石垣 日本

石垣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 16:44 UTC 版)

日本

日本では木材の入手が比較的容易であったため家屋は木造が主であった[2]。しかし、日本には傾斜地が多いという地理的な特性があり、このような土地を農地や屋敷に用いるには基礎として石垣を積む必要があった[3]。日本の石垣はもっぱら石垣自体を築造するために発達してきたものであり、西洋の石垣とはその沿革が異なる[3]

古代

鬼ノ城の石垣

日本では古墳時代古墳の墳丘表面を石で葺かれるようになるとともに、石室の壁面は石を積み上げ蓋石を乗せる構造が見られるようになる。同様の技術が豪族の居館でも見られ、土塁で防御された豪族居館の土塁表面は石葺きとなっている[7]

飛鳥時代になると、『日本書紀』に斉明天皇2年(656年)「宮の東の山に石を累ねて垣となす」との記述があり、実際に斉明天皇の両槻宮ではないかとされる酒船石遺跡で大規模な石垣遺構が見つかっている。663年白村江百済・日本連合軍が敗北した後、新羅日本列島侵攻に備えて、亡命した百済人を用い、北九州から瀬戸内海沿岸各地、畿内に古代山城が築かれた。これらは版築土塁の他に部分的に石垣が用いられている。史実には確認されていないが、同様の古代の構築物であると考えられている神籠石も、7世紀前後またはそれ以降の石垣遺構であるとされる。その後、中世に至るまで大規模な石垣の技術は忘れ去られていた。

中世

蒙古襲来絵詞に描かれた石築地

1274年元寇の際、1276年までに博多湾沿岸に「石築地(いしついじ)」(元寇防塁)と呼ばれる長大な石垣の防塁が構築された。ただし、石築地は「築地(築地塀)」というだけに石積みの塀という概念で築かれているため、「石塁」であるともいわれている[8]。しかし、その後は再び大規模な石垣は用いられなくなる。

中世の城郭においては、2メートル程の小規模なものが見られ、近世の城石垣のように防御を目的としたものではなく、主に曲輪敷地が崩れるのを防ぐために用いられたと考えられている。中世の石垣技術は寺院の基壇(堂塔が建てられる台)などで用いられ、その技術が近世以降の城郭の石垣に採用された。

戦国時代

戦国時代の築城には転用石も多く使われた。

16世紀半ばに日本に鉄砲が伝来したことで、日本城郭は大きな転機を迎える。中世時代の城は、削平地(曲郭)を持ち、土塁切岸などによる防御施設が形成されていることを特徴としており(中世城郭)[9]、建物自体への防御よりも対人的な防御施設が中心であった。しかし、鉄砲という貫通力のある重火器が伝来したことにより、その攻撃を防ぐ重量構造物の建築が必要となり、それを構築するための基礎として、「石垣」が採用された。石垣という頑丈な基礎を得たことで、重厚な建物を天端いっぱいまで直立して築くことが可能になった。

この建築技法を多用したのが、織田信長、またその権力を継承する豊臣秀吉であり、「石垣」含む「礎石建物」「」の3つの特徴を持つ城郭を織豊系城郭と呼ぶ[10]。これまでの中世城郭と一線を画する織豊系城郭は、安土城大坂城に代表されるように、彼ら自身を象徴するシンボルタワーとなり、新統治者が誰であるかを城下の民に知らしめた。そのため、石垣は彼らの支配の中心であった中部~西日本を中心に広がった。

近世以降

観音寺城の石垣

16世紀半ばには、観音寺城滋賀県)で、近世の城石垣の先駆ともいわれるものが築かれていたと史料上で確認されている[11]。この時に石垣を手掛けた技術者集団が穴太衆である。穴太衆は織田信長に雇傭されて安土城の石垣を積んだとされている。その後、西日本を中心に城郭建築に石垣を用いる事例は増えていった。江戸幕府が再建した大坂城の石垣は日本最大である。

一方、東日本では概して石垣を持つ城は少なく、特に関東地方では小田原城石垣山城新田金山城八王子城江戸城を除くと大規模な石垣は見られない。これは石垣の材料となる花崗岩の産地が限られていたためで、逆に花崗岩を容易に採取できる瀬戸内海沿岸には、石垣を持つ城郭建築が多く残っている[12]。江戸時代初期の石垣では、江戸城・二条城・金沢城など石垣表面に(のみ)で、穿いて凸凹を付けたり、筋を掘るなどして化粧(装飾)をした石垣が見られる所もある[13]

