肥後新田藩 肥後新田藩の概要

肥後新田藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/25 05:50 UTC 版)

寛文6年(1666年)、熊本藩3代藩主・細川綱利の弟・利重が熊本藩の蔵米より3万5千石を分与され立藩した。江戸鉄砲洲に住み参勤交代を行わない定府大名であった。しかし、明治維新により慶応4年(1868年)に仮藩庁を高瀬町奉行所(玉名市)に置いた。これにより、高瀬藩と改称した。明治3年(1870年)、玉名郡岩崎村(玉名市)に正規の陣屋が完成し移った。しかし、同年には熊本藩に合併し廃藩となった。

歴代肥後新田藩主

細川家

外様 3万5千石 (1666年 - 1870年)

  1. 利重
  2. 利昌
  3. 利恭
  4. 利寛
  5. 利致
  6. 利庸
  7. 利国
  8. 利愛
  9. 利用
  10. 利永

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