睦月型駆逐艦
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同型艦
艦番による艦名
八八艦隊計画による大建艦計画により艦名不足が心配され神風型[II]、若竹型より駆逐艦は番号名となった。しかしワシントン軍縮条約により計画は中止、艦名不足の心配は無くなり1928年(昭和3年)8月1日付(同年6月1日、達第80号)で、神風型駆逐艦(第一号型駆逐艦)、若竹型駆逐艦(第二号型駆逐艦)、睦月型駆逐艦(第十九号型駆逐艦)、吹雪型駆逐艦(第三十五号型駆逐艦)等の固有艦名へ改名した[51]。
菊月までは旧暦の月の名称だったが(「葉月」は除外されている)、三日月以降の3隻は月名となっている。
艦番 | 竣工時艦名 | 1928年改名 |
---|---|---|
19 | 第十九号駆逐艦 | 睦月 |
21 | 第二十一号駆逐艦 | 如月 |
23 | 第二十三号駆逐艦 | 弥生 |
25 | 第二十五号駆逐艦 | 卯月 |
27 | 第二十七号駆逐艦 | 皐月 |
28 | 第二十八号駆逐艦 | 水無月 |
29 | 第二十九号駆逐艦 | 文月 |
30 | 第三十号駆逐艦 | 長月 |
31 | 第三十一号駆逐艦 | 菊月 |
32 | 第三十二号駆逐艦 | 三日月 |
33 | 第三十三号駆逐艦 | 望月 |
34 | 第三十四号駆逐艦 | 夕月 |
睦月型の戦歴
睦月型12隻は竣工後、佐世保鎮守府に所属した。第22、23、30駆逐隊で第二水雷戦隊を編制、吹雪型の竣工以降は1935年(昭和10年)頃まで第一水雷戦隊所属となった。上海事変や日華事変では中国方面に進出、揚子江作戦にも従事した[52]。太平洋戦争では峯風型、神風型が主に日本近海での船団護衛に就いたのに対し、旧式ながら雷装と航洋性能に勝る睦月型は中部~南太平洋の戦線や船団護衛に投入され、半数の6隻がソロモン方面で戦没した。
1941年(昭和16年)12月の開戦時、第六水雷戦隊の第22駆逐隊(皐月、水無月、文月、長月)と第30駆逐隊(睦月、如月、弥生、望月)が中部太平洋、第五水雷戦隊の第23駆逐隊(卯月、菊月、夕月)が東南アジア方面に進出し、三日月は第三航空戦隊所属で内海に待機した。第30駆逐隊は開戦直後にウェーク島の戦いに参加し、如月が沈没。その後は第22駆逐隊と共に南洋に進出し珊瑚海海戦などに参加、1942年(昭和17年)5月にツラギで菊月が沈没した。第22駆逐隊はフィリピンやジャワ島攻略作戦、バタビア沖海戦などに参加、蘭印作戦が終了すると三日月と共に南西太平洋方面の船団護衛任務に就いた。
1942年(昭和17年)7月以降、睦月・弥生・卯月・望月・夕月は激戦のソロモン海を中心に輸送作戦に従事した。8月の第二次ソロモン海戦で睦月、9月に東部ニューギニアで弥生が沈没。1943年(昭和18年)1月以降は旧第22駆逐隊も南東方面に順次投入され、2月のガダルカナル島撤退作戦などに参加した。7月に長月がクラ湾夜戦で、三日月がニューブリテン島沖、10月には望月が同島沖で沈没。1944年(昭和19年)2月に文月がトラック島空襲、6月に水無月がタウィタウィ島で米潜水艦に撃沈された。残る卯月、皐月、夕月は8月以降にフィリピンへの輸送作戦に参加するが、9月に皐月がマニラで、卯月と夕月は12月のオルモック輸送作戦で沈没し、全隻を喪失した。
同型艦
- 睦月(むつき)
- 1926年(大正15年)3月25日、佐世保海軍工廠で竣工。当初の艦名は「第十九号駆逐艦」。1928年(昭和3年)8月1日、睦月と改名[53]。1942年(昭和17年)8月25日、ガダルカナル島へ向かう輸送船団護衛中、サンタイサベル島沖で米陸軍機の爆撃を受け沈没(第二次ソロモン海戦)。
- 如月(きさらぎ)
- 1925年(大正14年)12月21日、舞鶴要港部工作部で竣工。当初の艦名は「第二十一号駆逐艦」。1928年(昭和3年)8月1日、如月と改名[54]。1941年(昭和16年)12月11日、ウェーク島攻略作戦中、同島南西岸でF4F戦闘機の攻撃を受け魚雷(一説には爆雷)が誘爆し爆沈。
- 弥生(やよい/やよひ)
