第4回スーパーボウル 背景

第4回スーパーボウル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 01:32 UTC 版)

背景

1969年3月19日にカリフォルニア州パームスプリングスで行われたオーナー会議でニューオーリンズでの開催が決定した[2]

ミネソタ・バイキングス

バイキングスは、AFL創設より1年遅れた1961年に創設された[3]。バド・グラントヘッドコーチに率いられたバイキングスはNFLトップの12勝2敗でシーズンを終えた。NFL最多得点の379点をあげ、相手にはNFL最少の133点しか許さなかった。このうちの3試合では50得点以上をあげている。シーズン開幕週と最終週の試合に敗れたがその他の12試合を連勝した。シーズン12連勝は、過去35年間達成したチームがなかった。ディフェンスは、NFLで最も相手に恐れられており、ディフェンシブラインは、パープル・ピープル・イーターズと呼ばれるゲイリー・ラーセン、アラン・ペイジ、カール・エラー、ジム・マーシャルの4人で形成され、ペイジ、エラー、マーシャルの3人がプロボウルに選ばれた[4]。ディフェンシブバックは、ボビー・ブライアントが8インターセプト、アーセル・マックビーが6インターセプト、ポール・クラウスが5インターセプト、1タッチダウンをあげた。

オフェンスではジョー・カップが優れたリーダーシップと走力を見せた。スクランブルの際に多くのQBがタックルを受けることを避け、スライディングするのと異なり、彼はタックラーにショルダーチャージを行った[4]。こうしたプレースタイルから彼は「Indestructible」というニックネームがついた。クリーブランド・ブラウンズとのNFLチャンピオンシップゲームで彼は相手ラインバッカーのジム・ヒューストンと激しく接触し、ヒューストンは途中退場した[4]。彼はチームのMVPに選ばれたが、自分だけが活躍したのではないとMVPを辞退した[4][5]。ランニングバックのデイブ・オズボーンがチームトップの643ヤードを走り、7タッチダウン、22回のレシーブで236ヤード、1タッチダウンをあげた。パスオフェンスではプロボウルに選ばれたワイドレシーバー・ジーン・ワシントンが39回のレシーブで821ヤード(平均21.1ヤード)、9タッチダウン、ジョン・ヘンダーソンが34回のレシーブで553ヤード、5タッチダウンをあげた。オフェンスラインではグレイディ・アルダーマン、ミック・ティンゲルホフがプロボウルに選ばれた[4]

1969年NFLチャンピオンシップゲームに勝利したバイキングスはエド・ソープ記念トロフィーを最後に受け取ったチームとなった。

カンザスシティ・チーフス

チーフスはハンク・ストラムヘッドコーチに率いられ、11勝3敗のAFL西地区2位でシーズンを終えた[4]。QBレン・ドーソンは第2週の試合でひざを負傷し、その後6試合に欠場した。しかし控えQBのマイク・リビングストンがその6試合で5勝した。チームは最終週にオークランド・レイダースに6-10で敗れて11勝3敗となり、12勝1敗1分のレイダースに次ぐAFL西地区2位でシーズンを終えた。最終週にレイダースに敗れた後、多くのスポーツライターやファンはドーソンのプレーコールを厳しく批判した。ドーソンはレギュラーシーズンの80-90%のプレーでプレーコールを行っていた。

12月16日にロードで行われたニューヨーク・ジェッツ戦で34-16と勝利し、4試合を残して9勝1敗となりプレーオフ進出を決めた。1970年のAFLとNFLの統合を前に、1969年のプレーオフは4チームで争われた。東西各地区の2位のチームが他地区の1位チームのホームに遠征する形式である。プレーオフでは前年のスーパーボウルチャンピオンのジェッツに13-6で勝利し、AFLチャンピオンシップゲームでは、前年のプレーオフでは6-41で敗れ、1969年シーズン中2度敗れたレイダースと対戦、17-7で破り3年ぶり2度目のスーパーボウル出場を果たした[4]ワイルドカードからスーパーボウルに出場するのは、チーフスが最初であった。

