航空母艦 歴史

航空母艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/18 14:05 UTC 版)

歴史

第二次世界大戦以前

水上機母艦となった「ラ・フードル
1912年5月、戦艦「ハイバーニア」の滑走台と、発艦を待つショート機。

洋上航空兵器を運用する艦船は、気球母艦が始まりである。1849年7月12日、オーストリア海軍は気球母艦から熱気球を発艦させ、爆弾の投下を試みたが、失敗した。南北戦争ではガス気球が使用され、ガス発生装置を備えた艦が建造された。

1910年11月14日、アメリカ合衆国のパイロットユージン・バートン・イーリーカーチス モデルDに乗り、軽巡洋艦バーミンガム」に仮設した滑走台から陸上機の離艦に成功した。翌1911年1月18日には装甲巡洋艦ペンシルベニア」の後部に着艦用甲板を仮設し、離着艦に成功した。これが世界で最初の「着艦」である。

1912年、フランス海軍機雷敷設艦の「ラ・フードル」を改装し、水上機8機の収容設備と滑走台を設置し、世界初の水上機母艦を就役させた。

1915年11月3日、ヴィンデックスの飛行甲板と、発進に成功する陸上機。

第一次世界大戦前後、「航空母艦」とは水上機母艦のことであり[42]、飛行甲板をもった艦艇もまとめて「飛行機母艦」と称した[注 1]。水上機はフロートという飛行中には役に立たない重量物がある分、陸上機より性能が劣っていた。そのため、列強海軍で陸上機を運用できる母艦の研究が進められ、日本海軍のように「山城」の主砲の上に滑走路を設けて飛行機を発進させる方法や、イギリス海軍アメリカ海軍のように滑走台を設ける方法で実験が行われたが、これらは発艦させることはできても着艦させることはできなかった[42]

1912年1月10日、イギリス海軍は戦艦アフリカ」に滑走台を装備し、チャールズ・サムソン大尉がショート27での発艦に成功した。同年5月、戦艦「ハイバーニア」に滑走台を増設し、再びサムソン大尉が発艦に成功した。つづいて7月、戦艦ロンドン」からの発進に成功した。 1913年4月、イギリス海軍はハイフライヤー級防護巡洋艦の「ハーミーズ」の主砲を撤去して水上機母艦に改造し、航空機の運用研究をおこなった[注 5]。「ハーミーズ」などの経験を踏まえ、イギリス海軍は水上機母艦「アーク・ロイヤル」を建造した。この「アーク・ロイヤル」は設計時から水上機母艦として計画されており、イギリス海軍において最初の「航空母艦」ともいえる[43]

1914年7月、第一次世界大戦が勃発。イギリス海軍は「アーク・ロイヤル」を含めて多数の水上機母艦を擁しており、実戦投入した。日本海軍では、1914年8月に運送船の若宮丸を改装して特設水上機母艦とした。9月、若宮丸は青島攻略戦に参加。ファルマン水上機を搭載し、偵察行動を行う[44]

イギリス海軍においては、水上機母艦「ヴィンデックス」に飛行甲板を設置し、1915年11月3日に陸上機(ブリストル スカウト)が発艦に成功した。1916年5月下旬のユトランド沖海戦では、水上機母艦「エンガディン」からショート 184(水上機)が発進し、ドイツ帝国海軍大洋艦隊を偵察した。

「フューリアス」(1918年時)

第一次世界大戦開戦後、イギリス海軍は失敗作との評判があったカレイジャス級巡洋戦艦の運用を見直し、3番艦「フューリアス」の前部主砲(18インチ単装砲)を撤去し、飛行甲板を設置した[45]。発艦は可能だったが着艦は事実上不可能で、のちに後部主砲も撤去して飛行甲板を増設した。艦中央部に艦橋と煙突がそびえており着艦は困難を極めたが[46]、それでも第一次世界大戦で実戦投入され、フューリアスから発進した航空機がドイツ帝国軍飛行船基地を爆撃した。 イギリス海軍は「フューリアス」や巡洋艦改造空母「ヴィンディクティブ[47]の運用を経て、1918年9月、世界初の全通飛行甲板を採用した「アーガス」を完成させた[48]。この「アーガス」が、世界最初の実用的航空母艦である。ただし第一次世界大戦終結の直前に就役したので、実戦には参加しなかった[49]。アメリカ海軍はイギリスの協力を得て給炭艦を空母に改装し、1922年3月に空母「ラングレー」を完成させた。

