若山富三郎 逸話

若山富三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 08:51 UTC 版)

逸話

撮影所

監督との関係
若山は、学歴に対するコンプレックスが強かった。それゆえ新人監督が若山に接するときは、とにかく「帝大を出た事にしろ」とアドバイスされたという。また、仕事に対するこだわりが強く、撮影現場でもさまざまなアイデアを進言することがあったが、無茶を言って監督を困らせるようなものも少なくなかった。そんな若山をなだめるのがうまかったのが山下耕作で「若山さん、それは素晴らしいアイデアだ。でも、もったいないから、次回に取っておきましょう」と、若山の熱意と顔を立てながら現場を収拾していた[18]
楽屋
あるとき東映の若山の楽屋の隣から工事の音がし始めた。若山の取り巻きが聞いてきた話では、高倉健が自分の楽屋が狭いため、拡張工事をしていると言う。それを聞き激怒した若山は「そっちがそんな勝手するなら俺だって」と、音のする壁と反対側の壁を自ら叩き始め楽屋を広くしようとした。若山に壁を叩かれた隣の部屋では大川橋蔵が弁当を食べていたが、びっくりして飛び出してきた。大川が「いったい、何やってるんですか?」と尋ねると、若山は「壁壊して部屋広くするんや」と返答。大川は呆れ気味に「それはいいですけど、僕の部屋はどうなるんですか?」と尋ねると、若山は正気に戻ったのか「あ、すんまへん」と謝った。さらにそこに通りかかって話を聞いた鶴田浩二も激怒し、同じく自分の楽屋を広くするため壁を叩き始めたという[18]
片岡千恵蔵を非常に尊敬しており、千恵蔵の使用していた楽屋が自分のものになると感激のあまり、号泣した[18][20]
楽屋には大福キャラメルコーヒー牛乳などを常備する甘党で、夜中に後輩俳優を呼び出して汁粉を振る舞ったこともあった[注 2]
若山が下戸であることを知らなかった高倉は、日頃の礼の意味で撮影前の若山に日本酒を一瓶贈ったことがあった。若山は困惑しながらも高倉の思いに応えようと快く受け取り、高倉の眼前でラッパ飲みして見せた。しかし飲んだ直後に卒倒し、当日の撮影は中止となった。高倉はひたすら平身低頭、謝罪したという。
菅原文太
1967年、松竹に在籍していた新東宝時代の後輩・菅原文太が東映に移籍し若山に挨拶に行った際、東映への移籍は安藤昇からの勧めがあったことから、若山は「お前は安藤の子分になったのか」と訊ねた。菅原はそれを否定し「そうか!ならワシんとこの若い衆になれ!」と、それ以降菅原を可愛がるようになった。その後、菅原は1969年に『現代やくざ 与太者の掟』で東映で初主演(この作品にも、若山が出演し華を添えている)、1973年には『仁義なき戦い』シリーズが大ヒットし、一躍東映の看板スターとなるに至り、菅原を妬んだ東映生え抜きの役者連中は若山に「菅原が天狗になってます。何とかしてください」等と告げ口を始める。菅原自身は若山には礼を尽くしていたので、若山は意に介していなかったが、遂に乗せられ「アイツ自身のためにみんなの前で殴る」と菅原を殴ることになった。
東映京都撮影所の俳優会館の前に椅子を持ち出して待ち構え、通りかかった菅原を見つけ「オイ、文太!」と声を掛けた。ところが機敏に察知した菅原は、若山に走り寄りその手をとって「オヤッさん、ありがとうございました。ぼくみたいな下手な役者が、小さな賞ですけど京都市民映画祭の主演男優賞を獲れたのはオヤっさんのおかげです。ありがとうございました。」と恭しく挨拶した。気勢をそがれた若山は「おお、そうか…。文太、お前の部屋(東映の控え室)にテレビはあるのか?」と聞き、菅原が「ありません」と答えると、「じゃあみんなでお祝いに買ってやる」として奥で隠れてやり取りを見ていた子分の山城新伍から3万円を出させ、テレビを買い与えた。当時のテレビの価格では3万円は頭金にしかならず、かといって他の役者達は金を出さなかったので、電器屋が菅原のところへ代金を請求に行ったところ「取れるもんなら、取ってみい!」と凄まれて泣く泣く帰る羽目になり、結局電器屋は丸損となった[18]