ドーソンは、NFLではピッツバーグ・スティーラーズクリーブランド・ブラウンズで合計5シーズン控えQBを務めており[4]、AFLのトップQBの1人となっていたもののNFLのQBのレベルと比較はできないと多くの人々は考えていた。AFLでの8シーズンで彼はプロのどのQBよりも多い182タッチダウンパスをあげたが[4]、AFLはNFLと同格ではないと考えられていた。第1回スーパーボウルでチーフスはグリーンベイ・パッカーズに10-35で敗れており[6]、この試合はAFLがNFLに劣るリーグではないことをドーソンが証明するチャンスであった。

ハンク・ストラムによる革新的なフォーメーションや戦略は相手チームの守備に混乱をもたらした。1965年のハイズマン賞受賞者であるRBマイク・ギャレットは、732ヤードを走り6タッチダウンをあげた。また43回のレシーブで432ヤード、2タッチダウンをあげた。RBロバート・ホームズはランで612ヤード、レシーブで266ヤードを獲得、5タッチダウンをあげた。RBウォーレン・マクビーは、500ヤードを走り7タッチダウン、WRオーティス・テイラーは、41回のレシーブで696ヤード、7タッチダウンをあげた。オフェンスラインのエド・バッド、ジム・タイラーはAFLのオールスターに選ばれた。またプレースキッカーヤン・ステナルードパンターのジェレル・ウィルソンは優れたキッカーであった。

チーフスの守備はAFL最少の177失点であった。DTバック・ブキャナン、カーリー・カルプ、DEジェリー・メイズ、アーロン・ブラウンの4人はバイキングスと同様に優れたディフェンスラインであった。またLBウィリー・レニエルも4インターセプト、1ファンブルリカバーの成績をあげてAFLのオールスターに選ばれた。セカンダリーのエミット・トーマスは9インターセプト、1タッチダウン、ジム・カーニーが5インターセプト、1タッチダウン、ジョニー・ロビンソンが8インターセプトをあげた。

ディビジョナルラウンドではパス17回中13回成功で276ヤードを獲得し、6タッチダウンをあげてヒューストン・オイラーズを56-7で破ったダリル・ラモニカは[4]、前年のチーフスとのプレーオフで347ヤードを獲得、5タッチダウンをあげて41-6で勝利していたが、この年のAFLチャンピオンシップゲームでは、チーフスの守備は、パス39回中わずか15回成功に抑え、第4Qに3インターセプトを奪った。この試合でアーロン・ブラウンがパスラッシュをした際、ラモニカは右手を負傷し、4インターセプトを喫した[4]

プレーオフ

プレーオフではチーフスは、過去2年のAFLチャンピオンを破りスーパーボウル出場を決めた。ディフェンス合戦となったニューヨーク・ジェッツとの試合ではドーソンがオーティス・テイラーへの61ヤードのパスを決めた後、グロスター・リチャードソンへの19ヤードのタッチダウンパスを決め、13-6で勝利した。この試合でディフェンスはジェッツの攻撃をわずか234ヤードに抑え、4つのターンオーバーを奪った。レイダースとの試合では第1Qに0-7とリードされたが、第2Qにフランク・ピッツへの41ヤードのパスを成功させた後、ウェンデル。ヘイズの1ヤードのタッチダウンランで同点とした。第3Qにはエミット・トーマスがエンドゾーン内で相手のパスをインターセプト、95ヤードのドライブをロバート・ホームズのタッチダウンランで締めくくった。14-7とリードして第4Qに入ったチーフスは、3インターセプトなど、4回のターンオーバーを奪い勝利した。

チーム創設から9年目のバイキングスは、ロサンゼルス・ラムズに23-20で勝ち、プレーオフ初勝利をあげた。この試合、ラムズに終始リードを許していたが、第4Qのタッチダウンドライブで21-20と逆転し、カール・エラーがエンドゾーン内でロマン・ゲイブリエルをサックして、セイフティで追加点をあげ、残り30秒にアラン・ペイジがインターセプトをあげた。クリーブランド・ブラウンズとのNFLチャンピオンシップゲームでは、前半を24-0で折り返し、27-7で勝利した。この試合でバイキングスのオフェンスは、381ヤードを獲得、ターンオーバーなし、カップはパスで169ヤードを獲得、1タッチダウンをあげた。またオズボーンが108ヤードを走り、ワシントンは3回のレシーブで125ヤードを獲得した。

