羽生善治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/15 17:17 UTC 版)
羽生 善治(はぶ よしはる、1970年9月27日 - )は、日本の将棋棋士である。二上達也九段門で棋士番号は175。埼玉県所沢市出身。日本将棋連盟所属で2023年6月9日付をもって日本将棋連盟会長に就任(現職)[1]。
注釈
- ^ 襲位(就位)は原則引退後(名誉王座のみ原則引退後または還暦後)。名誉NHK杯選手権者は即日就位。
- ^ のち、2017年度から叡王戦が加わり、タイトル戦は8となった。
- ^ タイトル戦の数が6つ以上になってからの「永世六冠」も羽生が初めて(タイトル戦が5つの時代には大山康晴が「永世五冠」を達成している)。名誉NHK杯選手権者の称号を得たのも羽生が史上初であり、2018年現在において唯一の保持者である。
- ^ 羽生に将棋を教えたこの同級生は小学校3年のときに山形県に引っ越し、以来、音信不通であったが、1995年にタイトル就位式で再会を果たす。(『将棋世界[4月臨時増刊号]七冠王、羽生善治。』 日本将棋連盟、1996年、171頁
- ^ 中嶋克安指導棋士は、父が病気で倒れたため奨励会を退会して家業を継ぎ、そのかたわら道場(のちの八王子将棋クラブ)を開いた。
- ^ 小学生将棋名人戦には3年生のときから参加し、2年連続1回戦負けの後、前年の5年生時はベスト8であった。
- ^ 但し、この大山の発言は両名への単なる称賛だけではなく、谷川に対しての侮蔑の意味も込められている。盤外戦を参照のこと。
- ^ a b 当時は、三段リーグの制度がなかった。
- ^ 島朗による命名。
- ^ これについて谷川浩司は「まず抽選をするわけですから」と述べた上で、「(羽生が)持って生まれた運」と表現している。(『別冊宝島380 将棋王手飛車読本 - 将棋の神に選ばれし者たちの叫びを聞け』 宝島社、1998年、16頁 ISBN 978-4796693806)。
- ^ 18連勝のうち10勝は前年度からの繰越し。連勝を止めたのは大山康晴。
- ^ 「前竜王」はタイトルに準じる称号。「棋戦 (将棋)#竜王と名人」を参照。
- ^ 同様の事例としては、棋聖位再挑戦時の「八段」を最後にタイトル称号・前名人・永世十段・十六世名人を名乗り、名人在位中に昇段した「九段」の段位を称することがなかった中原誠がいる。羽生以外の現役棋士では、2004年竜王挑戦時「六段」からの竜王獲得後、2023年の名人失冠で無冠(九段)になるまで18年半のタイトル保持を続けていた渡辺明がいる。
- ^ 第1期・第2期叡王戦では、棋戦運営の都合上、タイトル保持者もタイトル称号ではなく段位で呼称されていたため、羽生が参加した第2期では「羽生善治九段」と呼称されていた。
- ^ 森下は「もしも谷川が竜王を防衛していたとしたら、羽生は七冠どころか四冠も難しかったのではないか」とも述べている(『将棋マガジン』1996年6月号 日本将棋連盟、16頁)。
- ^ 米長は、もしもストレート負けしたら引退すると心の中で決めていたが、3連敗の後に2勝を返しさらに9年現役をつとめる(日本将棋連盟「米長邦雄の本」)。
- ^ このことを谷川は「お互いの意思がピッタリ合った」と表現している(日本将棋連盟書籍編『谷川vs羽生100番勝負-最高峰の激闘譜!』日本将棋連盟、2000年。ISBN 978-4819702102)。
- ^ 谷川は、第1局と第2局の間に阪神・淡路大震災で被災していた。谷川は後に「(逆に)もしも震災がなかったら、このとき敗れていたのかもしれない」という旨を語っている(『別冊宝島380 将棋王手飛車読本 - 将棋の神に選ばれし者たちの叫びを聞け』 宝島社、1998年、20-21頁 ISBN 978-4796693806)。
- ^ 第53期名人戦第1局の108手目、森下は悪手△8三桂(△6七飛成で王手をしながら金を取れば勝勢)を指して羽生の逆転勝ちとなった。第43期王座戦第2局の98手目、森は△6九銀からの詰み(立会人の内藤國雄曰く「1秒でわかる詰み」)を見逃して受けに回り、羽生の逆転勝ちとなった。谷川王将への挑戦権を争う王将リーグでも、森内が95手目に悪手▲9二竜(単に▲5八香として馬を取れば大優勢)を指したことによってもつれた結果、羽生の勝ちとなった(以上、「将棋マガジン」1996年3月号「さわやか流・米長邦雄のタイトル戦教室」より)。
- ^ 46勝9敗のうち、タイトル戦だけでは25勝5敗(0.833)。この年度の最終戦となった対屋敷伸之戦に勝っていれば、1967年度に中原誠の記録した歴代最高勝率(0.8545、47勝8敗)に並ぶことができていた。なお、羽生のこの記録は2011年度の中村太地の勝率(0.8511、40勝7敗)に抜かれ、現在では歴代3位となる。但し、中原、中村ともに比較的低段位者と当たることの多い若手時代の記録であるのに対して、この年度の羽生は7度ものタイトル戦を戦いながらの記録である(1967年度の中原は後期の棋聖戦のみに登場、2011年度の中村はタイトル戦登場なし)。
