皇居 その他

皇居

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 06:59 UTC 版)

その他

  • 皇居の大きさは、宮内庁管理部分の敷地が約115万m2[12]東京ドーム約25個分である[13]。濠の面積も含む東京都千代田区千代田の面積は1,425,500m2[14]、皇居外苑も含めた総面積は約230万m2となる[4]
  • 皇居周辺は1周が約5kmで歩道に信号機がなく、森・街路樹や濠の景観も楽しめることから、手軽なランニング(ジョギング)コースになっている(皇居ランニング[15]。高低差は約26メートル。初心者から上級者まで、幅広く走れる[16]
  • 外国人観光客の東御苑などへの来訪が増えているため、宮内庁は2017年5月16日、スマートフォン向けに皇居や京都御所について日英中韓仏西6か国語の音声で案内するアプリの提供を始めた[17]
  • 皇居近くには、勤皇の忠臣とされる2人(文武二忠臣)の銅像(皇居外苑の楠木正成像と大手濠の和気清麻呂像)が立っている[18]

皇居の自然環境

生物の宝庫である下道灌濠

江戸時代以降に開発が進んだ東京都心の他地区と異なり、皇居は江戸城時以降の自然が残り、貴重な生態系が維持されている。皇居の森を中心とする広大な緑地と、水中生物が隠れやすい石垣水草が多い堀(濠)が一体となっているうえ、釣りなど人間による採捕活動が制限されているため、植物と昆虫類、魚介類、鳥類哺乳類を含む陸上動物などの間で食物連鎖が成立し、絶滅危惧種を含む生物多様性[19]が保全されている。

吹上御苑と道灌濠周辺で行われた国立科学博物館による1996 - 2000年度と2009 - 2013年度の二回の調査で、植物2077種、動物6375種の生息が確認されている。フキアゲニリンソウ(草)やニホンコシアカハバチ()のような新種が発見されたほか、イシカワモズク(藻)やヒロクチコギセル()といった絶滅危惧種も保全されている。一方で、アカボシゴマダラ()やスズミグモ(蜘蛛)のような外来種の侵入も確認された。

大型動物としては、タヌキが1990年代半ばから宮内庁や皇宮警察の職員に目撃されるようになった。明仁天皇の発案で、宮内庁と国立科学博物館が2006年度から糞の分析による餌の解明や、6匹を一時捕獲して発信器を付けての行動追跡といった調査を行い、2008年と2016年に明仁天皇を共同執筆者とする論文にまとめられている[20]

こうした調査から、太田道灌の遺徳を偲び道灌時代の遺構に手を加えなかった伝承の信憑性や、明暦の大火後に防火帯として整備した庭園に古い生態系が閉じ込められたこと、2003年に始まった東京都によるディーゼル車規制条例の効果が現れている可能性、地球温暖化ヒートアイランド)が進行していることなどが示唆された[21]

皇居周辺の堀では、管理する環境省が並木の手入れ、ヘイケボタルの放流といった環境保全・改善を進めている[22][23]

また、皇居の自然に触れることにより国民の自然への理解を深めるため、宮内庁ではみどりの月間の一環として、吹上御苑内で「自然観察会」を開催している[24]

内濠・外濠

内濠
  • 清水濠
  • 牛ヶ淵
  • 千鳥ヶ淵
  • 蓮池濠
  • 平川濠
  • 乾濠
  • 天神濠
  • 大手濠
  • 蛤濠
  • 上道灌濠
  • 下道灌濠
  • 白鳥濠
  • 日比谷濠
  • 和田倉濠
  • 二重橋濠
  • 桜田濠
  • 凱旋濠
  • 半蔵濠
外濠
  • 外濠
  • 牛込濠
  • 新見附濠
  • 市ヶ谷濠
  • 弁慶濠
  • 四谷濠(真田濠)
  • 飯田濠

