禹 概要

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/08 13:45 UTC 版)

概要

かつて中国は禹州あるいは禹城と呼ばれ、禹は中国の古代神話あるいは伝説上の人物として知られる[1]

禹の父は(こん)という。『漢書』律暦志によれば、鯀の五世の祖は五帝の一人である帝顓頊であり[2]、禹は黄帝の雲孫(八世の孫)にあたる(禹は舜の族父)。

また、鯀の父は帝顓頊であるという説もある[3]。したがってこの場合、禹は帝顓頊の孫にあたる。さらに、帝顓頊は同じく五帝の一人の黄帝の孫であるという説もある。この場合禹は黄帝の玄孫(四世の孫)にあたる(禹は舜の族高祖父、堯の同輩、堯は舜の族高祖父)[4][5][6]

塗山氏の女を娶り、という子をなした。

禹は卓越した政治能力を持っていたが、それでいて自らを誇ることはなかったという人徳を持ち、人々に尊敬される人物であった。

また、禹は本来父の鯀と同一神であり、龍蛇の姿をした神だったという説もある[7]

禹の治水事業

の時代に、禹は治水事業に失敗した父の後を継ぎ、に推挙される形で、黄河の治水にあたった。父の鯀は堤防を固定し、高地を削って低地を埋める「湮」と呼ばれる方法を用いた[8]。しかし、鯀は9年経っても成果を上げることができなかった[1]。子の禹は放水路を作って排水を行う「導」と「疏」と呼ばれる方法を用いて黄河の治水に成功したという[8]

列子』楊朱第七によれば、このとき仕事に打ち込みすぎ、身体が半身不随になり、手足はひび・あかぎれだらけになったという。しかしこの伝説は、元来存在した「禹は偏枯なり」という描写を後世に合理的に解釈した結果うまれた物語だとされる。『荘子』盗跖篇巻第二十九には「堯は不慈、舜は不孝、禹は偏枯」とあり『荀子』巻第三非相篇第五には「禹は跳び、湯は偏し」とある。白川静は『山海経』にみえる魚に「偏枯」という表現が使われていることから、禹は当初は魚の姿をした神格だったという仮説を立てた。

そしてこの「偏枯」という特徴を真似たとされる歩行方法が禹歩であり、半身不随でよろめくように、または片脚で跳ぶように歩く身体技法のことを言う。禹歩は道教や中国の民間信仰の儀式において巫者が実践したやり方であり、これによって雨を降らすことができるとか岩を動かすことができるとか伝えられている。日本の呪術的な身体技法である反閇(へんばい)も『下学集』などの中世の辞書では禹歩と同一視されているが、必ずしも同じであったわけではないらしい。

『太平広記』の中に記載する「神(瑶姫)は禹に鬼神を召喚する本を贈る」[9]

『山海経広注』に記されている禹による無支祁孫悟空の原型)との交戦の描写には具体的な竜としては応竜が禹に加勢しており、最後に捕らえられた[10]

その後も禹は、人々の生活をおびやかしていた稀世の悪獸相柳を退治し、人々にその偉業を称えられた。

夏王朝創始

禹は舜から帝位の禅譲を受けて夏王朝を開いた[8]

禹は即位後しばらくの間、武器の生産を取り止め、田畑では収穫量に目を光らせ農民を苦しませず、宮殿の大増築は当面先送りし、関所や市場にかかる諸税を免除し、地方に都市を造り、煩雑な制度を廃止して行政を簡略化した。その結果、中国の内はもとより、外までも朝貢を求めてくるようになった。さらに禹は河を意図的に導くなどしてさまざまな河川を整備し、周辺の土地を耕して草木を育成し、中央と東西南北の違いを旗によって人々に示し、古のやり方も踏襲し全国を分けて九州を置いた。禹は倹約政策を取り、自ら率先して行動した。

竹書紀年によれば、45年間帝であったとする。また、今本竹書紀年によれば、8年間帝であったという[11]。さらに、史記によれば、10年間帝であったという[12]浙江省紹興市会稽山に大禹陵がある。

中国が1996年から1999年にかけて実施した「夏商周年表プロジェクト」に依れば、禹の夏王朝創始は紀元前2071年、王朝滅亡は紀元前1598年であったとされる。ただし同プロジェクトは、4千年前の年代確定には数年の誤差は避けがたいため、切りのよい数字を取って夏は紀元前2070年から紀元前1600年まで、と定めた[13]。禹王伝説の時代に最古の王朝国家が存在したとみられるものの、禹の実在は未だ証明されていない[8]


  1. ^ a b c d e 植村善博『禹王と治水の地域史』古今書院、2019年、2頁。 
  2. ^ 『漢書・律暦志』「顓頊五代而生鯀」
  3. ^ 『世本四種』「昌意生顓頊,顓頊生鯀」
  4. ^ 『五礼通考』「禹者,黄帝之玄孫而顓頊之孫也」
  5. ^ 『軒轅黄帝伝』「舜有虞氏,黄帝九代孫......夏禹亦黄帝之玄孫也......殷湯,黄帝十七代孫」
  6. ^ 『四川通志』「夏大禹黄帝五世孫【黄帝生昌意,昌意生顓頊,顓頊生鯀,鯀生禹】」
  7. ^ 御手洗勝『古代中國の神々』創文社1984年、131,134頁。
  8. ^ a b c d 植村善博『禹王と治水の地域史』古今書院、2019年、3頁。 
  9. ^ 『太平広記』「有巫山焉,峰岩挺抜,林壑幽麗,巨石如壇,留連久之。時大禹理水,駐山下。大風卒至,崖振谷隕,不可制。因与夫人相値,拝而求助。即勅侍女,授禹策召鬼神之書,因命其神狂章、虞余、黄麾、大翳、庚辰(応竜)、童律、巨霊等助禹,斫石疏波,決塞導阨,以循其流」
  10. ^ 『山海経広注』「『岳瀆経』曰:堯九年,無支祁為孽,応竜駆之淮陽亀山足下,其後水平」
  11. ^ 『今本竹書紀年注疏』「八年春,会諸侯于会稽,殺防風氏......秋八月,帝陟于会稽」
  12. ^ 『史記』「十年,帝禹東巡狩,至于会稽而崩」
  13. ^ 『夏王朝は幻では無かった』岳南著、朱権栄、加藤優子訳、柏書房2005
  14. ^ a b 植村善博『禹王と治水の地域史』古今書院、2019年、12頁。 
  15. ^ “大脇良夫「海を渡った治水神107の碑◇防災祈念し日本各地で古代中国の名君まつる◇」”. 『日本経済新聞』朝刊(文化面). (2016年11月1日). http://www.nikkei.com/nkd/company/article/?DisplayType=1&ng=DGKKZO08982880R31C16A0BC8000&scode=4901&ba=1 
  16. ^ 植村善博「沖縄における禹王遺跡とその歴史的意義」『鷹陵史学 第43号』佛教大学鷹陵史学会(2017年)
  17. ^ 張世超; 孫凌安; 金国泰; 馬如森 (1996). 金文形義通解. 中文出版社. pp. 3394–5 
    季旭昇 (2014). 説文新証. 芸文印書館. pp. 955–6 
    林志強等 (2014). 《文源》評注. 中国社会科学出版社. p. 21 
  18. ^ 劉釗 (2006). 古文字構形学. 福建人民出版社. pp. 23–4 






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