自由日本放送
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/18 09:16 UTC 版)
概要
サンフランシスコ講和条約発効後の1952年5月1日に開局[1]。所在地は北京市西単区[1]。
地下放送局の構想は1951年頃からあり、伊藤律が「自由日本放送」と命名し準備が進められた[1]。放送の実務はレッドパージで日本放送協会(NHK)を追放された藤井冠次が担当した。
ISは用いず、放送開始には管弦楽による「インターナショナル」のカラオケが用いられた。これはこの放送のためにモスクワで録音されたものである。また中波放送開始時には「平和を守れ」[1]を中央合唱団の歌により放送されたことがあった。
番組表
初期は20.30-21.00の30分のみであったが、中波放送開始時に時間帯を増やした。
- 05.30-06.00 ニュース・歌・解説(前日の再放送)
- 20.30-21.30 ニュース・歌・解説
- 22.00-22.30 ニュース・文芸・音楽
- 22.30-22.50 学習の時間(党活動家向放送)
- 23.30-24.00 文芸・音楽など(再放送)
略歴
参考文献
関連項目
外部リンク
- 自由日本放送(Radiofly Wiki)
- 北京機関と自由日本放送 - ウェイバックマシン(2012年12月9日アーカイブ分)(宮地健一のホームページ)
- 1 自由日本放送とは
- 2 自由日本放送の概要
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