芦屋道満大内鑑 派生作

芦屋道満大内鑑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/26 04:57 UTC 版)

派生作

(「文芸」における本作の派生作・2次創作は、明治以降現在まで把握困難なほどの数が存在するため、ここでは「演芸」のみを扱う)

本作以前、しのだづまものの浄瑠璃・歌舞伎の演目は多数存在し、頻繁に上演されていたが、本作が登場するとそれらは影を潜め、もっぱら本作が上演されることとなる。その意味で、本作はしのだづまものの決定版ということができる。また、人気作であったにもかかわらず、「書替狂言」のような大規模な改作はそれほど多くないことが、本作の完成度の高さを物語っている。とはいえ、少数ながら本作の派生作は存在する。

  • 嫁入信田妻(よめいりしのだづま。嫁入信田褄。歌舞伎・浄瑠璃)
寛政5年(1793年)大坂北新地初演の『嫁入信田妻』[注釈 31]は、数少ない『芦屋道満大内鑑』の改作のひとつである。上演回数はかなり多く、明治に入っても頻繁にかけられた演目である(記録上は大歌舞伎における最終上演が明治34年=1901年)[39]。上演台本は明治期の写本が日本大学に所蔵されていることが確認されているが[40]、一般に公開されておらず、印影や翻刻も未刊行であることから、内容の詳細については不明。内容について簡単に触れている『系統別歌舞伎戯曲解題[41]』によれば、
大体は「大内鑑」なのだが、保名と葛の葉が船での馴れ染め(原文ママ)に狐を助ける。保名の許へ葛の葉姫を伴うのが与勘平である。左近太郎の妻お町が女非人になっていたが、照綱は妻を殺して、六の君の身替りに父権之守照久へ差出すなど、「大内鑑」にない筋も加わっている。
とされており、『芦屋道満大内鑑』の改作であることが明白である。
  • 信田妻名残狐別(しのだづまなごりのこわかれ。歌舞伎)
享和2年(1802年)、3代目瀬川路考(菊之丞)が「口筆」を演じた伝説的な公演。外題の「名残」は路考が金比羅参詣[注釈 32]に出かける前の最終公演を意味する。外題が独自なので改作とも考えられるが、この公演の番付[42]を見る限り、『芦屋道満大内鑑』の2段目(信田社の段)と4段目(子別れの段)の上演であった可能性の方が大きい。
  • 信田妻粧鏡(しのだづまけはいのすがたみ。しのだづまけはひのすがたみ。浄瑠璃)
文化5年(1808年)9月、大坂で上演された本作の改作である。正本が残っていないので内容の詳細は不明だが、段名に「入唐のだん」、人形役割に「きび大臣」の記述がある[43]ことから、『簠簋抄』『安倍晴明物語』といったしのだづま伝承の原典にあった吉備真備伝説[注釈 33]が冒頭で語られたことが推定できる。これだけでは単なるしのだづまものの可能性も残るが、人形役割に『芦屋道満大内鑑』固有の登場人物が多数見られるので、改作であることがわかる。
  • 左近太郎雪辻能(さこんたろうゆきつじのう。歌舞伎)
慶応元年(1865年)10月、江戸市村座初演の書替狂言。2幕3場構成。作者は河竹黙阿弥[44]。単独の演目ではなく、『芦屋道満大内鑑』の増補の体裁をとり、演目としての外題も『芦屋道満大内鑑』とされた。番付[45]を見る限り、上演では保名内の場の前に挿入される形をとったものと推定される。内容は原作と整合性がなく、現代風にいうならパラレルワールドものとなっている。プロットを一言で表すなら「芦屋道満のいない『芦屋道満大内鑑』」。六の君の誘拐・殺害への加担を道満が当初から拒絶した世界の話であり、原作の道満サイドのパート(2段目の前半とそこからつながる3段目全部)を置換する形をとる。左近太郎は誘拐された六の君を奪還し、花町の実家に匿うが、取り戻そうとした岩倉治郎太夫[注釈 34]は花町の父である鼓師畑作を拉致し、無事返して欲しければ六の君の首級を差し出すよう要求する。この苦境を脱するために、当作品オリジナルキャラクターである楓(花町の妹)・柏木衛門之助[注釈 35](左近太郎の弟)の恋人同士が自らを犠牲とする。道満抜きの話であるため、原作由来の人物(多くが原作における脇役陣)の設定が原作とは大きく異なる。
  • 信田褄妙術一巻(しのだづまみょうじゅついっかん。歌舞伎)
明治10年(1877年)10月に京都の東向演劇で上演された『信田褄妙術一巻』の配役には、『芦屋道満大内鑑』の1段目にしか登場しない榊御前・加茂後室・乾平馬、3段目にしか登場しない芦屋将監・妻花町・妻筑羽根の名前が見える[49]。これらの登場人物すべてが4部構成[注釈 36]中の前演劇に登場しているので、『芦屋道満大内鑑』の改作、あるいは名場面ダイジェストと思われる。ただし公演はこの1回だけで、内容については伝わっておらず、推測の域を出ない。なお、この『信田褄妙術一巻』をもって芦屋将監・花町・筑羽根が配役された記録は途絶えており、『芦屋道満大内鑑』の3段目に相当する場面の歌舞伎における上演はなくなった。
  • 保名(清元)
現在でも上演される派生作としては、『芦屋道満大内鑑』の2段目中の所作事である「小袖物狂い」を元にした清元節の『保名』がある。四季七変化『深山桜及兼樹振』(みやまのはなとどかぬえだぶり)の春の部のひとつで、作詞は篠田金治(2代目並木五瓶)、作曲は清沢万吉(初代清元斎兵衛)、振付は藤間新三郎・藤間大助(初代藤間勘十郎)。初演は文化15年(1818年)、江戸都座。演じたのは3代目尾上菊五郎[50]。清元の名曲として伝わっていたが、振り付けは幕末で一度途絶える。これを明治に入って9代目市川團十郎が復活させた。さらに大正11年(1922年)6代目尾上菊五郎が新たな解釈[注釈 37]のもと、斬新な演出および舞台装置(担当:田中良)でリニューアルを図り[51]、現在はこの6代目菊五郎の型が主流である。
  • 葛の葉障子の曲(曲芸)
本作を元にした各種演芸、たとえば漫才、浪曲、浪花節といったものが多数制作されたが[52]、それらが現在まで残ることはなかった。その中で唯一の例外ともいえるのが『葛の葉障子の曲』である。これは天保2年(1831年)に江戸両国で、鉄割熊蔵(後に弥吉と改名)率いる一座が披露した見世物小屋の曲芸で、大ヒットした[53]。『芦屋道満大内鑑』4段目での葛の葉の曲書きの場面をモチーフにした「足芸」であり、明治以降も演目としての命脈を保ち、現在でも木下大サーカスの伝統芸として上演されている[54][55][56]

