第1回スーパーボウル 背景

第1回スーパーボウル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 04:38 UTC 版)

背景

はじまり

第1回のAFL-NFLワールドチャンピオンシップゲームは、1966年6月8日にAFLとNFLの間で合意されたAFL-NFL合併の中でその開催が決定された。しかし、開催地はキックオフの6週間前まで決まらなかった。

この最初の試合に際し、お互いに強い対抗心を持つ2つのリーグはそれぞれが自分たちの優位性を証明するため各々のチャンピオンチームに相手チームを叩きのめすようプレッシャーをかけた。しかし多くのスポーツライターやファン達は、より古くからあるNFLならどのチームでも最近できたばかりのAFLのチャンピオンチームより強いだろうから、この組み合わせはミスマッチだろうと思っていた。

公式にはこの試合は「AFL-NFLチャンピオンシップゲーム」と命名されていたが、当時からほとんどのメディアは非公式な「スーパーボウル」という名称を使っていた。

カンザスシティ・チーフス

カンザスシティ・チーフスはレギュラーシーズンに11勝2敗1分けの成績を収め、AFLチャンピオンシップゲームでは31対7でバッファロー・ビルズに勝利してAFL-NFLワールドチャンピオンシップゲームに進出した。

チーフスのハイパワーオフェンスはAFLにおいて合計448得点、ラッシングで2,274ヤード獲得していた。チーフスのランニングバックトリオ、マイク・ギャレット(801ヤード)、バート・コーン(521ヤード)、およびカーティス・マククリントン(540ヤード)は全員AFLのトップ10ラッシャーに名を連ねていた。クォーターバックのレン・ドーソンはパス284回中159回成功(パス成功率56パーセント)、獲得ヤード2,527、タッチダウンパス26の成績を収めAFLでトップのレイティングを誇るパッサーだった。ワイドレシーバーのオーティス・テイラーは、パスキャッチ58回、獲得ヤード1,297、タッチダウン8でチームの重要なディープターゲットだった。そしてタイトエンドのフレッド・アルバナズはパスキャッチ22回、獲得ヤード305、タッチダウン4でオールAFLチームに選ばれた6人のチーフス選手の内の一人だった。

チーフスはディフェンスも強力だった。オールAFLプレイヤーのジェリー・メイズとバック・ブキャナンがラインを支え、同じくオールAFLチームだったラインバッカーのボビー・ベルはランストップとパスカバレッジの両方に秀でていた。しかしそのもっとも強力なパートはセカンダリー陣で、やはりオールAFLプレイヤーだったセーフティのジョニー・ロビンソンとボビー・ハントは10インターセプトを、ディフェンスバックのフレッド・ウィリアムソンは4インターセプトを記録していた。チームはヘッドコーチのハンク・ストラムに率いられていた。

グリーンベイ・パッカーズ

グリーンベイ・パッカーズ1959年ヴィンス・ロンバルディがヘッドコーチに就任してから実力をつけ、1961年1962年1965年および1966年シーズンにNFLチャンピオンシップで優勝していた。

パッカーズのベテランクォーターバック、バート・スターはNFLでパス251回中156回成功(パス成功率62.2パーセント)、獲得ヤード2,257、タッチダウンパス14、インターセプト3の成績を収めNFLのMVPに選出されていた。ワイドレシーバーのボイド・ダウラーとキャロル・デイルは二人で63キャッチ、1,336ヤードを記録し、フルバックのジム・テイラーはラッシングでチームトップの705ヤード、41回のパスキャッチで331ヤードを獲得していた[1]。チームの先発ハーフバックのポール・ホーナングはシーズン初めに負傷していたがイライジャ・ピッツがラン、パス合わせて857ヤードを獲得しホーナングの抜けた穴を埋めた。オフェンスラインにはオールプロガードのジェリー・クレイマーとフレッド・“ファジー”・サーストンに加えフォレスト・グレッグがおり、チームの勝利に大きな役割を果たした。

パッカーズはまた強力なディフェンスも擁しており、NFLチャンピオンシップゲームの最後のドライブでは、ダラス・カウボーイズがパッカーズ陣2ヤードまできたところを4回連続で止めていた。ディフェンシブラインではビル・クインランに代わりライオネル・オールドリッジが出場することになったが、ヘンリー・ジョーダンとディフェンシブエンドがラインを支えた。ラインバッカーのレイ・ニチキはランストップ、パスカバレッジ双方に優れ、セカンダリー陣はディフェンシブバックのハーブ・アダリーとウィリー・ウッドに率いられていた。ウッドはロンバルディが見出した無名の選手の一人でカレッジ時代はクォーターバックを務めており、NFLからはドラフトされなかった。1960年にパッカーズと契約したとき、彼はフリーセーフティにコンバートされ、12年のキャリアの中で9度オールプロチームに選ばれた。

