石橋湛山 外部リンク

石橋湛山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/30 15:25 UTC 版)

外部リンク

公職
先代
鳩山一郎
内閣総理大臣
第55代:1956年 - 1957年
次代
岸信介
先代
愛知揆一
通商産業大臣
第10-12代:1954年 - 1956年
次代
水田三喜男
先代
渋沢敬三
大蔵大臣
第50代:1946年 - 1947年
次代
片山哲 (臨代)
党職
先代
鳩山一郎
自由民主党総裁
第2代:1956年 - 1957年
次代
岸信介

注釈

  1. ^ 1956年4月自由民主党総裁選挙は事実上の信任投票であった。
  2. ^ 湛山の『私の履歴書』によれば「幼名は省三(せいぞう)と呼ばれ、愛称はセイチャンであった。“吾れ日に三たび吾が身を省みる”という論語の有名な言から出ている文字である」と述べている。
  3. ^ 湛山の『私の履歴書』によれば、「父が若くして弟子入りした山梨県の昌福寺という日蓮宗の寺院には古くから湛の字を名につけるならわしがあった。父は湛誓と称し、私もこの理由で中学を卒業するころ湛山と改名したのである」という。
  4. ^ 湛山は『湛山回想』の中で、「明治三十五年三月、中学を卒業すると、東京に出た。六月か、七月かにある第一高等学校の入学試験を受けるためであった。…神田錦町の正則英語学校に通った。…ここで私は、入学試験の準備をすることにした。しかし私は、この学校に来てみて驚いた。…大きな教室に、生徒はげたばきのままで雑然と入り込み、出席簿をつけるでもない。人気のある先生の時間には、あふれて、立っている生徒もある。かと思えば、ある先生の時間には、数えるほどしか出席者がない。しかも講義の途中でさっさと持ち物をかたづけて帰って行く生徒もある。いなか者の私は、これでも学校かとあきれたのである。…入学試験準備のための、そのころの学校は回想してみても愉快なものではなかった」と書いている。
  5. ^ 日本国憲法第63条では首相は議院から要求されれば国会に出席しなければならない規定が存在する。
  6. ^ 病気療養していた首相に議会決議してまで国会出席を要請することはしなかった。
  7. ^ 首相として迎えた第26回通常国会の施政方針演説は岸が代読している。

出典

  1. ^ 上田正昭ほか監修 著、三省堂編修所 編『コンサイス日本人名事典 第5版』三省堂、2009年、104頁。 
  2. ^ 姜(2014)、p.1
  3. ^ 増田(1995)、pp.3 - 4、
  4. ^ 増田(1995)、pp.3 - 4、姜(2014)、p.1
  5. ^ 増田(1995)、p.4
  6. ^ 増田弘『石橋湛山 リベラリストの真髄』3-4頁
  7. ^ a b c 姜(2014)、p.2
  8. ^ a b 浅川(2008)、p.30
  9. ^ 浅川(2008)、p.194
  10. ^ 浅川(2008)、pp.30 - 31
  11. ^ 浅川(2008)、p.15
  12. ^ 浅川(2008)、p.17
  13. ^ 浅川(2008)、p.18
  14. ^ 浅川(2008)、p.19
  15. ^ 増田弘『石橋湛山 リベラリストの真髄』9頁
  16. ^ a b c d 姜(2014)、p.31
  17. ^ a b 「陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿. 大正15年4月1日調」
  18. ^ a b 姜(2014)、p.32
  19. ^ a b 姜(2014)、p.29
  20. ^ 浅川(2008)、p.79
  21. ^ 理事長挨拶 社団法人 経済倶楽部
  22. ^ 浅川(2008)、pp.79 - 80
  23. ^ 牧野・小堀(2014)。戦時経済特別調査室の資料は 名古屋大学大学院経済学研究科附属国際経済政策研究センター情報資料室のウェブサイト にて閲覧可能である。
  24. ^ a b c d e f g h i 松尾編『石橋湛山評論集』(1984)pp.310-313
  25. ^ 『石橋湛山評論選集』東洋経済新報社、1990年、391-392頁
  26. ^ 麻木久仁子・田村秀男・田中秀臣 『日本建替論 〔100兆円の余剰資金を動員せよ!〕』 藤原書店、2012年、78頁。
  27. ^ 麻木久仁子・田村秀男・田中秀臣 『日本建替論 〔100兆円の余剰資金を動員せよ!〕』 藤原書店、2012年、79頁。
  28. ^ 5-5 総選挙 史料にみる日本の近代”. 国立国会図書館. 2020年8月14日閲覧。
  29. ^ 「過度経済力集中排除法等を廃止する法律(昭和30年7月25日法律第87号)」審議経過 - 国立国会図書館、日本法令索引。審議では同法廃止に懸念を持つ日本社会党田中武夫などからの質疑を受けている。
  30. ^ 昭和32年 - 日本医師会 (PDF)
  31. ^ “国民皆保険・皆年金(12)国民皆保険の達成”. 読売新聞. (2013年8月9日). https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20130809-OYTEW62023/ 2016年10月25日閲覧。 
  32. ^ 香西泰『高度成長の時代』(日本評論社、1981年)114頁
  33. ^ 『総理大臣全62人の評価と功績』サプライズbook 93ページ。2020年9月8日。
  34. ^ 鈴村(2023)、p.207
  35. ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)3頁
  36. ^ 船橋洋一『21世紀 地政学入門』文藝春秋、2016年、249頁。ISBN 978-4-16-661064-8 
  37. ^ a b 田中秀臣 『経済政策を歴史に学ぶ』 ソフトバンククリエイティブ〈ソフトバンク新書〉、2006年、212-213頁。
  38. ^ 「石橋湛山大いに語る」『東洋経済新報』第2759号(昭和32年1月5日)、1957年、26-29頁
  39. ^ 東洋経済昭和21年3月16日号「社論」など
  40. ^ 「石橋湛山年譜」『石橋湛山全集』第15巻、東洋経済新報社、2011年、287、297頁
  41. ^ 「復活第1回生存者叙勲201人発表」『読売新聞』1964年4月28日夕刊1面
  42. ^ 「故石橋氏に桐花大綬章」『読売新聞』1974年4月26日夕刊2面
  43. ^ 『石橋湛山 リベラリストの真髄』4-5頁
  44. ^ 『私の履歴書 反骨の言論人』日本経済新聞出版社、2007年、111頁
  45. ^ a b 「石橋湛山年譜」『石橋湛山全集』第15巻、東洋経済新報社、2011年、214頁
  46. ^ a b 「石橋湛山年譜」『石橋湛山全集』第15巻、東洋経済新報社、2011年、215頁
  47. ^ 「石橋湛山年譜」『石橋湛山全集』第15巻、東洋経済新報社、2011年、217頁
  48. ^ a b c d e f 人事興信録第15版イ52
  49. ^ a b 竹内正浩:「家系図」と「お屋敷」で読み解く歴代総理大臣 昭和・平成篇
  50. ^ 佐藤朝泰著『豪閥 地方豪族のネットワーク』339頁
  51. ^ https://www.waseda.jp/top/news/67570
  52. ^ https://www.ifsa.jp/index.php?Gishibashitanzan






固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「石橋湛山」の関連用語









9
74% |||||


石橋湛山のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



石橋湛山のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの石橋湛山 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS