神棚 忌中の時

神棚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/20 00:15 UTC 版)

忌中の時

身内に不幸があった時は、50日間神棚の扉を閉め、白い紙を貼って隠し、お供え・拝礼もしてはならない[11][12]

「赤不浄」といって、出産や月経の穢れを「血の忌み」とし、「死の忌み」に関しては「黒不浄」と呼ぶ[13]。かつて、この不浄期間中、女性は神事に携わることが禁じられており、参拝することも、神棚の前に出ることも許されなかった(前書 88ページ)。神職の家では厳しくこの忌みを守るが(前書 88ページ)、これらの考え方は、男子が神事を司るようになって現れたとも考えられ、女性の神職が中心となって祭りを行う沖縄の島々では、こうした穢れの意識が希薄であると指摘される(前書 88ページ)。

神棚の歴史

を祀るを設けた最古の記述は『古事記』にある。すなわち「天照大神高天原を統治することになった時、伊弉諾尊の御頸珠を御倉板挙之神として棚に奉斎した」とある[14]

陰陽道の最盛期といわれる平安時代中期頃から、病気や疾病、地震、火災、天災など、それらを祟りが起こすものと考えられ、祟りを起こすの存在を鬼に例えて恐れたといわれる[15]。鎌倉時代前期に著された「陰陽道旧記抄」に「竈、門、井、厠、者家神也云々」とあり、井戸、竈、厠など、病気に直結する場所を神格化させて、諸々の宅神から祟りをうけぬよう祭祀を行っており[16]、竈神、門神、井戸神、厠神など、様々な場所の神を宅神とした崇めていた歴史がある。また、宮城を造営する際、君主が世界を支配するために天(神)と繋がる中心点が重要であるとして太極殿を建て、代表的なものに、平安神宮外拝殿がある[17]が、建物の太極(中心点)が、万物の根源、陰陽の根源とつながるものと考えられ、万物には当然のごとく神が宿ることから、そこに建てる重要な柱を太極柱と呼ぶことになる。地方によっては、大国主の神をお祀りすることから大黒柱ともいい、太い柱を大黒柱と一概にいうわけではない[18]伊勢神宮正殿に見られる心御柱(しんのみはしら)も、日本の神が、木や柱を依り代(よりしろ)とするため、神が依り憑く神籬 (ひもろぎ)としている[19]ため、古来は神棚ではなく、家の中心とする柱やそれぞれの場所(井戸、厠、門、竈)に手を合わせ[16]現代の神棚のように崇めていた[18]

神棚が日本の歴史に登場するのは、近世江戸時代中期頃である。もともと神道では神とは常在のものでは無く、人が祀る時に初めて現れるものとされる為、神の常在を前提とした神棚の成立はそう古いものでは無く、古代日本には神棚は存在しない。 なお、『神道大辞典』では「鎌倉時代から室町時代初期(中世)にかけて伊勢両宮の神官等が神符を各地に配布する頃に神棚が誕生した」と説明している[20]

近世以降の神棚

江戸時代には伊勢神宮や富士に参詣する事が観光旅行として庶民に広まっており、この時、旅行案内人としての役割を担った存在に御師(おし)がある。御師は身分的には百姓と神職の中間に位置づけられて、全国にお神札(ふだ)を配布しながら伊勢神宮への信仰を勧めた。信仰を勧める戦略の一つとして、御師は大神宮棚というものを考案する。 これは伊勢神宮のお神札を家庭で祀ることの出来る物であり、これが今で言う神棚に当たる。神棚が各地の神社の御師によって広められることで、やがて庶民の間に、神道上の慣習として定着するようになった。 その後、明治4年(1872年)に発せられた太政官布告によって、全国の戸長に身分証を兼ねた守札が配布されたが、それを納める場所が必要となったことから神棚の普及がさらに広まったと考えられている[1]

武道道場の神棚

現代の武道道場にはよく神棚が祀られているが、江戸時代の道場は神棚ではなく、『日本書紀』や『古事記』など日本神話から「剣の神、武の神」とされた「鹿島大明神」(武甕槌神)と「香取大明神」(経津主神)の二柱の神名、さらに幕末期には尊皇攘夷思想の高まりとともに「天照皇大神宮」(天照大神)を中央に加えた三柱の神名を書いた掛け軸が床にかける神床であった。

道場に神棚が祀られるようになったのは明治時代以降の国家神道の影響である。1936年昭和11年)、文部省主催の体育運動主事会議において、「道場ニハ神棚ヲ設クルコト」という答申が行われ、学校の道場への神棚設置が義務化された[21]。その下に日章旗が掲揚され、稽古の際に神拝が行われるようになった。

第二次世界大戦後、連合国軍最高司令官総司令部が学校教育への武道を禁止し、1946年(昭和21年)1月12日に大日本武徳会理事長藤沼庄平から都道府県支部長宛に「神殿、神棚等撤廃ニ関スル件」が発せられ、神棚は撤去された。ただし現代においても一部の国公立校、多くの私立校では神棚が祀られている。

神棚と家相の関係

家相では、家の中心点を 「太極柱大黒柱)」「囲炉裏」「神棚」「一家の主の正寝」「商店は床の間」「武家玄関」 など、15を超える中心点の流派があり[22]、神棚を置く場所自体がその家の中心とする考えがあった。また明治維新まで絶大な権力をもった土御門家は「一家の主の正寝を中心」としていたため、正寝に神棚を置いたり、特に武家は玄関に神棚を祀っていた歴史がある[23]


  1. ^ a b c d 森隆男(編)『住の民俗事典』 柊風舎 2019年 ISBN 978-4-86498-061-6 pp.177-182.
  2. ^ a b 家にまつられる神々”. 狛江市教育委員会. 2021年1月16日閲覧。
  3. ^ 神棚について - 辞典
  4. ^ a b c d e 『神道』 202頁。
  5. ^ a b c d e f g 三橋 健 『決定版 知れば知るほど面白い!神道の本』西東社、2010年、232頁。 
  6. ^ 三橋健『ビジネスマンの常識 神社のしくみと慣習・作法』2007年、日本実業出版社、ISBN 978-4534043115、114ページ
  7. ^ 神棚の祀り方(図解説明)
  8. ^ 小池 2015, p. 58.
  9. ^ a b 『神道』 203頁。
  10. ^ 小野迪夫、金子善光『祝詞必携』2004年、戎光祥出版、ISBN 4900901385、87ページ
  11. ^ 三橋健『ビジネスマンの常識 神社のしくみと慣習・作法』135ページ
  12. ^ 神田明神『神社のおしえ』小学館、196ページ
  13. ^ 大間知篤三他多数共著 『民俗の事典』 岩崎美術社 1972年 88ページ
  14. ^ 『神社本庁教学研究所神道のしきたりと心得』1990年2月5日神社本庁発行全224頁中63頁
  15. ^ 小池 2015, p. 36.
  16. ^ a b 小池, 2015 & p36.
  17. ^ 小池, 2015 & p50.
  18. ^ a b 小池 2015, p. 51.
  19. ^ 小池, 2015 & p62.
  20. ^ 『神道大辞典』臨川書店1937年7月19日全1474頁中356頁
  21. ^ 日本武道学会剣道専門分科会編『剣道を知る事典』123頁、東京堂出版
  22. ^ 小池 2015, p. 43.
  23. ^ a b 小池 2015, p. 45.


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