チーフスの戦績
日付 相手 結果 勝敗
レギュラーシーズン
1 バイウィーク
2 9/11 at バッファロー・ビルズ 42–20 1-0
3 9/18 at オークランド・レイダース 32–10 2-0
4 9/25 at ボストン・ペイトリオッツ 43–24 3-0
5 10/2 バッファロー・ビルズ 14–29 3-1
6 10/8 デンバー・ブロンコス 37–10 4-1
7 10/16 オークランド・レイダース 34–13 4-2
8 10/23 at デンバー・ブロンコス 56–10 5-2
9 10/30 ヒューストン・オイラーズ 48–23 6-2
10 11/6 サンディエゴ・チャージャーズ 24–14 7-2
11 11/13 マイアミ・ドルフィンズ 34–16 8-2
12 11/20 ボストン・ペイトリオッツ 27–27 8-2-1
13 11/27 at ニューヨーク・ジェッツ 32–24 9-2-1
14 バイウィーク
15 12/11 at マイアミ・ドルフィンズ 19–18 10-2-1
16 12/18 at サンディエゴ・チャージャーズ 27–17 11-2-1
プレイオフ
AC 1/1 バッファロー・ビルズ 31–7
 勝利   敗戦   引き分け  at:敵地での対戦
パッカーズの戦績
日付 相手 結果 勝敗
レギュラーシーズン
開幕前
1 9/10 ボルチモア・コルツ 24–3 1–0
2 9/18 at クリーブランド・ブラウンズ 21–20 2–0
3 9/25 ロサンゼルス・ラムズ 24–13 3–0
4 10/2 デトロイト・ライオンズ 23–14 4–0
5 10/9 at サンフランシスコ・49ers 20–21 4–1
6 10/16 at シカゴ・ベアーズ 17–0 5-1
7 10/23 アトランタ・ファルコンズ 56–3 6–1
8 10/30 at デトロイト・ライオンズ 31–7 7–1
9 11/6 ミネソタ・バイキングス 17–20 7–2
10 バイウィーク
11 11/20 シカゴ・ベアーズ 13–6 8–2
12 11/27 at ミネソタ・バイキングス 28–16 9–2
13 12/4 サンフランシスコ・49ers 20–7 10–2
14 12/10 at ボルチモア・コルツ 14–10 11–2
15 12/18 at ロサンゼルス・ラムズ 27–23 12–2
プレイオフ
NC 1/1 ダラス・カウボーイズ 34–27
 勝利   敗戦  at:敵地での対戦

試合前のニュースと話題

多くの人々はチーフスとパッカーズが最初のAFL-NFLチャンピオンシップゲームに出場するにふさわしいチームだと考えていた。チーフスのオーナー、ラマー・ハントはAFLの創設者であり、パッカーズはそれまでのNFL史上最も優秀なチームだと広く認められていた。パッカーズはこの試合が、彼らが本当にそれまでのアメリカンフットボール史上で最高のチームであることを知らしめることのできる機会だととらえた。しかしロンバルディはとてもナーバスになっており、試合前にロンバルディにインタビューしたCBS解説者のフランク・ギフォードは、「彼は私の腕を掴み、ぶるぶる震えていた。信じ難いことだ」と語った[2]。チーフスはこの試合が自分達がどんなNFLチームに対しても十分戦えるチームであることを示す機会だととらえた。この試合を本当に心待ちにしていた選手の一人がドーソンだった。彼はチーフスと契約する前の4年間、NFLで控え選手として過ごしていた。しかしチーフスもやはりナーバスになっていた。ラインバッカーのE・J・ホルブは語っている −「チーフスの連中は死ぬほどビビっていたんだ。トンネル〔選手がフィールドに入場する通路〕にいた時にゲロ吐いてパンツ濡らしてる奴もいたんだぜ」[2]

試合の前の週、チーフスのコーナーバック、フレッド・“ハンマー”・ウィリアムソンは、彼の「ハンマー」と呼ばれた腕でパッカーズのレシーバーをぶちのめすと公言して話題になった。「(ボイド)ダウラーにこの2本のハンマーを、(キャロル)デイルには1本で充分だな[3]。」 両チームはそれぞれのリーグで使用しているボールを用いてプレイした − チーフスはスポルディング製のAFLボールを、パッカーズはウィルソン製のNFLボールを使用した。


  1. ^ Bart Starr (1997). “Super Bowl I”. Super Bowl: The Game of Their Lives. Danny Peary, Editor. Macmillan. ISBN 0-02-860841-0 
  2. ^ a b c d e Mickey Herskowitz (1990). “Winning the Big I”. The Super Bowl: Celebrating a Quarter-Century of America's Greatest Game. Simon and Schuster. ISBN 0-671-72798-2 
  3. ^ ESPN.com - Page2 - 100 Greatest Super Bowl Moments”. 2008年11月26日閲覧。
  4. ^ スーパーボウルはそのチケットが完売しない限り、開催地域でのテレビ放映は行われない(TV Blackout)。1973年以降、NFLのレギュラーシーズンにおいても同様の措置がとられている。
  5. ^ Super Bowl Entertainment”. nfl.com. 2008年11月26日閲覧。
  6. ^ a b Glazer, Jay (2008年8月7日). “Packers trade Favre to Jets”. FOXスポーツ. http://msn.foxsports.com/nfl/story/8381934/Favre-out:-Packers-trade-legend-to-Jets 2008年8月7日閲覧。 
  7. ^ Aaron Tallent (2020年2月4日). “50 Greatest Super Bowl Performances of All Time”. ATHLON SPORTS. 2020年6月24日閲覧。
  8. ^ Super Bowl recaps Super Bowl I - Jan. 15, 1967”. USAtoday.com. 2008年11月27日閲覧。
  9. ^ Neft, David S., Cohen, Richard M., and Korch, Rick (1994). The Complete History of Professional Football from 1892 to the Present.. ISBN 0312114354 





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