神社本庁
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概説
神社本庁は、神道系の宗教団体として日本最大であり、約8万社ある日本の神社のうち主要なものなど7万9千社以上が加盟している[5]。都道府県ごとに神社庁を持つ[6][5]。
神社本庁の宗教法人としての規則である「宗教法人「神社本庁」庁規」では、第3条で、神社本庁の目的を、包括下の神社の管理・指導、神社神道の宣揚・神社祭祀の執行・信者(氏子)の教化育成・本宗である伊勢神宮の奉賛・神職の養成・冊子の発行頒布を通じた広報活動などとしている。
歴史
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前史
1872年(明治5年)、伊勢神宮の少宮司で教部省にも所属した浦田長民が神宮教会を設立した。
1875年には全国の神道諸派を結集させた行政団体として神道事務局が創設され、総裁には有栖川宮幟仁親王、副総裁には岩下方平が就任した。1882年には神道事務局から生徒寮を分離独立させて神職の中央機関である皇典講究所が創設。神道事務局のほうは1884年、神道本局と改編された。1885年には会通雑誌社『会通雑誌』が創刊され、皇典講究所と神道本局の録事や官報、外国の彙報、官国幣社の祭日などが報じられていた[7]。
1890年(明治23年)11月29日に施行された大日本帝国憲法第28条により、国民の「信教の自由」が認められると、神道も仏教、キリスト教とともに宗教団体として国家の公認を得ることになったが、一方で、神社は国家から宗教として扱われないまま国家祭祀を公的に行う位置づけとされた[8]。 皇典講究所は教育機関として國學院を設置。
1898年(明治31年)に全国神職会が結成され、全国の神社の連携が強化された[9]。1900年(明治33年)、社寺局から独立するかたちで、内務省社寺局が神社局と宗教局として再編され、神社と仏教が区別されることとなる[10]。全国神職会は後に「大日本神祇会」と改称し、神社本庁の前身団体の一つとなる[10]。
1899年には神宮教が神宮奉斎会に発展。
1909年1月30日、獨逸学協会幹部で国鏡社社主の飯山正秀が、皇道学と教育勅語の普及を目的とする教育団体日本奨学義会を創設[11][注 1]。
明治末期になると、皇室祭祀関連の規定も整備され、大正に入ると全国神社の祭祀・祭式の形式も整う[13]。
1917年(大正6年)、 日本基督教会が「神社に関する決議」声明により神社非宗教論を否定した[注 2]。
1918年(大正7年)、今泉定助が皇典講究所の理事に就任し、國學院を拡充したうえ翌年國學院大學と改称。1920年(大正9年)に國學院大學は旧制大学に昇格した。今泉は1921年(大正10年)には神宮奉斎会の会長になった。
昭和期に入り、1938年には日本大学皇道学院が設立され今泉定助が院長に就任[注 3]。1940年に神祇院が設置される[15]。
1945年(昭和20年)10月4日に、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)が「思想、宗教、集会及言論の自由に対する制限」を撤廃し「天皇、国体及日本帝国政府に関する無制限なる討議」を認める「自由の指令[16]」を公布する[17]。12月15日には、神道指令を日本政府に命じ、神祇院の廃止がされ、12月28日に「宗教法人令」が公布され即日施行され、「宗教団体法」が廃止された[18]。
神道指令については、西洋で見られる緩やかな政府と宗教の分離とはかけ離れた、国家から宗教的要素を完全に分離させることを目的とする過激な内容との神社本庁側の見解がある[19][17]。ただし靖国神社や護国神社を含めGHQにより破壊された神社はなく、国家による支援が廃止されただけである。
1946年(昭和21年)1月23日、「神道指令」に伴い、大日本神祇会、皇典講究所、神宮奉斎会の3団体が中心となり、神社本庁を設立した。
神社本庁の設立
神祇院は占領軍の圧力を想定せず、神社非宗教の立場で現体制を維持出来るものと思っていたが、「神道指令」の発布と同日に廃止された[20]。一方で、葦津珍彦は厳しい弾圧があると想定しており、皇典講究所の吉田茂(“大磯の吉田”こと、のちの内閣総理大臣の吉田茂は同姓同名の別人)、神宮奉斎会の宮川宗徳とともに打開策を探っていた[20]。
