芸予地震 芸予地震の概要

芸予地震

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/28 03:53 UTC 版)

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芸予地震の位置(日本内)
芸予地震
芸予地震
左の点は1905年の、右の点は2001年芸予地震の震央。

「芸予地震」の名称を持つ地震は1905年明治38年)と2001年平成13年)の2回があり、区別する為に発生年を冠して「N年芸予地震」あるいは年号を冠した名前で呼ばれる[1]。以下その2つを含めたこの地域で起きた、フィリピン海プレートの動きによるスラブ内地震[1] と考えられているものについて記述する。

概要

芸予とは、厳密には(広島県西部)と(愛媛県全域)を指す。"芸予諸島"の名でも使われるように、現在では広島県全域と愛媛県の2県の意味合いが強い。芸予地震と名のつく地震はその2県の中間である瀬戸内海で発生しその2県に被害をもたらした地震のことである。

後述するように震源が深部であるため、本州全土から四国九州と広範囲で揺れるがその規模に対して比較的被害が小さい特徴がある[2]。過去の地震では津波による被害は記録されていない。一方で瀬戸内海沿岸部では液状化現象が発生[3]、この地方特有の地層である風化した花崗岩が堆積した"マサ土"によるがけ崩れ[2] など、地盤災害(土砂災害)やそれに伴う二次災害が発生している。

なおこの地域の北側にあたる山陽地方において、マグニチュード3以上の地震数は頻繁に起こる東北地方などと比べて極めて少なく[2]、周辺の活断層も他の地域と比べると少なく日本列島の中でも地殻変動が少ない特徴がある[4]。2001年の地震が発生するまでは暫くこの地域を震源とする大きな地震が発生していなかった[5] ため、地震空白域とされていた。他方、南側の愛媛県は、南海地震豊予海峡地震日向灘地震で被害に遭う想定域であり、更に日本最大級の断層である中央構造線断層帯が東西を横断しており、多大な地震の被害に遭う可能性が高い地域である[6]。2度の芸予地震では広島での被害が多かったが、過去での地震では愛媛での被害が多かった事例もある。

メカニズム

瀬戸内海。広島・山口・愛媛の3県の県境付近が斎灘と安芸灘の境界付近。そこから南側へ伊予灘、豊予海峡と続く。
瀬戸内海。広島・山口・愛媛の3県の県境付近が斎灘安芸灘の境界付近。そこから南側へ伊予灘豊予海峡と続く。
南海地震の想定震源域。芸予地震の震源域はそれより北に位置する。
南海地震の想定震源域。芸予地震の震源域はそれより北に位置する。

震源域は瀬戸内海西部にあたり、北は本州広島県・山口県東部、南は四国愛媛県、東は高縄半島、西は屋代島(周防大島)や室津半島に囲まれた、斎灘安芸灘伊予灘にある。

この地域は南海トラフから続く、フィリピン海プレートユーラシアプレートと衝突しその下にもぐりこむ沈み込み帯の北端付近にあたる[2][7]。芸予地震の震源の位置は50kmから60kmと、沈み込み帯での地震である南海地震に対し更に深い[2]。このことから、フィリピン海プレートはこの付近で急激に下方(地球内部方向)に折れ曲がり、その際に東西方向の張力が発生しプレート内部を破壊することにより地震が発生すると考えられている[2][7]

ちなみに沈み込み帯の北端付近にあたることから、一部の資料ではプレート境界型地震と表記されているものもある[8]。また、プレートの具体的な折れ曲がり形状など、まだ不明な点も多い[7]

また、この地震は安芸灘~伊予灘~豊後水道で発生する固有地震と考えられ、檀原毅が1970年に発表した論文では発生間隔52年±11年[9]地震調査研究推進本部が2013年現在で公開しているものでは発生間隔約67年としている[1]。ただ一部では、2001年芸予地震では発生したエネルギーが想定よりも小さかったことから、次の地震はこれより短い間隔で発生する可能性があると指摘されている[10]。文部科学省が公表するこの地域でのフィリピン海プレート内のスラブ内地震とされている代表的な地震は以下の通り[1][11][12]

発生日 名称 震央 規模 特記
1649年(慶安2年)
3月17日
伊予安芸大震 北緯33.7度
東経132.5度
M7.0
1686年(貞享2年)
1月4日
- 北緯34.0度
東経132.6度
M7.2
  • 推定震度:広島・松山・大洲で5強
  • 広島で死者、宮島・萩・岩国・松山で建物崩壊
  • 道後温泉で泥湯噴出
1854年(安政元年)
12月26日
豊予海峡地震 北緯33.2度
東経132.2度
M7.4 当該リンク先参照
1857年(安政4年)
10月12日
伊予大震 北緯34.0度
東経132.5度
M7.3
  • 推定震度:広島県南部・愛媛県中予南予・山口県東部で5
  • 特に愛媛沿岸部に被害大、今治城内破損
1905年(明治38年)
6月2日
芸予地震
(1905年芸予地震)
北緯34.1度
東経132.5度
M7.2 下記
2001年(平成13年)
3月24日
芸予地震
(2001年芸予地震)
北緯34.1度
東経132.7度
M6.7 下記

