若山富三郎
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人物
親分肌で、気に入った役者やスタッフらを取り巻きとして公私に関わらず引き連れていたため、いつしか「若山組」と呼ばれるようになった。面倒見のいい反面、非礼な態度や意にそぐわない相手には手を上げることもよくあり、自分より格下と思われる相手からは「若山さん」ではなく「若山先生」と呼ばれない限り、返事もしなかった。大部屋俳優等、弱い立場の人に対してだけでなく、撮影スタッフや監督、大映時代には会社幹部にまで暴力をふるうことがあったため恐れられていたが、子役に対しては優しかった。1989年のこと、新東宝時代からの友人である丹波哲郎は若山に、自身が企画・製作・脚本・総監督を務めた映画『丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる』への出演を依頼。若山は既に心臓疾患を患い、体調に不安を抱えつつもこれを引き受ける。丹波は若山の体調を気遣いながら撮影を進めたが「おまえはすぐ人を殴る。体調が悪くなったのはそのバチが当たったんだ」と苦言を呈している。
若山組には大木実・潮健児・関山耕司・山城新伍・安岡力也・高岡健二・丹古母鬼馬二らのメンバーがいたが、若山より6歳年上の大木とはお互いに「きょうだい」と呼び合う仲だった[20]。若山組への加入は「固めの杯」を任侠の世界と同様に行っていたが、下戸で自他共に認める名うての甘党だった若山の「固めの杯」は「羊羹を煮溶かし、食パンの上に塗ったものを食べるというものであった」と山城は語っている。後輩を壁際に立たせて、若山得意の手裏剣を投げつけるという荒っぽい「入組試験」もあった[21]。
「借金が得意」「親分肌で取り巻きを大勢連れ回したがる」など、その言動が勝新太郎と酷似していたため、大映時代には「二人も勝新太郎は要らない」、「愚兄賢弟」などと揶揄されていた。しかし天才肌の反面、大酒飲みで遅刻が多く台本をあまり読んでこない勝と違い、若山は2時間ほど前には楽屋入りし、撮影前の台本チェックなど事前の準備を怠らなかった。後年東映でスターダムにのし上がり、映画賞・演劇賞を数々受賞するに至ってからは名優としての評価を高めたのに対し、勝は不祥事が相次ぐようになり、その評価は逆転した。事実、勝は「演出やプロデュースでは自分が上だが、演技力はお兄ちゃんに敵わない」と最高の賛辞を送っている。兄弟仲は非常に良く、勝が大麻所持で逮捕された際、マスコミの前では勝を批判しながらも、執行猶予付きの判決が出たときは若山は「よかった、よかった」と涙を流して喜んだ。また、勝がある役者の演技を叱ろうとしたとき、その役者が「若山先生の言われた通りにしたんですけど…」と答えると、「あぁそう、お兄ちゃんがそう言ったの」と一転して機嫌がよくなり、叱るのをやめたという。
1984年に行なわれたインタビューの中で、「これまで4回ほど、ドン底があった」として、「一時は、東京の山谷か大阪の釜ヶ崎に住もうかと本気で考えたし、共産圏の国に逃げちゃおうかなんて思ったこともあった。」と話している。[22]
注釈
- ^ この事実は、当然本人には一切知らされなかったが、若山の近親者はハワイ滞在中の勝以外、当時存命であった高齢の父・勝東治のみで、付き人らも「私たちでは受け止められない」とし、結局医師の説明に立ち会ったのは山城新伍と花園ひろみであった。医師からは「私たちの言う事を聞いてくれて煙草を吸わないでいるとか、そういうことで騙し騙しいけば3年か4年は大丈夫かも知れない。だが覚悟だけはしておいて欲しい」と伝えられた。
- ^ 実家が和菓子屋で自身も甘党だった潮健児が、ある日楽屋で汁粉を作っていた若山に「甘味を増すために塩を入れるのは素人」と進言。「ならばどうするのか?」と尋ねる若山にすかさず「もっと砂糖を入れればいいんです」と答えた事で一目置かれるようになったという[24]。
- ^ 若山と顔を合わせた場合、座っていれば必ず立ち上がり、すれ違った時は必ず立ち止まって『若山先生、おはようございます!』と声をかけて最敬礼する。また、共演する場合には撮影開始前に若山の楽屋へ必ず挨拶に行く、当然であるが遅刻厳禁である。
- ^ 同心は敵がいつ襲ってくるかわからないため、本来右手で刀を持つことはあり得ないが、ドラマだからという理由で他のシーンも右手に刀を持った状態で撮影してしまっている。また間半平という役のキャラクターカラーを際立たすために右手に刀を持たしていたとも言われている。
- ^ 決して「やなぎさわ」とは呼ばなかった。