戦後の1920年代初頭、日米英海軍は航空母艦と艦載機を開発した[44]。イギリス海軍は、自国で建造中だったチリ未完成戦艦を接収して航空母艦に改造し、空母「イーグル」を完成させた。このイーグルは全通飛行甲板をもち、艦中央部右舷側にアイランド式(島型)の艦橋と煙突をそなえ、現在に続く空母の形状を確立した。 1918年(大正7年)1月15日、「最初から航空母艦として設計された艦艇として世界で最初に起工した空母」として「ハーミーズ」の建造がはじまる。日本海軍はイギリス留学中の藤本喜久雄などを通じて「ハーミーズ」の設計図を入手した[2]。1920年(大正9年)12月16日、日本は「鳳翔」の建造を開始した[50]。「鳳翔」はイギリスとアメリカから部品や艤装を輸入しつつ建造を開始、1921年(大正10年)11月13日に進水、1922年(大正11年)12月27日に完成した[51]。鳳翔は「最初から航空母艦として設計された艦艇において、世界で最初に竣工した空母」になった[52]

1921年、ワシントン軍縮会議において、「水上艦船であって専ら航空機を搭載する目的を以って計画され、航空機はその艦上から出発し、又その艦上に降着し得るように整備され、基本排水量が1万トンを超えるものを航空母艦という」とされ[5]、そこで締結されたワシントン海軍条約では、戦艦の保有比率が米英に対し日本はその6割と規定されたのと同じく、空母も米英が排水量13万5,000トンで日本は8万1,000トンと6割に当たる量であった。フランスとイタリア王国に到っては6万トンで、英米の半分以下であった。また、各国とも建造中止戦艦もしくは巡洋戦艦を二隻まで空母に改造することが認められた[53]。ワシントン海軍軍縮条約を受けた各国の空母建造状況は、以下の通り。またイタリアは空母保有枠を獲得したが、財政事情によりフランチェスコ・カラッチョロ級戦艦の空母改造を中止した。

海軍軍縮条約で135,000トンの空母保有枠を有したイギリス海軍は、グローリアス級航空母艦と「イーグル」で大部分の枠を使い切った。残り2万トンで1934年に空母「アーク・ロイヤル」の建造が承認され、1935年に建造がはじまった[注 6]。「アーク・ロイヤル」は優秀な空母だったが防御力に不安があり、同艦の防御力を向上させたイラストリアス級航空母艦の建造が1937年よりはじまった。

1930年、ロンドン海軍条約が締結され、基本排水量1万トン未満も空母に含まれることになった[6]。ワシントン海軍条約では基準排水量1万トン未満は空母の保有排水量の合計に含まれないとされたため、日本は基準排水量8,000トンの水平甲板型の小型空母「龍驤」を建造しようとしたが、ロンドン海軍条約で1万トン未満も空母にカウントされるようになると、設計変更をして飛行機の搭載可能数をできるだけ増加させた[6]。また②計画の「蒼龍」、「飛龍」も当初は巡洋艦としての砲撃能力を持たせようとしていたが、この条約の影響で、島型艦橋を持つ空母として建造されることになった。さらに千鳥型水雷艇が転覆した友鶴事件や暴風雨による船体破損が起こった第四艦隊事件の影響で、武装による復元力低下、船体強度不足など基本性能の見直しがあり、「蒼龍」は基準排水量が増加して約16,000トンとなった[注 7]。「飛龍」は建造中にロンドン海軍条約の失効が確実となり(1936年に日本脱退)、「蒼龍」より無理のない設計となった[56]

同時期のアメリカは排水量制限に余裕があり[57]、新型空母5隻を建造しようとしたが満足できる性能にならず空母「レンジャー」1隻で終わった。2万トン級に大型化したヨークタウン級航空母艦2隻(ヨークタウンエンタープライズ)で排水量制限枠を大幅に消費し、残り枠14,500トンで防御力を妥協した空母「ワスプ」を建造した。