仲裁を待つ
ある時東映撮影所で大喧嘩になり、若山は「ぶち殺してやる」と机を持ち上げて相手に投げつけようとした。若山を止めてもらおうと呼び出された山城が駆けつけると、若山は机を振り上げた姿勢のまま固まって待っていた。山城は若山に「早く止めに来んかい」と怒られた[18]
「ヤナギザワシンゴ!」
コミカルな芸も得意とする俳優の柳沢慎吾松方弘樹主演の『名奉行 遠山の金さん』(テレビ朝日系)に同心・間半平役でレギュラー出演していた頃、若山が第3シリーズ第3話「怪盗の顔を見た!」(1990年7月26日放送分)でゲスト出演した際に、東映京都撮影所内ですれ違った時のことである。当時柳沢はまだ駆け出しの若手だったため、若山に対する【暗黙のルール】[注 3]を知らされていなかった。
ちょうど食事を終え、食堂から出てきた柳沢は若山に対し、楊枝をくわえながら「チィーッス!」と何気なしに頭を下げて立ち去った。この態度に若山が信じられないようなものを見た顔をして激怒し、「あの野郎、後で俺の部屋ぁ来いって言っとけ!」と東映京都撮影所俳優会館のスタッフに指示。
俳優会館内の特別室である自分の楽屋に柳沢を呼び付け、大慌てで自己紹介し謝罪する柳沢を尻目に、柳沢を自分のソファーの真向かいに座らせ、無言のまま長時間睨みつける事態となった。そこへ、ただならぬ異変に気付いた松方が楽屋に入り「富兄い、今、俺と一緒に『金さん』やってる柳沢慎吾って若い奴だから…」と間を取り持つと、若山は「…知ってるよ。だから俺ぁ、シンゴと話してたんじゃねぇか」と告げたが、実際は何も言わずにひたすら柳沢を睨み続けていたという。若山は松方の顔を立て、その場は一旦収束した。
若山と柳沢が絡むシーンは、同心の間半平が右手で刀を持ちながら[注 4]目撃者を尋問しているところを若山演じる元岡っ引きの老人が襖を開け「旦那ぁ、そいつは違うんだよぉ…そいつは違うんだよぉ!」と若山が割って入るのを柳沢が『うるせぇ、このジジィ!てめぇは黙ってろ!』と一蹴するシーンだった。ところが撮影に入ると、同心役の柳沢の刀の取り扱いや所作に度々注文をつけ、「ヤナギワシンゴ!! [注 5]おめぇ今、どっちの手で刀ぁ持ってたんだよ! おめぇの役は同心じゃねぇのか?…おい、ヤナギワシンゴ!!」などと柳沢を何度も叱責。
柳沢が必死に「これは松尾(正武)監督の指示なので…」と説明すると今度は「おい! 松尾!! こっち来い!!!」と監督の松尾に矛先が向いた。「(スクリプトされた)前とのつながりがありますから」との松尾の説明にも納得せず、演出について1時間ほど意見する事態となり、撮影は遅々として進まなかった。
業を煮やした松尾は、柳沢が若山に対して言う台詞『うるせぇ、このジジィ!てめぇは黙ってろ!』の「”ジジィ”の前に【クソ】付けて!」と柳沢に指示。
渋る柳沢をよそに「うるせぇ、このクソジジィ!」の台詞で撮影は進行。一応そのシーンは撮り終わったものの、直後に若山が「おい、ヤナギワシンゴ! おめぇ今何て言った!? 台詞が2つばかり増えてなかったか!?」と再び柳沢を叱責した。
若山は録音技師(岩村)を呼びつけて何度も音声をチェックし、柳沢の台詞が台本と変わっていることに気づいて激怒した。
ここで再び「い、いや、違います。これは松尾監督の指示で…」と狼狽する柳沢から説明されると「松尾、てめぇこっち来い! この野郎!!」と今度は松尾に喰ってかかり、結局この日の撮影は中止となった[注 6]
しかしその後、若山は柳沢を懇意にし、とても良好な関係だったという。
柳沢の実家には若山に肩を組まれて撮ったスナップ写真を引き延ばしたパネルが飾られている。