- 1926年(大正15年)8月28日、浦賀船渠で竣工。当初の艦名は「第二十三号駆逐艦」。1928年(昭和3年)8月1日、弥生と改名[55]。1942年9月11日、ラビ輸送作戦の帰途、ニューギニア・ノーマンビー島東方で駆逐艦「磯風」と共に行動中、米陸軍、英軍爆撃機の爆撃を受け沈没(ラビの戦い)。
- 卯月(うづき)
- 1926年9月14日、東京石川島造船所で竣工。当初の艦名は「第二十五号駆逐艦」。1928年(昭和3年)8月1日、卯月と改名[56]。1944年(昭和19年)12月12日、オルモック輸送作戦中、米魚雷艇PT-490ほかと交戦し、被雷沈没(多号作戦)。
- 皐月(さつき)
- 1925年11月15日、藤永田造船所で竣工。当初の艦名は「第二十七号駆逐艦」。1928年(昭和3年)8月1日、皐月と改名[57]。1944年(昭和19年)9月21日、船団護衛任務中、マニラ湾外マシンロックで米空母機の爆撃を受け沈没。
- 水無月(みなづき)
- 1927年(昭和2年)3月22日、浦賀船渠で竣工。当初の艦名は「第二十八号駆逐艦」。1928年(昭和3年)8月1日、水無月と改名[58]。1944年6月6日、あ号作戦中、タウィタウィ島南方で米潜水艦「ハーダー」の雷撃を受け沈没[59]。
- 文月(ふみづき)
- 1926年7月3日、藤永田造船所で竣工。当初の艦名は「第二十九号駆逐艦」。1928年(昭和3年)8月1日、文月と改名[60]。1944年(昭和19年)2月17日、トラック島北東水道で、米空母機の爆撃を受け大破、翌日に沈没(トラック島空襲)。
- 長月(ながつき)
- 1927年4月30日、東京石川島造船所で竣工。当初の艦名は「第三十号駆逐艦」。1928年(昭和3年)8月1日、長月と改名[61]。1943年(昭和18年)7月5日、クラ湾夜戦で座礁。翌日米軍機の爆撃を受け大破、放棄。
- 菊月(きくづき)
- 1926年11月20日、舞鶴要港部工作部で竣工。当初の艦名は「第三十一号駆逐艦」。1928年(昭和3年)8月1日、菊月と改名[62]。1942年(昭和17年)5月4日、ツラギ攻略作戦中、米空母機の爆撃を受けツラギ港カブツ東岸に擱座、乗組員を敷設艦沖島に収容し、放棄。
- 三日月(みかづき)
- 1927年5月7日、佐世保海軍工廠で竣工。当初の艦名は「第三十二号駆逐艦」。1928年(昭和3年)8月1日、三日月と改名[63]。1943年(昭和18年)7月27日、ツルブ輸送作戦中、グロスター岬沖で座礁。翌日米陸軍機の爆撃を受け大破、放棄。
- 望月(もちづき)
- 1927年10月31日、浦賀船渠で竣工。当初の艦名は「第三十三号駆逐艦」。1928年(昭和3年)8月1日、望月と改名[64]。1943年(昭和18年)10月24日、卯月と共にジャキノット輸送作戦中、同湾内で米海兵隊機の爆撃を受け沈没。
- 夕月(ゆうづき/ゆふづき)
- 1927年7月25日、藤永田造船所で竣工。当初の艦名は「第三十四号駆逐艦」。1928年(昭和3年)8月1日、夕月と改名[65]。1944年(昭和19年)12月12日、オルモック輸送の帰途、セブ北北東沖で米海兵隊機の爆撃を受け大破、駆逐艦桐により自沈処分(多号作戦)。
注釈
- ^ #一般計画要領書(駆逐艦)p.2では19'-5"(5.918m)になっている。
- ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第三その二「昭和六年三月調艦艇要目等一覧表 その二 駆逐艦」では9'-9"1/5(2.977m)になっている。ただし、通常インチの端数の分母は2,4,8,16,32などを使うので、転記ミスの可能性がある。
- ^ #一般計画要領書(駆逐艦)p.2では37.5ノットとなっているが(神風型が37.25ノット、機関出力は同一であり、睦月型に速力増加の要素はない)、転記ミスと思われる。
- ^ a b #S1公文備考巻26/1等駆逐艦製造の件(睦月)画像11では、大正12年度建造艦(睦月型)以降の変更点(要目)として、燃料は447tons、航続距離は3900miles at 14knotsとなっている。
- ^ 艦艇研究家の田村俊夫は#田村(2008)睦月型pp.119-120で、換装高角砲の候補は12cm単装高角砲だったと推測している。
出典