- ^ ちなみにこの日は撮影中止となり、柳沢は帰京するため風呂に入ろうとしたところ、スタッフから「俳優会館3階にある浴室が2か所空いているから、右側を使って良い」と勧められ、言われた通り右側の浴室を使用した。しかしその浴室は先に若山が使用しており、戻ってきた若山に見つかりそうになり、慌てて半裸のまま1階の大部屋用大浴場に逃げこんだ。廊下の水滴を辿って後を追ってきた若山に踏み込まれるが、周囲の役者らの機転と浴槽の湯に潜ったことで事なきを得た。帰京する新幹線の車中で、柳沢は極度の緊張と恐怖から解放され「爆睡」したという。この柳沢の「しくじり」は当時、すでに関根勤・小堺一機の耳に入っており、仲間内では有名だったという。なお、これらのエピソードは2004年2月10日から16日まで、品川プリンスホテルの「クラブeX」で開催された小堺とのコントライブ「小堺一機 & 柳沢慎吾LIVE ライブマン★コミック君!!」で披露されたほか、日本テレビ『ザ!世界仰天ニュース』(2007年4月25日放送分)で柳沢がゲスト出演した際、笑福亭鶴瓶のリクエストに応え、「1人コント」で一部始終を再現しており、柳沢のネタの1つになっていて、その後も度々披露している[出典無効](もっとも、柳沢は話を誇張する癖が有るため、話すたびに細部が異なり、どこまで正確な話なのかは定かでは無い)。
- ^ 2009年(平成21年)6月18日、テレビ神奈川・TOKYO MX TV『博士の異常な鼎談』で、ゲスト出演したコラムニスト・書評家の吉田豪が、この小説のあとがきを読む過程でその内訳を明かしている[出典無効]。
出典
- ^ a b c d e f g h 東宝特撮映画全史 1983, p. 535, 「怪獣・SF映画俳優名鑑」
- ^ a b c JJサニー千葉『千葉流 サムライへの道』ぶんか社、2010年、154 - 171頁。ISBN 4821142694。
- ^ a b c 『圧巻!無頼派時代劇―ハードボイルド・ヒーローを斬る! (歴史群像シリーズ)』学研、2004年、115頁。ISBN 9784056032680。
- ^ a b c 「深作欣二「千葉ちゃん、ウソって観客に思わせたら負け」」『アサ芸+』、徳間書店、2012年11月29日、2012年12月8日閲覧。
- ^ 南部僑一郎「スタア武芸帖」『小説倶楽部』11 (3)、桃園書房、1958年3月、218頁。
- ^ a b “昭和53年度(第33回)芸術祭賞一覧”. 2010年10月20日閲覧。
- ^ 佐藤雅夫「プロダクション・ノート 魔界に祟られたスタジオ」(パンフレット)『魔界転生』、角川春樹事務所・東映、1981年6月6日、24 - 25頁。
- ^ “過去興行収入上位作品 一般社団法人日本映画製作者連盟”. 2014年6月30日閲覧。
- ^ 「黒澤明」参謀が明かした「勝新太郎」と大喧嘩の一部始終 週刊新潮(2016年3月3日号)
- ^ 『仲代達矢が語る 日本映画黄金時代』(PHP新書)P214
- ^ http://www.nurs.or.jp/~ki-net/home2d.html (2013年4月19日閲覧)
- ^ 山城新伍『若山富三郎・勝新太郎無頼控 おこりんぼさびしんぼ』廣済堂文庫、2008年、233 - 259頁。ISBN 9784331654330。
- ^ “麻雀中に急性心不全で倒れた若山富三郎|プレイバック芸能スキャンダル史”. 日刊ゲンダイDIGITAL. 2020年3月4日閲覧。
- ^ “麻雀中に急性心不全で倒れた若山富三郎|プレイバック芸能スキャンダル史”. 日刊ゲンダイDIGITAL. 2020年3月4日閲覧。
- ^ “兄の遺骨を食べ、薬物をパンツに隠す 令和に語り継がれる「勝新太郎伝説」”. AERA dot.. 2020年3月6日閲覧。
- ^ “千葉真一 高倉健から東映解雇を救ってもらった体験を明かす”. ザ・トップ5. TBSラジオ (2011年12月14日). 2014年11月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年11月24日閲覧。
- ^ "銀幕にかける情熱 夢・ロマン そて挑戦". 本格報道 INsideOUT. 20 March 2013. 21:00 - 21:54 該当時間:. BS11。
- ^ “賞金稼ぎ (1975)”. 東映チャンネル. 2013年1月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年1月18日閲覧。
- ^ 竹中労 (1976). 鞍馬天狗のおじさんは―聞書アラカン一代. 白川書院. ASIN B000J8VD9U
- ^ a b c d e f 山城新伍『若山富三郎・勝新太郎無頼控 おこりんぼさびしんぼ』幻冬舎、1998年、46頁、51 - 57頁、62 - 65頁、72頁、83 - 91頁、98頁頁。ISBN 4877282424。
- ^ 若山騎一郎『不器用に生きた男 わが父若山富三郎』ひらく、1998年、172 - 173頁。ISBN 4341190423。
- ^ 「人 若山富三郎」『グラフNHK』11月号(25巻11号、通巻475)、NHK、1984年11月1日、2頁。
- ^ [1]
- ^ 潮健児 『星を喰った男』(1993年、バンダイ) ISBN 4891895187[要ページ番号]
- ^ 結婚式の会場で招待客が渡したご祝儀の金額を読み上げるといった事は通常ではありえない事である。
- ^ 番組エピソード 早坂暁と「NHKドラマ」 NHKアーカイブス
- ^ 昭和53年度 第33回 文化庁芸術祭賞
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