上記以外にも1949年に安居島付近の深さ40kmで発生したM6.2の安芸灘地震では呉市で2人の死者を出したほか[12]1979年には山口県の室津半島付近でM6.0の被害地震が発生している[13]

1905年芸予地震

芸予地震
芸予地震の位置(日本内)
芸予地震
地震の震央の位置を示した地図
本震
発生日 1905年(明治38年)6月2日[5][12]
発生時刻 14時39分(JST[5][12]
震央 日本の旗 日本 安芸灘
北緯34.1度
東経132.5度[5][12]
規模    マグニチュード (M)[1][5][12]7.14 [14]
最大震度    震度5:~6
広島県呉市
同県広島市
愛媛県松山市[1][5]
地震の種類 スラブ内地震
被害
被害地域 広島県、愛媛県を中心とする中国・四国地方
プロジェクト:地球科学
プロジェクト:災害
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概要

1905年(明治38年)6月2日 14時39分(日本標準時)に発生した地震の震源は倉橋島の南[5]マグニチュードは714[14] から7.3[15] と推定されている。東は東京・西は長崎と広範囲で揺れたが、大きな被害は広島湾岸と伊予灘に面した地域と局所的なものに留まった[16]

この本震の前々年から前震が多発しており、1903年(明治36年)に9回、1904年(明治37年)に3回、そして1905年1月から5月の間に3回と続き、6月の本震となった[12]。その後も余震が続き、中でも同年同日19時55分(緯度34.0度・経度132.5度・M6.0)、同年12月8日12時08分(緯度34.1度・経度132.6度・M6.1)、同年12月8日13時25分(緯度34.0度・経度132.4度・M6.2)が代表的なものとなった[12]

1905年当時はまだプレートテクトニクス理論が提唱されていない状況下で、震災予防調査会のメンバーは地震の原因についていくつか考察している。今村明恒は震源地付近の海の状況から海底下の断層による地震(断層地震説)ではない別の原因の可能性を[17]小藤文次郎中央構造線断層帯の影響によるものとして原因を模索している[18]

調査および研究資料は比較的少ない[5]。1905年に震災予防調査会がまとめた報告書では、震源地付近に存在した呉鎮において被害状況はいくつか記載されている[19][20]。報道機関は、当時の直前の日露戦争での日本海海戦勝利を重視し、軍港を襲った地震である芸予地震はあまり報道しなかった[8][21][21]。また、海軍工廠は機密保持体制にあった[21]

地震の記録

当時震央付近で機械的なデータが取れる地点として、文部省広島測候所松山測候所と呉鎮測器庫の3箇所あったが、松山はデータがとれたが震源から遠かった、広島は計器を購入中だったためデータなし、呉では普通地震計を倉庫にしまっていた、と良質なデータが取れなかった[22]ほか、強震計も置いていなかった[22]。ただ呉については観測者の目視により正確な発震時刻が記録されており、これが震央特定の重要なデータとなった[23]。東京大学地震学教室(現、東京大学地震研究所)に大森式地震計による観測記録が残されている。

各地の震度

以下、弱震(現在の震度2-3)以下を除いた当時の震度[24]

震度 市町村
広島
松山 境港 高知 下関 室戸岬 徳島 浜田 味野 福岡 多度津 新居浜 熊本
稍強 岡山 別子

被害

1905年芸予地震の際に倒壊した旧部材を用いて再建され現存する呉鎮守府司令長官官舎[25]。後の2001年芸予地震でも建物が傾斜した。
1905年芸予地震の際に倒壊した旧部材を用いて再建され現存する呉鎮守府司令長官官舎[25]。後の2001年芸予地震でも建物が傾斜した。

顕著な被害は広島県呉市広島市と愛媛県三津浜(現松山市)・郡中(現伊予市)の沿岸部に集中した[12]。これは江戸時代以降、干拓埋立によりできた軟弱地盤の上に建てられた建築物の倒壊より被害を出したためであり、特に広島市中心部は太田川下流三角州沖積平野に形成された街であるため、その弱い地盤が被害を拡大させた[22][26]。一方で震源地付近は海であり、周辺の島々である倉橋・能美島などはほとんどが花崗岩の固い地盤であったため、地震の規模に対して被害は軽かった[22]。また工場煉瓦家屋、木造住居の順に被害が大きくなる傾向が見られた[27]

