羽生善治 パーソナルデータ

羽生善治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/15 17:17 UTC 版)

羽生 善治(はぶ よしはる、1970年9月27日 - )は、日本の将棋棋士である。二上達也九段門で棋士番号は175。埼玉県所沢市出身。日本将棋連盟所属で2023年6月9日付をもって日本将棋連盟会長に就任(現職)[1]


注釈

  1. ^ 襲位(就位)は原則引退後(名誉王座のみ原則引退後または還暦後)。名誉NHK杯選手権者は即日就位。
  2. ^ のち、2017年度から叡王戦が加わり、タイトル戦は8となった。
  3. ^ タイトル戦の数が6つ以上になってからの「永世六冠」も羽生が初めて(タイトル戦が5つの時代には大山康晴が「永世五冠」を達成している)。名誉NHK杯選手権者の称号を得たのも羽生が史上初であり、2018年現在において唯一の保持者である。
  4. ^ 羽生に将棋を教えたこの同級生は小学校3年のときに山形県に引っ越し、以来、音信不通であったが、1995年にタイトル就位式で再会を果たす。(『将棋世界[4月臨時増刊号]七冠王、羽生善治。』 日本将棋連盟、1996年、171頁
  5. ^ 中嶋克安指導棋士は、父が病気で倒れたため奨励会を退会して家業を継ぎ、そのかたわら道場(のちの八王子将棋クラブ)を開いた。
  6. ^ 小学生将棋名人戦には3年生のときから参加し、2年連続1回戦負けの後、前年の5年生時はベスト8であった。
  7. ^ 但し、この大山の発言は両名への単なる称賛だけではなく、谷川に対しての侮蔑の意味も込められている。盤外戦を参照のこと。
  8. ^ a b 当時は、三段リーグの制度がなかった。
  9. ^ 島朗による命名。
  10. ^ これについて谷川浩司は「まず抽選をするわけですから」と述べた上で、「(羽生が)持って生まれた運」と表現している。(『別冊宝島380 将棋王手飛車読本 - 将棋の神に選ばれし者たちの叫びを聞け』 宝島社、1998年、16頁 ISBN 978-4796693806)。
  11. ^ 18連勝のうち10勝は前年度からの繰越し。連勝を止めたのは大山康晴。
  12. ^ 「前竜王」はタイトルに準じる称号。「棋戦 (将棋)#竜王と名人」を参照。
  13. ^ 同様の事例としては、棋聖位再挑戦時の「八段」を最後にタイトル称号・前名人・永世十段・十六世名人を名乗り、名人在位中に昇段した「九段」の段位を称することがなかった中原誠がいる。羽生以外の現役棋士では、2004年竜王挑戦時「六段」からの竜王獲得後、2023年の名人失冠で無冠(九段)になるまで18年半のタイトル保持を続けていた渡辺明がいる。
  14. ^ 第1期・第2期叡王戦では、棋戦運営の都合上、タイトル保持者もタイトル称号ではなく段位で呼称されていたため、羽生が参加した第2期では「羽生善治九段」と呼称されていた。
  15. ^ 森下は「もしも谷川が竜王を防衛していたとしたら、羽生は七冠どころか四冠も難しかったのではないか」とも述べている(『将棋マガジン』1996年6月号 日本将棋連盟、16頁)。
  16. ^ 米長は、もしもストレート負けしたら引退すると心の中で決めていたが、3連敗の後に2勝を返しさらに9年現役をつとめる(日本将棋連盟「米長邦雄の本」)。
  17. ^ このことを谷川は「お互いの意思がピッタリ合った」と表現している(日本将棋連盟書籍編『谷川vs羽生100番勝負-最高峰の激闘譜!』日本将棋連盟、2000年。ISBN 978-4819702102)。
  18. ^ 谷川は、第1局と第2局の間に阪神・淡路大震災で被災していた。谷川は後に「(逆に)もしも震災がなかったら、このとき敗れていたのかもしれない」という旨を語っている(『別冊宝島380 将棋王手飛車読本 - 将棋の神に選ばれし者たちの叫びを聞け』 宝島社、1998年、20-21頁 ISBN 978-4796693806)。
  19. ^ 第53期名人戦第1局の108手目、森下は悪手△8三桂(△6七飛成で王手をしながら金を取れば勝勢)を指して羽生の逆転勝ちとなった。第43期王座戦第2局の98手目、森は△6九銀からの詰み(立会人の内藤國雄曰く「1秒でわかる詰み」)を見逃して受けに回り、羽生の逆転勝ちとなった。谷川王将への挑戦権を争う王将リーグでも、森内が95手目に悪手▲9二竜(単に▲5八香として馬を取れば大優勢)を指したことによってもつれた結果、羽生の勝ちとなった(以上、「将棋マガジン」1996年3月号「さわやか流・米長邦雄のタイトル戦教室」より)。
  20. ^ 46勝9敗のうち、タイトル戦だけでは25勝5敗(0.833)。この年度の最終戦となった対屋敷伸之戦に勝っていれば、1967年度に中原誠の記録した歴代最高勝率(0.8545、47勝8敗)に並ぶことができていた。なお、羽生のこの記録は2011年度の中村太地の勝率(0.8511、40勝7敗)に抜かれ、現在では歴代3位となる。但し、中原、中村ともに比較的低段位者と当たることの多い若手時代の記録であるのに対して、この年度の羽生は7度ものタイトル戦を戦いながらの記録である(1967年度の中原は後期の棋聖戦のみに登場、2011年度の中村はタイトル戦登場なし)。
  21. ^ 羽生の全冠独占後に『将棋マガジン』(日本将棋連盟)の中で「羽生から最初にタイトルを奪取するのは誰?」というアンケートが行われ、大抵の人が谷川浩司や佐藤康光の名を挙げた中、三浦と答えたのは僅か4人であった。
  22. ^ 相掛かりの先手で、飛車を「浮き飛車」(2六飛)にせず「引き飛車」(2八飛)にする指し方は当時としては珍しかったため、力戦と呼ばれた。しかし、これをきっかけにプロ間で流行するようになる。
  23. ^ この後の村山の休場による4月の不戦勝を含めると8勝6敗。
