荻田悦造 荻田悦造の概要

荻田悦造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/04 09:50 UTC 版)

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荻田悦造

経歴

三重県多気郡相可村(現在の多気町)出身。1905年(明治38年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、農商務属となった[1]統監府が設置されると書記官となり、朝鮮総督府書記官を経て、1917年大正6年)に朝鮮総督府総務局長に就任した[1]

1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。

その後、第一東京弁護士会所属の弁護士となった[3]

栄典

外国勲章佩用允許

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第12版(下)』人事興信所、1939年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。

  1. ^ a b c 『人事興信録』第5版
  2. ^ 『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』
  3. ^ 『人事興信録』第12版
  4. ^ 『官報』第7475号「叙任及辞令」1908年5月29日。


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