米 歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/19 09:39 UTC 版)

歴史

稲は、原産地の中国中南部から北部、南アジアに、そして日本へと伝わった。などの他の穀物に比べて栄養価が高く、ほぼ完全食であり、大量に収穫できることから、アジアの人口増大を支える原動力となった。

日本

葛飾北斎の『富嶽三十六景』に描かれる米の仲買人
葛飾北斎の『富嶽三十六景』に描かれる水車の流れ水で米を研ぐ農夫

稲作は日本においては、縄文時代中期から行われ始めた。これはプラント・オパールや、炭化したや米、縄文土器に残る痕跡などから分かる。大々的に水稲栽培が行われ始めたのは、縄文時代晩期から弥生時代早期にかけてで、各地に水田の遺構が存在する。

弥生期では一粒当たりから生産できる量は400粒ほどだったが(それでもが一粒当たり150 - 170粒の生産量であることを考えれば、高い生産量といえる)、品種改良や水田開発が進んだ現在では一粒当たり2千粒(約5倍)まで生産量が上がっている[22]

米は、食料として重要である一方で、比較的長期に保存ができるという特徴から、マダガスカルメリナ人タイにおけるサクディナー制など、米食文化においては経済的に特殊な意味を持ち、これは日本でも同様であった。

長らく租税・あるいは年貢)として、また、石高制に代表されるように、ある地域の領主や、あるいは単に家の勢力を示す指標としても使われた。貨幣経済が発達すると、それとの調和を図るべく、札差業が発達、米切手の発生や堂島米会所に代表される近代的商品取引システムの生成が見られ、江戸時代には政治経済の中心に米が置かれていた。そのため日本人の米に対する思い入れは強く、米は最も重要な食べ物とされ、主食とされてきた。天皇が新米を含む五穀を神に捧げて収穫に感謝する新嘗祭のように、神道など信仰や民俗・文化とも深い関りを持つ(#文化で詳述)。

しかし、階級や貧富、地域などによって大きな違いがあり、戦後高度経済成長以前は雑穀などを実際の主食にしていた人たちも多く、関東地方の畑作地帯などでは麦が7割から8割の飯を常食としていた[23]。現在は住宅地になっている東京杉並区では大正時代から少しずつ野菜の栽培が増加し、都市近郊の野菜栽培農家に転換したが、それ以前はなどの穀物を栽培し、日常食は稗と麦で米は少し入れるだけだった[24]。その一方、明治の初め秋田県権令島義勇の政府への報告書のなかに、「県民は山間僻地でも白米を食している……」とあり、藩政時代から白米の飯を食べている地域もあった。秋田は日本有数の穀倉地帯であり、雑穀の生産が少ないこともあって、農民に雑穀を食べるよう強要した他の地域とは違い、為政者の締め付けが然程ではなかったことにもよる[24]。隣の宮城県も藩政時代から穀倉地帯であったが、戦前には関兵精麦が米穀餌料の卸や精麦で多額の利益を得ているなど、麦の需要が多かった地域でもある。これは仙台藩が米を江戸への輸出用として扱っていた名残とされる。なお戦後も麦の需要減少は緩やかであったため、関兵精麦は余力を残したまま不動産業への転換に成功している。越後長岡藩武士によるとされる『粒々辛苦録』文化2年(1805年)は、農民のきわめて厳しい食生活を描いている。これに対し、同じ越後長岡藩の庄屋大平家『農家年中行事記』天保6年(1835年)には、しばしば行事が催され食物や酒がふるまわれ、小作人を含めて自由に食を楽しんでいた様子が窺え、為政者による記述とは異なり農民側からの記述には悲惨さが感じられない。

