自由民主党総裁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/30 07:10 UTC 版)
自由民主党本部 総裁 President of the Liberal Democratic Party | |
---|---|
自由民主党党章 | |
地位 | 自由民主党党首 |
任命 | 総裁選挙 |
任期 | 3年(連続4選禁止)[注釈 1] |
根拠規程 | 党則・総裁公選規程[1] |
創設 | 1955年(昭和30年)11月15日[注釈 2] |
初代 | 鳩山一郎 |
職務代行者 | 副総裁 |
ウェブサイト | 自由民主党 |
自由民主党所属の国会議員および党員・党友などによる自由民主党総裁選挙によって選出される。
「総裁」の役職名は、自由民主党の前身であり、大日本帝国憲法下における帝国議会時代の二大政党であった立憲政友会(1900 - 1940)および立憲民政党(1927 - 1940)の党首職名を引き継いだものである。
注釈
- ^ 就任時に前任者の残任期間を引き継いだ場合、その残任期間は算入されない。よって、この場合には、その残任期間に加えて最長で3期まで連続で在任できるため、最長で通算12年近く連続で在任できることになる。なお、一度退任した後の再就任については制限はなく、再就任の場合には、任期のカウントがリセットされる。
- ^ 1956年4月5日までは総裁代行委員が総裁職を代行した。
- ^ 比較第一党とは、過半数には達しないものの全ての政党のうち最も議席数の多い党のことである。
- ^ 第21代総裁の安倍晋三が退任後に再び第25代総裁となったため、以降の代数と人数には差異がある。
- ^ 1956年1月28日に死去後、後任に松野鶴平(旧自由党)が1956年2月10日から就任。
- ^ 日本国憲法下で最初の、任期満了により失職した衆議院議員。
- ^ a b c 在任中に逝去、副総裁の西村英一が総裁代行に就任。
- ^ 総裁就任後、森派を離脱。
- ^ 麻生は第45回衆議院議員総選挙に大敗し、野党に転落した責任を取って、首相指名選挙を前に2009年9月16日午前に総裁を辞任[7][8]。麻生が後継総裁の選出を待たずに総裁を辞任したため、総裁は同日から後継総裁に谷垣が選出された9月28日まで空席となった。9月16日午後[9]に特別国会で行われた首相指名選挙では、自民党は党総裁が空席のため、党両院議員総会長(当時)の若林正俊に投票した。
- ^ 麻生は第45回衆議院議員総選挙に大敗し、野党に転落した責任を取って、首相指名選挙を前に2009年9月16日午前に総裁を辞任[10][11]。麻生が後継総裁の選出を待たずに総裁を辞任したため、総裁は同日から後継総裁に谷垣が選出された9月28日まで空席となった。9月16日午後[12]に特別国会で行われた首相指名選挙では、自民党は党総裁が空席のため、党両院議員総会長(当時)の若林正俊に投票した。
- ^ 一度退任した総裁(第21代)が再就任した唯一の例。
- ^ 所属派閥の清和政策研究会は、町村信孝の衆議院議長就任により細田博之が後任会長に就任したため、通称が細田派となる。
- ^ 大平総裁は鈴木の幹事長起用を望んだが、反主流派が鈴木は田中に近いとして反対し断念。総務会長には3度就任。
- ^ 第1次大平内閣組閣の際、蔵相の提示を受けたが幹事長を要求し就任せず。
- ^ なお、このハプニング解散によって施行された衆参同日選挙中、総理・総裁の大平が急死するという事態となり、総理としての政務は内閣官房長官であった伊東正義が内閣総理大臣臨時代理として代行し、総裁としての党務は党副総裁であった西村英一が代行した。このため、結果的に総理・総裁の権力が分離する事態が生じた。この状態は、選挙後、西村裁定によって鈴木善幸が総裁として選出されるまで続いた。
- ^ 麻生は2009年9月16日午前、同日午後に行われる首班指名に先立って総裁を辞任した。
- ^ 安倍(第21代・第25代)が2回総裁を務めたため、代数と人数は一致しない。
出典
- ^ 党則・総裁公選規程
- ^ 中野光樹 (2020年9月10日). “「総理」と「総裁」似て非なる2つのポスト【記者が解説!】”. TBS (YouTube)
- ^ a b “党則”. 自由民主党 (日本) (2017年3月5日). 2021年10月4日閲覧。
- ^ a b “自民党 総裁任期3期9年、延長決定 首相在任が21年まで可能 「改憲発議へ議論」”. 毎日新聞. (2017年3月6日) 2021年10月4日閲覧。
- ^ “安倍内閣が総辞職 連続在任最長、2822日で幕”. 日本経済新聞. (2020年9月16日) 2021年10月4日閲覧。
- ^ 自民党の歴史 自由民主党
- ^ “麻生首相、16日午前に総裁辞任”. 四国新聞社. (2009年9月8日) 2020年8月30日閲覧。
- ^ “麻生首相、16日に自民総裁辞任 首相指名選挙の直前”. asahi.com(朝日新聞社). (2009年9月8日) 2020年8月30日閲覧。
- ^ “第93代首相に鳩山由紀夫氏”. ネットアイビーニュース. (2009年9月16日) 2020年8月30日閲覧。
- ^ “麻生首相、16日午前に総裁辞任”. 四国新聞社. (2009年9月8日) 2020年8月30日閲覧。
- ^ “麻生首相、16日に自民総裁辞任 首相指名選挙の直前”. asahi.com(朝日新聞社). (2009年9月8日) 2020年8月30日閲覧。
- ^ “第93代首相に鳩山由紀夫氏”. ネットアイビーニュース. (2009年9月16日) 2020年8月30日閲覧。
- ^ 朝日新聞政治面連載「政々流転」、2013年11月10日付け「野田聖子・自民党総務会長 体験から語る女性政策」
- ^ 村上誠一郎衆院議員に聞いた次期総理候補と「Y・M・O」で構想する超党派勉強会NEWSポストセブン
- ^ 石破氏“離党歴隠し”に批判噴出「不正直」 特設サイトに新党形成の過去は不掲載 自民党総裁選zakzak
- ^ 「安倍さんが総裁選で負けていたら、菅さんは維新に入っていたはず」 元首相二人と“維新”との蜜月の原点 AERAdot.
- ^ “9年ぶり自民応接室に/海部元首相の写真”. 四国新聞社 (2003年11月17日). 2020年11月5日閲覧。
- 自由民主党総裁のページへのリンク