花札
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/08 08:45 UTC 版)
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)である。)「赤はまあ良い」という意味。
^ 江戸時代中期では鶯の札のみ紅梅で後は白っぽい花だった。
^ 現在の花札ではこの鳥の背中側の体色が鮮やかな緑でメジロ に似ている(ただし目は赤い)ものが多いが、江戸時代中期の花札ではかなり鈍い色(杜若
や桐の葉よりも黒っぽい)で実際のウグイスに近い色だった。江橋崇・著『花札』のカラー口絵3によると、明治24年以前には現在のカラーリングのものが出現している。
^ 「みよしの」と書かれている。古くから桜の名所とされた、奈良県 吉野 地方の美称である。
^ 黒豆(くろまめ)とも言う。ただし江戸時代中期の頃はかなり淡い花の色で後期頃から色が濃くなってくる。
^ 江戸時代中期の花札では背景が無く藤の花とホトトギスのみだった。その後明治時代前期に赤い雲が現れるようになり、明治20年代頃に現在の「赤い三日月」が出現するようになった。
^ 八橋とは愛知県 知立市 にある地名である。構図は杜若 の名所で知られる無量寿寺 の庭園に因み、在原業平 の歌でも有名である。もっとも花札では菖蒲 と呼んでいる人が多く、杜若と菖蒲が混同されているが正しくは杜若である。
^ 江戸時代中期の頃は得点札は白牡丹、カス札は紅牡丹のものと紅白2本という構図だった。
^ 赤豆(あかまめ)とも言う。ただし江戸時代中期の頃はかなり淡い花の色で後期頃から色が濃くなってくる。
^ 「薄」とも書く。坊主(ぼうず)とも言う。 現在のものは芒の丘だが、江戸時代中期の頃は芒の原の構図だった。
^ 現在のものは「真っ赤な夜空」というものが主流だが江戸時代中期の頃はほぼ紙の地色で月に色を塗ってあるだけだった。江橋崇・著『花札』P124-125ではこれの変化について詳しく述べられており、「無地or薄青(初期)→黄色or薄紅(幕末)→真っ赤(明治)」と変化したとされる。 また印刷の都合で木版合羽刷り時代は下か左端の裾が隠れた月(三日月の場合もある)だった(白は印刷しない部分の色なので木版合羽刷りでは周囲を塗ってそこだけ残すのが難しかったため)(同書P125)。
^ 江戸時代と現在は3羽の雁が「く」の字に飛んでいるが、明治20年代頃の一時期漢数字の「三」のように並列に並び空を覆いつくすように飛ぶ姿に描かれ、このため雁は大きな鳥とみなされ、鶴と鳳凰の札の3枚で「大鳥」という役があった。
^ 江戸時代中期の頃はカス札の1枚(赤菊)以外白菊だった、江戸時代後期頃から黄赤の花のものが現れてくる。
^ 無視したりすることを意味する隠語の「しかと 」は、10月の札の鹿がそっぽを向いているので、「鹿十」(しかとお)が語源である。
^ 雨(あめ)とも言う。
^ 元々は「柳に番傘 をさして走る奴」は妖怪であったが、江戸時代の人たちは『仮名手本忠臣蔵・五段目』に登場する「斧定九郎」と認識していた。
^ 現在は「黄色に赤」と派手な色の燕になっているが、江戸時代中期の頃は普通の燕の色(黒で喉が赤い)だった。
^ この札のみ他の雨札とデザインが大きく異なるが、江戸時代~明治初期の頃は他のカス札同様に「柳の木だけ描かれている」という札であった。明治20年代前半にべったり赤を塗るようになり、明治20年代後半には背後の絵が「晴れた柳の木」から「雨の降る中で『雷光の太鼓釣り』」に代わった
^ 桐のカス札のうち1枚にはよく製造元が印刷されている(例:任天堂など)。桐のカス札の1枚は色違いとなっており、ゲームの種類によっては特別な点数を持つ。