このように、最近、各地域に残された家文書の研究が進み、厳しい制限の下に雑穀を中心とした食生活を強いられた貧しい農民像が必ずしも実態を示すものではないことが分かってきた[25]。戦後の学校教育などにより「近世の百姓は米を作りながら米を食べられなかった」という「哀れむべき農民像」が半ば常識となっていることについては、これは為政者側が望んだ農民像であり、実際の農民側の記録を分析したところ近世の農民は、1日に4合程度の米を麦飯あるいは雑穀などとかて飯雑炊にした食事を日常的に摂っていたという。必要な栄養を摂取することによりそれなりの食糧生産ができるわけで、それがかて飯や雑炊であったにしろ食べずに米を作っていた筈はないのである[26]

戦前は米も通常の物資と同じく市場経済に基づき取引されており、相場商品・投機の対象として流通に不安を来すこともあり、しばしば社会問題となった(米騒動、特に1918年米騒動参照)。太平洋戦争開戦に向けての戦時体制整備の一環として、1939年(昭和14年)4月に米穀配給統制法が交付され、米の流通が政府により管理されるようになった。なお、同年9月には戦時の物資不足に鑑み興亜奉公日が設定され、日の丸弁当が奨励されたものの白米は禁止されず、この時点ではまだ米不足は酷くはなかった。だが12月には厳しさを増し米穀搗精等制限令が出され、七分搗き以上の白米を流通に付すことは禁止、1940年(昭和15年)の正月お餅すら白米は許されなかった。米不足は深刻となり、この年から中国や東南アジアからの輸入米(いわゆる外米)を国産米に混ぜて販売することが義務付けられた。

1940年6月1日以降は、米を筆頭に生活必需品10品目について配給切符制が導入[27]。更に、日米開戦の2ヶ月後の1942年(昭和17年)2月には食糧管理法が制定され食糧管理制度が確立、米の流通は完全に政府が掌握するようになった[28]。米だけでなく、魚介類や野菜・果物配給制になり、国民の栄養状態は極度に悪化していった。こうした食糧難に対して、江戸時代のかてものの研究に帰って、食用野草昆虫食など非常食の工夫が盛んに試みられた[29]。一方米食の習慣がなかった地域や家庭では、配給制になったことで米を食べる機会を得て、そのことが戦後の食生活の変革の一因となったとする指摘もある[28]

1945年(昭和20年)に第二次世界大戦は終結。戦後の食糧難は深刻を極めたが、米は引き続き食糧管理法による政府の固定価格での買い上げだったため闇米が横行、闇米を拒否した東京地裁判事山口良忠餓死するという事件も起きている[29]。米の生産拡大のための基盤整備事業が国内各地で行われ、肥料の投入や農業機械の導入などによる生産技術の向上から生産量が増加したものの、少なくとも昭和30年代(1955年-1964年)までは、大半の日本人が米飯を常食とすることはできなかった[23]。そのような中で、ガリオアエロアの資金援助でメリケン粉が大量に輸入され、アメリカの小麦戦略により、学校給食はメリケン粉を使ったパンが供され、1952年(昭和27年)には栄養改善法が施行され慶應義塾大学医学部教授の林髞の著した『頭脳』(光文社、1958年)が評判となり、「米を食うと馬鹿になる」という説が流布され、頭脳パンなるものが出現するなどし、日本人の食事の欧風化が進行した[30]

米食悲願民族[31][32]といわれる日本人にとって、米を実際の主食とすることは有史以来の宿願であったが、昭和40年代(1965年-1974年)初頭には、ようやく米の自給が実現でき名実ともに主食となった。しかし、その時既にアメリカの小麦戦略は見事に成功をおさめ[30]、学校のパン給食や厚生省が始めた栄養改善運動も手伝って、日本人の食事の欧風化が進行し、米離れに拍車がかかっていた[29]。このため全国で米余り現象が起き、食糧管理法下におけるコメ政策は見直しを余儀なくされるようになり、1970年(昭和45年)以降は減反政策といわれる生産調整政策(新規の開田禁止、政府米買入限度の設定、転作奨励金の設定など)がとられた。その結果、水稲の作付け面積は 1969年(昭和44年)の 317万ヘクタールをピークに、1975年(昭和50年)には 272万ヘクタール、1985年(昭和60年)には 232万ヘクタールに減少、生産量も1967年(昭和42年)の 1426万トンをピークに、1975年(昭和50年)には 1309万トン、1985年(昭和60年)には 1161万トンに減少した。