1935年3月16日ナチス・ドイツヴェルサイユ条約の軍事条項を破棄して再軍備宣言をおこない、イギリスは6月18日に英独海軍協定を締結して容認した。ドイツ海軍は38,500トンの空母保有枠を認められた。そこでグラーフ・ツェッペリン級航空母艦2隻の建造を始めたが、1隻(グラーフ・ツェッペリン)が進水したのみで竣工には到らなかった。

英独海軍協定締結時、フランス海軍が保有する空母は「ベアルン」1隻だけで、グラーフ・ツェッペリン級空母は重大な脅威と受け止められた。1938年からジョッフル級航空母艦の建造を開始したが、進水する前に1939年9月の第二次世界大戦開戦を迎えた。

ヨーロッパで建艦競争が再燃する中、日本海軍はワシントン・ロンドンの両海軍条約から脱退して、自由な設計が可能になった。日本海軍は③計画において大和型戦艦2隻と翔鶴型航空母艦2隻の建造に入った。翔鶴型は1942年初頭に完成の予定だったが、アメリカとの情勢が緊迫し、工期を半年以上短縮した[57]。アメリカでは、とりあえずヨークタウン級空母を若干改良した「ホーネット」を建造した。続いて基準排水量2万7,100トン、格納庫甲板65ミリ・機関室上部38ミリ、両舷102ミリの装甲、サイドエレベーター装備のエセックス級空母の建造に着手し、1942年末に竣工する[58]

第二次世界大戦前、空母とその艦載機に期待されたのは、主戦力と見なされていた戦艦の補助戦力として、艦隊防空や戦艦同士の決戦の間に巡洋艦などと協同し機を見て雷爆撃を加えることだった[59]

第二次世界大戦

とてつもない建造数に達したエセックス級

1939年9月、第二次世界大戦が開戦。1940年7月上旬、メルセルケビール海戦でイギリス海軍のH部隊に所属する空母「アーク・ロイヤル」のソードフィッシュ艦上攻撃機オラン港に停泊中のフランス海軍の戦艦「ダンケルク」を雷撃し、大破着底に追い込んだ(レバー作戦)。7月8日、ダカールに停泊中のフランス戦艦「リシュリュー」を、イギリス海軍の空母「ハーミーズ」から発進したソードフィッシュが雷撃し、スクリューに損害を与えて行動不能とした。同年11月、タラント空襲においてイギリス地中海艦隊に所属していた空母「イラストリアス」の雷撃機がイタリアの戦艦3隻を大破着底させた。

1941年4月、日本は複数の航空戦隊をまとめて第一航空艦隊を編制し、さらに、真珠湾攻撃のため、軍隊区分で他艦隊の補助戦力をこれに加え、史上初の用兵思想である「機動部隊」を編成した[60]。12月、太平洋戦争の開戦時、日本が真珠湾攻撃でアメリカ艦隊の戦艦の撃沈に成功すると、空母航空戦力の地位は一気に上がった[注 8]太平洋艦隊に所属する戦艦多数を行動不能にされたアメリカは[注 9]、戦艦部隊の防空兵力として行動していた空母を空母部隊にして空母「ホーネット」の日本初空襲陸軍航空隊B-25爆撃機を搭載)を始めとした「ヒットアンドラン作戦」で日本の拠点に空襲を開始した。その後、珊瑚海海戦ミッドウェー海戦で日本の機動部隊と交戦し、日本の進攻を阻止した[61]

日本は戦前のワシントン海軍条約によって空母保有量を制限されていたとき、有事の際に短期間で空母に改造できるように設計された潜水母艦やタンカーを建造していた。それらは太平洋戦争が始まる前後から空母に改造され、潜水母艦「大鯨」は「龍鳳」として、給油艦の「剣埼」と「高崎」は「祥鳳」と「瑞鳳」として就役した。また、水上機母艦の「千歳」「千代田」も有事の際に空母に改造できるように造られていた[62](千歳、千代田はミッドウェー海戦後に改造が決定する)。 アメリカでは空母化を目的に特務艦艇を設計することはなかったが、太平洋戦争の開戦後、空母兵力の増強が必要になると、基準排水量一万トン以下のクリーブランド級軽巡洋艦の船体を利用して、インディペンデンス級航空母艦9隻を建造している[63]

