福江藩 富江領(富江藩)

福江藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/25 05:52 UTC 版)

富江領(富江藩)

五島氏第23代当主(福江藩の第3代藩主)・五島盛次の弟・五島盛清(富江五島家初代当主)が、寛文元年(1661年)、宗家・福江藩より分知して富江藩が成立し、政庁として富江陣屋が築かれた。石高は3000石で、高家交代寄合(大名格)として扱われた。

第6代当主・五島運龍(瑞鳳公)は、将軍・徳川家斉側衆、大番頭役、京都二条城在番、大坂城番、諸国巡見使を歴任した。第7代当主・五島盛貫(将軍・徳川家茂側衆)の時代には、実高1万600余石となった。

慶応4年(1868年)、福江本藩藩主の五島盛徳が政府に申し出たことにより、第8代当主五島盛明の代に領地を没収し福江藩に併合され、代わりに蔵米三千石を渡すことになったが、これは福江藩が海防などによる出費が増えるため、収入増を目指したものであった。富江領民は反発し、武装蜂起して激しく抵抗した(富江騒動)。明治2年に新政府により沙汰が出され、旧領内の1千石のみが認められた。ただしこの1千石の認可は実体の無いものであり、同年中に同じく新政府により代替地として北海道寿都町の地を与えられたが、これも移住などの行動は行っていない。

歴代富江領主

五島家 表高家交代寄合 3000石

  1. 盛清
  2. 盛朗 - 室は筒井正勝娘。元禄元年(1688年)に藩校成章館を開設した。
  3. 盛尚
  4. 盛峯 - 室は小笠原貞通
  5. 盛恭 - 五島盛道の四男。室は奥田高甫娘。
  6. 運龍 - 室は京極高文娘。後室に林忠英
  7. 盛貫 - 婿養子[※ 1]徳川家茂侍役。福江本藩の福江城の築城許可を取りつける。異国船方在役。
  8. 盛明 - 実父は溝口養正
  9. 基民 - 実父は五条為定
  10. 聰千代 - 初代富江町長。

  1. ^ 実父は松平維賢?


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