直方市 歴史

直方市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/24 16:20 UTC 版)

歴史

市名の由来

古くは真言宗の名刹東蓮寺があったので東蓮寺とも呼ばれたが、室町期に兵火で寺は焼失する。のち、懐良親王が城を築いて少弐氏と戦ったため“皇方(のうがた)”と呼ばれるようになったのが地名の起源と云う[広報 2]

江戸時代

筑前国に属し、長崎街道に沿って城下町が形成された。1623年(元和9年)、福岡藩藩主であった黒田長政の四男、黒田高政 が福岡藩から分封されて妙見山(現: 多賀公園)に館を構え東蓮寺藩を起こす。第3代藩主・黒田長寛の時代の1675年(延宝3年)に藩名を直方藩と改称したが、1677年(延宝5年)に本家の福岡藩の跡継ぎがいなくなったことから長寛は福岡藩に移り、直方藩は消滅した。

その後1688年(元禄元年)に黒田長清が福岡藩から分封され再び直方藩を起こしたが、これも1720年(享保5年)に長清が没すると跡継ぎがいないことから福岡藩の領地となり廃藩となった。

廃藩後、直方の商人たちは長崎街道を、現在の市中心部を通るルートへ変更させることに成功し、廃藩後の窮地を脱することができた[広報 3]

近現代

筑豊で石炭が見つかり、明治時代から昭和30年代までは石炭産業で栄えた。直方は、筑豊地方の石炭の集積地と問屋的な機能の役割を果たすようになった。

エネルギー革命により石炭産業は衰えるが、直方市内には大規模な炭鉱が少なく、人口の割に炭鉱労働者が多くなかったこともあって、筑豊の他の市町村に比べると影響は小さかった。また、北九州市に隣接する地の利を生かし住宅団地が造成され、筑豊地区の他の自治体が大きく人口を落とす中でも比較的人口を維持し続けた。

閉山後は市内に工業団地が造成されて製造業の進出が進み、産業構造の転換が進みつつある。

石炭産業の発展とともに石炭を輸送するため鉄道網が整備され、直方駅構内には操車場や機関区が置かれて多数の鉄道職員が勤務し、直方市は鉄道網の中枢としても栄えた。現在では規模は縮小したものの、JR九州の車両基地が直方市に設けられている。

市域の変遷

歴代市長

氏名 就任年月日 退任年月日 備考
勝野重吉 1931年2月5日 1935年2月4日
2 1935年2月5日 1939年2月4日
3 1939年2月18日 1941年6月29日
4 香月俊一郎 1941年7月8日 1945年7月17日
5 1945年7月18日 1945年10月30日
6 清永英雄 1945年12月4日 1946年11月21日
7 行実重十郎 1947年4月6日 1951年4月4日 以後、公選
8 1951年4月25日 1955年5月1日
9-10 向野丈夫 1955年5月2日 1963年5月1日
11-12 西村房雄 1963年5月2日 1971年5月1日
13-14 川原勝麿 1971年5月2日 1979年5月1日
15-18 有馬直和 1979年5月2日 1995年5月1日
19-20 有吉威 1995年5月2日 2003年3月5日 辞職
21-23 向野敏昭 2003年4月27日 2015年2月10日 任期中死去
24 壬生隆明 2015年4月26日 2019年4月25日
25 大塚進弘 2019年4月26日

※歴代市長[広報 4]








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