バラエティー

クイズダービー
1988年(昭和63年)10月8日(第661回・ドラマ大会)、同日放送の『妻たちの鹿鳴館』の番組告知も兼ね、共演の池内淳子と共に出場者側(ギャンブラー席・黄色チーム)で登場した。若山は第1問目で、5枠・ゲスト解答者だったビートたけしに「たけし君にね、『3,000点』はダメか?」といきなり持ち点の全部を賭けようとした。しかし司会の大橋巨泉に「3000点はまずいですよ!!無くなっちゃうじゃないですか。早く帰ろうと思ってるなぁ!淳子ちゃん何か言って下さいよ!」と呆れながら止められてしまい、結局全額を賭けることはできなかった。レギュラー解答者・出場者側のタレントを始め会場の観客らは大爆笑、隣の池内も苦笑いしつつ1,000点に賭け点を変更したものの、たけしは不正解。持ち点は2,000点と減点された。なお番組の歴史上、第1問で3,000点全部を賭けようとした番組出場者は若山と、とんねるず(本件とは逆で、高正解率を誇るはらたいらの確実性に賭けた)のみである。
第5問目では若山が1枠・北野大を指名。「(北野博士の)ファンなんだよ」と言いながらも、持ち点の1,500点から賭けたのは「200円」だった。巨泉は「200『』!これが、ファンにしてはケチなんだよなあ。まあ良いでしょう」と笑う。その後池内が500点に変更したが、結局北野大は不正解で1000点に減額。巨泉に「200円にしとけば良かったね、若山さん今のねぇ」と苦笑された。第6問の作詞問題では、若山が歌う『男道』からの出題であった。問題が読まれた直後に若山は「これ俺じゃないよ。だって覚えが無いもん」と困惑していたが、巨泉から「オレですよぉー!!そうやって書いてあるんだもん、レコードに。それは、単に忘れちゃっただけですよ!!」と呆然とされた。
第7問終了時にはわずか100点にまで減っていた。最終問題で池内は掛け率8倍の4枠・竹下景子を指名して、100点全部を賭けた。竹下が正解したので、結果若山・池内ペアの賞金獲得額は「900円」だった。エンディングで池内は「でも偉いでしょ?ゼロにならなかったのがねぇ」と笑い巨泉も「エライですよ」と褒めたが、巨泉は若山に「自分がレコーディングしたの忘れないで下さいね」と繰り返し言っていた。
どっきりカメラ
若山は清川虹子と共に安岡力也へのどっきりの仕掛け人として出演。若山と清川が結婚するという偽の招待状を受け取った安岡は、御祝儀をいくら出すか悩んで周囲に相談し、事務所から「会費制で1万円」と聞き、1万円にした。当日、出席者の山城新伍や松方弘樹ら御祝儀の金額が次々と読み上げられたが、すべて10万円以上で、100万円といった桁違いに高い金額もあった。力也の前に読み上げられた高岡健二の金額が1万円であったことに若山が驚愕し激怒、高岡は裏口に連れ出されて暴行されるなど手痛い仕打ちを受ける(実際にはふりで、メイクで傷痕を作った)。その様子を間近で見ていた力也が、緊張のあまり震え上がるという趣向だった。
8時だョ!全員集合
ゲストとして出演した際、たまたまぎっくり腰を患い、松葉杖をつきながらもこの日の「学校コント」や「時代劇コント」に出演した。特に「時代劇コント」では、志村けんに松葉杖を預けた上で、ぎっくり腰とは思えぬ見事な殺陣を披露した。志村からの「賞金稼ぎがぎっくり腰とはお笑いだ」とのツッコミに、若山も「金貰ってるから、やらねぇとしょうがねぇんだよ」と返し、しっかり笑いもとった。