現皇居の歴史

明治元年10月の明治天皇の東京行幸における六郷の渡しでの情景。

1868年慶応4年)、明治天皇東京行幸により江戸城が東京城(とうけいじょう)と称され、東京の皇居となる。1869年明治2年)、2度目の東京行幸で天皇の東京滞在が発表され、東京城は皇城(こうじょう)と称される(東京奠都)。1873年明治6年)、それまで天皇の御座所とされていた江戸城西の丸御殿が火災のため焼失し[25]、一時、赤坂離宮を仮皇居とした。

1879年(明治12年)西の丸に新宮殿を造営することが決まり、1888年(明治21年)に明治宮殿が落成し、同年10月27日以後、宮城(きゅうじょう)と称された[26]。明治宮殿は、御車寄、正殿、東溜、西溜、豊明殿、千種の間、鳳凰の間など、儀式・応接・政務が行われる公の場である表宮殿と、天皇の住居にあたる奥宮殿とが接続していた。表宮殿は木造で、外観は和風建築だが、内部は和風の格天井からシャンデリアを下げるなど和洋折衷とし、椅子とテーブルを用いていた。この明治宮殿は太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)5月、空襲による飛び火で焼失した。

1935年頃、宮内省第2期庁舎に鋼鉄扉の防空室(地下金庫室)が作られた。だが、内部が狭く大型爆弾に耐えられないことから、宮内省工匠寮の設計で、吹上御所近くに新たに防空壕を作ることになった。後に御文庫と命名される大本営防空壕が完成するまでの間、昭和天皇・香淳皇后は空襲警報発令の度に宝剣神璽(三種の神器のうち剣と璽)とともに地下金庫室に避難していた。

このほか宮内省は1941年の太平洋戦争開戦直前、東京府南多摩郡鶴川村(現・町田市)の多摩丘陵の一角で、空襲対策を兼ねた「柿生離宮」新設を検討して密かに視察を重ねたが、宮内大臣松平恆雄の判断で取りやめた[27]

御文庫

皇居内では1941年(昭和16年)4月12日に御文庫(おぶんこ)が極秘に着工され、1942年12月31日に完成した。施工を請負ったのは大林組。建築費は約200万円であった。建坪1,320m2。地上1階、地下1階・2階の3階建て。そこには天皇・皇后の寝室、居間、書斎、応接室、皇族御休息所、食堂、洗面所、侍従室、女官室、風呂、便所などがあった。このほか、映写ホール、ピアノ、玉突き台などもあった。屋根は1トン爆弾に耐えるよう、コンクリート1mの上に砂1m、さらにその上にコンクリート1mの計3mの厚さであった[28]。天皇は午前中は表御座所(御政務室)、午後は御文庫で過ごすのが日課であった。

1945年(昭和20年)6月頃に戦況が悪化したため、さらに頑丈な御文庫附属室が御文庫から90 m離れた地下10mに陸軍工兵部によって建設された。広さ330 m2、56 m2の会議室2つと2つの控室、通信機械室があり、床は板張り、各室とも厚さ約1 mの鉄筋コンクリートの壁で仕切られていた。50トン爆弾にも耐えるよう設計され御文庫とは地下道で結ばれていた[29]。この地下壕では後に、終戦を決める2度の御前会議が開かれた。戦後、御文庫附属庫は昭和天皇の意向で修理・保存されることなく朽ちるままになっている。しかし定期的に写真や映像などの記録はとられており、戦後70年にあたる平成27年8月にはデジタル音源化された玉音放送とともに映像や写真が公開された[30][31]

敗戦後の1948年(昭和23年)7月1日に宮城の名称は廃止され、皇居と呼ばれるようになった[32]1952年(昭和27年)からは宮内庁庁舎の最上階(3階)を仮の宮殿とした。

なお日本を占領した連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指令や日本国憲法施行により、戦前・戦中に皇居を管理した宮内省宮内府を経て現在の宮内庁に改組された。皇居の警備は陸軍近衛師団宮内省の皇宮警察から警視庁皇宮警察部へ移管された。