注釈

  1. ^ 本項目の表記は『新日本古典文学大系 93』に準拠。第2次世界大戦以前の資料は、「蘆屋」の表記が圧倒的に多いのだが、戦後は論文を含めて新字体表記が標準となったため、もともと「蘆屋」と書かれていた資料でも「芦屋」と書き直すことが多く、結果として両者が混在している。
  2. ^ 『新日本古典文学大系 93』では「あしやのどうまんおおうちかがみ」を採用。
  3. ^ 浄瑠璃作品に限ると、『しのだづま つりぎつね 付(つけたり)あべノ晴明出生(しゅっしょう)』(1674年、靏屋喜右衛門・板)、『しのだづま』(1678年、山本角太夫・正本)、『信田森女占(しのだのもりおんなうらかた)』(1713年、紀海音・作)など。
  4. ^ 4段目の上演で後半の「草別れの段」以降が省かれた場合は道満は登場すらしない。
  5. ^ 4段目、5段目は道満側のストーリーからいえば後日談であり、主要なストーリーは3段目までで語り終えている。
  6. ^ 現代語訳すれば『芦屋道満、朝廷に仕える者の模範』
  7. ^ けいごと。 楽曲と舞踊を中心とした表現。
  8. ^ ふしごと。独特の節回しの旋律を主とする表現。
  9. ^ 折口信夫は『信太妻の話』の中で「安倍氏の子ども、安倍氏(晴明)になる所の子ども、と言ふだけの事ではあるまい」と述べ、童子が固有名詞(人名)であるとしている。
  10. ^ ここで言う「奴」は平安時代の奴婢のことではなく、江戸時代の中間(ちゅうげん)のこと。
  11. ^ 未亡人のこと。
  12. ^ 歌舞伎評論家・推理小説作家の戸板康二はその著書『歌舞伎役名由来』(ISBN 4-397-50258-7)の中で「石川悪右衛門」は「いしかわごえもん」と読むと主張している。しかし、本作はもちろん、古浄瑠璃『しのだづま つりぎつね 付あべノ晴明出生』の正本では「石川あくゑもん」、同じく古浄瑠璃『しのだづま』(山本角太夫)の正本では「いしかはあくゑもん」と表記されていることから、「ごえもん」と読んだ戸板の説は誤りである。
  13. ^ ここでは与勘平・野干平が諸肌を脱ぐ場面なので、生の肉体に見立てた「丸胴」という綿で肉入れしてある布製の特殊な胴を用いたと推定されている。
  14. ^ 「困ったものだ」の意。
  15. ^ 荏柄段八(木綿買い)らと保名の立ち回り ⇒ 段八らを残して保名が退場 ⇒ 葛の葉再登場 ⇒ 段八らとの立ち回り ⇒ 毛縫(白狐の毛を模した房状の白糸が多数垂れ下がったふんわりした衣装)への早替わり ⇒ 宙乗りによる3階席方面への引っ込みとなる。詳細については、松竹大谷図書館所蔵の歌舞伎台本(書誌番号00017189)を参照。
  16. ^ 享保20年刊の役者評判記『役者桜木〓(やくしゃおうぎのまと)』(〓は當+眞)[13]による。
  17. ^ 「番付」は今日の公演パンフレット、チラシに類する印刷物。絵本番付(絵尽し)はハイライトシーンのイラスト入りのパンフレット。ほかに配役表である役割番付、1枚もののチラシである辻番付等がある。
  18. ^ 歌舞伎の段・幕・番続きの区切りは公演ごとに千差万別であり、浄瑠璃の4段目の内容しか演じられない場合でも、「保名内(機屋)」「道行」「草別れ」「二人奴」…といった複数段構成と番付[注釈 17]に記される例が多い。こうした「自称」の区切りでは内容面の比較が困難なため、ここでは浄瑠璃正本の段構成を基準に論じる。
