神慈秀明会 行事

神慈秀明会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/20 06:46 UTC 版)

行事

本部式典(年次)

行事 日時 備考
元旦祭 1月1日 0時ちょうど、または10時
立春祭 2月4日 立春は教義上意味のある日とされている。
教祖祭 2月10日 岡田茂吉 教祖の命日
復活祭 3月1日 神慈秀明会が世界救世教に対し離脱独立を宣言した日を記念した式典
記念大祭 5月3日~5日 神慈秀明会最大の祭典。

昭和58年の同日に本部神苑、神殿、教祖殿の落慶式典が挙行されたのに由来する祭典である。 大部分の実働信者が参拝するとされている。

認証感謝祭 6月2日 神慈秀明会が世界救世教からの法律的独立が承認された日
地上天国祭 6月 15日 岡田茂吉教祖が天啓を受けた日。神苑の日の出時刻に合わせ、早朝に執り行われる。
清和命様年祭 9月1日 小山 弘子 2代目会長の命日
男子大祭 毎年10月第3日曜日 男子部の記念祭典

従来日曜祭で行われていた祭典を独立発展させたことに由来する

青年大祭 毎年11月 青年部の祭典
会主様年祭 11月29日 小山 美秀子 会主の命日
感謝祭 12月1日 信者らの手による自然農法の農作物の奉納が行われる。
明主様御降誕祭 12月23日 岡田茂吉教祖の生誕日
新入信者会 不定期(年数回)以前より回数は減少したが、主に4月に新中生とともに行われる。 第三講とも呼ばれる参拝であり、各拠点で入信した信者は、この新入信者会の参加をもって本信者と認められる。

本部式典(月次)

行事 日時 備考
月次祭 毎月1日 神道の同祭礼に相当する行事

本部については毎月1日に執り行われ各拠点の支部長・教師(資格者)は全員参加しないといけない行事になる

 日曜祭 毎月第1日曜日 第一日曜日が1日の場合は、月次祭と兼ねられる。
 慰霊祭 毎月10日(2月は9日) 先祖供養を行う式典。

拠点式典

行事 日時 備考
月次祭 毎月、拠点ごとに定められた日

 関西近郊の支部・出張所は13日。遠隔は8日

神道の同祭礼に相当する行事

本部の月次祭が1日に執り行われるため、各拠点の支部長・教師(資格者)が主催する祭礼は左記の日付で執り行われる。

感謝奉告祭 毎月、拠点ごとに定められた日 執り行わない拠点もある。
記念祭 毎年、拠点ごとに定められた日 名称を使わない拠点もある。感謝祭など。

  1. ^ 真光系諸教団を世界救世教の分派とみなした場合は、最大規模の分派は崇教真光になるだろう。ただし、真光系諸教団は岡田茂吉を教祖としておらず、教義は世界救世教の影響を強く受けてはいるものの、独自のオリジナルな教義と公言しており、分派としての関係性は低い。
  2. ^ a b c 新伝道の手引き第一部(ISBN 4-9900003-0-7)の解説書、2ページに、「御教え(岡田茂吉の教義)は、四百字詰原稿用紙換算で約1万7千枚もあります」と記されている。これを単純に文字数にすると、6,800,000文字となる。神慈秀明会の聖教書は、33文字×15行×442ページで、単純に文字数にすると、218,790文字である。これを割合に換算すると、3.2%程度となる。
  3. ^ 護られた街編集委員会 編 『護られた街 実録 カルトは防げる撃退出来る』 ISBN 4-9980905-1-8
  4. ^ 集会所建設反対運動(横浜市青葉区)
  5. ^ 東戸塚・集会所建設反対運動(横浜市戸塚区)
  6. ^ 神慈秀明会の建設反対運動を行っている周南市議会議員長谷川かずみのホームページ [1]
  7. ^ 宣言:神慈秀明会集会所建設に反対します
  8. ^ 死因は諸説ある。過度の歯槽膿漏による膿での窒息死という説もある。
  9. ^ なお、この観音の絵画は、教団では教祖が描いた物と説明しているが、実際には、オリジナルの絵画を第三者が模写した、同教団制作のレプリカであったことが判明している。
  10. ^ 例外的に、本部がある滋賀県の県知事や県会議員などとは交流を持つ傾向がある。滋賀県知事当時の武村正義や、滋賀県議会議員当時の岩永峯一などとの交流は信者に向けても公にされていた
  11. ^ 訴訟を好まない姿勢は、信者に対して、この教団は争いごととは無関係な平和な教団であるという姿勢を保ちたいからだと思われる。近年は、教団の方針による集会所などの建設の促進と、その建設に対する地域住民の反対運動の活発化により、建設遂行のための手段として、小さな訴訟を行うケースも現れてきている。ただしそういった訴訟も、積極的には信者に公にされることはなく、信者に対してこの教団は訴訟事とは無縁であるというように見せる姿勢は崩していない
  12. ^ モハマド君事件
  13. ^ a b c d e ここで言う神とは、主催神の大光明(みろくおおみかみ)であるというよりも、教祖であり神人合一である岡田茂吉(信者は明主様と呼ぶ)のことを指す。
  14. ^ 三省堂提供「大辞林 第二版」[リンク切れ]
  15. ^ 旧体制という用語は神慈秀明会自身による命名とは言えないが、世間の慣例として、新体制の前は旧体制と呼ばれるのが一般的であること、また、本部勉強会などの公式の場でも幾度も使用されており、信者間の会話やネット上の記述でもその時代を旧体制と呼ぶことがすでにある程度定着した用語であるため、 本項でも便宜上使用している。
  16. ^ 神慈秀明会で教えられる離脱の神意の物語では、世界救世教の幹部や、離脱についていかなかった秀明教会の元支部長などが個人名を明らかにして悪役として登場し、それらの人物らの批判も大々的に行われているが、本項目の解説では個人名の記述は省略する。
  17. ^ 当時の文部省文化庁を通さず、京都府知事蜷川虎三が、直接認可している。
  18. ^ 実際には教祖在世時と同様ではなかったことが、後の研究により明らかにされている
  19. ^ 『飛天』 P.78





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