- ^ 羽生の全冠独占後に『将棋マガジン』(日本将棋連盟)の中で「羽生から最初にタイトルを奪取するのは誰?」というアンケートが行われ、大抵の人が谷川浩司や佐藤康光の名を挙げた中、三浦と答えたのは僅か4人であった。
- ^ 相掛かりの先手で、飛車を「浮き飛車」(2六飛)にせず「引き飛車」(2八飛)にする指し方は当時としては珍しかったため、力戦と呼ばれた。しかし、これをきっかけにプロ間で流行するようになる。
- ^ この後の村山の休場による4月の不戦勝を含めると8勝6敗。
- ^ この谷川とのプレーオフの一局は結果的に(羽生が谷川の玉を)「詰ましにいって詰まなかった」ものだったが、内容は高く評価され、第34回将棋大賞で創設されたばかりの「名局賞」を、谷川とともに受賞した。
- ^ 囲碁のタイトル戦では3連敗4連勝は、すでに何度も発生していた。
- ^ 2005年度、第53期王座戦で佐藤(康)の挑戦を退け王座戦14連覇を果たした時点で大山康晴が名人戦で樹立した同一タイトル連覇記録(1959年-1971年、名人13連覇)を抜いた。
- ^ 翌年の決勝での敗退まで、羽生は5年間をかけてこのトーナメントで24連勝している。この記録は佐藤康光評するに自身の13連勝など問題にならない(『NHK杯伝説の名勝負』p.196)、決勝戦で羽生の五連覇を阻んだ渡辺明評するに「1回負けたら終わりのトーナメントで5年で24連勝したのだから、信じられない記録です。」、「羽生さんは信じられない記録をたくさんもっているけど、その中でも一番信じられない記録といってもいいかもしれない。」(『NHK杯伝説の名勝負』p.223 より引用)とのことである。
- ^ 囲碁界では坂田栄男が名誉NHK杯選手権者の称号を獲得している。
- ^ 第2局。結果は203手で羽生勝ち[web 17]。
- ^ 第4局は51手で千日手となった[web 18]。
- ^ 第4局の千日手指し直し局[web 18]。
- ^ 決勝トーナメント優勝時は49歳だが、竜王戦七番勝負開催時は50歳。
- ^ 他の5名の棋士は土居市太郎・升田幸三・大山康晴・二上達也(羽生の師匠)・米長邦雄
- ^ 解説役で出演していた内藤國雄は、▲2四歩と指しても先手が僅かに悪いとされているだけであり、羽生ならば何かやってくるかもしれないと相手に思わせる、との旨の解説をした[要出典]。
- ^ 羽生が打った飛車を森内が3枚の銀で捕獲したと思われた直後、羽生が桂馬を動かした142手目が王手銀取り(飛車の空き王手)となり、森内が今打ったばかりの銀が桂馬で取られてしまった。そして、森内の金・銀がぼろぼろと取られていき、その金・銀で森内の玉が寄せられる形となった。
- ^ 2度クリックをしないと指し手が確定されない設定(操作ミスによる指し間違いを防ぐ設定)を対局途中から解除するつもりだったが、解除するのをうっかり忘れたままであったという。時間がぎりぎりになり、着手確認の際誤った操作をしてしまい、着手が間に合わなかったという。直後の公開された感想戦および後日の公式ウェブサイト(第2回大和証券杯ネット将棋・最強戦 渡辺明竜王対羽生善治二冠戦の時間切れ負けについての追加2(5/16) 日本将棋連盟 2008年5月16日 Archived 2008年9月14日, at the Wayback Machine.)上での発表による。
- ^ 3か月前に中井広恵もネット対局で時間切れ負けをしている。
- ^ 直後の公開された感想戦での渡辺・羽生両者の見解
- ^ 翌日、日本将棋連盟の公式ウェブサイト(同上。第2回大和証券杯ネット将棋・最強戦 渡辺明竜王対羽生善治二冠戦の時間切れ負けについての追加2(5/16) 日本将棋連盟 2008年5月16日 Archived 2008年9月14日, at the Wayback Machine.)で、対局者への注意徹底を行うこと、そして、万一同様の事態が起こった場合に指し継ぎの感想戦を行えるようなシステム(ソフトウェア)に変えることにより、ファンサービスを向上する旨が発表された。
- ^ この反則負けの3日前-2日前には名人戦で森内に勝利して2勝1敗とし、2日後は棋聖戦の挑戦者決定戦を控えている、という過密スケジュールであった。
- ^ その後は「ABEMAトーナメント」として、対局者の組み合わせが「女流戦」「団体戦」「師弟戦」の異なるバリエーションで行われ、囲碁・将棋チャンネルでもフィッシャールールを採用した「新銀河戦」「新竜星戦」(囲碁の非公式戦)の新棋戦が行われている。
- ^ 当時は、竜王戦の昇段規定であっても、1年以内に2つ昇段できない規定であったため。
- ^ 八段昇段前にタイトル3期は達成していたが、当時は、1年以内の飛び昇段ができない規定であったため。
- ^ 永世称号のうち名誉王座以外は原則として引退後に名乗ることになるが(名誉王座のみ満60歳になると現役でも名乗れる)、「名誉NHK杯選手権者」の称号はNHK杯通算10回目の優勝時に与えられる。
- ^ たとえば、朝日杯将棋オープン戦の前身の前身は全日本プロ将棋トーナメント。タイトル戦では竜王戦の前身は十段戦。