- ^ #写真日本の軍艦第10巻p.6下写真の解説
- ^ a b c #海軍制度沿革8(1971)pp.88-92。大正十五年十一月二十九日(内令二三八) 艦艇類別等級別表ノ通定ム (別表)艦艇類別等級表 | 駆逐艦 | 一等 | 第十九號型 | 第十九號、第二十一號、第二十三號、第二十五號、第二十七號、第二十八號、第二十九號、第三十號、第三十一號、第三十二號、第三十三號、第三十四號 |(神風型の部分を抜粋)。同書pp.92-93、昭和3年6月20日(内令160)『艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 本令ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス 驅逐艦ノ部中「第一號型」、「第十九號型」及「第三十五號型」ノ各項ヲ左ノ如ク改ム | 神風型 | 神風、朝風、春風、松風、旗風、追風、疾風、朝凪、夕凪 || 睦月型 | 睦月、如月、彌生、卯月、皐月、水無月、文月、長月、菊月、三日月、望月、夕月 || 吹雪型 | 吹雪、白雪、初雪、深雪、叢雲、東雲、薄雲、白雲、磯波、浦波、綾波 |(以下省略)。』
- ^ a b c d e #海軍制度沿革11-2(1972)p.1071、昭和3年2月14日(内令43)艦船要目公表範囲
- ^ a b c d e f g h i j k #海軍造船技術概要(1987)上巻p.388
- ^ a b c #S1公文備考巻29/軍艦由良運転の件(2)画像1
- ^ a b c d #一般計画要領書(駆逐艦)p.2
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- ^ a b c d e #昭和造船史1pp.788-789、6.駆逐艦及び水雷艇要目表
- ^ #日本海軍艦船名考pp.284-285
- ^ #帝国海軍機関史(1975)別冊、第22表
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- ^ #海軍制度沿革10-2(1972)pp.686-687『大正十四年七月二十三日(内令一九八)(妙録) 海軍定員令中左ノ通改正セラル 一等驅逐艦定員表其二中「第十七號、」ノ下ニ「第十九號、」ヲ加フ』、同書pp.678-679、大正12年3月17日(内令61)一等駆逐艦定員表其二制定、士官7人、特務士官2人、准士官3人、下士官35人、兵102人。
- ^ #一般計画要領書(駆逐艦)p.26、士官7人、特務士官2人、准士官3人、下士官44人、兵98人。
- ^ #一般計画要領書(駆逐艦)p.34
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- ^ a b c d e #岩重(2012)p.25
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- ^ #昭和2年公文備考巻133『艦型 ... 駆逐艦 浦風 天津風型 江風型 峯風型 第一号型 第十九号型 第三十五号型 樺型 桃型 楢型 樅型 第二号型』
- ^ #内令昭和17年10月(1)pp.1-2『内令第千八百二十三号 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十七年十月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|駆逐艦一等ノ部中「睦月型」ヲ「卯月型」ニ改メ同項中「睦月、」ヲ削リ、同吹雪型ノ項中「、朝霧」ヲ削ル』
- ^ #S1803佐鎮(5)p.48『二十六(天候略)(略)望月型外驅逐艦ニ機銃装備及罐撤去工事施行方受令(官房機密第一三〇五號)』
- ^ #S1803佐鎮(4)p.14『二十日海軍大臣(宛略)官房機密第一三〇五號 望月型、水無月型、神風型及峯風型驅逐艦ニ機銃装備及罐撤去ノ件訓令』
- ^ #給油艦報告(23)p.1『(イ)本年度及昨年度ノ成績ニ依リ見ルニ毎時補給能力ハ特型、長月型、峯風型駆逐艦ニ對シテハ両舷同時四隻横付補給ヲナシ毎時約五〇〇瓲ヲ補給シ得 又戰艦ニハ片舷一隻横付トシ鳥海型、青葉型、神通型巡洋艦ニ對シテハ両舷同時二隻横付補給ヲナシ略同量ヲ補給シ得 伊號潜水艦ニ對シテハ四隻横付補給ヲナシ毎時約二〇〇瓲ノ補給ヲナシ得ルモノト認ム』