1945年(昭和20年)10月25日、葦津の「神社制度改革に対する私見」が、大日本神祇会、皇典講究所、神宮奉斎会の関係者に提示され、民間主導により、神社界の生き残りをかけた話し合いの場がもたれる[20][21]。葦津案は、「正確な情報の伝達と統一ある処理を行う全国組織の構築」、「各神社の緩やかな連合体としての神社連盟」、「この神社連盟には教義についての採決権を与えない」とする内容であった[20]。11月7-8日に、第2回の民間三団体の合同懇親会が開催され、「三団体は合同する」、「準備事務局を神祇会館に設ける」、「合同についての原案を作成して審議会を開催する」という3点が可決された[20]。しかし、11月13日に、一つの宗教団体のように教義採決権や傘下神社の人事権をもつとする、大日本神祇会の「神社教(仮称)教規大綱案」が、設立準備審議会に提出される[20]。これに対し、葦津は、「教義を固定化することは神社神道の本質に反し、占領下で強力な中央集権組織を造れば占領軍の干渉に有利に働く」と主張し、大日本神祇会案に強く異議を唱える[20]。翌14日に、葦津案を基調とした折衷案が、宮川宗徳から提出され、改めて、検討されることとなった[20]。こうして、審議会は、葦津案を中心に神社界の組織構想を練り上げ、1946年(昭和21年)1月23日、「全国神社の総意に基き、本宗と仰ぐ皇大神宮の許に、全国神社を含む新団体を結成し、協力一致神社本来の使命達成に邁進し、以て新日本の建設に寄与せんことを期す。」として神社本庁設立に関する声明が発せられて宗教法人である神社本庁が発足し、2月3日をもって設立する[20][22]。神社本庁の発足に従い、宗教法人法(宗教法人令)のもと、神社も、他の宗教と同じく宗教団体として扱われることとなった[10]。
本庁の設立の際、神宮奉斎会から10万円が神社本庁に寄付され、奉斎会の地方本部奉斎所のうち「相当ノ設備ヲ有スル」(宮川による説明より)ものは神社として再発足した[23]。たとえば東京の奉斎会本院は1946年(昭和21年)3月に神社本庁に神社設立を申請し、東京大神宮として再発足した[23]。
1956年(昭和31年)5月、神社信仰の基本となる指針として「敬神生活の綱領」を掲げ、氏子・崇敬者の教化・育成に努めている。また、1980年(昭和55年)7月から「神社本庁憲章」を施行し、神社本庁の精神的統合の基本的規範を確立した[24]。
教義
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神社本庁憲章
神社本庁は全国約8万社の包括宗教法人である。各神社にはそれぞれ由緒があり、信仰的にも八幡信仰、稲荷信仰などと様々であって、一つの教義を定めるのは非常に困難であった。そこで1980年(昭和55年)5月21日評議員会議決を以て「神社本庁憲章」を定めた。その経緯と位置づけは前文に「今日まで重要な懸案とされてきたのは、精神的統合の紐帯として、基本的規範を確立整備することであつた。」とあり、その効果については附則に「この憲章施行の際、庁規及び従前の規程等は、この憲章に基いて定めたものとみなす。」とある。
第一条は「神社本庁は、伝統を重んじ、祭祀の振興と道義の昂揚を図り、以て大御代の彌栄を祈念し、併せて四海万邦の平安に寄与する。」とある。
敬神生活の綱領
「神社本庁憲章」以前、神社本庁の実践的精神を示すものとして、昭和31年(1956年)に制定されたのが「敬神生活の綱領」である。
神道は天地悠久の大道であって、崇高なる精神を培ひ、太平を開くの基である。
神慮を畏み祖訓をつぎ、
一 大御心をいただきてむつび和らぎ、国の隆昌と世界の共存共栄とを祈ること
いよいよ 道の精華を発揮し、
人類の福祉を増進するは、使命を達成する所以である。
ここにこの綱領をかかげて向ふところを明らかにし、実践につとめて以て大道を宣揚することを期する。
一 神の恵みと祖先の恩とに感謝し、明き清きまことを以て祭祀にいそしむこと
一 世のため人のために奉仕し、神のみこともちとして世をつくり固め成すこと
神社本庁には成文化された教義はないが、『神社本庁憲章の解説』によれば神社本庁は「神社本庁憲章」と「敬神生活の綱領」を以てその設立及び活動の精神としている[25]。
注釈
出典
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- ^ 神社本庁 > 神社本庁のご案内 > 関係団体一覧
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固有名詞の分類
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