- ^ 内訳は竜王5回・名人4回・王位3回・王座2回・棋王2回・王将3回・棋聖3回。
- ^ 第31期(1972年度)の中原誠(8戦全勝)、第62期(2003年度)の森内俊之(9戦全勝)に続く記録。
- ^ 「オールスター勝ち抜き戦」は終了棋戦のため、羽生の16連勝の記録は破られないことが確定。谷川浩司と中原誠が12連勝で2位タイ。
- ^ 羽生以外には、藤井聡太が2017年度に4部門賞を独占している。
- ^ 羽生以外には、森内俊之(1991年度-63勝)、木村一基(2001年度-61勝)、藤井聡太(2017年度-61勝)が1度ずつ達成している。
- ^ 升田幸三と並ぶタイ記録
- ^ 竜王戦七番勝負登場回数でさえ9回以上の棋士は他に渡辺明のみ(2022年度竜王戦終了時点)
- ^ 竜王位奪取失敗回数(挑戦して敗退)の4回も最多
- ^ 1997年は谷川浩司、2013年は渡辺明に次いで2位。2017年は3位。
- ^ 史上8人目。
- ^ 将棋界では大山康晴十五世名人に次ぐ史上2人目。
- ^ 1996年6月の販売開始当時。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『将棋世界[4月臨時増刊号]七冠王、羽生善治。』日本将棋連盟、1996年、168-175頁 「羽生善治、生い立ちの記」(記・炬口勝弘)
- ^ 田中寅彦 『羽生善治 神様が愛した青年』ベストセラーズ、1996年 ISBN 978-4584191286
- ^ 『将棋マガジン』1996年6月号 日本将棋連盟、37頁
- ^ 『将棋世界』2007年11月号 日本将棋連盟、102頁 「加藤一二三九段、1000敗を語る」
- ^ a b c d e 『将棋世界[4月臨時増刊号]七冠王、羽生善治。』(日本将棋連盟、1996年) 68-69頁 「七冠を得た喜び」(記・羽生善治)
- ^ a b 『将棋マガジン』1996年4月号 日本将棋連盟、14-16頁
- ^ a b 羽生善治 著『才能とは続けられること(100年インタビュー)』PHP研究所。
- ^ 将棋マガジン(日本将棋連盟)1996年8月号でのインタビュー
- ^ 『日本将棋用語事典』118頁下段。
- ^ 『将棋世界』1998年5月号 日本将棋連盟、「第47回NHK杯トーナメント 四冠羽生善治vs八段村山聖 痛恨の△7六角」
- ^ 『将棋世界』2008年10月号 日本将棋連盟、68頁 「これならわかる! 最新戦法講義」
- ^ 『将棋世界』2008年3月号 日本将棋連盟、63-65頁 「進化する羽生将棋」(記・鈴木大介・勝又清和)
- ^ 『将棋世界』2006年10月号 日本将棋連盟、18-19頁
- ^ 平成10年版「将棋年鑑」(日本将棋連盟)
- ^ 『別冊宝島380 将棋王手飛車読本 - 将棋の神に選ばれし者たちの叫びを聞け』 宝島社、1998年、巻末 ISBN 978-4796693806
- ^ 『別冊宝島380 将棋王手飛車読本 - 将棋の神に選ばれし者たちの叫びを聞け』 宝島社、1998年、17頁 ISBN 978-4796693806
- ^ 『将棋世界』2007年1月号、日本将棋連盟
- ^ 『わたしの失敗 III: 著名35人の体験談』産経新聞文化部、2008年、123頁。
- ^ 『脳を活かす生活術: 希望の道具箱』(茂木健一郎著、PHP研究所、2009年)「07 涙とは自分自身を更新させる道具」
- ^ 将棋世界special vol.2『羽生善治―将棋史を塗り替えた男―』(将棋世界編集部 編)28ページなど
- ^ 羽生善治『決断力』 角川書店〈角川oneテーマ21〉、2005年、5-6頁。
- ^ 梅田望夫『シリコンバレーから将棋を観る』中央公論新社、2009年。
- ^ 『将棋世界』2006年8月号 日本将棋連盟、22頁
- ^ 加藤一二三 著『羽生善治論 「天才」とは何か』59ページなど
- ^ 『プロフェッショナル 仕事の流儀 羽生善治 棋士 直感は経験で磨く』(茂木健一郎 編集、NHK「プロフェッショナル」制作班 編 NHK出版)98ページなど
- ^ 著書『決断力』 角川書店(角川oneテーマ21)、199頁 ISBN 978-4047100084
- ^ 『先を読む頭脳』(松原仁・伊藤毅志と共著) 新潮社、2006年、147頁 ISBN 978-4103016717
- ^ 高橋美幸著『まんが羽生善治物語』くもん出版、1995年6月。ISBN=9784875769934。
- ^ a b 『NHK将棋講座テキスト』2015年6月号、6-7頁。
- ^ “棋士データベース 竜王(棋聖) 羽生善治”. 日本将棋連盟. 2018年4月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月19日閲覧。
- ^ 「羽生・井山両氏に国民栄誉賞授与 首相「感動与えた」」『朝日新聞』。2018年2月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月14日閲覧。