- ^ #日本駆逐艦物語p.84
- ^ #岩重(2012)pp.25,27
- ^ a b c d #日本の駆逐艦1995p.108
- ^ a b #軍艦メカ4日本の駆逐艦pp.36-37
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- ^ a b #写真日本の軍艦第10巻p.29
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- ^ a b #田村(2008)睦月型pp.102-103、図1、図1-1。
- ^ #田村(2008)睦月型p.155
- ^ a b #S1803佐鎮(4)pp.14-19『二十日海軍大臣(宛略)官房機密第一三〇五號 望月型、水無月型、神風型及峯風型驅逐艦ニ機銃装備及罐撤去等ノ件訓令 佐世保海軍工廠ヲシテ首題ノ件左記ニ依リ施行セシムベシ 記 一.施行艦名 第一次驅逐艦卯月及夕凪、第二次驅逐艦三日月、文月、追風以降逐次追加ノ豫定|二.工事要領 望月型及水無月型驅逐艦|(イ)海軍艦政本部長ノ後送スル圖面ノ要領ニ依リ左ノ工事ヲ施行スルモノトス (一)二十五粍三聯装機銃二基増備/(二)二十五粍二聯装機銃二基装備(但シ本機銃一基現装備艦ハ其ノ装備位置ヲ變更シ新ニ一基装備ス)/(三)十三粍二聯装機銃二基装備(但シ本機銃一基又ハ二基現装艦ハ其ノ装備位置ヲ變更シ一基現装艦ノミ新ニ一基装備ス)/(四)六糎高角双眼望遠鏡四個装備(兵器ハ後日装備)/(五)十米特型運貨船二隻搭載装置新設/(六)罐一基ヲ撤去シ艦底ニ約四〇噸ノ「バラストタンク」ヲ新設シ補給物件ノ輸送ニ適スル如クス但シ本工事實施ニ當リテハ個艦ニ付其ノ都度別ニ指示ス|(ロ)代償重量トシテ左ノ兵器等ヲ撤去スルモノトス (一)二番及四番十二糎砲二門及同附属兵器全部/(二)七粍七機銃二基及同上彈藥包全部/(三)二番發射管一基及同上用魚雷三本竝ニ豫備魚雷一本(残存六本)/(四)左舷魚雷格納庫(防彈鈑共)/(五)内火艇一隻及同様用「ダビット」/(六)機雷軌道(但シ爆雷投下ニ必要ナル最後端ヲ一部存置ス)|神風型及峯風型驅逐艦(以下略)|三.所要兵器 二十五粍機銃用彈藥包ハ一挺ニ付通常彈藥包九〇〇發及曳光通常彈藥包三〇〇發ト爲ス外詳細ハ海軍艦政本部長ヲシテ直接佐世保海軍軍需部長ニ通牒セシム|四.公試(以下略)』
- ^ #田村(2008)睦月型pp.120-121
- ^ #歴史群像64睦月型駆逐艦pp.63-65
- ^ a b #田村(2008)睦月型pp.122-123
- ^ a b c d 「あ号作戦後の兵装増備の状況調査」#日本駆逐艦物語pp.267,280
- ^ #田村(2008)睦月型pp.127-128
- ^ #田村(2008)睦月型pp.148
- ^ #田村(2008)睦月型pp.128
- ^ #艦艇・駆逐艦(1)pp.2-3『驅逐艦改稱新舊名稱對照表』
- ^ #日本駆逐艦物語p.86
- ^ #達昭和3年6月pp.7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第十九號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 睦月ムツキ トス』
- ^ #達昭和3年6月pp.7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第二十一號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 如月キサラギ トス』
- ^ #達昭和3年6月pp.7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第二十三號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 彌生ヤヨヒ トス』
