福田康夫内閣
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内閣の動き
政治とカネ
防衛大臣の石破茂や文部科学大臣の渡海紀三朗らの「政治とカネ」の問題に対し、福田は9月27日午前、「きちんと正直に説明しなさい」と述べ、説明責任を尽くすよう指示した[6]。
石破防衛大臣
石破茂が代表を務める資金管理団体「石破茂政経懇話会」(鳥取県鳥取市)が、福田内閣の組閣当日の25日に、2004年(平成16年)分の政治資金収支報告書の訂正を鳥取県選挙管理委員会に届け出ていたことが判明した。石破個人から同懇話会への寄付が、政治資金規正法の定める上限(年間1000万円)を超える1050万円と記載されていたが、石破個人からの寄付は850万円で、残りの200万円は自民党鳥取県第1選挙区支部から石破を通じて同懇話会に寄付されたとする訂正をした。石破は、「事務ミスで、(訂正が入閣当日になったことは)たまたま。官邸にも報告しており、法的問題はないと承知している。なぜこういうことになったのか、分かり次第、明らかにしたい」と記者からの取材に対してコメントしている[7][8]。
渡海文部科学大臣
渡海紀三朗が代表を務める「自由民主党兵庫県第10区選挙区支部」が、渡海が出馬した2003年(平成15年)11月9日の第43回衆議院議員総選挙の公示日の当日と、2005年(平成17年)9月11日の第44回衆議院議員総選挙の公示日前日に、国の公共工事を受注・施工中の兵庫県高砂市の建設会社からそれぞれ100万円の寄付を受けていたことが判明した。これに対し渡海は、「特定の選挙資金ではなく、公職選挙法違反の認識もないが、疑義を持たれるのは不本意なので、返金したい」とコメントしている[9]。
友人の友人がアルカイダ
2007年(平成19年)10月29日、法務大臣の鳩山邦夫が日本外国特派員協会の講演で2002年(平成14年)のバリ島爆弾テロ事件に関連し「友人の友人がアルカイダ。バリ島の中心部は爆破するから近づかないようにとアドバイスを受けた」と発言した。出入国を所管する法相ひいては日本政府が大規模テロ事件の情報を事前に掴んでいたかのような発言は、特に外国特派員協会での講演ということもあり内外に大きな衝撃を与えた。そのため、鳩山法相は当日中に訂正の記者会見をするはめとなり、「実際に話を聞いたのはテロの3、4ヶ月後だった。話を聞いた友人は自分の趣味であるチョウの採集を通じて知り合った一般人で、アルカイダと断定はしていなかったが関わりのある過激派グループに協力している人物かもしれないとのことだった」と苦しい釈明をした。
翌30日、福田から「そういうこと(テロ)を防止する役目だからしっかりやるように」と注意され、官房長官の町村からは「日本の法務大臣がテロリストを知っているという誤った印象を与える発言は遺憾」として注意を受けた。鳩山は、「ご心配をかけて申し訳ない」と福田に対して謝罪したが、記者から「(鳩山法相の)『友人の友人がアルカーイダ』という見出しが一人歩きすると国際的な信用を落としかねないと思われるが」と質問が飛ぶと「事実を言ったらいけないのか。知り合いの知り合いということでは間違いない。それが国際的な信用にかかわるとは思えない」と主張した[10]。
国民新党代表代行の亀井静香(元警察官僚)が「警察庁は法相から事情聴取をしていない。国家公安委員長は何をやっているのか。(法相を)放っておくのはふまじめすぎる。」[11]と発言するなど、事実関係の解明を求める指摘もされており、官房長官の町村は文書による事実関係の報告を鳩山に指示している。また、当該人物がテロ組織と無関係だった場合どうするのか問われた鳩山は、「人の名誉を著しく傷つけることになれば、何らかの責任を取らないといけない。」[12]と衆議院法務委員会にて答弁している。
なお、鳩山は翌2008年(平成20年)、朝日新聞のコラム「素粒子」において「死に神」と表現され、そちらも問題となった。
北朝鮮による日本人拉致問題
2007年(平成19年)10月26日午前、外務大臣の高村正彦は、閣議後の記者会見で北朝鮮による日本人拉致問題について「何人かでも帰国すれば進展であることは間違いない。」「その進展の度合いに応じて、われわれも行動を取っていくのは当然だ。」「(拉致実行犯の処罰や真相究明は)当然求めていくが、生存者全員の帰国が全体の大きなパーセンテージを占めている。」と語り、生存している拉致被害者全員の帰国を最優先させる方針であることを表明した。2007年(平成19年)10月26日夜、福田康夫首相は、首相官邸で北朝鮮による拉致被害者家族連絡会メンバーと面会し、「向こうにおられる方に一日でも早く帰ってきていただきたい。単に拉致被害者が日本に帰ってくるのも人道上の大きな問題(の進展)だ。」「できれば北朝鮮との関係も修復したい。今が一番いい交渉のチャンスだ。」と語り、自分の内閣で拉致問題も国交正常化問題も解決したいという意欲を表明した。
大連立騒動
2007年(平成19年)11月2日に福田は民主党代表の小沢一郎と党首会談を行い、その場で大連立について話し合った。小沢代表は合意したが、他の民主党幹部がこぞって反対したため、この大連立構想は頓挫した。
内閣改造
7月30日に内閣改造の意向を表明、当初は8月4日に組閣が予想されたが、行事が詰まっていることや土日を挟むことを懸念して8月1日に内閣改造を行い、翌2日に福田康夫内閣改造内閣が発足した。
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