紀伊佐野駅
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紀伊佐野駅* | |
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駅舎(2005年4月) | |
きいさの Kii-Sano | |
◄三輪崎 (1.7 km) (2.1 km) 宇久井► | |
所在地 | 和歌山県新宮市佐野三丁目9-2 |
所属事業者 | 西日本旅客鉄道(JR西日本) |
所属路線 | W 紀勢本線(きのくに線) |
キロ程 |
186.6 km(亀山起点) 新宮から6.4 km |
電報略号 | キサ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
229人/日(降車客含まず) -2019年- |
開業年月日 | 1913年(大正2年)3月1日[1] |
備考 | 無人駅(自動券売機 有) |
歴史
- 1913年(大正2年)
- 1934年(昭和9年)7月1日:新宮鉄道の国有化により、紀勢中線の駅となる[1]。同時に秋津野駅に改称。
- 1940年(昭和15年)8月8日:路線改称により紀勢西線所属となる[1]。
- 1942年(昭和17年)4月1日:紀伊佐野駅に改称[3]。
- 1945年(昭和20年)8月:巴川製紙所新宮工場が操業開始。この頃、当駅から工場までの専用線が運用開始。
- 1959年(昭和34年)7月15日:再度の路線改称により紀勢本線所属となる[1]。
- 1986年(昭和61年)11月1日:旅客の職員配置を廃止(旅客の面では無人駅に)[4]。駅員は貨物の職員のみとなる。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、西日本旅客鉄道(JR西日本)と日本貨物鉄道(JR貨物)が継承[1]。
- 1994年(平成6年)9月28日:専用線においてコンテナ貨物の取扱を開始[3]
- 1995年(平成7年)9月30日:巴川製紙所新宮工場の閉鎖により貨物列車の発着が廃止される[5][6]。翌1996年(平成8年)3月16日のダイヤ改正により設定も廃止[3]。
- 2008年(平成20年)4月1日:JR貨物の駅が廃止され、貨物取扱が正式に終了。
- 2021年(令和3年)3月13日:ICカード「ICOCA」の利用が可能となる[7]。
駅構造
島式ホーム1面2線を有し、交換設備を備えた地上駅。駅舎は線路東側にあり、ホームへは遮断機・警報機付構内踏切で連絡している。ホームは狭い。
木造駅舎が残る。駅舎の外壁には駅近くにある和歌山県立新宮商業高等学校(現・和歌山県立新翔高等学校)の美術部により、派手な壁画が描かれていたが、白くされている。駅舎の内部には待合所が二部屋あり、大きい方は内壁が水色のペンキで塗り潰されており、出札口も上に板を被せた状態で、そのままペンキで塗り固められてしまっている。小さい方は大きい待合室の角に出入口があり、内部は狭い中に机や椅子が多く置かれている。
新宮駅管理の無人駅。改札口近くに自動券売機が一台設置されており、近距離の乗車券を買うことが出来る。2021年3月13日よりICOCAが利用可能になる。トイレが外にある。
のりば
のりば | 路線 | 行先 |
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1 | W きのくに線 | 紀伊勝浦・紀伊田辺・和歌山方面 |
2 | 新宮方面 |
- 上表の路線名は旅客案内上の名称(愛称)で表記している。なお、駅舎側が1番のりばである。
- ^ a b c d e 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 25号 紀勢本線・参宮線・名松線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年1月10日、18-21頁。
- ^ 「軽便鉄道停留場設置」『官報』1913年4月26日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ a b c d 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、375頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 「通報 ●飯田線三河川合駅ほか186駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報号外』日本国有鉄道総裁室文書課、1986年10月30日、12面。
- ^ 『鉄道ダイヤ情報』1995年11月号(No.139) 弘済出版社、p.29
- ^ 『トワイライトゾーン・マニュアル9』 ネコ・パブリッシング、2000年、p.56
- ^ 『2021年春ダイヤ改正について』(PDF)(プレスリリース)西日本旅客鉄道和歌山支社、2020年12月18日。 オリジナルの2020年12月18日時点におけるアーカイブ 。2020年12月22日閲覧。
- ^ 『和歌山県統計年鑑』及び『和歌山県公共交通機関等資料集』
固有名詞の分類
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