若羽黒朋明 エピソード

若羽黒朋明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/04 02:53 UTC 版)

エピソード

  • 入門が一場所遅れで同い年の安念山治には激しいライバル意識を持っていたという。安念山が立浪の娘と結婚、立浪の現役名である「羽黒山」を襲名した当時、若羽黒は大関から平幕へ番付を後退させていたばかりか、部屋の後継者争いにも敗れたことで部屋での立場が狭くなったことを理由に廃業を決意したという。
  • 大関から陥落した1964年3月場所では、前頭9枚目で4勝11敗と大敗し、大関経験者としては史上初の十両陥落が懸念された。しかし番付運に恵まれ、同年5月場所では前頭14枚目の幕尻に留まった。その後、大関経験者による十両以下への陥落は2023年3月場所までに大受久晃雅山哲士把瑠都凱斗照ノ富士春雄琴奨菊和弘朝乃山英樹栃ノ心剛史の7名がいる。詳細は関取在位後に4階級以上陥落した力士一覧#最高位大関の力士を参照。
  • 安部譲二が自身のブログで、1955年のある日、18歳だった安部が若羽黒に対して競馬場で喧嘩を売ったと記している。若羽黒は最初こそ安部に対して手は出さなかったが、次第にコンクリート塀へふっ飛ばし、張り手を食らわせたという[8]
  • 熱狂的な読売ジャイアンツファンで、他の若い者が他のチームを応援するとすかさず怒鳴りつけたという。
  • 角界において、“良い生活を送りたかったら稽古しなさい”という意味でお馴染みの叱咤激励の言葉である「土俵に宝が埋まっている」という言葉を式守伊之助から受けた際に、実際にひそかに土俵を掘って宝探しをしたことがある。
  • 後述の通り下戸であったが、大関時代から既に肝臓の健康を害していたという。また、高血圧でヘビースモーカーであったため、これらが早世の原因となっている。

異端児・若羽黒

以前から若羽黒の型破りかつ身勝手、遠慮しない性格は「異端児」と称された。北の洋昇1957年に安念山と行った対談で、「(若羽黒は)ハマッ子だからね」と、育った場所による気質であると分析していた[9]

戦前から若羽黒が活躍した1960年代頃までは、力士が自分自身を「ワシ」を言うことが多かった中で「オレ」「僕」と言っていたことや、稽古不足を最高位が関脇だった親方から注意されると「番付はどこだ?オレは大関だ」と返答したり、外出時の正装である羽織ではなくアロハシャツまたは背広で外出する[注釈 3][注釈 4]、魚嫌いの肉好きでちゃんこをあまり食べずに中華料理ビフテキを食べる、下戸のために喫茶店ではコーヒーコーラと共にケーキを口にしたり、キャバレーバンド演奏を楽しむ、色紙のサインを平仮名で書く[10]など、従来の力士像を完全に覆すものだった。

また自動車が大好きで、運転免許を取得するべく教習所にも通った。稽古場に姿を現したかと思いきや隙を見て逃げ出すことが日常茶飯事となっていたある日、立浪が「そんなことしている暇があるなら少しでも稽古しろ」と言っても耳を貸さなくなったため、立浪が試験場に出向いて若羽黒に免許を取らせないよう頼んだが、若羽黒はこれを見破って、別の試験場で免許を取得してしまった。

記者から「調子はいかがですか」と聞かれた際には「オレは凝り性だから色々なものに凝る。前は相撲に凝っていたけど最近はどうも、ね…」と返答した。

付け人だった黒姫山秀男にとっては、立浪四天王の中で一番やりやすい関取であり、うるさいことを言われなかったという。ただ、稽古場で汗を流すふりをして息抜きするなど、稽古をサボるのが上手いと証言している[7]


注釈

  1. ^ それから8年後の1969年7月場所以降は、2場所連続負越で大関陥落、翌場所関脇の地位で10勝以上の成績で大関特例復帰に改正される。
  2. ^ 当時は最高位が大関であっても、現役時代の四股名で一代年寄に就任できる制度が存在しなかった。
  3. ^ 2013年9月場所7日目の中入後に力道山光浩が生前撮影していたカラーのフィルム映像が紹介され、北の富士勝昭が若羽黒のアロハシャツ姿での場所入りに言及している。北の富士は「当時は力士が着物を着用せず、スーツで場所入りすることも多かった」と補足的に証言していた。
  4. ^ 1999年12月31日にNHKで放送された『スポーツの20世紀 大相撲 名力士・名勝負100年』では、師匠・立浪も現役時代にはスーツで場所入りしていた様子が映し出されていた。実際に1947年11月場所5日目の場所入りにスーツを着用している姿が確認される。
  5. ^ 朝汐若ノ花と優勝決定戦
  6. ^ 角番
  7. ^ 関脇陥落
  8. ^ 右足首関節捻挫により9日目から途中休場
  9. ^ 3月場所直前に廃業を表明

出典

  1. ^ a b c d e f g ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p23
  2. ^ ベースボールマガジン社『大相撲戦後70年史』18ページ
  3. ^ 若羽黒 朋明』 - コトバンク
  4. ^ a b ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p55
  5. ^ 『大相撲中継』2017年8月12日号 p86(参考)
  6. ^ 常ノ花寛市と高永武敏の共著「近世大関物語」(恒文社)219頁には、賭け事を起因として暴力団との縁ができてしまったという趣旨の記述がある。
  7. ^ a b ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p49
  8. ^ 続・八ヶ岳あかげら日誌
  9. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p57-58
  10. ^ 浅坂さんの「ニックネーム力士列伝」〜その4〜 おすもうさん 2021年5月31日 (2023年2月27日閲覧)


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