に従い秋田に転封、子孫は雄勝郡湯沢に住むという[14][注釈 11]

系譜 菊池秀長―秀光―金衛門秀経

佐竹義宣に従い秋田に転封、子孫は雄勝郡湯沢に住むという。知行50石であるという[14][注釈 12]

系譜 菊池平内左衛門―惣右衛門―惣右衛門―惣右衛門―惣右衛門 種道

佐竹義宣に従い秋田に転封、子孫は雄勝郡湯沢に住むという。 知行16石という[14][注釈 13]

系譜 菊池喜六郎一助左衛門―久助―源五兵衛為昌

水戸藩郷士・義民として活動した菊池姓の人物

水戸藩に残留した菊池氏は献金により郷士の格式を得た者、帰農した者らが見え、江戸時代初期、献金郷士となった者に菊池小左衛門の名が見える[18]。また、幕末維新期において尊王志士や義民として活動する者も多く以下にその姓名を記す。

  • 菊池謙蔵 … 久慈郡冥賀村の郷士天狗党の乱に天狗方に加わり、捕らわれる。武蔵国川越から江戸佃島に移され、慶応2年(1866年4月20日、獄死する。享年23。靖国神社合祀[19]
  • 菊地忠衛門 … 久慈郡冥賀村の郷士。諱は隆英。水戸藩小十人組。安政2年(1855年)に編纂された『御領内義民賞典姓名録』に、9月4日付け、9月5日申し渡しとして志格別の趣につき、出格の儀、一代小十人列を許されるという。その後、安政5、6年(1858年59年)、天狗党に加わり国事に奔走し、松平頼徳に従うも下国、10月、降伏する。慶応元年(1866年)7月3日武蔵国川越で獄死。享年67。水戸市常磐墓地に墓。靖国神社合祀する[20][21]
  • 菊池幸四郎 … 冥加村の百姓安政2年(1855年)9月4日付け、翌5日申し渡しで一代苗字帯刀、麻上下御免となるという[22]
  • 菊池理三郎 … 久慈郡上岡村里正。諱は武政。慶応3年(1867年1月29日、水戸で獄死する。享年30。靖国神社合祀[23]
  • 菊池郁太郎 … 久慈郡下野宮の百姓。諱は忠積。天狗党に加わり、元治元年(1864年9月3日鹿島郡鉾田村三光院にて討ち死にする。靖国神社合祀[24]
  • 菊地小平 … 久慈郡下野宮里正。心得宜敷に付き、安政2年(1855年)9月4日付け、翌5日申し渡しで麻上下御免となる[25]
  • 菊池荘七 … 那珂郡山方村百姓。天狗党に慶応2年(1866年4月5日、獄死。享年22。靖国神社合祀[26]
  • 菊池五郎次 … 久慈郡天下野村の百姓。天狗党に加わり同郡中染村で捕らわれ、病にて帰宅し慶応元年(1865年)2月9日、享年29。靖国神社合祀[27]
  • 菊池三左衛門 … 久慈郡頃藤村組頭 嘉衛門の長男。諱は信忠。慶応2年(1866年)8月5日、水戸で獄死。享年21。靖国神社に合祀[28]
  • 菊池亀松 … 久慈郡山田村の百姓。天狗党に加わり捕縛され、慶応2年(1866年)3月3日、水戸で獄死[29]
  • 菊池源三郎 … 那珂郡大宮村の百姓。天狗党に加わり、元治元年(1864年)9月9日、久慈郡中染村で二本松藩と戦い、討ち死にする。享年20。靖国神社合祀[30]
  • 菊池源吾 … 那珂郡上大賀村の百姓。組頭兼野上村里正。安政2年(1855年)9月4日付け、翌5日申し渡しで麻上下御免となる。その後、天狗党に加わり捕縛され、武蔵国川越に拘禁され、慶応2年(1866年)6月9日獄死する。享年44。靖国神社合祀[31][32]
  • 菊池由兵衛 … 那珂郡照田村の百姓。組頭。諱は富興。天狗党に加わり、慶応元年(1865年1月14日、獄死。享年52。靖国神社合祀[33]
  • 菊池景道 … 宍戸藩士。天狗党の乱に加わり捕縛され、慶応2年(1866年)10月10日、獄死する。享年18。靖国神社合祀[34]
  • 菊池勝五郎 … 宍戸藩士近習頭。諱は義徳。主君 松平頼徳に随い、水戸に入っていたが水戸藩内の内紛に巻き込まれ主君 頼徳も罪を得て切腹。勝五郎も元治元年(1864年10月16日、水戸で斬首となる[35]
  • 菊池勝太郎 … 宍戸藩士。小納戸役。天狗党に与し、捕らわれる。元治元年(1864年)10月16日、水戸で斬首。享年23。靖国神社合祀[36]
  • 菊池荘助 … 宍戸藩士。参政。諱は義猛。天狗党に与し、捕らわれる。元治元年(1864年)10月16日、水戸で斬首となる。享年45。靖国神社合祀[36]
  • 菊地忠介 … 宍戸藩士。諱は景恒。天狗党に与し、捕らわれる。元治元年(1864年)10月16日、水戸で斬首となる。享年44。靖国神社合祀[36]
  • 菊池勝作 … 諱は道貫。大沼先手同心組。天狗党に加わり捕縛され、武蔵国岩槻で捕らわれ、江戸佃島に慶応2年(1866年)11月9日、水戸で獄死。享年24。靖国神社合祀[37]
  • 菊池丑之介 … 諱は守次。先手同心組。天狗党に加わるも、武蔵国岩槻から江戸佃島に移され、慶応2年(1866年)6月4日、獄死する。享年29。靖国神社合祀[27]
  • 菊池久七 … 大沼詰先手同心組。諱は正国。慶応元年(1865年5月19日、獄死する。享年39。靖国神社合祀[38]
  • 菊池鼎次郎 … 諱は以徳。野村則行の次男。菊池以道の養子となる。小十人組。天狗党に加わり、元治元年(1864年)10月5日那珂湊反射炉構内で討ち死にする。享年37。靖国神社合祀[39]
  • 菊池秀次郎 … 蔵奉行 菊池弥次衛門徳馨の四男。諱は徳祐。慶応2年(1866年8月19日、武蔵にて獄死。享年20。靖国神社合祀[40]