- ^ “新四段誕生のお知らせ *藤井聡太(史上最年少四段)・大橋貴洸”. 日本将棋連盟 (2016年9月3日). 2016年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月5日閲覧。
- ^ 玲瓏:羽生善治(棋士)データベースの年度別成績を参照。
- ^ a b “羽生竜王、最速・最年少で「800勝」”. 朝日新聞. 朝日新聞社 (2003年2月23日). 2003年4月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月2日閲覧。
- ^ “(10/15)羽生王座12連覇を達成・128手までで渡辺五段下す”. NIKKEI NET 将棋王国 (2003年10月15日). 2003年12月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月2日閲覧。
- ^ a b “羽生善治名人、1100勝を達成!|将棋ニュース|日本将棋連盟” (2010年6月2日). 2010年6月2日閲覧。
- ^ “将棋王座戦第3局、羽生王座が19連覇 自身の記録更新”. 日本経済新聞 (nikkei.com). 日本経済新聞社 (2010年9月29日). 2022年11月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月30日閲覧。
- ^ “将棋王座戦第3局 羽生王座が19連覇”. 日本経済新聞 (nikkei.com). 日本経済新聞社 (2010年9月29日). 2022年11月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月30日閲覧。
- ^ “羽生が王位奪取 タイトル獲得数、最多タイ通算80期 大山十五世名人に並ぶ”. 日本経済新聞 (nikkei.com). 日本経済新聞社 (2011年9月13日). 2022年11月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月30日閲覧。
- ^ “将棋王座戦、羽生20連覇ならず 渡辺が王座奪取”. 日本経済新聞 (nikkei.com). 日本経済新聞社 (2011年9月27日). 2022年11月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月30日閲覧。
- ^ “渡辺が王座奪取、羽生の20連覇阻む 将棋王座戦”. 日本経済新聞 (nikkei.com). 日本経済新聞社 (2011年9月27日). 2022年11月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月30日閲覧。
- ^ “羽生善治二冠、名誉NHK杯に!”. 日本将棋連盟 (2012年3月19日). 2021年3月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月6日閲覧。
- ^ “羽生、通算タイトル獲得数歴代単独1位に”. 日本将棋連盟 (2012年7月6日). 2017年12月15日閲覧。
- ^ “将棋 - 第20期 銀河戦 決勝トーナメント 決勝戦”. 囲碁・将棋チャンネルホームページ (igoshogi.net). 2022年11月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月30日閲覧。
- ^ a b c “羽生二冠、1200勝を達成!”. 日本将棋連盟 (2012年8月17日). 2017年12月15日閲覧。
- ^ “王座戦第2局、羽生勝ち1勝1敗に”. 日本経済新聞 (nikkei.com). 日本経済新聞社 (2013年9月18日). 2022年11月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月30日閲覧。
- ^ a b “王座戦第4局、羽生踏ん張り最終局へ 2勝2敗のタイ”. 日本経済新聞 (nikkei.com). 日本経済新聞社 (2013年10月9日). 2022年11月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月30日閲覧。
- ^ “羽生が王座防衛 通算21期、同一タイトルで最多”. 日本経済新聞 (nikkei.com). 日本経済新聞社 (2013年10月21日). 2022年11月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月30日閲覧。
- ^ a b “羽生名人、1300勝を達成!”. 日本将棋連盟 (2014年11月21日). 2016年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月29日閲覧。
