盛岡藩 歴代藩主

盛岡藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 09:20 UTC 版)

歴代藩主

藩の職制

藩の行政組織は10万石の軍役組織によるもので、中央の職制は幕府を模倣し、藩主の下に家老のほか諸役を置いた。

家老・加判役

藩行政の最高機関であり、常時は数人の家老の合議制によって大綱が決定された。日常中丸に登城して庶務を決議し、連署に応ずる。

御席詰

藩主の常勤する御用の間に出仕する、家格が高く、家老の経験を積んだ老練な人が選任される。

御大老

筆頭家老であった。

北地御用所

北方警備の監督部署であった。分轄された蝦夷地の警備・下北半島から釜石浦に至る海岸の防備についての費用調達、動員計画、陣屋説定、配備計画などを行う。

御用人所

城内中丸の御用人所に常勤し、その庶務を執る。

目付所

御目付所は司法、検察等、主として治安方面を総轄し、その大目付は高知格についても検察の権があり、常時二人とされた。勘定所、寺社町奉行とともに公示三役と称されて、広汎に亘っていた。

御目付所の所管には、寺社町奉行、表目付、牛馬目付、武具奉行、御境奉行などがあり、監査・検察を要するものは、目付所の管轄に置かれている。

勘定所

城内に設置されてあった出納事務所で、目付所、寺社町奉行とともに公示三役と称された職掌であった。御郡支配方、御代官方、御支配方、山林方、御土蔵方の七つの分掌となって、領内の地方行政に関わっていた。

家臣団構成

盛岡藩士の家系を調べる際の必須の書とされている『参考諸家系図』が岩手県立図書館に架蔵されており、復刻版も出版されている。

格と職

家格として、高知(たかち)・高家本番組加番組新番組などが決められていた[7]。高知衆は後期には細分化したほか、藩主一族のための身分も設けられている。 また1,000石以上が高知衆に対し、1,000石以下は平士と呼ばれた[8]

主な家格
天保15年(1844年 明治元年(1868年 明治2年
高 知 御家門 3 家 御家門 2 家 上 士
高 知 28 家 御三家 3 家
着座高知 7 家
高 知 20 家
高 家 御新丸御番頭 21 家 御新丸御番頭 19 家 中 士
本番組 平士 100石以上 平士 150石以上
加番組 平士 50石以上 平士 50石以上 下 士
新番組 平士 50石以下 平士 50石以下
一生御給人 一生御給人
勤中御給人 勤中御給人
御医師茶道 100石以上御医師 100石以上御医師 中 士
100石以下御医師 100石以下御医師 下 士
御茶道 御茶道
在々御給人 在々御給人 在々御給人 平民のち士族
その他 御同朋から御同心 御同朋から御同心 卒 族
在々御与力・御同心 在々御与力・御同心

「天保十五年御国住居緒士」「明治二年身帯帳」

家臣在郷制

通常の武士身分で在郷している御給人制があり、また、陪臣は在郷のものが多い。

在々御給人

代官の下に下役以下各種奉行その他の役職を務めさせるため「御給人」を置いた。藩士とは区別され、城下を離れた在町に土着して、自ら農業もしくは商業を営みつつ士分に準ずる待遇を受けている者のことである。形式的には苗字帯刀を許され、知行が与えられるが、この知行地は自己所有の石高の全部または一部を知行地として認められたものである[9]。 その居住地を支配している代官の置かれた地域名を冠して「七戸御給人」、「野辺地御給人」などと称された。

藩の行政組織は幕府から指定された、10万石の軍役組織によるものであった[10]

中央の職制は幕府のそれをほぼ模倣し、藩主の下に家老のほか諸役をおいた。常時は数人の家老の合議制によって大綱が決定された。

藩主 家老 御近習頭
御留守居
御用人所
御用人
御側御用人
御目付所
大目付
御勘定所
元締
北地御用所
北地御用大番頭
御中丸御番頭
御新丸御番頭
加番組
新番組