  24. ^ この谷川とのプレーオフの一局は結果的に(羽生が谷川の玉を)「詰ましにいって詰まなかった」ものだったが、内容は高く評価され、第34回将棋大賞で創設されたばかりの「名局賞」を、谷川とともに受賞した。
  25. ^ 囲碁のタイトル戦では3連敗4連勝は、すでに何度も発生していた。
  26. ^ 2005年度、第53期王座戦で佐藤(康)の挑戦を退け王座戦14連覇を果たした時点で大山康晴が名人戦で樹立した同一タイトル連覇記録(1959年-1971年、名人13連覇)を抜いた。
  27. ^ 翌年の決勝での敗退まで、羽生は5年間をかけてこのトーナメントで24連勝している。この記録は佐藤康光評するに自身の13連勝など問題にならない(『NHK杯伝説の名勝負』p.196)、決勝戦で羽生の五連覇を阻んだ渡辺明評するに「1回負けたら終わりのトーナメントで5年で24連勝したのだから、信じられない記録です。」、「羽生さんは信じられない記録をたくさんもっているけど、その中でも一番信じられない記録といってもいいかもしれない。」(『NHK杯伝説の名勝負』p.223 より引用)とのことである。
  28. ^ 囲碁界では坂田栄男が名誉NHK杯選手権者の称号を獲得している。
  29. ^ 第2局。結果は203手で羽生勝ち[web 17]
  30. ^ 第4局は51手で千日手となった[web 18]
  31. ^ 第4局の千日手指し直し局[web 18]
  32. ^ 決勝トーナメント優勝時は49歳だが、竜王戦七番勝負開催時は50歳。
  33. ^ 他の5名の棋士は土居市太郎升田幸三・大山康晴・二上達也(羽生の師匠)・米長邦雄
  34. ^ 解説役で出演していた内藤國雄は、▲2四歩と指しても先手が僅かに悪いとされているだけであり、羽生ならば何かやってくるかもしれないと相手に思わせる、との旨の解説をした[要出典]
  35. ^ 羽生が打った飛車を森内が3枚の銀で捕獲したと思われた直後、羽生が桂馬を動かした142手目が王手銀取り(飛車の空き王手)となり、森内が今打ったばかりの銀が桂馬で取られてしまった。そして、森内の金・銀がぼろぼろと取られていき、その金・銀で森内の玉が寄せられる形となった。
  36. ^ 2度クリックをしないと指し手が確定されない設定(操作ミスによる指し間違いを防ぐ設定)を対局途中から解除するつもりだったが、解除するのをうっかり忘れたままであったという。時間がぎりぎりになり、着手確認の際誤った操作をしてしまい、着手が間に合わなかったという。直後の公開された感想戦および後日の公式ウェブサイト(第2回大和証券杯ネット将棋・最強戦 渡辺明竜王対羽生善治二冠戦の時間切れ負けについての追加2(5/16) 日本将棋連盟 2008年5月16日 Archived 2008年9月14日, at the Wayback Machine.)上での発表による。
  37. ^ 3か月前に中井広恵もネット対局で時間切れ負けをしている。
  38. ^ 直後の公開された感想戦での渡辺・羽生両者の見解
  39. ^ 翌日、日本将棋連盟の公式ウェブサイト(同上。第2回大和証券杯ネット将棋・最強戦 渡辺明竜王対羽生善治二冠戦の時間切れ負けについての追加2(5/16) 日本将棋連盟 2008年5月16日 Archived 2008年9月14日, at the Wayback Machine.)で、対局者への注意徹底を行うこと、そして、万一同様の事態が起こった場合に指し継ぎの感想戦を行えるようなシステム(ソフトウェア)に変えることにより、ファンサービスを向上する旨が発表された。
  40. ^ この反則負けの3日前-2日前には名人戦で森内に勝利して2勝1敗とし、2日後は棋聖戦の挑戦者決定戦を控えている、という過密スケジュールであった。
  41. ^ その後は「ABEMAトーナメント」として、対局者の組み合わせが「女流戦」「団体戦」「師弟戦」の異なるバリエーションで行われ、囲碁・将棋チャンネルでもフィッシャールールを採用した「新銀河戦」「新竜星戦」(囲碁の非公式戦)の新棋戦が行われている。
  42. ^ 当時は、竜王戦の昇段規定であっても、1年以内に2つ昇段できない規定であったため。
  43. ^ 八段昇段前にタイトル3期は達成していたが、当時は、1年以内の飛び昇段ができない規定であったため。
  44. ^ 永世称号のうち名誉王座以外は原則として引退後に名乗ることになるが(名誉王座のみ満60歳になると現役でも名乗れる)、「名誉NHK杯選手権者」の称号はNHK杯通算10回目の優勝時に与えられる。
  45. ^ たとえば、朝日杯将棋オープン戦の前身の前身は全日本プロ将棋トーナメント。タイトル戦では竜王戦の前身は十段戦
  46. ^ 内訳は竜王5回・名人4回・王位3回・王座2回・棋王2回・王将3回・棋聖3回。
  47. ^ 第31期(1972年度)の中原誠(8戦全勝)、第62期(2003年度)の森内俊之(9戦全勝)に続く記録。
  48. ^ 「オールスター勝ち抜き戦」は終了棋戦のため、羽生の16連勝の記録は破られないことが確定。谷川浩司と中原誠が12連勝で2位タイ。
  49. ^ 羽生以外には、藤井聡太が2017年度に4部門賞を独占している。
  50. ^ 羽生以外には、森内俊之(1991年度-63勝)、木村一基(2001年度-61勝)、藤井聡太(2017年度-61勝)が1度ずつ達成している。
  51. ^ 升田幸三と並ぶタイ記録
  52. ^ 竜王戦七番勝負登場回数でさえ9回以上の棋士は他に渡辺明のみ(2022年度竜王戦終了時点)
  53. ^ 竜王位奪取失敗回数(挑戦して敗退)の4回も最多
  54. ^ 1997年は谷川浩司、2013年は渡辺明に次いで2位。2017年は3位。
  55. ^ 史上8人目。
  56. ^ 将棋界では大山康晴十五世名人に次ぐ史上2人目。
  57. ^ 1996年6月の販売開始当時。