趣味

スーパーマリオブラザーズ
実子で付き人であった若山騎一郎の著書『不器用に生きた男 わが父 若山富三郎』によれば、騎一郎や、騎一郎の姉の佳代子にはスーパーマリオのゲームを教えるときだけは優しかったという。また、若山企画の人間全員にもやらせ、賞金まで出して大会を開く、一人でも毎日のようにプレイし、腱鞘炎になっても包帯を巻いてでもやり続ける、スーパーマリオ2が発売されたときには仕事を休んでまでクリアしようとしたなど、ハマっていた逸話が多い。

小説

1983年(昭和58年)に本人名義で、歴史小説『ゼロの暗殺者』を発表したが、これはゴーストライターによる執筆作である[注 7]


注釈

  1. ^ この事実は、当然本人には一切知らされなかったが、この当時、若山の近親者はハワイ滞在中の勝以外、当時存命であった高齢の父・勝東治のみで、付き人らも「私たちでは受け止められない」とし、結局医師の説明に立ち会ったのは山城新伍と当時の夫人花園ひろみであった。医師からは「私たちの言う事を聞いてくれて煙草を吸わないでいるとか、そういうことで騙し騙しいけば3年か4年は大丈夫かも知れない。だが覚悟だけはしておいて欲しい」と伝えられた。
  2. ^ 実家が和菓子屋で自身も甘党だった潮健児が、ある日楽屋で汁粉を作っていた若山に「甘味を増すために塩を入れるのは素人」と進言。「ならばどうするのか?」と尋ねる若山にすかさず「もっと砂糖を入れればいいんです」と答えた事で一目置かれるようになったという。潮健児 『星を喰った男』(1993年バンダイISBN 4891895187
  3. ^ 若山と顔を合わせた場合、座っていれば必ず立ち上がり、すれ違った時は必ず立ち止まって『若山先生、おはようございます!』と声をかけて最敬礼する。また、共演する場合には撮影開始前に若山の楽屋へ必ず挨拶に行く、当然であるが遅刻厳禁である。
  4. ^ 同心は敵がいつ襲ってくるかわからないため、本来右手で刀を持つことはあり得ないが、ドラマだからという理由で他のシーンも右手に刀を持った状態で撮影してしまっている。また間半平という役のキャラクターカラーを際立たすために右手に刀を持たしていたとも言われている。
  5. ^ 決して「やなぎさわ」とは呼ばなかった。
  6. ^ ちなみにこの日は撮影中止となり、柳沢は帰京するため風呂に入ろうとしたところ、スタッフから「俳優会館3階にある浴室が2か所空いているから、右側を使って良い」と勧められ、言われた通り右側の浴室を使用した。しかしその浴室は先に若山が使用しており、戻ってきた若山に見つかりそうになり、慌てて半裸のまま1階の大部屋用大浴場に逃げこんだ。廊下の水滴を辿って後を追ってきた若山に踏み込まれるが、周囲の役者らの機転と浴槽の湯に潜ったことで事なきを得た。帰京する新幹線の車中で、柳沢は極度の緊張と恐怖から解放され「爆睡」したという。この柳沢の「しくじり」は当時、すでに小堺一機関根勤の耳に入っており、仲間内では有名だったという。なお、これらのエピソードは2004年2月10日から16日まで、品川プリンスホテルの「クラブeX」で開催された小堺とのコントライブ「小堺一機 & 柳沢慎吾LIVE ライブマン★コミック君!!」で披露されたほか、日本テレビザ!世界仰天ニュース』(2007年4月25日放送分)で柳沢がゲスト出演した際、笑福亭鶴瓶のリクエストに応え、「1人コント」で一部始終を再現しており、柳沢のネタの1つになっていて、その後も度々披露している(もっとも、柳沢は話を誇張する癖が有るため、話すたびに細部が異なり、どこまで正確な話なのかは定かでは無い)。
  7. ^ 2009年(平成21年)6月18日テレビ神奈川TOKYO MX TV博士の異常な鼎談』で、ゲスト出演したコラムニスト・書評家の吉田豪が、この小説のあとがきを読む過程でその内訳を明かしている。

