神慈秀明会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/20 06:46 UTC 版)
組織
教祖・教団創設者・会長職
教祖は世界救世教教祖の岡田茂吉。信者は「明主様(めいしゅさま)」と呼ぶ。神慈秀明会の信仰は「明主様信仰」と言われており、岡田は教祖であると同時に、信仰の対象でもある。
教団創始者は小山美秀子。信者は「会主様(かいしゅさま)」と呼ぶ。世界救世教から独立を実行した開祖という立場であり教祖ではないが、神慈秀明会では事実上教祖以上の尊敬対象になっている。会主は会長よりも上位の役職であり、おそらく美秀子のためにだけ存在する役職である。彼女の死後、2代目会主には誰も就任していない。
現会長(代表役員)は美秀子の長女である小山弘子。前会長の小山荘吉は美秀子の長男。荘吉が48歳の若さで急逝したため、会主の美秀子は急遽、布教、信仰経験のない弘子を会の代表に任命した。信者はかつて荘吉を「会長先生」と呼んでいたが、荘吉の没後は弘子を「会長先生」と呼び、荘吉については「命様(みことさま)」と呼ぶようになった。
役職
役職には、教師(資格者)、助教師、世話人、準世話人がある。
世話人とは、一定の信者を導く事でなれる。導いた信者をグループ化し、信仰的な世話をする。助教師は、複数の世話人を統括する。教師は複数の助教師を統括したり、参拝所の運営をしており、階層的な組織を構成する。教師の役職はすべて本部の職員で、一部の助教師も職員の者がいる。また、教師にも階位が3段階あり、支部長、拠点長などと呼ばれる。
信者
神慈秀明会ではおひかりと呼ばれるお守りを授かることで入信(にゅうしん)する。入信すると信者となり、第三講(新入信者会)と呼ばれる本部参拝によって本信者となる。入信していない人は未信者と呼ぶ。なお、くもり信者とは、退会した信者のことではなく、不熱心で活動に参加しない信者や、教団に批判的な姿勢をとる信者のことをさす名称である。
信者は、青年部(未婚の若い男女)、学生部(中・高校生)、ジュニア部(幼児、小学生)、男子部(既婚の男性、または若くない男性)に所属する。青年部は、さらに大学生部と、成人部(大学生ではない若い男女)に分けられる。なお、既婚の女性が所属する部(婦人部など)は、なぜか存在せず、一般と呼ばれ、部としてはあつかわれなかった。
信者数は、現在は公称44万となっている。また、参考までに、1970年の独立当時の信者数は、1万人強だったと言われている。
参拝所
参拝所は本部以下、その規模により「支部」、「出張所」、「集会所・センター」、グループ、と分類される。グループ以外は責任者として本部公認の教師が常駐し管理される。参拝所は、日本全国で、最大時100カ所を越えていた。なお、「支部」、「出張所」、「集会所」の区分は毎月の秀明紙勉強会(秀勉)受講者数などによって区別されている。
※秀明紙勉強会(秀勉)については戒律の節を参照のこと
参拝所の区分 | 秀勉受講者数 |
---|---|
支部 | 月平均1,000名以上 |
出張所 | 月平均 100名以上 |
集会所 | 月平均 100名未満 |
所在地
本部:〒529-1814 滋賀県甲賀市信楽町田代 ヰカキ353-8-2
上記が正式な住所だが、団体としては信楽町以下を「神苑2」という通称で表記している。国から認められている訳ではないが、郵便物などは一応届く。
なお、信者らが称する「本部」とは、滋賀県信楽町の神苑の事を指す。神慈秀明会の登記上および実務上の本部は、京都府京都市左京区鹿ケ谷下宮ノ前町20の神慈秀明会京都支部内にある。これは世界救世教から離脱を行った当時には現在の京都支部を本部として申請し、京都府知事から承認を得ているからである。
黄島全域を所有しており、定期航路はない。貝殻をイメージした黄島神殿などの建物がある。
日本国内の支部:
札幌・東京・千葉・名古屋・滋賀・京都・奈良・豊中・神崎・玉手山・西宮・神戸・本山・姫路・福山・広島・松山・高知・北九州・福岡・熊本