  19. ^ この最初期台帳を翻刻したものとしては『歌舞伎台帳集成』第2巻が入手可能。
  20. ^ 現存している台帳は後代の台帳と混交して製本され、補綴(ほてい、ほてつ。台帳の改変作業)により書き換えられた部分も多く、初演時のものは一部となっている。
  21. ^ 現代のようなハイライト上演(これを「見取り狂言」と呼ぶ)ではなく、序から切までの筋書きをもった上演形式。
  22. ^ 浄瑠璃は地の文も台詞もすべて太夫が語るのに対して、歌舞伎は分業制。
  23. ^ 竹本の太夫による「間の襖を引き開くれば 向ふの障子に一首の歌」の次に、ト書きで「障子に火にて歌うつる」とあるのみである。
  24. ^ 1960年刊『演劇百科大事典 第2巻』、402頁より引用。「けれん=演出用語。見た目本位の低い見物にこびる演出をいう。演技でいえば、芸の本筋の規(のり)を越えた一種のハッタリ・放れ業、単に意想外をねらった末梢的な技巧、見せ物的な手法であり、舞台的にいえば、大道具小道具の住掛け物の必要以上の使用、本雨(ほんあめ)・宙乗・過剰な早替り・軽業などはけれんといえる。けれんは正道ではないが、人形浄瑠璃や歌舞伎が卑近な庶民芸術であり、遊びを許されている以上、ある程度は必要であり許されるべきである。(加賀山直三)」。
  25. ^ 口筆が一般化していた状況からおそらく5代目と思われる。
  26. ^ 2018年現在、7代目中村芝翫が葛の葉を演じた1986年6月の歌舞伎座公演が最後で、その前はさらに30年の空白があり、6代目中村歌右衛門の1956年12月歌舞伎座公演となる。
  27. ^ しおりど。竹製の小門。
  28. ^ 書き割りの一部を切って、上下または左右の軸を中心に反転させ、背面を表に出す仕掛け。
  29. ^ 大道具のひとつで人が上に乗る杓文字の型の台車。
  30. ^ しばがき。柴を組子に使った竹垣。
  31. ^ 宝暦5年(1755年)京都初演の『娶しの田妻』は外題の読みが「よめいりしのだづま」だが、絵尽くしを見る限り『嫁入信田妻』とは別作品である。
  32. ^ 実質的には大阪出身である路考の上方への凱旋公演。
  33. ^ 吉備真備が遣唐使の随員として唐に渡った折、時の皇帝玄宗からさまざまな試練を与えられるが、死して鬼となった阿倍仲麻呂の助けを借りてこれらを乗り越え、最後は玄宗から簠簋内伝を譲られ、これを日本に持ち帰るという伝説。詳細は「安倍晴明物語#安倍晴明物語一代記 一」参照。
  34. ^ 原作の「岩倉治部大輔」を「岩倉治郎太夫」とするのは『嫁入信田妻』でも見られる。
  35. ^ 台本の翻刻本である明治28年刊行本[46]および大正15年刊行の『河竹黙阿弥全集 』第22巻では、ともに役名は「柏木衛門之助」となっている。しかし、初演時の複数の番付[47]およびこの公演の役者絵[48]では、役名は「柏木民部之助」である。
  36. ^ この公演の構成は、前演劇=信田褄妙術一巻(全8巻)、中演劇=大経師昔暦(上下)、切演劇=東雲侠暁月(誂三箱)、大切=嫗山姥芦柄怪童(所作事)となっている。
  37. ^ 『芦屋道満大内鑑』の筋書きを離れ、男の憂愁といった心情に重きを置いた。