1942年4月、セイロン沖海戦で日本がトリンコマリー攻撃中に、イギリス東洋艦隊の空母「ハーミーズ」を撃沈する。5月上旬の珊瑚海海戦で、日本は軽空母「祥鳳」を撃沈され、アメリカは正規空母「レキシントン」及び給油艦1隻と駆逐艦1隻を撃沈された。史上初の機動部隊同士の海戦と言われる。この海戦によって日本の作戦は初めて中止された。6月、ミッドウェー海戦で、日本は空母4隻と重巡1隻を喪失し[注 10]、アメリカは空母「ヨークタウン」と駆逐艦1隻を失った。1942年7月、日本はミッドウェー海戦で壊滅した第一航空艦隊の後継として第三艦隊を編制する。8月には第二次ソロモン海戦が生起、日本は軽空母「龍驤」を失い、アメリカは空母「エンタープライズ」が大破した。さらにアメリカは日本潜水艦の攻撃で空母「ワスプ」を失い、「サラトガ」が大破。稼働空母が「ホーネット」1隻に減少し、第二次ソロモン海戦で大破した「エンタープライズ」を急遽修理して10月下旬の南太平洋海戦に臨んだ。日本側は空母「翔鶴」と軽空母「瑞鳳」が損傷したが、アメリカは「ホーネット」を失い、「エンタープライズ」が中破、米海軍史上最悪の海軍記念日と言わしめた。この敗戦によってアメリカ太平洋艦隊の稼働正規空母はゼロになったが[注 11]、日本側も戦力を消耗しており、ガ島周辺の基地航空兵力の劣勢(およそ4:1)もあって戦況を覆すまでには至らなかった。11月中旬の第三次ソロモン海戦では応急修理をおえた「エンタープライズ」が航空支援をおこなって戦艦「比叡」などを撃沈して勝利に貢献し、まもなく「サラトガ」が復帰した。さらに「エンタープライズ」が本格的修理をおこなう間、アメリカはイギリス海軍の空母「ヴィクトリアス」を太平洋に派遣してもらって空母戦力を確保した。

1943年、太平洋戦線のヴィクトリアスとサラトガ。

1943年中盤まで両者共に戦力の回復に努めた為に艦隊決戦は行われなかったが、工業力の格差によって戦力差は拡大し、日本の新造空母1隻(改装空母2除く)に対して13隻(空母5、軽空母8、護衛空母除く)に達し、航空兵力は日本の439機に対して896機と倍以上にまで開いた。

1944年3月1日、第二艦隊(巡洋艦を中心とした夜襲部隊)と編合して第一機動艦隊が編制された。航空主兵思想に切り替わったという見方もあるが、実態は2つの艦隊を編合したに過ぎないという見方もある。ただ第一機動艦隊長官と第三艦隊司令長官は小沢治三郎中将が兼任するため、前衛部隊(第二艦隊司令長官栗田健男中将)を自由に指揮できた[注 12]。軍隊区分によらず、指揮下の部隊から充当できるようになった[64]。アメリカで本格的な空母機動部隊が編成されたのは1943年の秋に始まる反攻作戦が開始された時期からだった[65]。アメリカ海軍は兵力を艦型別に編成するタイプ編成と臨時に作戦任務部隊を編成するタスク編成を導入し[66]、1943年8月、空母を中心とした艦隊であるタスクフォース38が編成される。

1944年6月、史上最大の空母戦闘であるマリアナ沖海戦で、日本はアウトレンジ戦法を実施し、アメリカは日本の攻撃隊を迎撃。日本は空母三隻を撃沈され、艦載機のほとんどを失った。「マリアナの七面鳥撃ち」と揶揄されたこの敗北は、アメリカ海軍がレーダー、無線電話など電子技術を活用した艦艇戦闘中枢CIC活動で、攻撃防御両面で艦載機が空母CICの管制を受けながら戦闘可能だったことも要因であった[65]。11月、レイテ沖海戦では、日本は機動部隊の空母4隻全てを失う。11月15日、日本は第一機動艦隊及び第三艦隊を解体した[67]。1945年9月2日、日本が降伏し、第二次世界大戦は終結。