生産は減少したものの、米離れに歯止めがかからず、政府備蓄米などに古米、古古米の不良在庫が多く発生、米の消費拡大のために、それまで主食はパンだけであった学校給食に米飯や米の加工品がとりいれられるようになったり、古米をアフリカなどの政府援助に使用したり、その他家畜の飼料などに処分するなど、在庫調整に腐心するようになった。そのような状況の下、流通面においては、縁故米の拡大から自主流通米の承認などにより、食糧管理制度の逸脱を認めるようになった。しかしながら、根本的解決には至らなかったため、食管赤字は収束せず、生産者米価よりも消費者米価が安い逆ザヤだったため、歳入が不足し赤字(食管赤字)が拡大、1980年代には、国鉄健康保険とともに、日本政府の巨額赤字を構成する「3K赤字」と呼ばれるようになり、行政改革における重要なテーマとなった。

供給においても、1983年(昭和58年)の不作時には、政府が放出しようとした1978年(昭和53年)度産の超古米に規定以上の臭素が検出され安全性に問題があるとされたため、翌1984年(昭和59年)に韓国から米15万トンの緊急輸入が行われたり、1993年(平成5年)の全国的な米の不作による平成の米騒動においては、タイなどから米の緊急輸入が行われるなどした。なお、米の消費量は、ピークの1962年(昭和37年)には、日本人一人あたり年間118.3キログラム消費していたものが、その後一本調子で減少[1990年代後半には、ひと頃の半分の60キログラム台に落ち込んだ。家計支出に占める米類の支払いの割合は、10%強だったものが 1.1 - 1.3% と 110 になり、米の地位低下が甚だしい[33]

一方で1993年(平成5年)、ウルグアイ・ラウンド農業合意により、米の義務的な輸入(ミニマム・アクセス)を課せられるようになり、食糧管理制度は本格的な見直しを迫られた。1995年(平成7年)、主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律いわゆる食糧法)が施行され、これに伴い食糧管理法は廃止となり、政府の管理が緩められた。水稲の作付け面積と生産量に関しては、その後も減少し、1995年(平成7年)には作付け面積 211万ヘクタール、生産量 1072万トンに、2000年(平成12年)以降は、作付け面積 170万ヘクタール、生産量 900万トン程度となり、作付け面積は半減、生産量は60%程度を推移している。また、食糧法は、2004年(平成16年)に大幅に改正され、さらに政府の関与度を減らしている。

中国

アジア米の原産地はインドアッサム地方から中国雲南省というものが有力な説であり、15000年前には長江中流域で稲作の形跡が見られるなど世界最古の稲作の歴史を有する。確実に稲作が行われていたとみなされる痕跡は、紀元前7500年頃 - 紀元前6100年頃の新石器時代彭頭山文化に属する彭頭山遺跡や八十壋遺跡において発見されている。日本の稲作もこの地域から伝わったものと考えられている。

伝統的な農業地理の理解では、秦嶺・淮河線以南が稲作地域とされており、水源と土地に恵まれた長江中下流域において盛んであり、ここで生産された米は、大運河などを通じて華北地域まで運ばれ食を担った。元々は、ジャポニカ種であったが、南宋の時代に、インドシナ半島からインディカ種の一種である占城稲が流入すると、旱害に強く早稲種二期作が可能であるという理由から一気に普及しこの地域での主要なイネの種となった。この時代、『蘇熟すれば天下足る』『江浙すれば天下足る』(長江下流域; 蘇・江=ほぼ現在の江蘇省、浙=ほぼ現在の浙江省)と言われ、下って明代清代には、稲作の中心が長江中流域である現在の湖南省湖北省に移り[34]、『湖広すれば天下足る』と言われ、国の穀倉として認識されたことがうかがえる。