- ^ 「名人戦:羽生、充実の指し回し…粘る行方にすき与えず」『毎日新聞』2015年5月29日。2015年6月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ 「羽生善治が竜王戦で勝利、史上初「永世七冠」に。“天才”が歩んだ足跡をたどる」『ハフポスト』2017年12月5日。2017年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月6日閲覧。
- ^ a b 「名人戦:羽生、反撃決め先勝 史上2人目の1400勝」『毎日新聞』2018年4月12日。2018年4月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月15日閲覧。
- ^ 「羽生竜王の王座戦連続出場、26年でストップ」『朝日新聞デジタル』2018年5月24日。2018年5月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年6月1日閲覧。
- ^ 「羽生竜王 タイトル獲得100期お預け 初タイトルの豊島棋聖誕生で31年ぶり「群雄割拠」時代に」『スポニチ Sponichi Annex』2018年7月17日。2018年7月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年7月17日閲覧。
- ^ 「羽生善治竜王、27年ぶりの無冠に 竜王戦第7局敗れる」『産経ニュース』2018年12月21日。2018年12月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月21日閲覧。
- ^ “羽生九段、史上最多タイ1433勝 大山十五世名人に並ぶ”. 日本経済新聞 (nikkei.com) (2019年5月23日). 2019年5月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月29日閲覧。
- ^ a b 「羽生善治九段、通算1434勝達成 歴代単独1位に」『日本将棋連盟』2019年6月4日。2019年6月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月5日閲覧。
- ^ “羽生九段、王座戦ベスト4入り 30年連続本戦の偉業”. 日本経済新聞 (nikkei.com). 日本経済新聞社 (2019年6月25日). 2022年11月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月30日閲覧。
- ^ “羽生九段 郷田九段を下し3期ぶり王将戦挑戦者決定リーグ復帰”. スポニチ Sponichi Annex 芸能. 株式会社スポーツニッポン新聞社 (2019年9月6日). 2022年11月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月30日閲覧。
- ^ “羽生九段が王将戦リーグ残留、糸谷八段は陥落”. スポニチ Sponichi Annex 芸能. 株式会社スポーツニッポン新聞社 (2019年11月15日). 2022年11月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月30日閲覧。
- ^ 松本博文 (2019年11月15日). “羽生善治九段(49)2019年度タイトル戦番勝負への登場なし 1988年度以来31年ぶり”. 個人 - Yahoo!ニュース. 2022年11月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月30日閲覧。
- ^ 「羽生善治九段「竜王戦」出場決める タイトル通算100期に挑む」 NHK、2020年9月19日。2020年9月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ “羽生九段が激しい寄せ合い制し、1勝1敗に…竜王戦第2局”. 読売新聞オンライン (yomiuri.co.jp). 読売新聞社 (2020年10月23日). 2022年11月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月30日閲覧。
- ^ “羽生善治九段、シリーズ初勝利 豊島将之竜王下しタイトル100期にあと3勝/将棋・竜王戦七番勝負”. ABEMA TIMES. ABEMA (2020年10月23日). 2022年11月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月30日閲覧。
- ^ “豊島将之竜王VS羽生善治九段 第33期竜王戦七番勝負第5局 豊島将之竜王が勝利し初防衛|将棋ニュース|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 日本将棋連盟 (2020年12月6日). 2020年12月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月7日閲覧。