1939年(昭和14年)9月の第二次世界大戦勃発後に日本海軍が建造を開始した正規空母は、大鳳型1隻、雲龍型6隻となる。本来は⑤計画G14型航空母艦を建造予定だったが、改⑤計画で戦時急造型(雲龍型)を優先したので、改大鳳型航空母艦と共に未起工で終わった。改造艦艇としては、1940年(昭和15年)12月27日に剣埼型潜水母艦を改造した軽空母「瑞鳳」が就役した。1941年(昭和16年)9月5日、新田丸級貨客船を改造した特設航空母艦「春日丸」が完成した[注 13]。同年12月8日の太平洋戦争開戦後に完成したのは、改造・新造ふくめて雲龍型3隻、瑞鳳型2隻(祥鳳龍鳳)、千歳型2隻、隼鷹型2隻、「信濃」、「八幡丸(雲鷹)[68]、「冲鷹」、「海鷹」、「神鷹」であった。

この大戦では商船を改造した空母が使用された。アメリカは輸送船団をドイツ軍のUボートから守るために、貨物船やタンカーの船体を流用した護衛空母が建造された。商船を改造したものは55隻、商船とほぼ同じ設計の船体を使用したものが69隻であった。滑走路が短いため、カタパルトを装備搭載し、本来の船団護衛、対潜攻撃だけではなく、太平洋方面の上陸作戦にも使用された。日本での商船を改造した空母は「鷹」の文字が艦名に使われた7隻や、タンカー改造「しまね丸」があったが建造数も少なく、速力不足を補うカタパルトも開発できなかったので運用する飛行機を制限された[69]。他に日本陸軍の空母的な船舶として「あきつ丸」「熊野丸」「山汐丸」が建造された。

空母戦の一覧

  • セイロン沖海戦 - 日本とイギリスの空母が同じ海域で対艦攻撃を行なったが、直接対決は生じなかった。イギリスの空母1隻が沈没。
  • 珊瑚海海戦 - 史上初の空母戦。日本3隻対アメリカ2隻で、双方1隻ずつを失う。
  • ミッドウェー海戦 - 日本は4隻が全滅、アメリカは3隻中1隻の喪失で、太平洋戦争の転換点と言われる。
  • 第二次ソロモン海戦 - 日米3隻ずつが対決し、日本が1隻を喪失。
  • 南太平洋海戦 - 日本4隻対アメリカ2隻が対戦、アメリカが1隻を喪失。
  • マリアナ沖海戦 - 日本9隻対アメリカ15隻で史上最大の空母戦。日本は3隻を失い、完敗に終わる。
  • エンガノ岬沖海戦 - アメリカ17隻に対し、日本は艦載機数の不足から4隻が囮として出撃、全滅。

なお、戦後は1982年のフォークランド紛争でイギリスとアルゼンチンの空母が出動したが、後わずかで対決には至らず、空母戦の実戦例は太平洋戦争での日米間のものだけに留まっている。

冷戦期

アメリカ海軍

大戦後の航空戦力における二大潮流がジェット機の普及と核兵器の導入で、これは艦上機も例外ではなかった[70]。アメリカ海軍では、核戦略の一翼を担いうるように大型の艦上攻撃機を運用可能な大型空母「ユナイテッド・ステーツ」の建造に着手したものの、戦略爆撃機の優位性と大型空母の非効率性を主張する空軍の意向を受けて、まもなく建造中止となった[71]

しかし1950年朝鮮戦争が勃発すると、西太平洋に展開していたエセックス級「ヴァリー・フォージ」が急行したのを筆頭に、エセックス級の後期建造艦が交代で戦線に投入されて対地攻撃に活躍し、突発的な紛争の発生に対する即応性と機動力、持続的な作戦能力や優れた対地火力投射能力を実証した[72]。またアメリカ議会でも、「ユナイテッド・ステーツ」の建造中止を巡る「提督たちの反乱」に関連して開かれた公聴会を通じて、艦上機は陸上機に取って代わられるというよりは相補的な存在意義があることが認められており、大型空母の復活を後押しする機運が高まっていた[73]。このことから、1952年度計画からフォレスタル級の建造が開始され、改良型のキティホーク級とあわせて、1963年度までに計8隻が建造された[74]