佐幕派として行動した菊池姓の人物

  • 菊池扇三郎 … 水戸藩士。大番。市川三左衛門諸生党に加わり元治元年(1864年)夏、那珂郡部田野で討ち死にする[41]
  • 菊池宗内 … 諸生党に属し、元治元年(1864年)夏、水戸藩領内で討ち死にする[41]

下野菊池氏

また、下野国那須郡鍋掛にも菊地氏がある。肥後菊池氏の庶流である[42][14]

もともとは那須氏の家臣であるという。武行の代に佐竹義宣に従い秋田に転封に随行する。家紋は三本杉。

系譜 菊地武行―武忠―武家―武寛

注釈

  1. ^ 筑前少弐氏に仕えた。
  2. ^ 「菊池系図」(『続群書類従』巻第151所収)、「菊池系図」(『菊池風土記』所収)、『筑後菊池諸系図』、『菊池伝記』などが藤原隆家の裔としている。一方で、隆家の兄弟である隆宗(『尊卑分脈』などの各種系図には掲載がなく実在の人物でないと考えられる)の裔とする系図(『上妻系図』)や、兄伊周の裔とする系図(『草野系図』(山本村観興寺蔵))とする系図もあり、南北朝時代末期、菊池武朝朝廷に上申した『菊池武朝申状』で単に「道隆四代後胤、太祖大夫将監則隆」としているように、当初は道隆の後裔とは称したが、具体的に道隆のどの息子の後裔にあたるのかは明確でなかったと考えられる[7]
  3. ^ 政則は隆家の指揮下で奮戦した蔵規(まさのり)と同人物とされ、藤原実資の牧司や太宰大監対馬守などを歴任し、藤原定任殺害の嫌疑を受けて追捕をされたことも記述されている。
  4. ^ (太田 1963)では菊池は古くは久々知と読まれていたことを根拠に久々智姓(『新撰姓氏録摂津皇別では阿部氏と同祖とする)との関係も示唆している。
  5. ^ 前述、武朝申状による。
  6. ^ 武房の姿は蒙古襲来絵詞に描かれている。
  7. ^ 新田義貞らとともに箱根・竹ノ下の戦いでは菊池千本槍を駆使して戦った。
  8. ^ 本来、常陸国の菊池氏ではないが、生国が定かでないことと、同じ佐竹家臣であることから本項では常陸の菊池氏に収録した。
  9. ^ 子孫に菊地平左衛門正清がいる。
  10. ^ 子孫に菊地茂兵衛武慶がいる。
  11. ^ 秀経子孫は菊池権蔵秀清という。
  12. ^ 子孫に菊池戸左衛門、菊池勘次がいる。
  13. ^ 子孫に菊池木工允久本がいる。

出典

  1. ^ a b 世界大百科事典 第2版 きくちうじ【菊池氏】
  2. ^ a b c d e 日本大百科全書(ニッポニカ) 菊池氏
  3. ^ 旺文社日本史事典 三訂版『菊池氏』 - コトバンク
  4. ^ a b 松田敬之 2015, p. 239.
  5. ^ a b 竹内誠 2003, p. 54.
  6. ^ 百科事典マイペディア 菊池氏
  7. ^ 太田 1963, p. [要ページ番号].
  8. ^ 太田 1963.
  9. ^ 『応永戦覧』
  10. ^ 木村 2014, p. [要ページ番号].
  11. ^ 木村 2014.
  12. ^ 日本の苗字7000傑
  13. ^ 太田 1934, p. 1855.
  14. ^ a b c d e f g h i j k 秋田県公文書館 2001, p. 126.
  15. ^ a b 秋田県公文書館 2001, p. 125.
  16. ^ 菊池伝兵衛武清所有『藤原姓菊池系図』、菊池清庵貴忠所有『菊池清庵系譜』参照。
  17. ^ 菊地茂左衛門尹信 所有『藤原姓菊地氏系図』参照。
  18. ^ 瀬谷 2006, p. 33.
  19. ^ 明田 1986, p. 417.
  20. ^ 明田 1986, p. 404.
  21. ^ 瀬谷 2006, p. 307.
  22. ^ 瀬谷 2006, p. 308.
  23. ^ 明田 1986, p. 432.
  24. ^ 明田 1986, p. 229.
  25. ^ 瀬谷 2006, p. 310.
  26. ^ 明田 1986, p. 416.
  27. ^ a b 明田 1986, p. 360.
  28. ^ 明田 1986, p. 426.
  29. ^ 明田 1986, p. 415.
  30. ^ 明田 1986, p. 232.
  31. ^ 明田 1986, p. 420.
  32. ^ 瀬谷 2006, p. 311.
  33. ^ 明田 1986, p. 371.
  34. ^ 明田 1986, p. 370.
  35. ^ 明田 1986, p. 223.
  36. ^ a b c 明田 1986, p. 224.
  37. ^ 明田 1986, p. 363.
  38. ^ 明田 1986, p. 350.
  39. ^ 明田 1986, p. 216.
  40. ^ 明田 1986, p. 362.
  41. ^ a b 明田 1986, p. 258.
  42. ^ 太田 1934, pp. 1855–1856.


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