盛岡藩 八戸藩と七戸藩

盛岡藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 09:20 UTC 版)

八戸藩と七戸藩

八戸藩(八戸南部藩)

八戸藩は陸奥国三戸郡八戸(青森県八戸市内丸)に存在した南部氏族の藩である。前述の通り、将軍の裁定により成立した藩であるため支藩ではない。

寛文4年(1664年)に八戸藩が分立され、藩庁は八戸城である。盛岡藩との関係については、独立した関係とされる。文化9年(1812年)八戸藩の上屋敷が類焼した際に財政支援を行っているが、盛岡藩主南部利敬より「八戸藩は独立した藩であり、心得違いがあってはならない」という趣旨の見解を示している[28]

領内人口は寛延2年(1749年)に7万1352人で(江戸時代の日本の人口統計#盛岡藩 (南部藩)参照)、領地の内訳は三戸郡41ヶ村、九戸郡38ヶ村、志和郡(現在の岩手県紫波郡)4ヶ村の計83ヶ村[29]。志和は周囲を盛岡藩に囲まれた飛び地である一方、九戸郡内には周囲を八戸藩に囲まれた盛岡藩の飛び地があった[30]。現在の八戸市域と比較すると、現在の八戸市市川町の一部分などは盛岡藩域に属している。貞享元年(1687年)に盛岡・八戸両藩の間で侍浜村・白前村と七崎村が領地の交換がされ、七崎村が八戸藩領に編入された。

藩庁である八戸城の一部は角御殿表門が市内南部会館の表門として移築され現存する。

七戸藩(盛岡新田藩)

別名、盛岡新田藩と言われる盛岡藩の支藩。元々は江戸幕府旗本寄合席の石高5,000石の旗本であったが、本家より加増を受けて成立したもの。定府(江戸住まい)大名であるが、南部信鄰が幼少の南部吉次郎利用を補佐する際には幕府の許可をもらって盛岡に下向し、本家藩政に参画した。

陸奥国北郡(現在の青森県上北郡七戸町周辺)に領地があったと言われるが、書面上のものであったとも言われる。藩主は定府であったが、戊辰戦争後の戦後処理の際、盛岡藩重臣の新渡戸傳によって1863年に分知が実施されたとする書類が提示され(書類が本物であるかについては不詳)、これに基づく実際の領地が確定し、藩主が七戸に下った。陣屋門が1棟移築され現存する。当初より七戸南部氏であったわけではなく、居所を七戸城とする分知大名の創設を幕府に願って認められて以後の呼称である。

七戸藩の江戸藩邸上屋敷は、江戸城半蔵門外(大手より10町。現在の「ふくおか会館(福岡県東京事務所)」(東京都千代田区麹町)附近)にあり、これは旗本時代以来からのものである。また、天保年間には青山五十人町に下屋敷を設けた。ちなみに江戸の菩提寺は宗藩と同じ。

なお、盛岡藩主となった南部重信が養嗣子となって継いでいた七戸を知行地とする一族家臣七戸氏の跡は、重信の子の1人英信が名跡を継ぎ、七戸氏を称した。またそれ以外の重信の子(七戸秀信・七戸定信・七戸愛信)も七戸を称している。七戸愛信は盛岡藩家老職を務めている。


  1. ^ 天正20年(1500年)7月27日付豊臣秀吉朱印状南部信直宛(盛岡市中央公民館蔵) (PDF)
  2. ^ 南部家第46代当主 「前田利家への恩義から歴代当主の名前には『利』をつけた」 〈週刊朝日〉” (日本語). AERA dot. (アエラドット) (20140523T070000+0900). 2019年9月7日閲覧。
  3. ^ 『弘前城築城四百年』長谷川成一著など
  4. ^ 平成・南部藩ホームページ”. www.tonotv.com. 2019年9月7日閲覧。
  5. ^ 菊池悟郎, 『南部史要』 , 272頁 (1911年).
  6. ^ 盛岡藩の廃藩置県の折に課せられた70万両の納付は減免されており、藩の借金も盛岡に限らず1843年までは破棄、1844年以降の物は明治政府が国債3,000万円を起債し肩代わりするなど救済措置も見られた。
  7. ^ 『藩史大事典』
  8. ^ 【いわての住まい】武家
  9. ^ (むつ市史) 近世編
  10. ^ 『むつ市史』、1988
  11. ^ 『岩手県史』
  12. ^ 文化7年11月15日条 藩日記
  13. ^ (むつ市史)近世編
  14. ^ (近世こもんじょ館)八戸藩の村役人制度-名主・大下書・田屋について
  15. ^ 「青森県史」資料編 近世篇 4 南部1盛岡藩
  16. ^ (岩手県博物館)北上川の舟運
  17. ^ (日本財団)郡山河岸と小操舟
  18. ^ 「嘉永慶応 江戸切絵図」(尾張屋清七板)
  19. ^ 『目黒筋御場絵図』(国立公文書館所蔵)
  20. ^ 「森嘉兵衛著作集 七 南部藩百姓一揆の研究(昭和10年(1935年))」 (法政大学出版局 1992出版)
  21. ^ (岩手県博物館)百姓一揆を禁じた制札
  22. ^ a b c d 『大間町史』
  23. ^ 工藤祐董著『八戸藩の歴史』八戸市、1999
  24. ^ 「吾妻鏡」文治5年9月17日条
  25. ^ 細井計, 兼平賢治, 杉山令奈, 「公儀御馬買衆と盛岡藩」『岩手大学研究年報』 第61巻第2号, 2001年 p.149-168, NCID 120001123843, doi:10.15113/00011437
  26. ^ (岩手県図書館) 岩手の古地図 南部九牧之図
  27. ^ あきた(秋田県広報誌)通巻121号、1972年(昭和47年)6月1日発行
  28. ^ 『新編八戸市史 近世資料編1』八戸市、2007、426P
  29. ^ 八戸藩の範囲八戸市博物館
  30. ^ 岩手県の誕生 (PDF)岩手県立博物館だよりNo.101 2004年4月)






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