また1950年の時点で、アメリカ海軍作戦部長フォレスト・シャーマン大将により、空母を含めた水上艦の原子力推進化の可能性検討が指示されていた。しかし、この時点では非常に高コストであったことから原子力委員会が賛成せず、1958年度計画でやっと初の原子力空母として「エンタープライズ」の建造が実現した。同艦の建造費が予想以上に高騰していたことから、2隻目以降の建造はなかなか実現しなかったが、原子力推進技術の成熟もあって、1967年度よりニミッツ級の建造が開始された[75]。その後、1970年代には、STOVL運用を想定した小型空母である制海艦(SCS)や、ミッドウェイ級と同規模の中型空母 (CVVも計画されたものの[76]、ニミッツ級は「空母という艦種は同級で完成した」と称されるほど高く評価されており、結局は同級の建造が継続された[77]

アメリカ国外

イギリス海軍では、1960年代中盤より空母「アーク・ロイヤル」および「ヴィクトリアス」の後継艦としてCVA-01級の計画を進めていたが、予算上の理由から1966年度国防白書でキャンセルされた[78]。これを受けて、空母を補完するヘリ空母として計画されていた護衛巡洋艦の機能充実が図られることになり、最終的に、垂直離着陸機であるシーハリアー艦上戦闘機の運用に対応したインヴィンシブル級(CVS)として結実して、1980年より就役を開始した[79]。同級とハリアー・シーハリアーは1982年のフォークランド紛争でその価値を証明したこともあり、イタリアスペインインドでもSTOVL運用を行う空母・軽空母が配備された[80]

フランス海軍は、アメリカやイギリスから入手した軽空母や護衛空母で艦隊航空戦力の整備に着手し、1950年代のインドシナ戦争で実戦投入した。そしてその後継として、50年代中盤に3万トン級の中型空母2隻を計画し、クレマンソー級として1960年代初期より就役させた[80]

なお大戦期にイギリスが建造したコロッサス級マジェスティック級の多くは、大戦後に外国に売却されていき、カナダオーストラリアインドなどのイギリス連邦諸国やオランダブラジルアルゼンチンにおいて順次に再就役した。これらの艦は、蒸気カタパルトとアングルド・デッキの装備などの改装・改設計により最低限のジェット艦上機運用能力を持っていたものの、1950年代に作られた艦上機が旧式化すると後継機が乏しく、1970年代にはほとんど実用的価値を失った[80][注 14]

ソ連海軍では、政治的な理由から空母の保有がなかなか実現せず、まずは水上戦闘艦に艦載ヘリコプターを搭載して運用していたが、その経験から、各艦に分散配備するよりは複数機を集中配備したほうが効率的であると判断され、ヘリ空母の保有が志向されることになった。まずヘリコプター巡洋艦として1123型対潜巡洋艦(モスクワ級)が建造され、1967年より就役したのち[82]1975年からは、Yak-38艦上攻撃機の運用に対応して全通飛行甲板を備えた1143型航空巡洋艦(キエフ級)が就役を開始した[83]。そしてその経験を踏まえて、1990年には、STOBAR方式によってCTOL機の運用に対応した「アドミラル・クズネツォフ」が就役した[28]

冷戦後

冷戦終結後、アメリカ軍が想定する戦争の形態が非対称戦争低強度紛争に移行するのにつれて、空母の存在意義が再検討され、かつてのCVVのような小型化も俎上に載せられることになった。しかし結局はニミッツ級に準じた高性能艦が望ましいとの結論になり、同級の建造が継続されたのち、発展型のジェラルド・R・フォード級に移行した[71]

中型空母の建造

アメリカ国外では、4万~6万トン級の中型空母の建造が相次いだ。

イギリス海軍は、インヴィンシブル級の後継として1990年代よりCVF計画に着手しており、一時はCATOBAR化も検討されたものの、結局はインヴィンシブル級と同様にSTOVL方式として建造され[注 4]クイーン・エリザベス級として2017年より就役した[26]

