自由民主党の派閥 「派閥と領袖」の意義における変遷

自由民主党の派閥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/26 19:56 UTC 版)

「派閥と領袖」の意義における変遷

自由民主党内における派閥は、戦前の議会活動から保守合同に至る過程で形成された思想的・政策的・党派的・人的な利害関係により結ばれた集団を背景に、1956年12月の総裁選挙で組織された八派閥が原型とされる。特に、新安保発効と国民皆保険制度成立を下支えした岸信介内閣が総辞職し、池田勇人総裁が誕生した際には対立が鮮明になり派閥の再編が急速に進んだ。総裁の座を巡る権力闘争により離合集散は繰り返され、中選挙区制に対応できない小派閥は淘汰されてゆき、1970年代後半には五大派閥に収束した。

五大派閥に至る時代には国務大臣を経験した自由民主党内実力者が派閥領袖に就いており、総裁の座を争った。特に、三木武夫内閣下で発覚したロッキード事件では、田中角栄との三角代理戦争における影響もあり、派閥の争いは熾烈を極めた。

1980年大平正芳総裁死去を受けた後継総裁に派閥領袖でない鈴木善幸が話し合いで選出され、結党以来初となる異例事態に至り(選出後に大平派を継承し、領袖となる)、総主流派体制を敷いて五大派閥による争いの沈静化に努めることになった。また、竹下登内閣下で発覚したリクルート事件では、総裁を始め派閥領袖を含む自由民主党内実力者たちが軒並み事件に関わっていたことから、1989年に再び派閥領袖でない中曽根派宇野宗佑総裁が誕生し、宇野内閣崩壊後には河本派海部俊樹総裁が続いた。さらに、自由民主党が下野した1993年宮澤派河野洋平総裁、1995年小渕派橋本龍太郎総裁が誕生するに至り、総裁の座は派閥領袖が競うものから選挙における顔としての価値に重きが置かれるものへと変貌した。この間に参議院議員を重視した竹下登がほぼ全派閥から支持を集めるようになり、長期に亘る「経世会支配」とその後に続く「清和会支配」の実現に至った。

そして、中選挙区制から小選挙区比例代表並立制へと変わり、候補者選定過程で自由民主党本部の存在価値が高まった。このことにより総裁の座を争うための集団からポスト獲得互助組織へと派閥における存在目的の変質が見て取れるように、会長総裁分離が進行している[7][8]




注釈

  1. ^ 旧渡辺派」と「村上派」、「旧加藤派」と「小里グループ」などがこれに当たる。
  2. ^ 大平正芳の死去による「旧大平派」、渡辺美智雄の死去による「旧渡辺派」、河本敏夫の政界引退による「旧河本派」、小渕恵三の死去による「旧小渕派」、加藤紘一倒閣運動による「旧加藤派」、橋本龍太郎の派閥離脱による「旧橋本派」、亀井静香の離党による「旧亀井派」、堀内光雄の離党による「旧堀内派」などがこれに当たる。一方で、第43回衆議院選挙で落選した山崎拓は非議員のままで山崎派会長を務めたものの、この時における通称は総じて「山崎派」のままだった。

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