(ただし、神戸・本山の2支部は神戸総合支部として同一建物内に存在する。また、滋賀は守山研修所という本部の建物と合同の建物となっている)
日本国内の出張所:
旭川・青森・盛岡・仙台・秋田・日立・水戸・さいたま・八王子・横浜・さがみ・宇都宮・松本・新潟・富山・金沢・岐阜・静岡・浜松・豊橋・豊田・近江八幡・交野・日根野・須磨・岡山・米子・松江・呉・徳山・山口・高松・徳島・長崎・宮崎
日本国内の集会所・センター:
山形・福島・足立・高崎・甲府・所沢・福井・三重・和歌山・鳥取・佐賀・鹿児島・沖縄
※上記は本部直轄の拠点であるが、上記拠点に属する参拝、集会を行う集会所・センターが存在する。
- ^ 真光系諸教団を世界救世教の分派とみなした場合は、最大規模の分派は崇教真光になるだろう。ただし、真光系諸教団は岡田茂吉を教祖としておらず、教義は世界救世教の影響を強く受けてはいるものの、独自のオリジナルな教義と公言しており、分派としての関係性は低い。
- ^ a b c 新伝道の手引き第一部(ISBN 4-9900003-0-7)の解説書、2ページに、「御教え(岡田茂吉の教義)は、四百字詰原稿用紙換算で約1万7千枚もあります」と記されている。これを単純に文字数にすると、6,800,000文字となる。神慈秀明会の聖教書は、33文字×15行×442ページで、単純に文字数にすると、218,790文字である。これを割合に換算すると、3.2%程度となる。
- ^ 護られた街編集委員会 編 『護られた街 実録 カルトは防げる撃退出来る』 ISBN 4-9980905-1-8
- ^ 集会所建設反対運動(横浜市青葉区)
- ^ 東戸塚・集会所建設反対運動(横浜市戸塚区)
- ^ 神慈秀明会の建設反対運動を行っている周南市議会議員長谷川かずみのホームページ [1]
- ^ 宣言:神慈秀明会集会所建設に反対します
- ^ 死因は諸説ある。過度の歯槽膿漏による膿での窒息死という説もある。
- ^ なお、この観音の絵画は、教団では教祖が描いた物と説明しているが、実際には、オリジナルの絵画を第三者が模写した、同教団制作のレプリカであったことが判明している。
- ^ 例外的に、本部がある滋賀県の県知事や県会議員などとは交流を持つ傾向がある。滋賀県知事当時の武村正義や、滋賀県議会議員当時の岩永峯一などとの交流は信者に向けても公にされていた
- ^ 訴訟を好まない姿勢は、信者に対して、この教団は争いごととは無関係な平和な教団であるという姿勢を保ちたいからだと思われる。近年は、教団の方針による集会所などの建設の促進と、その建設に対する地域住民の反対運動の活発化により、建設遂行のための手段として、小さな訴訟を行うケースも現れてきている。ただしそういった訴訟も、積極的には信者に公にされることはなく、信者に対してこの教団は訴訟事とは無縁であるというように見せる姿勢は崩していない
- ^ モハマド君事件
- ^ a b c d e ここで言う神とは、主催神の大光明(みろくおおみかみ)であるというよりも、教祖であり神人合一である岡田茂吉(信者は明主様と呼ぶ)のことを指す。
- ^ 三省堂提供「大辞林 第二版」[リンク切れ]
- ^ 旧体制という用語は神慈秀明会自身による命名とは言えないが、世間の慣例として、新体制の前は旧体制と呼ばれるのが一般的であること、また、本部勉強会などの公式の場でも幾度も使用されており、信者間の会話やネット上の記述でもその時代を旧体制と呼ぶことがすでにある程度定着した用語であるため、 本項でも便宜上使用している。
- ^ 神慈秀明会で教えられる離脱の神意の物語では、世界救世教の幹部や、離脱についていかなかった秀明教会の元支部長などが個人名を明らかにして悪役として登場し、それらの人物らの批判も大々的に行われているが、本項目の解説では個人名の記述は省略する。
- ^ 当時の文部省文化庁を通さず、京都府知事蜷川虎三が、直接認可している。
- ^ 実際には教祖在世時と同様ではなかったことが、後の研究により明らかにされている
- ^ 『飛天』 P.78
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