- ^ #達昭和3年6月pp.7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第二十五號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 卯月ウヅキ トス』
- ^ #達昭和3年6月pp.7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第二十七號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 皐月サツキ トス』
- ^ #達昭和3年6月pp.7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第二十八號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 水無月ミナヅキ トス』
- ^ a b c d e 海上護衛戦(戦史叢書)446-447頁『米潜水艦に撃沈されたわが駆逐艦一覧表』
- ^ #達昭和3年6月pp.7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第二十九號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 文月フミヅキ トス』
- ^ #達昭和3年6月pp.7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第三十號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 長月ナガツキ トス』
- ^ #達昭和3年6月pp.7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第三十一號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 菊月キクヅキ トス』
- ^ #達昭和3年6月pp.7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第三十二號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 三日月ミカヅキ トス』
- ^ #達昭和3年6月pp.7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第三十三號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 望月モチヅキ トス』
- ^ #達昭和3年6月pp.7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第二十四號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 夕月ユフヅキ トス』
- ^ #海軍制度沿革4-1(1971)pp.42,86、内令82
- ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.86、内令195
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- ^ a b c #海軍制度沿革4-1(1971)p.106、内令935
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- ^ #S15-6-25内令提要原稿/第2類 編制画像2-3
- ^ #昭和17年内令1巻/昭和17年1月(2)画像15-16、『内令第七十號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十七年一月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎 第十二驅逐隊ノ項中「東雲、」ヲ削ル 第二十驅逐隊ノ項中「、狭霧」ヲ削ル 第二十九驅逐隊ノ項中「疾風、」ヲ削ル 第三十驅逐隊ノ項中「如月、」ヲ削ル』