家老

藩政初期

家老には大身の老臣が就いていた。また戦国期の規律を引き継ぎ、大身は陪臣を持っていたり、その家禄に応じて役職に任じられたり軍備を担っていた。

慶長5年(1600年)時点では1,000石以上の家臣が22家あった[11]

  • 八戸氏 - 1万3,000石、後の遠野南部氏。
  • 北信愛 - 8,000石、子息がすべて別家し信愛が名跡継承を願わず絶家。
  • 浄法寺氏 - 5,000石、岩崎一揆鎮圧の際に当主・浄法寺重好が軍令違反を起こし改易。
  • 大光寺氏南氏 - 3,000石。
  • 北愛一 - 2,500または2,000石、2代目の直愛が藩主・南部重直の鹿狩で不祥事を起こし500石に、後年直系が無嗣断絶。
  • 北直継 - 2,000石、慶長18年(1613年)以後の石高、後の大湯南部氏。
  • 毛馬内氏・桜庭氏・中野氏(後の花輪南部氏)・石井氏・東氏・大湯氏(正保年間に無嗣断絶)・江刺氏 - 2,000石。
  • 日戸氏・楢山氏・沢田氏 - 1,000石以上。
  • 梁田氏・葛巻氏・野田氏・又重氏・内堀氏 - 1,000石。

高知

明治2年(1869年)には上士となった。家老(後期に改名して加判役)・御近習頭・北地大番頭・御中丸御番頭などに就任した。

御家門

文政元年(1818年)10月に藩の家格向上を祝して藩主一族の3家(南部利視の子、信居・信駕・信周の家)と、族臣とされる八戸氏・中野氏・北氏・南氏・東氏が南部姓の名乗りを許されたことに始まる。ただし、東氏が一旦改易され南部姓の名乗れなくなったほか、初期の御家門衆はすべて家格が変更されている。

  • 新屋敷南部家 - 南部信居が興した家。のち着座高知。
  • 角屋敷南部家 - 三戸信駕が興した家。のち着座高知。
  • 中屋敷南部家 - 南部信周が興した家。のち着座高知。
  • 下屋敷南部家 - 文政3年(1820年)から高知、翌年10月より御家門。後の藩主・南部利済、利済の本家相続で消滅。
  • 南部出羽 - 弘化4年(1847年)より、南部利済の四男・南部栄枝。
  • 南部伯耆 - 弘化4年より、南部利剛の弟・南部剛弘。
  • 南部剛確・剛融・剛護 - 全て南部利剛の子。明治2年(1869年)より。
  • 遠野南部氏・大湯南部氏・花輪南部氏 - 文政御支配帳に記載。後に御三家。
  • 南氏東氏 - 文政御支配帳に記載。南部姓を名乗る。
御三家(慶応以前は高知、文政御支配帳では御家門)
着座高知(慶応以後)
  • 新屋敷南部家・角屋敷南部家・中屋敷南部家 - 安政2年(1855年)11月より高知に引き下げ。
  • 南氏 - 南部姓を名乗る。文政御支配帳では御家門、寛政・天保期以後は高知。
  • 桜庭氏
  • 楢山氏 - 石亀氏の支流
  • 三戸式部家 - 戸沢氏、角屋敷南部家の分家
高知
  • 石亀氏
  • 八戸氏 - 遠野南部氏の分家:小八戸家
  • 奥瀬氏 - 小笠原安芸の後裔
  • 桜庭氏 - 桜庭光康の家系
  • 毛馬内氏
  • 漆戸氏
  • 野田氏 - 一戸氏の後裔の一つ。
  • 内堀氏 - 浅井氏旧臣、天正年間に加賀前田氏より移籍。
  • 下田氏 - 南氏の支流
  • 新渡戸氏
  • 藤枝氏
  • 岩間氏
  • 黒沢氏
  • 向井氏
  • 山本氏
  • 安宅氏
  • 花輪氏

