福田赳夫 参考文献

福田赳夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/19 05:51 UTC 版)

福田 赳夫(ふくだ たけお、1905年明治38年〉1月14日 - 1995年平成7年〉7月5日)は、日本政治家大蔵官僚位階正二位勲等大勲位


注釈

  1. ^ 祖父、兄もまた、金古町長を務めている
  2. ^ 同期に前尾繁三郎長沼弘毅・西原直廉(財務官参事官など)らがいる
  3. ^ このとき部下たちにあれこれしゃべられて煮え湯を飲まされる経験をしたことで福田は性格が変わり、“身内偏重主義”の政治家となる原因になったと言われる[4]
  4. ^ ただし福田は蔵相として証券不況の1965年7月27日、戦後初の長期国債発行による景気対策を打ち出している。草野厚 『山一証券破綻と危機管理』 朝日新聞社 1998年 P.183
  5. ^ ただし、当時は諸外国においても、テロリストの要求を受け入れて、身柄拘束中の仲間を釈放することは珍しいことではなく(PFLP旅客機同時ハイジャック事件ハーグ事件、ルフトハンザ航空615便事件など)、日本のみがテロに対して特段に弱腰であったというわけではなかった。
  6. ^ 年度予算と補正予算を組み合わせて年度をまたぐ予算を編成することで、絶え間ない公共投資が可能になった[14]
  7. ^ 小泉や佐藤静雄の政治人生は、福田の秘書となり、かばん持ちをすることから始まった
  8. ^ 『回顧九十年』 84-85頁に福田は「贈賄側で逮捕された昭和電工の当時の社長日野原節三氏が私の一高、東大の先輩で懇意だったことから、昭和電工への融資に特別の便宜を図ったという理由で私もこの事件に巻き込まれた。ただしこれは検察の全くのデッチ上げであり、判決では“検事の所論はまさにかのカラスと言いくるめる論法に似たものと評すべきであろうか”として私自身の潔白は明快に証明された」と記している
  9. ^ 『回顧九十年』 31-32頁によると、妻三枝は群馬県原町(現東吾妻町)出身の新井文夫(足尾銅山の技師)の三女で、三枝の兄が福田と高崎中学の同窓で仲がよく、福田が東京の学校へ通うようになったころから、三枝との付き合いが始まったという

出典

  1. ^ a b 上毛新聞社『群馬の20世紀 上毛新聞で見る百年』上毛新聞社、2000年、400頁。ISBN 978-4880587653 
  2. ^ 『私の履歴書』 2007, p. 118.
  3. ^ 『私の履歴書』 2007, p. 122.
  4. ^ a b 小林吉弥 (2017年11月13日). “天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 福田赳夫・三枝夫人(下)”. エキサイトニュース. 2020年3月11日閲覧。
  5. ^ 『日本官僚制総合事典』東京大学出版会、2001年11月発行、276頁、ISBN 978-4-13-030121-3
  6. ^ 『私の履歴書』 2007, p. 152.
  7. ^ 『私の履歴書』 2007, p. 154.
  8. ^ 『私の履歴書』 2007, p. 156.
  9. ^ a b 浦田進『評伝シリーズ9 福田赳夫』国際商業出版、1978, 129-135頁。
  10. ^ 『回顧九十年』 144頁
  11. ^ 古澤健一『福田赳夫と日本経済』講談社、1983, 42頁。
  12. ^ 日中国交回復 水面下の交渉を託された一人の男の姿”. 2018年7月9日閲覧。
  13. ^ a b 池上彰『池上彰と学ぶ日本の総理 9 福田赳夫』小学館、2012年、16頁。
  14. ^ 池上彰『池上彰と学ぶ日本の総理 9 福田赳夫』小学館、2012年、16頁。
  15. ^ XIII 政治的大衆行動と平和運動日本労働年鑑第50集第二部「労働運動」
  16. ^ 金丸-小沢ラインで政局主導”. 日本経済新聞 (2011年9月4日). 2021年5月3日閲覧。
  17. ^ 読売新聞1989年5月25日朝刊
  18. ^ a b c 小林吉弥 (2017年10月30日). “天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 福田赳夫・三枝夫人(上)”. エキサイトニュース. 2020年3月11日閲覧。
  19. ^ “異例国葬、党内に配慮 全額国費、首相は正当性強調:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞. (2022年7月15日). https://www.asahi.com/articles/DA3S15356795.html 
  20. ^ 第084回国会 本会議 第3号 1978年(昭和53年)1月21日
  21. ^ 第085回国会 外務委員会 第3号 1978年(昭和53年)10月16日
  22. ^ 第085回国会 外務委員会 第5号 1978年(昭和53年)10月18日
  23. ^ 朝日新聞』(1977年4月21日付)
  24. ^ 福田赳夫(1905-1995)
  25. ^ 五百旗頭真「福田赳夫―政策の勝者,政争の敗者―」『戦後日本の宰相たち』中央公論新社,2001
  26. ^ 北岡伸一『自民党』中公文庫、2009、福田赳夫フェローシップ設立趣意
  27. ^ 一般社団法人 日中協会 (故人)役員”. 日中協会. 2018年3月9日閲覧。
  28. ^ 福田信之『文鮮明師と金日成主席―開かれた南北統一の道』世界日報社 p70~81
  29. ^ 第84回国会 衆議院 決算委員会11号 1977年(昭和53年)5月12日
  30. ^ 第80回 衆議院 法務委員会-8号 1977年(昭和52年)4月6日
  31. ^ 第84回国会 予算委員会 第23号 1978年(昭和53年)4月3日
  32. ^ 『日本プロレス史の目撃者が語る真相! 新間寿の我、未だ戦場に在り!<獅子の巻>』(ダイアプレス、2016年)p63
  33. ^ 『日本プロレス史の目撃者が語る真相! 新間寿の我、未だ戦場に在り!<獅子の巻>』(ダイアプレス、2016年)p73
  34. ^ 小林吉弥 (2017年11月6日). “天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 福田赳夫・三枝夫人(中)”. エキサイトニュース. 2020年3月11日閲覧。
  35. ^ 早坂 1988.
  36. ^ ようこそ。伊香保温泉 横手館 公式サイト






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