- ^ a b #内令昭和17年5月(3)p.39『内令第九百三十一號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年五月二十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|第二十三驅駆逐隊ノ項ヲ削ル|第二十九驅逐隊ノ項中「追風」ノ上ニ「夕月、」ヲ加フ|第三十驅逐隊ノ項中「望月」ノ下ニ「、卯月」ヲ加フ』
- ^ a b c d 海上護衛戦(戦史叢書)144頁
- ^ a b 海上護衛戦(戦史叢書)122-124頁
- ^ #内令昭和17年10月(1)画像2『内令第千八百二十四號 駆逐隊編成中左ノ通改定セラル 昭和十七年十月一日 海軍大臣嶋田繁太郎 第二十駆逐隊ノ項ヲ削ル 第三十駆逐隊ノ項中「睦月、」ヲ削ル 第三十一駆逐隊ノ項中「巻波」ノ下ニ「、高波」ヲ加フ』
- ^ #内令昭和17年10月(1)画像10-11『内令第千九百三十四號 駆逐隊編成中左ノ通改定セラル 昭和十七年十月二十日 海軍大臣嶋田繁太郎 第八駆逐隊ノ項中「荒潮」ノ下ニ「、満潮」ヲ加フ 第三十駆逐隊ノ項中「彌生、」ヲ削ル』
- ^ #内令昭和17年12月(1)p.4『内令第二千二百十一號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年十二月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第三十驅逐隊ノ項ヲ削ル』
- ^ #内令昭和18年3月(3)p.47『内令第五百二十五號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十八年三月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第二十九驅逐隊ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ||第三十驅逐隊|三日月、望月、卯月|』
- ^ #S18.03第一海護日誌(1)p.14『(4)三十一日 松輪ヲ當隊ニ編入セラル/(5)〃三日月當隊ヨリ削除セラル(三水戰ニ編入)』
- ^ #S18内令4巻/昭和18年10月(4)画像8『内令第二千百五十九號 驅逐隊編成中左ノ通改定セラル 昭和十八年十月十五日 海軍大臣嶋田繁太郎 第四驅逐隊ノ項中「嵐、萩風」ヲ、第十一驅逐隊ノ項中「初雪、」ヲ、第二十四驅逐隊ノ項中「江風、」ヲ、第二十七驅逐隊ノ項中「有明、夕暮」ヲ、第三十驅逐隊ノ項中「三日月、」ヲ、第三十一驅逐隊ノ項中「、清波」ヲ削ル』
- ^ #自S19.1至19.7内令/昭和19年1月(2)画像14『内令第六十二號 驅逐隊編成中左ノ通改定セラル 昭和十九年一月五日 海軍大臣嶋田繁太郎 第十六驅逐隊ノ項中「初風、」ヲ、第三十驅逐隊ノ項中「望月、」ヲ、第三十二驅逐隊ノ項中「涼波、」ヲ削ル』
- ^ #S17.04第二海護日誌(5)pp.38-39『三〇(天候略)(中略)一、本日付滿珠第二海護衛隊ニ編入/二、夕月第二海上護衛隊ヨリ除カレ三十駆逐隊編入』
- ^ #内令昭和18年11月(6)p.21『内令第二千五百二十一號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十八年十一月三十日 海軍大臣嶋田繁太郎|第二十七驅逐隊ノ項中「五月雨」ノ下ニ「、春雨」ヲ加フ|第三十驅逐隊ノ項中「卯月」ノ下ニ「、夕月」ヲ加フ』
- ^ #内令昭和19年5月(1)pp.3-4『内令第六百十一號 驅逐隊編成中左ノ通改定セラル|昭和十九年五月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第二十二驅逐隊ノ項中「水無月」ノ下ニ「、夕凪」ヲ加フ|第三十驅逐隊ノ項中「夕月」ノ下ニ「、松風、秋風」ヲ加フ』
- ^ a b #S19.8秘海軍公報/8月(2)画像10『内令第九四一號 驅逐隊編成中左ノ通改定セラル 昭和十九年八月十日 海軍大臣 第十七驅逐隊ノ項中「谷風、」ヲ削ル 第二十二驅逐隊ノ項中「水無月、」ヲ削ル 第二十七驅逐隊ノ項中「白露、」及「、春雨」ヲ削ル 第三十驅逐隊ノ項中「松風、」ヲ削ル 第三十二驅逐隊ノ項中「早波、」ヲ削ル』
