総統とは? わかりやすく解説

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総統

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/04 10:08 UTC 版)

総統(そうとう、英語: führer, fuhrerドイツ語: Führer中国語: 元首)とは、「全体をすべくくること」[1]国政軍事全体を統括すること[2]、またはその統括者[2]、最高指導者(the Supreme Leader)[2]、最高主権責任者(Chief Sovereign Officer)[3]。特にナチ哲学決断主義などの全体主義的体制において、総統または指導者は、強い精神力を持ち唯一神に似た立場として国家の運命を決定するとされており、その典型例は指導者原理とされる[4][5]


  1. ^ 日本国語大辞典』第12巻。このほか、『大漢和辞典』巻8には「全体のことがらをすべ纏める」とある。「総統」の語の出典は、『漢書』百官公卿表の「太師、太傅、太保、是爲三公。蓋參天子、坐而議政、無不總統」から。
  2. ^ a b c 松村 2022, p. 「総統」.
  3. ^ 小豆畑 2022, p. 「総統」.
  4. ^ ブルマ & マルガリート 2006, p. 150.
  5. ^ 第三帝国」とはそもそも哲学上・キリスト教神学上の概念であり、物質的世界精神的世界とを統一した「理想的な人間社会」を指す(『日本大百科全書』「第三帝国」)。ヒトラーは第三帝国という名称を多用した(『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』「第三帝国」』)。
  6. ^ a b 南利明 2002, p. 20-21.
  7. ^ 南利明 2002, p. 21.
  8. ^ 直接的な国家元首就任はドイツ国および国民の国家元首に関する法律ドイツ語版によるものであるが、ヒトラーはライヒ新構成法ドイツ語版に基づいて全権を掌握したとしている(南利明 2002, p. 21-22)。ただし総統の権限を示した法律は最後まで成立しなかった。
  9. ^ 南利明 & 2003-10, p. 69-70.
  10. ^ ドイツ国首相としての給与。(Hitler zahlte keine Einkommensteuer - WELT”. ディ・ヴェルト (2004年12月17日). 2021年10月9日閲覧。
  11. ^ 村瀬、p.208
  12. ^ a b c 1942年1月3日から4日のヒトラー談話。(ヒトラーのテーブル・トーク 上 1994, pp. 255)
  13. ^ ライヒ首相、ドイツ国宰相などの訳もある
  14. ^ a b 南利明 2003, p. 4.
  15. ^ 南利明 2003, p. 5.
  16. ^ 南利明 2003, p. 19-20.
  17. ^ a b 南利明 2003, p. 22.
  18. ^ a b c d e f 南利明 2003, p. 21.
  19. ^ a b 南利明 2002, p. 161.
  20. ^ 南利明 2002, p. 161-162.
  21. ^ 1933年7月14日に制定された「民族投票法」による。議会や国民の一定数の支持があれば行えたヴァイマル共和政時代の国民投票とは異なり、投票の発議権は政府のみに存在していた。また民族投票は決定を行う手段ではなく、政府が行った決定を承認する性格しか持たなかった(南利明 & 指導者-国家-憲法体制における立法(一), pp. 82–83)
  22. ^ a b c 「独大統領兼摂を民意に問う 大阪朝日新聞 1934.8.4(昭和9)」 - 神戸大学附属図書館 デジタルアーカイブ
  23. ^ 南利明 2003, p. 22-24.
  24. ^ 間崎万里 1939, pp. 201.
  25. ^ 南利明 2002, p. 23.
  26. ^ a b 南利明 2002, p. 134.
  27. ^ 南利明 2002, p. 134-140.
  28. ^ 南利明 2002, p. 167.
  29. ^ 南利明 2002, p. 172.
  30. ^ 南利明 2003, p. 7-8.
  31. ^ 南利明 2003, p. 12-13.
  32. ^ 南利明 2004, p. 240-241.
  33. ^ ヒトラーは1941年12月19日より陸軍総司令官を兼務していた。
  34. ^ 政治犯に特赦令を発布 : なかなか味をやるヒトラー首相1934年(昭和9年)8月11日大阪時事新報
  35. ^ 昭和9年(1934年)12月外事警察報第149号
  36. ^ 1945年(昭和20年)5月6日付読売新聞(JACAR(アジア歴史資料センター)、Ref.B04013495500、第5~6、31画像目)を参照。
  37. ^ 『日本外交文書』特集「太平洋戦争」(全3冊) - 外務省
  38. ^ ジョン・トーランド著、永井淳訳 『アドルフ・ヒトラー』(集英社文庫)全4巻
  39. ^ 10.11.6 独逸国総統兼宰相旗等に関する件&SUM_KIND=SimpleSummary&IS_KIND=detail&IS_SCH=META&IS_STYLE=default&IS_START=1&IS_EXTSCH=&DEF_XSL=default&IS_SORT_KND=ASC&IS_SORT_FLD=&IS_TAG_S1=InD&IS_LYD_DIV=&LIST_VIEW=&ON_LYD=on C05034087200」 アジア歴史資料センター Ref.第4672号 10.11.6 独逸国総統兼宰相旗等に関する件 
  40. ^ 児島襄『第二次世界大戦 ヒトラーの戦い』
  41. ^ 阿部正昭、「ヒトラー政府初期の雇用創出計画(失業対策)について」『経済志林』 2002年 69巻 4号 p.323-351, 法政大学経済学部学会
  42. ^ 平井正 1991, pp. 251.
  43. ^ 三石善吉トット・アウトバーン・ヒトラー:アウトバーン物語
  44. ^ 荒川昭「新社会資本とケインズ理論 : チャーチルとヒトラーそれぞれの経済政策との対比(平本巌教授追悼号)」『経営研究』第13巻第1号、三田史学会、1999年、57-66頁、NAID 110006609346 
  45. ^ 世界大百科事典 第2版』(平凡社)ヒトラーの項
  46. ^ 高柳光壽竹内理三編『角川日本史小辞典』第2版(角川書店)1974年。
  47. ^ 河野穣「イタリア自動車産業(ファシズム下)における労使関係の展開(4)」『中央学院大学論叢. 商経関係』20(2)、中央学院大学、1985年、45-67頁、NAID 110001050519 、58p
  48. ^ Quartermaine, L. (2000). Mussolini's Last Republic: Propaganda and Politics in the Italian Social Republic. p. 21
  49. ^ 西班牙再び平和を提唱」 アジア歴史資料センター Ref.A03025334900 
  50. ^ 外交史料館 特別展示「日本とスペイン―外交史料に見る交流史―」VI 外交関係の再開 - 1953年6月22日にマドリードで行われた皇太子明仁親王のスピーチ原稿では「フランコ総統」と記載されている
  51. ^ 色摩力夫『フランコ スペイン現代史の迷路』中央公論新社、2000年。
  52. ^ ルーマニア語の conducător [kondukə'tor] 「コンドゥカトル」はヒトラーのFührerやムッソリーニのduceという称号に倣って導入された。
  53. ^ ハンガリー語の nemzetvezető [ˈnemzɛtˌvɛzetøː]「ネムゼトヴェゼテー」はヒトラーの Führer やムッソリーニの duce という称号に倣って造語された。





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