出典

  1. ^ a b c JJサニー千葉『千葉流 サムライへの道』ぶんか社、2010年、154 - 171頁。ISBN 4821142694
  2. ^ a b c 圧巻!無頼派時代劇―ハードボイルド・ヒーローを斬る! (歴史群像シリーズ). 学研. (2004). p. 115. ISBN 9784056032680 
  3. ^ a b c 深作欣二「千葉ちゃん、ウソって観客に思わせたら負け」」『アサ芸+』、徳間書店、2012年11月29日、2012年12月8日閲覧。
  4. ^ a b 昭和53年度(第33回)芸術祭賞一覧”. 2010年10月20日閲覧。
  5. ^ 佐藤雅夫「プロダクション・ノート 魔界に祟られたスタジオ」 (パンフレット) 『魔界転生』、角川春樹事務所東映、1981年6月6日、 24 - 25頁。
  6. ^ 過去興行収入上位作品 一般社団法人日本映画製作者連盟”. 2014年6月30日閲覧。
  7. ^ 「黒澤明」参謀が明かした「勝新太郎」と大喧嘩の一部始終 週刊新潮(2016年3月3日号)
  8. ^ 『仲代達矢が語る 日本映画黄金時代』(PHP新書)P214
  9. ^ http://www.nurs.or.jp/~ki-net/home2d.html2013年4月19日閲覧)
  10. ^ 山城新伍『若山富三郎・勝新太郎無頼控 おこりんぼさびしんぼ』廣済堂文庫、2008年、233 - 259頁。ISBN 9784331654330
  11. ^ 麻雀中に急性心不全で倒れた若山富三郎|プレイバック芸能スキャンダル史”. 日刊ゲンダイDIGITAL. 2020年3月4日閲覧。
  12. ^ 麻雀中に急性心不全で倒れた若山富三郎|プレイバック芸能スキャンダル史”. 日刊ゲンダイDIGITAL. 2020年3月4日閲覧。
  13. ^ 兄の遺骨を食べ、薬物をパンツに隠す 令和に語り継がれる「勝新太郎伝説」”. AERA dot.. 2020年3月6日閲覧。
  14. ^ 千葉真一 高倉健から東映解雇を救ってもらった体験を明かす”. ザ・トップ5. TBSラジオ (2011年12月14日). 2014年11月24日閲覧。
  15. ^ "銀幕にかける情熱 夢・ロマン そて挑戦". 本格報道 INsideOUT. 20 March 2013. 該当時間:21:00 - 21:54分. BS11
  16. ^ 賞金稼ぎ (1975)”. 東映チャンネル. 2013年1月18日閲覧。
  17. ^ 竹中労 (1976). 鞍馬天狗のおじさんは―聞書アラカン一代. 白川書院. ASIN B000J8VD9U 
  18. ^ a b c d e f 山城新伍『若山富三郎・勝新太郎無頼控 おこりんぼさびしんぼ』幻冬舎、1998年、46頁、51 - 57頁、62 - 65頁、72頁、83 - 91頁、98頁。ISBN 4877282424
  19. ^ 若山騎一郎『不器用に生きた男 わが父若山富三郎』ひらく、1998年、172 - 173頁。ISBN 4341190423
  20. ^ [1]
  21. ^ 番組エピソード 早坂暁と「NHKドラマ」 NHKアーカイブス
  22. ^ 昭和53年度 第33回 文化庁芸術祭賞


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