戦後暫くの間、焼失した宮殿の再建は行われなかった。この理由について、昭和天皇の侍従長を務めた入江相政によると、「お上(昭和天皇)は戦争終了後、『国民が戦災の為に住む家も無く、暮らしもままならぬ時に、新しい宮殿を造ることは出来ぬ』[33]と、国民の生活向上を最優先とすべしという考えから、戦災で消失した宮殿などの再建に待ったをかけていた」と述べている。[要出典]

1955年頃の広庭(現・新宮殿)

昭和30年代に入って、日本の復興が一段落した頃に宮殿再建の動きが活発となり、1959年(昭和34年)、皇居造営審議会の答申に基づき、翌1960年(昭和35年)から新しい宮殿の造営が始められた。宮殿(いわゆる新宮殿)は、明治宮殿のように天皇の御所とは接続させず、御所と宮殿を別々に造ることとなった。まず1961年(昭和36年)、昭和天皇および香淳皇后の住居として皇居内吹上地区の御文庫に隣接・組込まれて建設された吹上御所が完成した。新宮殿は明治宮殿跡地に1964年(昭和39年)着工し、1968年(昭和43年)10月竣工。同年11月14日に落成式が挙行され、翌1969年(昭和44年)4月から使用された[34]。なお吹上御所は、1993年(平成5年)12月9日に、皇太后(香淳皇后)の住まいとして吹上大宮御所と改称された[35]

明仁天皇皇后美智子(いずれも当時)は、即位後も暫くは引き続き赤坂御所に居住[36]しながら皇居宮殿に通っていたが、皇居内吹上地区の一角に新たな御所が建設され、1993年(平成5年)12月8日から使用した[37]