出典

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  3. ^ 将棋マガジン』1996年6月号 日本将棋連盟、37頁
  4. ^ 『将棋世界』2007年11月号 日本将棋連盟、102頁 「加藤一二三九段、1000敗を語る」
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  9. ^ 『日本将棋用語事典』118頁下段。
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  11. ^ 『将棋世界』2008年10月号 日本将棋連盟、68頁 「これならわかる! 最新戦法講義」
  12. ^ 『将棋世界』2008年3月号 日本将棋連盟、63-65頁 「進化する羽生将棋」(記・鈴木大介勝又清和
  13. ^ 『将棋世界』2006年10月号 日本将棋連盟、18-19頁
  14. ^ 平成10年版「将棋年鑑」(日本将棋連盟)
  15. ^ 『別冊宝島380 将棋王手飛車読本 - 将棋の神に選ばれし者たちの叫びを聞け』 宝島社、1998年、巻末 ISBN 978-4796693806
  16. ^ 『別冊宝島380 将棋王手飛車読本 - 将棋の神に選ばれし者たちの叫びを聞け』 宝島社、1998年、17頁 ISBN 978-4796693806
  17. ^ 『将棋世界』2007年1月号、日本将棋連盟
  18. ^ 『わたしの失敗 III: 著名35人の体験談』産経新聞文化部、2008年、123頁。
  19. ^ 『脳を活かす生活術: 希望の道具箱』(茂木健一郎著、PHP研究所2009年)「07 涙とは自分自身を更新させる道具」
  20. ^ 将棋世界special vol.2『羽生善治―将棋史を塗り替えた男―』(将棋世界編集部 編)28ページなど
  21. ^ 羽生善治『決断力』 角川書店〈角川oneテーマ21〉、2005年、5-6頁。
  22. ^ 梅田望夫『シリコンバレーから将棋を観る』中央公論新社、2009年。
  23. ^ 『将棋世界』2006年8月号 日本将棋連盟、22頁
  24. ^ 加藤一二三 著『羽生善治論 「天才」とは何か』59ページなど
  25. ^ 『プロフェッショナル 仕事の流儀 羽生善治 棋士 直感は経験で磨く』(茂木健一郎 編集、NHK「プロフェッショナル」制作班 編 NHK出版)98ページなど
  26. ^ 著書『決断力』 角川書店(角川oneテーマ21)、199頁 ISBN 978-4047100084
  27. ^ 『先を読む頭脳』(松原仁・伊藤毅志と共著) 新潮社、2006年、147頁 ISBN 978-4103016717
  28. ^ 高橋美幸著『まんが羽生善治物語』くもん出版、1995年6月。ISBN=9784875769934。
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