一方で、秦嶺・淮河線以北は稲作不適地域と認識されていたが、1900年頃以降の日本の進出に伴い旧満州地域である中国東北部に寒冷に強いジャポニカ種を定着させ、その後の農業技術の発展から、この地域においても稲作が大々的に展開されている。

2000年代後半時点で世界最大の米生産・消費国である。生産は、約7割がインディカ種、約3割がジャポニカ種となっている[15]

インディカ種に比べジャポニカ種は手間がかかり高価であるが経済発展による所得向上からジャポニカ種の消費増加傾向のほか、地方都市間の人口移動による新たな消費層の発生などを背景に、中国の米消費量は増加傾向にある。一方で、1990年代後半に豊作だったことから作付け面積が減少、中国政府は2004年に援助政策に乗り出している[15]

中国政府は寒冷地への稲作拡大だけでなく、収量を増やすための栽培技術や品種改良にも力を入れている。中国工程院の袁隆平らのチームが開発したハイブリッド米「湘両優900(超優千号)」は2017年、河北省の試験圃場で1ヘクタール当たり17.2トンと米としては世界最高の収量を記録した[35]。これは日本の平均の3倍近い[36]。翌2018年には18トン超と、記録を更新した[37]




  1. ^ a b c d e f g 農業・生物系特定産業技術研究機構編『最新農業技術事典』農山漁村文化協会 p.105 2006年
  2. ^ a b c d e 日本作物学会編『作物学用語事典』農山漁村文化協会 p.218 2010年
  3. ^ a b c d e f 『料理食材大事典』主婦の友社 p.307 1996年
  4. ^ a b c 『丸善食品総合辞典』丸善 p.411 1998年
  5. ^ a b c d e f g 杉田浩一編『日本食品大事典』医歯薬出版 p.11 2008年
  6. ^ a b c 杉田浩一編『日本食品大事典』医歯薬出版 p.9 2008年
  7. ^ 玄米及び精米品質表示基準(最終改正 平成23年7月1日消費者庁告示第 6号) (PDF)
  8. ^ 黒田治之、「わが国果樹栽培技術の課題と展望」『日本調理科学会誌』 1999年 32巻 2号 p.151-160, doi:10.11402/cookeryscience1995.32.2_151
  9. ^ 日本作物学会編『作物学用語事典』農山漁村文化協会 p.220 2010年
  10. ^ 平成18年11月 農林水産省総合食料局総務課発行資料より。
  11. ^ 農業・生物系特定産業技術研究機構編『最新農業技術事典』農山漁村文化協会 p.1126 2006年
  12. ^ 農業・生物系特定産業技術研究機構編『最新農業技術事典』農山漁村文化協会 p.1525 2006年
  13. ^ fao.org (FAOSTAT). “Countries by commodity (Rice, paddy)”. 2013年1月30日閲覧。
  14. ^ 農林水産省『海外統計情報』
  15. ^ a b c d 『食料争奪』柴田明夫 日本経済新聞出版社 2007年
  16. ^ その後、価格の安定を受け生産額は、2018年(平成30年)には1兆7,416億円(年間生産量約778万トン)程度まで回復。
  17. ^ 農林水産省『生産農業所得統計』等
  18. ^ 農林水産省『食料・農業・農村政策審議会食糧部会 資料(30年7月27日開催)
  19. ^ 農林水産省『米の輸出について
  20. ^ ヒドロキシ-5-メチルィソキサゾールの作物の生育調節作用に関する研究 (PDF) (2012年1月14日時点のアーカイブ
  21. ^ 小川正巳、太田保夫、3-ヒドロキシ-5-メチルイソキサゾールの作物の生育調節作用に関する研究 第1報 Japanese Journal of Crop Science 42(4), 499-505, 1973-12-30, NAID 110001727446