またフランス海軍はフォッシュ級の後継2隻を計画し、まず1隻が「シャルル・ド・ゴール」として建造された[26]。これはアメリカ以外では初の原子力空母だったこともあって戦力化に難渋したが、2001年に就役した[26]。続く2隻目(PA2)については、上記のクイーン・エリザベス級と同系列の設計になる予定だったが、2013年にキャンセルされた[26]

中国人民解放軍海軍は、ソビエト連邦の崩壊で建造が中断されていたクズネツォフ級2番艦「ヴァリャーグ」の未完成の艦体を購入して自国で完成させ、2012年に「遼寧」として就役させた[26]。またその設計を踏襲した国産空母として「山東」を建造し、こちらも2017年に進水した[26]。これらはいずれも「クズネツォフ」と同様にSTOBAR方式を採用していたが、CATOBAR方式の空母の開発も進めており[26]、2022年には「福建」として進水した[84]

インド海軍も、キエフ級の準同型艦である「バクー」を「ヴィクラマーディティヤ」として再就役させる際にはSTOBAR方式に対応して改装し[83]、更にSTOBAR方式に対応した国産空母として「ヴィクラント」を建造した[26]

強襲揚陸艦と軽空母

アメリカ級強襲揚陸艦F-35B

上記の通り、アメリカ海軍のヘリコプター揚陸艦(LPH)は、もともと強襲ヘリコプター空母(CVHA)として航空母艦のカテゴリにあったものが、その保有枠を圧迫しないように揚陸艦のカテゴリに移されたという経緯があった[13]。LPHはその後、更に大型で上陸用舟艇の運用にも対応するなど機能を強化した強襲揚陸艦(LHA/LHD)に発展したが、これらの艦は、その強力な航空運用機能を活かして、上記の制海艦に近い作戦行動も実施するようになった[85]

例えば湾岸戦争ではタラワ級が、またイラク戦争ではワスプ級が、それぞれ20機以上のAV-8B攻撃機を搭載して「ハリアー空母」として行動した。湾岸戦争において、ノーマン・シュワルツコフ将軍は「迅速・決定的な勝利に大きく貢献した3つの航空機」の1つにAV-8Bを挙げるほどであった[85][注 15]。またこれらの後継となるアメリカ級では更に航空運用機能を充実させて、高性能なF-35Bを搭載しての「ライトニング空母」(CV-L)としての行動も想定して設計されている[86]

またマルチハザード化およびグローバル化に伴う任務の多様化に対応して、アメリカ国外でも強襲揚陸艦を建造・取得する国が相次いだが、これらの艦も軽空母・ヘリ空母としての運用が想定されていた[85]。更に海上自衛隊も、ヘリコプター搭載護衛艦 (DDH)として建造したいずも型をSTOVL運用に対応できるように改装し、F-35Bを搭載・運用することが決定された[26]