各地の被害状況は以下の通り[1][19]。煙突破損とは煙突の被害を指す。なお全体は1905年震災予防調査会による報告書の数字で呉鎮の被害数はこれに含まれていない[12][19]。カッコ内は中央気象台(現気象庁)年報での数字であり、呉鎮の被害数が含まれているものと考えられている[12]

市町村 人的被害(人数) 住宅被害(戸) 煙突破損
(戸)
死者 負傷者 全壊 半壊 一部破損
広島県 広島市 4 70 36 20 125 25
呉市 6 86 5
(51)
25
(57)
-
(5,957)
-
安芸郡 1 1 1 1 - -
賀茂郡 - 2 5 - 14 1
佐伯郡 - - 2 1 - -
安佐郡 - 1 7 - 1 -
11 160 56 47 140 26
愛媛県 松山市 - 3 1 17 2 3
温泉郡 - 7 5 33 74 2
越智郡 - 3 1 - 14 11
伊予郡 - 4 - 8 141 -
北宇和郡 - - 1 - 2 -
西宇和郡 - - - - 2 -
0 17 8 58 235 16
合計 11 177 64 105 375 42

震源地付近(安芸郡、呉市)

1924年(芸予地震から約20年後)の呉市都市計画図。このように呉鎮関連施設は沿岸部に造られたため、地震当時かなり被害があったと考えられている。
1924年(芸予地震から約20年後)の呉市都市計画図。このように呉鎮関連施設は沿岸部に造られたため、地震当時かなり被害があったと考えられている。
1930年頃(芸予地震から約25年後)の広島市地図。右下に宇品港、その宇品へ向かう鉄道が国鉄宇品線、中央下に刑務所(広島監獄)がある。
1930年頃(芸予地震から約25年後)の広島市地図。右下に宇品港、その宇品へ向かう鉄道が国鉄宇品線、中央下に刑務所(広島監獄)がある。
  • 震災予防調査会報告では住宅被害は広島市より少なく[28]、道路・水道(当時は軍用の呉鎮水道のみ)などインフラストラクチャーの被害は極めて少なかった[29]、と記載されている。
  • 呉鎮関連施設にいくつか現地調査が入っている。呉鎮内の施設は木造・煉瓦造・鉄骨造・鉄骨煉瓦造と当時の日本建築の様々な様式の建物が存在し、地盤も山中の花崗岩による堅牢なものから埋立地による軟弱なものまで様々な状況のものが存在した[20]。その異なるケースでの地震被害は貴重な比較データとなり、その後の耐震建築に役立つことになった[20]
  • 呉鎮が混乱を極めた資料はいくつか残っている。例えば地震直後に有馬新一呉鎮司令長官が海軍省に打電した電報では混乱している状況が伺え、呉海軍病院では先の日本海海戦での負傷兵に加え地震での負傷者が来院したことから病院は大混乱となりスタッフは奮闘した様子が書かれたものがある[21]

広島県広島市

  • 宇品地区は1889年(明治22年)宇品港(現在の広島港)竣工より形成された埋立地であり、地盤の軟弱性に加え堤防段差を利用した3階建の木造家屋が多数あったことから、地震により多数の家屋が倒壊した[30]
  • 広島監獄では、木造平屋建瓦葺の第14工場が全壊、死者2人(看守1・囚人1)、重傷者4人軽傷者20人(全員囚人)を出した[31]。この地は元々水田だったところを1885年(明治18年)から盛土造成した土地であり、形成されてから20年しか経っていない土地の上に監獄(刑務所)という堅牢な建物が作られていた状況であったが、全壊したのが一棟だけで後は傾いたり部分倒壊に留まったため、囚人脱走を防ぐことが出来た[32]
  • 本願寺広島別院の茶室(嘉永年間ごろ建立)が全壊[33]
  • 鉄道においては、宇品線丹那駅付近の線路が1尺(約30センチメートル)ほど沈下し、その他宇品線の複数の駅施設が若干傾いたものの大きな被害はなかった[34]山陽本線太田川鉄橋と宇品線大洲口鉄橋橋脚クラックが発生したものの通行に支障はなかった[35]
  • 道路橋は己斐橋の基礎杭が5尺(約1.5メートル)ほど沈下したのが最大で他は特別被害に合わなかった[36]

愛媛県松山市/道後

  • 広島と比べると被害が小さく、顕著な建物被害は木造のものであった[37]。その中でも被害が大きかったのが高浜/三津浜地区および伊予郡である。この地区は古くからの漁港であり三津浜港開港以降近代発展した港町で、砂丘の上に雑多な木造建築がある状況が被害を大きくした[38]

その他

  • 震源に近い山口県岩国で大きな揺れがあったが、その他の地域では大規模な被害はなかった[39]



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