試合前の話題

多くのスポーツライターやファンは、バイキングスがチーフスに楽勝すると予想していた。前年のスーパーボウルで同じAFLのニューヨーク・ジェッツが勝利したにもかかわらず、AFLが勝利したのはまぐれだと思われていた[7]。彼らは全てのNFLチームは、全てのAFLチームより優れていると考えていた。両リーグの違いを無視したとしても、バイキングスがNFL最高勝率をあげ、得失点差246得点であるのに対して、チーフスは地区優勝さえできていないことから、バイキングスの方が優れたチームであると見られていた。

スーパーボウルの5日前、ドーソンが賭博に関与している疑いが報道されたこともあり、彼は睡眠不足で試合の準備に集中することもできなかった[6]

バド・グラントはスーパーボウルに出場するヘッドコーチでは、初めてネクタイを着けないコーチであった。一方、ハンク・ストラムは、スーツに赤いベスト、胸ポケットにチーフスのヘルメットのロゴの入ったブレザーを着用していた。

入場者数は80,562人とNFLとAFL統合までの4回の大会で最も多い観衆となった。


  1. ^ The Chiefs are Super Bowl-bound for first time in 18,270 days”. USAトゥデイ (2020年1月19日). 2020年1月28日閲覧。
  2. ^ Super Bowl Moved To New Orleans”. DAYTONA BEACH MORNING JOURNAL (1969年3月20日). 2020年1月27日閲覧。
  3. ^ a b c d Super Bowl: Pro Football's Greatest Games. Scholastic Paperbacks. (1981). p. 32-40. ISBN 9780590317849 
  4. ^ a b c d e f g h i j k l Richard J, Brenner (1988). The Complete Super Bowl Story. pp. 22-25. ISBN 0-82251-503-2 
  5. ^ Chris Tomasson (2019年9月17日). “Alzheimer’s won’t stop ex-Vikings QB Joe Kapp from joining Super Bowl IV teammates”. TwinCities PIONEER PRESS. 2020年1月29日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q Dave Brady (1970年1月12日). “Super Chiefs Shock Vikings, 23-7”. ワシントン・ポスト. 2020年1月28日閲覧。
  7. ^ Stu Black (1982). SUPER BOWL HEROES. Watermill Press. p. 34. ISBN 0-89375-770-5 
  8. ^ Michael Ielpi (2009年6月3日). “My Top 10 Super Bowl Coaching Decisions”. bleacherreport.com. 2012年6月13日閲覧。
  9. ^ Joe Posnanski (2010年2月3日). “How NFL Films transformed football”. スポーツ・イラストレイテッド. 2012年6月13日閲覧。
  10. ^ 当時はゴールポストの位置が現在と異なり、10ヤード手前にあった。
  11. ^ Stu Black (1982). SUPER BOWL HEROES. Watermill Press. p. 35. ISBN 0-89375-770-5 
  12. ^ Vikings Franchise Timeline”. ミネソタ・バイキングス. 2020年1月29日閲覧。
  13. ^ Chiefs end playoff losing streak against Colts with 31-13 rout”. pressdemocrat.com (2019年1月12日). 2020年1月29日閲覧。
  14. ^ The Kansas City Chiefs Waited 50 Years for This Super Bowl Date”. ニューヨーク・タイムズ (2020年1月20日). 2020年1月28日閲覧。
  15. ^ Six HOFers to toss coin at Super Bowl”. プロフットボール殿堂 (2004年1月26日). 2020年1月29日閲覧。
  16. ^ 'Missing Rings' featuring '69 Vikings debuts Sept. 25”. NFLネットワーク (2012年7月26日). 2020年1月29日閲覧。





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