- ^ “羽生善治九段退院の報告|将棋ニュース|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 日本将棋連盟 (2020年11月16日). 2020年11月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月7日閲覧。
- ^ “藤井聡太王位への挑戦権懸け 24日に豊島竜王vs羽生九段”. スポニチ Sponichi Annex 芸能. 株式会社スポーツニッポン新聞社 (2021年5月8日). 2022年11月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月30日閲覧。
- ^ “羽生九段、4勝2敗で王将リーグ残留「負けた将棋を反省して来期に繋げられたら」”. スポニチ Sponichi Annex 芸能. 株式会社スポーツニッポン新聞社 (2021年11月24日). 2022年11月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月30日閲覧。
- ^ “羽生善治九段、苦しみの2021年度が終了 年度勝率.368と初の5割切り 順位戦は30期ぶりB級1組から巻き返しへ”. ABEMA TIMES. ABEMA. 2022年4月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月29日閲覧。
- ^ 「羽生善治九段が29期連続在籍A級からの陥落決定、永瀬拓矢王座に敗れB級1組へ」『日刊スポーツ』2022年2月4日。2022年2月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月10日閲覧。
- ^ a b c “将棋ニュース 羽生善治九段が1500勝達成”. 日本将棋連盟 (2022年6月16日). 2022年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月16日閲覧。
“将棋の羽生善治九段、前人未到の1500勝 B級1組順位戦で勝利”. 朝日新聞デジタル. 朝日新聞社 (2022年6月16日). 2022年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月16日閲覧。
“羽生善治九段、前人未踏の公式戦通算1500勝達成 順位戦B級1組開幕戦で山崎隆之八段を破る”. ABEMA TIMES. ABEMA (2022年6月16日). 2022年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月16日閲覧。 - ^ “「全勝は想定していなかった」 羽生九段が藤井王将への挑戦権獲得”. 毎日新聞 (mainichi.jp). 毎日新聞社 (2022年11月22日). 2022年11月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月30日閲覧。
- ^ “藤井聡太王将が羽生善治九段を降す 4勝2敗、王将戦で初防衛”. 毎日新聞 (mainichi.jp). 毎日新聞社 (2023年3月12日). 2023年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月24日閲覧。
- ^ 玲瓏:羽生善治(棋士)データベースの戦型別対局成績によると、振り飛車の採用率は約1割である(2015年2月24日閲覧)。
- ^ 「棋士はどの駒が一番お気に入り?」『将棋情報局』2020年5月18日。2020年5月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月30日閲覧。
- ^ 伝説の棋士・阪田三吉の名言「銀が泣いている」に込められた想いとは? 日本将棋連盟(安次嶺隆幸)、2017年12月11日(2017年12月14日閲覧)。
- ^ 『ゲンダイネット』2000年7月7日掲載「話題の焦点」
- ^ NIKKEI NET将棋王国 会見プラザ 第5回 深浦康市八段
- ^ 一発ギャグ日本一は将棋・羽生名人のいとこ・羽生幸次郎 オリコン転職 2008年8月17日
- ^ 「棋士・羽生善治のお母さん ハツさん:2 高校入学、勧めたことを後悔」『朝日新聞』2008年8月。2009年4月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年3月22日閲覧。
- ^ 11 羽生棋士と種子島(2018年3月号) 西之表市役所
- ^ @yuzutapiokaのツイート(2021年5月21日)
- ^ 羽生善治 - TopCoat
- ^ 「手震える…羽生王将 猛攻かわして2勝3敗」『スポニチアネックス』2010年3月12日。2014年11月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ NIKKEI NET 将棋王国 コラムの森(1995年9月26日の日本経済新聞夕刊からの引用) 日本経済新聞社 Archived 2008年5月21日, at the Wayback Machine.