  22. ^ 原田信男 『和食とはなにか 旨みの文化をさぐる』 角川ソフィア文庫 2014年 p.21
  23. ^ a b 新谷 尚紀 他 『民俗小事典 食』 吉川弘文館、2013年、ISBN 978-4-642-08087-3、26-28頁
  24. ^ a b 増田 昭子 『雑穀の社会史』 吉川弘文館, 2001年, ISBN 4-642-07545-3, 40, 46, 79頁
  25. ^ 江原 絢子 他 『日本食物史』 吉川弘文館, 2009年, ISBN 978-4-642-08023-1, 188-190頁
  26. ^ 有薗正一郎『近世庶民の日常食:百姓は米を食べられなかったか』 海青社、2007年。ISBN 9784860992316、第2章
  27. ^ 香田徹也「昭和15年(1940年)林政・民有林」『日本近代林政年表 1867-2009』p420 日本林業調査会 2011年 全国書誌番号:22018608
  28. ^ a b 江原 絢子 他 『日本食物史』 吉川弘文館, 2009年, ISBN 978-4-642-08023-1, 265-284頁
  29. ^ a b c 原田 信男 『和食と日本文化』 小学館、2005年、ISBN 4-09-387609-6、200,201,204頁
  30. ^ a b 「アメリカ小麦戦略」と日本人の食生活
  31. ^ 渡部忠世 『稲の大地』 小学館、1993年、ISBN 4-09-626178-5、17-18頁
  32. ^ 磯辺俊彦、池上甲一・岩崎正弥・原山浩介・藤原辰史『食の共同体―動員から連帯へ』 村落社会研究ジャーナル 2011年 17巻 2号 p.43-44, doi:[https://doi.org/10.9747%2Fjars.17.2_43 10.9747/jars.17.2_43
  33. ^ 藤岡 幹恭 他 『農業と食料のしくみ』 日本実業出版社、2007年、ISBN 978-4-534-04286-6、126頁
  34. ^ 理由として、この地域の圃場開発が進んだこともあるが、江浙地域が綿花や養蚕用の桑など商品作物の栽培に転換したことも大きい。
  35. ^ 中国のスーパーハイブリッド稲、生産量で世界新記録を樹立人民日報』日本語版2017年10月16日(2018年2月10日閲覧)
  36. ^ 米寿直前の研究者、日本平均の3倍の多収米開発「爆食」中国、主食自給に希望の芽『日経ヴェリタス』2018年2月4日(アジア面)
  37. ^ 【グローバルViews】中国コメ収量 日本の3倍/人口膨大、食料 輸入に頼れず『日経産業新聞』2018年12月4日(グローバル面)。
  38. ^ 「世界的なコメ危機の実態 背後に潜む問題点とは何か」『日経ビジネスオンライン』日経BP社、2008年5月14日付配信
  39. ^ デンプン糖類が結合した巨大分子でそのままでは栄養として吸収できない。水と一緒に加熱することで小さなに分解され、栄養として吸収されやすくなり、食感もよくなる。
  40. ^ 「舂く」の字は「春」とは異なる。
  41. ^ コトバンク『日本大百科全書(ニッポニカ)』 - 「餅」
  42. ^ 五明紀春、胚芽米のすべて 女子栄養大学
  43. ^ 調理再現HP
  44. ^ 石毛直道『世界の食べもの 食の文化地理』p145 講談社学術文庫
  45. ^ 渡辺昭五『日本人の秘境』(産報)115p、1973年
  46. ^ コトバンク『世界大百科事典 第2版』 -「粢」
  47. ^ 『出雲大社教布教師養成講習会』発行出 雲大社教教務本庁 平成元年9月全427頁中167頁




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