- ^ a b c #秘海軍公報昭和19年8月(4)pp.45-46『内令第九七七號 驅逐隊編成中左ノ通改定セラル|昭和十九年八月二十日 海軍大臣|第二十二驅逐隊ノ項ヲ削ル|第三十驅逐隊ノ項中「秋風」ノ下ニ「皐月、夕凪」ヲ加フ』
- ^ #S19.9-12秘海軍公報号外/10月(2)画像35-36『内令第一一六二號 驅逐隊編成中左ノ通改定セラル 昭和十九年十月十日 海軍大臣 第十九驅逐隊ノ項ヲ削ル 第二十七驅逐隊ノ項ヲ削ル 第三十驅逐隊ノ項中「、夕凪」ヲ削ル 第四十三驅逐隊ノ項中「松、」ヲ削リ「槇」ノ下二「、桐」加フ』
- ^ a b 海上護衛戦(戦史叢書)330頁『第三十一戦隊の編成』
- ^ #S19.9-12秘海軍公報号外/11月(2)画像27『内令第一二五〇號 驅逐隊編成中左ノ通改定セラル 昭和十九年十一月十日 海軍大臣 第三十驅逐隊ノ項中「、皐月」ヲ削ル』
- ^ #秘公報昭和20年1月(2)p.7『内令第二五號 | 昭和二十年一月十日海軍大臣|第二駆逐隊ノ項中「早霜、秋霜」ヲ削ル|第四駆逐隊ノ項ヲ削ル|第七駆逐隊ノ項中「曙、」ヲ削ル|第十七駆逐隊ノ項中「浦風、」ヲ削ル|第二十一駆逐隊ノ項中「初春、」ヲ削ル|第三十駆逐隊及第三十一駆逐隊ノ各項ヲ削ル|第四十一駆逐隊ノ項中「霜月、」及「、若月」ヲ削ル』
- ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.87-88、内令265
- ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.42、内令264
- ^ a b #海軍制度沿革4-1(1971)p.88、内令107
- ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.88、内令180
- ^ #海軍制度沿革4-1(1971)pp.55-56、内令476
- ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.61、内令462
- ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.61、内令208
- ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.106、内令13
- ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.106、内令564
- ^ a b #海軍制度沿革4-1(1971)p.106、内令1105
- ^ #支那事変第9回功績(22駆)p.1『四月十日 第三艦隊第五水雷戰隊ニ編入セラレ第二遣支艦隊司令長官ノ作戰指揮下ニ入ル』
- ^ 海上護衛戦(戦史叢書)117-119頁
- ^ #内令昭和17年12月(2)p.38『内令第二千二百六十八號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年十二月十日 海軍大臣嶋田繁太郎|第十三驅逐隊、第二十二驅逐隊及第三十二驅逐隊ノ項ヲ削ル』
- ^ #内令昭和18年2月(4)pp.48-49『内令第三百十二號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年二月二十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|第五驅逐隊ノ項ヲ削ル|第十一驅逐隊ノ項中「初雪」ノ下ニ「、天霧、夕霧」ヲ加フ|第二十一驅逐隊ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ |第二十二驅逐隊|皐月、水無月、文月、長月| |第三十一驅逐隊ノ項中「大波」ノ下ニ「清波」ヲ加フ』
- ^ #S18.11-12内令5巻/昭和18年11月(1)画像38『内令第二千二百七十九號 驅逐隊編成中左ノ通改定セラル 昭和十八年十一月一日 海軍大臣嶋田繁太郎 第二十二驅逐隊ノ項中「、長月」ヲ削ル』