注釈

  1. ^ 「御所」は天皇だけでなく、由緒ある武家・公家の邸宅への尊称としても広く用いられる。
  2. ^ 現在は上・中・下道灌濠の3つの濠に分かれている。

出典

  1. ^ a b c 所在地 宮内庁(2020年9月6日閲覧)
  2. ^ 宮内庁 (2013年7月4日). “皇居全体図”. 宮内庁. 2018年2月2日閲覧。
  3. ^ 環境省 (2017年11月20日). “皇居外苑(全域)の案内図”. 環境省. 2018年2月2日閲覧。
  4. ^ a b 森谷美香; モノ・マガジン編集部 (2016年4月27日). “「皇居」の真実をどれだけ知っていますか”. 蘊蓄の箪笥 100章. 東洋経済オンライン. p. 2. 2018年2月2日閲覧。
  5. ^ 皇居東御苑 宮内庁(2018年10月30日閲覧)
  6. ^ 皇居乾通り一般公開について 宮内庁(2018年10月30日閲覧)
  7. ^ 皇居外周地区”. デジタル大辞泉コトバンク. 2021年1月24日閲覧。
  8. ^ 『皇室 Our Imperial Family』43号(扶桑社、2009年)15頁
  9. ^  2021年(令和3年)9月7日内閣告示第2号「天皇皇后両陛下の皇居へ御移転が定められた件」. 天皇皇后両陛下の皇居へ御移転が定められた件(令和三年内閣告示第二号). - ウィキソース. 
  10. ^ 最後の秘境 皇居の歩き方. 株式会社小学館. (2019年10月20日) 
  11. ^ 皇居で厳かに大嘗祭 14~15日、内部は「秘儀」”. 日本経済新聞. 2019年11月14日閲覧。
  12. ^ 宮内庁 (2017年8月1日). “皇室用財産:(別表)皇室用財産一覧表”. 宮内庁. 2018年2月2日閲覧。
  13. ^ 皇居へ行ってみよう - 宮内庁キッズページへようこそ!!
  14. ^ 千代田区 (2017年9月4日). “千代田区ホームページ - 千代田区行政基礎資料集(平成29年版)”. 千代田区. 2018年2月2日閲覧。
  15. ^ “皇居ランナーに注意喚起の看板”. MSN産経ニュース. (2010年1月29日). オリジナルの2010年5月28日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100528190413/http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/tokyo/100129/tky1001291840012-n1.htm 
  16. ^ 皇居ランニングポータルサイト
  17. ^ 宮内庁参観音声ガイドアプリの運用開始についてのお知らせ”. 宮内庁ホームページ. 2017年5月18日閲覧。
  18. ^ 皇居外苑の魅力(3)”. 一般財団法人国民公園協会 皇居外苑. 2017年5月12日閲覧。
  19. ^ 都市見つめる「緑の島」皇居毎日新聞』朝刊2021年11月16日くらしナビ面(2021年11月21日閲覧)
  20. ^ 「皇居の自然(2)タヌキ調査 陛下の発案で」『読売新聞』夕刊2018年10月25日7面
  21. ^ 国立科学博物館皇居生物相調査グループ『皇居・吹上御苑の生き物』世界文化社、2001年、255ページ。ISBN 978-4-41-801303-6
  22. ^ 千鳥ヶ淵環境再生プランの策定について”. 環境省ホームページ. 2017年5月12日閲覧。
  23. ^ 皇居外苑濠に生息するヘイケボタル保護の取組(平成28年度)”. 環境省ホームページ. 2017年5月12日閲覧。
  24. ^ 皇居吹上御苑での自然観察会宮内庁ホームページ(2021年1月25日閲覧)。
  25. ^ 「明治天皇の皇城図発見/オーストリア・ハンガリー帝国使節団、焼失前作成■玄関から大広間描写■対外交流史浮き彫り」日本経済新聞』朝刊2019年8月22日社会面掲載の共同通信配信記事、同日閲覧。
  26. ^  1888年(明治21年)10月27日宮内省告示第6号「皇居御造営落成ニ付自今宮城ト称セラル件」. 皇居御造營落成ニ付自今宮城ト稱セラル件. - ウィキソース. 
  27. ^ 原武史【歴史のダイヤグラム】柿生の「離宮」と柳田國男『朝日新聞』土曜朝刊別刷り「be」2020年5月23日4面(2020年9月6日閲覧)
  28. ^ 松浦総三著『天皇裕仁と東京大空襲』(大月書店
  29. ^ 入江相政著『入江相政日記』第2巻(朝日新聞社)
  30. ^ 御文庫(おぶんこ)附属庫(ふぞくこ)関係の資料 宮内庁:当庁が管理する先の大戦関係の資料の公表について(戦後70年に当たって)平成27年8月1日(2020年9月6日閲覧)
  31. ^ 「ここから、戦後は始まった 御文庫附属室と玉音原盤公表」[リンク切れ]asahi.com
  32. ^  1948年(昭和23年)7月1日宮内府告示第13号「皇居を宮城と称する告示廃止」. 皇居を宮城と称する告示廃止. - ウィキソース. 
  33. ^ 建て替えられなかった御所
  34. ^ 高尾亮一『宮殿をつくる』(求龍堂、1980年)。新宮殿造営を詳しく説明している。著者は宮内庁の担当者。
  35. ^ 1993年(平成5年)12月9日『官報』第1297号皇室事項「皇太后陛下の御在所の名称変更」
  36. ^  1989年(昭和64年)1月7日内閣告示第3号「天皇皇后両陛下の御在所が定められた件」. 天皇皇后両陛下の御在所が定められた件. - ウィキソース. 
  37. ^ 1993年(平成5年)12月9日内閣告示第6号「天皇皇后両陛下の皇居へ御移転が定められた件」






皇居と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「皇居」の関連用語

皇居のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



皇居のページの著作権
Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。

  
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの皇居 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2022 GRAS Group, Inc.RSS