- ^ 羽生善治、第57期王座戦で山崎隆之があっさり投了した件を語る。[出典無効]
- ^ “第76期将棋名人戦七番勝負”. 朝日新聞デジタル (2018年6月21日). 2018年8月15日閲覧。
- ^ 羽生三冠「もし神様から指し直す権利をもらったら?」に対して、一手詰めを見逃して頓死した“あの対局”を振り返る | ニコニコニュース オリジナル - Part 2
- ^ 「朝日委託記者、名人戦対局中の羽生にサインおねだり」『夕刊フジ』2009年4月11日。2009年4月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年5月18日閲覧。
- ^ When a Shogi champion turns to chess chessbase.com(英語)
- ^ 「羽生二冠、チェスで仏チャンピオンと引き分け」『朝日新聞』2011年10月。2011年10月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ Chess-playing Japanese Shogi champions Chess News(英語)
- ^ 「羽生二冠、チェスで引き分け 世界トップ級と対戦」『朝日新聞』2012年4月。2012年4月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ 「30カ国140人、複雑さと格闘 チェス版「詰将棋」、神戸で世界大会」『朝日新聞』2012年10月2日。
- ^ 「同時対局:羽生王位と仏王者が将棋・チェス同時対局」『毎日新聞』2012年9月。2012年9月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ 対局中の映像 朝日新聞社(Youtube) 2012年9月17日
- ^ A Challenge for The Second IM Norm - Accomplished! - 小島慎也ブログ 2014年1月4日
- ^ FIDE Chess Profile Archived 2014年12月9日, at the Wayback Machine.
- ^ 電王戦スペシャルチェス対局 ニコニコ動画
- ^ “『AbemaTVトーナメント Inspired by 羽生善治』6月17日(日)夜8時より放送”. 日本将棋連盟 (2018年5月22日). 2018年6月1日閲覧。
- ^ 「「正面からぶつかる姿勢貫けた」羽生名人、一問一答」『朝日新聞』2010年5月20日。2011年5月20日閲覧。
- ^ a b 羽生善治三冠の髪の寝癖、勝敗と関係がある? 日経BP社 2014年5月19日
- ^ a b 髪の寝癖を直すのに要する時間(羽生名人編) 将棋ペンクラブログ 2011年4月21日
- ^ 2013年10月8日五番勝負 第4局 羽生善治王座 対 中村太地六段|第61期王座戦 日本将棋連盟王座戦中継サイト
- ^ 八王子観光協会 Archived 2010年12月5日, at the Wayback Machine.
- ^ “将棋・羽生善治竜王が「弟子」をとらない理由”. 東洋経済ONLINE (2018年9月15日). 2018年9月29日閲覧。
- ^ a b “羽生善治二冠が公式戦通算1000勝(特別将棋栄誉賞)を達成|将棋ニュース|日本将棋連盟” (2007年12月20日). 2007年12月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月15日閲覧。
- ^ “将棋 羽生二冠 通算1400勝を達成 史上2人目”. NHK NEWS WEB. NHK (2018年4月12日). 2018年4月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月2日閲覧。
- ^ ハフポスト、「通算1400勝の偉業、史上最年少で達成。それでも羽生竜王「これを励みに前に」」2018年04月13日
- ^ 第36回「将棋の日」表彰・感謝の式典の模様|将棋ニュース|日本将棋連盟
- ^ 羽生善治将棋で鍛える「決断力」DS アイデス
- ^ i羽生将棋 〜初心者、初級者向け将棋総合アプリ〜
- ^ i羽生将棋 アイデス
- ^ 初心者向け良アプリ 「羽生善治の将棋のお手本」
- ^ 羽生善治 プロフェッショナル 仕事の流儀 番組公式サイト
固有名詞の分類
- 羽生善治のページへのリンク