- ^ #自S19.1至19.7内令/昭和19年3月(3)画像10『内令第五百十號 驅逐隊編成中左ノ通改定セラル 昭和十九年三月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎 第四驅逐隊ノ項中「野分、舞風、山雲」ヲ「野分、山雲、満潮」ニ改ム 第九驅逐隊ノ項削ル 第十六驅逐隊ノ項ヲ削ル 第十七驅逐隊ノ項中「濱風」ノ下二「、雪風」ヲ加ヘ同項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ | 第十八驅逐隊 | 薄雲、霞、不知火 | 第二十二驅逐隊ノ項中「、文月」ヲ削ル 第二十四驅逐隊ノ項ヲ削ル』
- ^ #内令昭和19年5月(1)p.1『内令第六百十一號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十九年五月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第二十二驅逐隊ノ項中「水無月」ノ下ニ「、夕凪」ヲ加フ|第三十驅逐隊ノ項中「夕月」ノ下ニ「、松風、秋風」ヲ加フ』
- ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.88、内令244
- ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.89、内令168
- ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.62、内令367
- ^ #支那事変第8回功績(23駆)p.1『卯月 夕月|慰勞丙|自一五.四.二九 至一五.五.一|佐世保軍港ニ在リテ船體兵器機関ノ修理整備竝ニ軍港一般防備警戒ニ從事| |内令第三〇號ニ依リ第四予備艦ト定メラレ當隊ヨリ除カル』
- ^ #支那事変第8回功績(23駆)p.1『菊月|功勞乙|自一五.五.二四 至一五.一一.一五|因島ニ在リテ船體兵器機関ノ修理整備竝ニ呉鎮守府管區警戒防備ニ從事』
- ^ a b #支那事変第8回功績(23駆)p.1『三日月|功勞乙|自一五.五.二四 至一五.一〇.一四|因島ニ在リテ船體兵器機関ノ修理整備竝ニ呉鎮守府管區警戒防備ニ從事| |内令第七一五號ニヨリ當隊ヨリ除カル』
- ^ #支那事変第8回功績(23駆)p.1『卯月 夕月|慰勞乙|自一五.一〇.一五 至一五.一一.一五|同右| |内令第七一五號ニヨリ第二十三駆逐隊ニ編入セラル』
- ^ #支那事変第9回功績(三日月)p.1『區分:―|功績等級:勲勞乙}|期間:自一五.一一.一六 至一六.三.三〇|作戰行動事変関係業務等:因馬ニ在リテ舩体兵器機関ノ修理整備竝ニ同港一般防備警戒ニ従事|成果:上記任務ヲ完全ニ遂行ス|参考:―』/『―|勲勞乙|自一六.三.三一 至一六.四.一〇|佐世保軍港ニ在リテ一般防備警戒ニ従事|上記任務ヲ完全ニ遂行ス|―|』
- ^ #支那事変第9回功績(23駆)p.1『参考事項:昭和十五年十一月十五日 第二艦隊第二航空戰隊ニ編入セラル』
- ^ #支那事変第9回功績(23駆)pp.1-2『参考事項:自一六.一.二二 至一六.二.一七}作戰ニ関シ第二遣支艦隊司令長官指揮下ニ入ル』
- ^ #支那事変第9回功績(23駆)p.2『参考事項:昭和十六年四月十日 第二艦隊ヨリ除カレ第一航空艦隊ニ編入サル』
- ^ a b c #支那事変第10回功績(夕月)pp.2-3『参考事項:昭和十六年四月十日ヨリ第一航空艦隊 第二航空戰隊ニ編入 自一六.七.一〇至一六.七.三〇作戰ニ関シ支那方面艦隊司令長官ノ指揮下ニ入ル 一六.八.二一司令中佐山田雄ニ転任 新司令中佐山田勇助ノ部下ニ属ス 一六.一一.一六 G攻略作戦ニ関シ第四艦隊第五根拠地隊司令官ノ指揮下ニ入ル』
- ^ #支那事変第9回功績(三日月)p.2『記事:十六.四.一〇.第一艦隊第三航空戰隊ニ編入サル』
- ^ #支那事変第10回功績(夕月)p.4『参考事項:一.七月十日作戰ニ関シ支那方面艦隊司令長官ノ指揮下ニ入ル 二.七月三十一作戰ニ関シ支那方面艦隊司令長官ノ指揮ヲ除カル』
- ^ #S17.04第一海護日誌(2)p.5『記事 (6)二十日 三日月 第一護衛部隊ニ編入』
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