稲葉正善 稲葉正善の概要

稲葉正善

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/31 00:54 UTC 版)

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稲葉正善

経歴

岩槻藩大岡忠恕の次男として生まれる。文久元年(1861年)2月22日、館山藩4代藩主稲葉正巳の養子となる。同年11月15日、将軍徳川家茂に拝謁する。同年12月16日、従五位下備後守に叙任する。元治元年(1864年)12月19日、養父正巳の隠居により、家督を相続する。慶応3年(1867年)9月19日、幕府に海軍の費用として3000両の献金を申し出る。同年12月3日、幕府に海軍練習所のイギリス人から英学と数学を学ぶことを願う。

慶応4年(1868年)4月25日、上洛し、恭順の姿勢を示した。しかし、養父正巳が長く幕府の要職にあったことから詰問されることになった。明治2年(1869年)6月24日、版籍奉還で館山藩知事となる。明治4年(1871年)7月15日、廃藩置県で館山藩は廃止されて館山県となり、館山県知事となった。1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[1]。実子に恵まれず、一族で最後の臼杵藩主だった稲葉久通の四男・正顕を養子に迎えて、跡を継がせた。明治35年(1902年)3月19日に死去した。享年54。

現神道大教第2代管長

栄典

脚注

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日本の爵位
先代:
叙爵
子爵
館山稲葉家初代
1884年 - 1902年
次代:
稲葉正顕

  1. ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
  2. ^ 『官報』第5610号「叙任及辞令」1902年3月20日。


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