石垣の積み方

近世城郭の石垣には、切り込みハギ、打ち込みハギ、野面積の3通りがある。ハギは「接」とも書き、「石と石を接合させる方法」という意味である。 これら3つの分類は江戸時代中期の儒学者、荻生徂徠が1727年(享保十二年)に著した軍学書『鈐録』において使用されたのが始まりとされる。

野面積み
自然石や、粗割り石を加工せずにそのまま積み上げる方法で、見た目は雑な感じになる。自然石や粗割り石は形やサイズがそろわないので、間詰め石という小さめの石を間に入れて隙間をなくしたり、かみ合わせを調整する。穴太衆など専門集団が存在した。
打ち込みハギ
粗割り石の接合部を加工・調整して隙間ができにくいように積み上げる方法。ただし、隙間を完全になくすことはできないので、野面積みと同様、間詰め石を入れることが多い。
切り込みハギ
石を四角く加工してブロックのように積み上げる方法で、見た目は非常に整然とする。隙間をなくすため、板のように薄く加工した間詰め石を入れることもある。

隅石

角になる部分には隅石が使われ、隅の角となる部分を補強するために大きな石が使われる。直方体の石を直角の面に互い違いに配置し、短辺になる部分に角脇石を積む技法を算木積という。この算木という語は、東アジアで使われた計算用具の算木から来ており、形状が似ていたことが由来とされる。大坂城などに見られる。

また一番下部の石は、礎石(英語:cornerstone)と呼ばれ、建築において最初に置かれ、建築の起点となる重要な石であり装飾的な加工や記録などが施される。

作庭における石垣

石垣が庭の仕切りになっている場合、の一部として活用される。乾燥するので日本ではマツバギクやマンネングサなどを植える例が多い。山間部の湿気の多いところではイワヒバなどを育てる例もある。


  1. ^ 森本繁 『村上水軍全紀行』( 新人物往来社、 2009年) pp.54 - 55.甘崎城は、鎌倉期の島城で、瀬戸内海の水軍城としては、国内最古。
  2. ^ a b c d e 田淵実夫『石垣』(法政大学出版局、1975年)176頁
  3. ^ a b c d 田淵実夫『石垣』(法政大学出版局、1975年)177頁
  4. ^ Hyslop, John. Inca settlement planning. Austin: University of Texas Press, 1990. ISBN 0-292-73852-8 pp.11-12
  5. ^ Vergara, Teresa, “Arte y Cultura del Tahuantinsuyo”, p.317
  6. ^ Gasparini, Graziano and Margolies, Luize. Inca architecture. Bloomington: Indiana University Press, 1980. ISBN 0-253-30443-1 pp.78
  7. ^ 三ツ寺遺跡
  8. ^ 三浦正幸 『城のつくり方図典』 (小学館、 2005年)
  9. ^ 村田修三「中世城郭とは」(『講座 日本技術の社会史 第六巻 土木』日本評論社、1984年)
  10. ^ 中井均「織豊系城郭の画期-礎石建物・瓦・石垣の出現-」(村田修三編『中世城郭研究論集』新人物往来社、1990年)
  11. ^ 加藤理文編 『城の見方・歩き方』( 新人物往来社、 2002年)
  12. ^ 北川建次・関太郎・髙橋衞・ 印南敏秀・佐竹昭・町博光・三浦正幸編集委員『瀬戸内海事典』( 南々社、 2007年)
  13. ^ 日本の城づくり | Trace 「トレース」
  14. ^ 島原城石垣を正確に復元 12年に豪雨で崩落
  15. ^ 城郭石垣の断面形状と安定性評価
  16. ^ 城の石垣、木の根で崩落 各地で膨らみ押し出す被害
  17. ^ 城の石垣、木の根で崩落 各地で膨らみ押し出す被害”. 朝日新聞デジタル (2012年2月8日). 2012年2月9日閲覧。
  18. ^ 吉田城石垣のはらみ進行か”. 東日新聞 (2012年2月4日). 2012年2月9日閲覧。
  19. ^ 弘前城が動く


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