高家

明治2年には本番組とあわせて中士となった。加番組御番頭・御側御用人・花巻城代・寺社奉行・御勘定所元締・新番組御番頭などに就任した。

御新丸御番頭
  • 中野氏 - 花輪南部氏の分家
  • 七戸氏 - 南氏の支流で北氏の血筋
  • 東氏 - 文政御支配帳では御家門、嘉永年間には高知
  • 北氏 - 大湯南部氏と同族、北愛一の系統
  • 北守氏 - 北愛一系の北氏の分家
  • 辛氏 - 花輪南部氏分家
  • 三上氏
  • 日戸氏
  • 織笠氏 - 板垣氏の後裔で福士氏の庶流
  • 沢田氏

本番組

御用人・花巻城代・寺社奉行・御勘定所元締・新番組御番頭などのほか、御境奉行・代官・御船手頭・町奉行・郡奉行などに就任した。平士のうち100石以上(天保15年時点)または150石以上(明治元年時点)の者が該当した。

加番組

御金奉行・御銅山吟味役・御作事奉行・万所奉行・御勝手方などに就任した。平士のうち50石以上が該当。明治2年、新番組とあわせて下士となった。

新番組

諸御山奉行・大納戸奉行・新田奉行・御国産方などに就任した。平士のうち50石以下に当たる。


  1. ^ 天正20年(1500年)7月27日付豊臣秀吉朱印状南部信直宛(盛岡市中央公民館蔵) (PDF)
  2. ^ 南部家第46代当主 「前田利家への恩義から歴代当主の名前には『利』をつけた」 〈週刊朝日〉” (日本語). AERA dot. (アエラドット) (20140523T070000+0900). 2019年9月7日閲覧。
  3. ^ 『弘前城築城四百年』長谷川成一著など
  4. ^ 平成・南部藩ホームページ”. www.tonotv.com. 2019年9月7日閲覧。
  5. ^ 菊池悟郎, 『南部史要』 , 272頁 (1911年).
  6. ^ 盛岡藩の廃藩置県の折に課せられた70万両の納付は減免されており、藩の借金も盛岡に限らず1843年までは破棄、1844年以降の物は明治政府が国債3,000万円を起債し肩代わりするなど救済措置も見られた。
  7. ^ 『藩史大事典』
  8. ^ 【いわての住まい】武家
  9. ^ (むつ市史) 近世編
  10. ^ 『むつ市史』、1988
  11. ^ 『岩手県史』
  12. ^ 文化7年11月15日条 藩日記
  13. ^ (むつ市史)近世編
  14. ^ (近世こもんじょ館)八戸藩の村役人制度-名主・大下書・田屋について
  15. ^ 「青森県史」資料編 近世篇 4 南部1盛岡藩
  16. ^ (岩手県博物館)北上川の舟運
  17. ^ (日本財団)郡山河岸と小操舟
  18. ^ 「嘉永慶応 江戸切絵図」(尾張屋清七板)
  19. ^ 『目黒筋御場絵図』(国立公文書館所蔵)
  20. ^ 「森嘉兵衛著作集 七 南部藩百姓一揆の研究(昭和10年(1935年))」 (法政大学出版局 1992出版)
  21. ^ (岩手県博物館)百姓一揆を禁じた制札
  22. ^ a b c d 『大間町史』
  23. ^ 工藤祐董著『八戸藩の歴史』八戸市、1999
  24. ^ 「吾妻鏡」文治5年9月17日条
  25. ^ 細井計, 兼平賢治, 杉山令奈, 「公儀御馬買衆と盛岡藩」『岩手大学研究年報』 第61巻第2号, 2001年 p.149-168, NCID 120001123843, doi:10.15113/00011437
  26. ^ (岩手県図書館) 岩手の古地図 南部九牧之図
  27. ^ あきた(秋田県広報誌)通巻121号、1972年(昭和47年)6月1日発行
  28. ^ 『新編八戸市史 近世資料編1』八戸市、2007、426P
  29. ^ 八戸藩の範囲八戸市博物館
  30. ^ 岩手県の誕生 (PDF)岩手県立博物館だよりNo.101 2004年4月)






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