出典

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  2. ^ 請求記号:文庫01_01762_0005”. 早稲田大学図書館. 2018年3月1日閲覧。
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  4. ^ 稀書解説
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  6. ^ 近世芝居番付データベース 芦屋道満大内鑑 寛延01”. 早稲田演劇博物館 (1748年). 2018年3月1日閲覧。
  7. ^ 『竹本播磨少掾音曲口伝書』
  8. ^ 鶴沢燕三「〈人外の情〉を語る」
  9. ^ 豊竹山城少掾、竹本網太夫、武満徹・談「義太夫の世界」
  10. ^ 小池章太郎「葛の葉細見」、146頁
  11. ^ a b 壽初春大歌舞伎 平成20年1月2日(水)~26日(土)”. 歌舞伎美人. 2018年8月11日閲覧。
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  24. ^ 淺々老人「見聞のま々」
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  31. ^ 谷崎潤一郎『幼少時代』
  32. ^ 『歌舞伎新報』、1891年、217頁
  33. ^ 伊原敏郎『近世日本演劇史』、261頁
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  50. ^ 『名作歌舞伎全集』第19巻
  51. ^ 神山彰 1994.
  52. ^ 『近代歌舞伎年表 京都篇』別巻、117 - 118頁。
  53. ^ 朝倉亀三(朝倉無聲)『見世物研究』
  54. ^ “伝統「葛の葉」あす復活 木下大サーカス沖縄公演”. 琉球新報. (2018年1月4日). https://ryukyushimpo.jp/photo/entry-641015.html 2018年5月3日閲覧。 
  55. ^ “伝統「葛の葉」復活 5年半ぶり、観客圧倒 木下大サーカス沖縄公演”. 琉球新報. (2018年1月6日). https://ryukyushimpo.jp/news/entry-642121.html 2018年5月3日閲覧。 
  56. ^ 木下大サーカスできつねダンス?いえいえ伝統芸「葛の葉」です!復活の妙技が観客魅了・新潟公演6月19日まで」『新潟日報デジタルプラス』、2023年6月3日。2023年6月21日閲覧。






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