注釈

  1. ^ a b 第十三、飛行機母艦「フューリアス」ノ全景[3] 獨國大海艦隊投降当時英國大艦隊ハ「フューリアス」「ヴィンディクティヴ」「アーガス」「ペガサス」及「ナイラナ」ノ五飛行機母艦ヲ有シ此ノ五隻ヲ以テ一航空戰隊ヲ編成シアリタリ本写真ハ其ノ旗艦「フューリアス」ナリ
    「フューリアス」ハ前部ニ発艦、後部ニ著艦滑走台ヲ有シ大小合セテ十八隻ノ飛行機ヲ格納スト称セラルル一万九千頓三十二節ノ巡洋艦ナリ 仝艦以上ノ攻撃力ト仝等以上ノ速力ヲ併有スル軍艦ハ世界中英國大艦隊ニ「レパルス」「レナウン」ノ二巡洋戰艦ト「カレッジアス」「グロリアス」ノ二巡洋艦アルノミ
    此ノ種母艦ハ艦隊戰闘ニ必要ナルノミナラス敵國領土内ノ所要ノ物件ニ対シ飛行機襲撃ヲ決行スルニ最適ノモノナリ。之レカ侵撃ヲ防クニハ潜水艇、飛行機及巡洋戰艦ノ併用ヲ俟ツノ外良策ナキカ如シ 研究ヲ要スル大問題ナリ。
  2. ^ 軍縮で日本が廢棄を主張する航空母艦 彼女が持つ任務如何[4](中略)依つて左に海軍中佐加藤尚雄氏によつて説明された航空母艦に關する話を紹介する
     航空母艦の話
     航空母艦とはどんな任務を持つて居る軍艦か、は名前の通り航空機の母艦である。艦内に澤山の飛行機を積み込んで居るふねである。然し母親が子供を抱いて居るやうに只飛行機を腹の中に入れて居るだけなら今日のやうに航空母艦がさわがしく論ぜることもなからう。
     とは前記のやうに澤山の飛行機を搭載して艦隊と一緒に又は單獨に行動し、いざといふ時にその子供の飛行機をどん〱艦から出發させて、或は敵情を偵察させたり或は敵艦の爆撃や雷撃、(魚雷で攻撃すること)をやつたり敵の飛行機を撃ち落させたりするのであつて、海上では空中兵力の根據地となるものである。だから航空母艦の勢力の大小といふことは、やがて海軍の空中武力の大小といふことに非常な關係があるから、軍縮會議などでやかましい問題となるのである。繰り返していふ、航空母艦はの根據地となる艦である。然もそれが非常な速力で遠いところへどしどし行動出來る移動根據地である。
    ほんとの航空母艦と水上機母艦
    ウソの航空母艦があるわけではないがワシントン會議ロンドン會議で航空母艦と定められたものは飛行機の發着が自由に出來る飛行甲板のあるのを航空母艦といふのであつて、そういふ飛行甲板がなくてを積んで居るのは補助航空母艦といでもいふのである。故にほんとの航空母艦では艦上機といつて陸上機と同じやうに車輪を持つた飛行機を用ゐ、それで飛行甲板を陸上飛行場のやうに滑走して出發し又この甲板へ降りて來て止まるのである(以下略)(記事おわり)
  3. ^ 現在まで左舷側にアイランドを設けたのは日本の「赤城」と「飛龍」のみ。
  4. ^ a b クイーン・エリザベス級では、垂直ではなく斜めに着艦するSRVL (Shipborne rolling vertical landing方式とすることもある[26]
  5. ^ この「ハーミーズ」は第一次世界大戦勃発後の1914年10月31日にUボートによって撃沈された。艦名は空母「ハーミーズ」に受け継がれた。
  6. ^ 第一次世界大戦に参加した水上機母艦「アーク・ロイヤル」は新造空母に艦名を譲り、「ペガサス」と改名した(第一次世界大戦に参加した水上機母艦「ペガサス」は既に除籍済み)。
  7. ^ 対外的には10,050トンの空母として発表した[55]
  8. ^ なお誤解されることが多いが、マレー沖海戦イギリス東洋艦隊を攻撃して戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」を撃沈したのは日本海軍の陸上攻撃機一式陸上攻撃機九六式陸上攻撃機)である。北大西洋や地中海では、ドイツ空軍やイタリア空軍の陸上攻撃機がイギリス戦艦や巡洋戦艦を攻撃しているが、撃沈に到った艦はない。
  9. ^ 大西洋艦隊に所属していたニューメキシコ級戦艦ノースカロライナ級戦艦は健在であった。
  10. ^ 空母「赤城」「加賀」「飛龍」「蒼龍」、重巡「三隈」。
  11. ^ 大西洋では正規空母「レンジャー」が活動しており、また護衛空母も何隻か就役している。
  12. ^ 1942年8月以降、第二艦隊司令長官近藤信竹中将と第三艦隊司令長官南雲忠一中将では、近藤中将が先任のため南雲を指揮する立場にあった。
  13. ^ 太平洋戦争開戦後の1942年8月31日、軍艦籍となり「大鷹」と改名した[68]。艦艇類別等級では大鷹型航空母艦となる。
  14. ^ ただしその後も、アメリカ海軍の対潜空母(CVS)と同様にS-2艦上哨戒機やA-4艦上攻撃機、ヘリコプターを搭載して行動を継続した艦もあった[81]
  15. ^ 他の2種類はAH-64攻撃ヘリコプターF-117ステルス攻撃機であった[85]

出典

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