百人一首 異種百人一首

百人一首

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/17 16:50 UTC 版)

異種百人一首

小倉百人一首の影響を受けて後世に作られた百人一首[11]。以下に代表的なものを挙げる。

近代以前

新百人一首
文明15年(1483年)成立。足利義尚撰。小倉百人一首に採られなかった歌人の作を選定しているが、91番「従二位成忠女」は小倉の54番・儀同三司母(高階貴子)と同一人物というミスが起こっている。また、79首目の歌は恵子内親王の歌となっているが、実際には徽子女王の歌である。その他、『百人秀歌』に見える権中納言国信も64番に入首(百人秀歌とは別の歌)している。
『武家百人一首』
同名の物が複数ある。
  1. 17世紀半ばの成立と見られている[12]平安時代から室町時代にかけての武人による和歌を採録。寛文6年(1666年)刊。榊原式部大輔忠次の撰とされるが、本自体にはその旨の記述はなく、後に尾崎雅嘉が『群書一覧』で比定したものである[12]。また寛文12年(1672年)、菱川師宣の挿絵、和歌は東月南周の筆で再刊された。菱川師宣の署名した絵入り本の最初とされ、絵師菱川吉兵衛と署名されている。
  2. 安政5年(1858年)刊。賞月堂主人の著。1.のものと比べると、23人が別人の歌に置き換えられている[13]
  3. 明治42年(1909年)刊。富田良穂撰。神代から幕末までの武将・大名・夫人等の和歌を採録。歌人の名前を間違えたり、歌の語句を間違えたりなど、杜撰なところが散見される[14]
『新撰武家百人一首』
18世紀成立。伊達吉村撰。室町時代から江戸中期にかけての武将・大名による和歌を採録[注 9]
『後撰百人一首』
19世紀初頭に成立。序文によれば二条良基の撰、中院関白顕実の補作とするが、後者の存在が疑わしいため成立年代は未定である。勅撰集だけでなく、『続詞花集』などの私撰集からも採録しているのが特徴。
『源氏百人一首』
天保10年(1839年)刊。黒沢翁満編。『源氏物語』に登場する人物の和歌を採録しているが、その数は123人。肖像を入れ、人物略伝、和歌の略注をのせる。和歌は松軒由靖、絵は棔斉清福の筆。
『英雄百人一首』
天保15年(1844年)刊。緑亭川柳撰。神代から室町期までの武人の和歌を採録。像を出して歌を書き、上欄に小伝逸話を書くなど、読み物の傾向がある[16]
『小倉擬百人一首』
弘化3年(1846)頃刊。歌川国芳歌川広重三代目歌川豊国柳下亭種員[17]
『烈女百人一首』
弘化4年(1847年)刊。緑亭川柳撰。上記の『英雄百人一首』に対し、著名な女性の和歌を採録。『英雄百人一首』と同じく像を出して歌を書き、上欄に小伝逸話を書くなど、読み物としての傾向が強い[18]
『続英雄百人一首』
嘉永2年(1849年)刊。緑亭川柳撰。上記の『英雄百人一首』の続編で、平安から安土桃山時代までの武将・大名の和歌を採録。例によって像を出して歌を書き、上欄に小伝逸話を書いている[19]
『義烈百人一首』
嘉永3年(1850年)刊。緑亭川柳撰。平安から江戸初期までの武将やその夫人等の和歌を採録。1人1首の趣きをもって本領とするよりも、上欄の小伝逸話と呼応して読み物としての効果に本領を発揮している[20]
『女百人一首』
嘉永4年(1851年)成立。平安鎌倉期の女流歌人の和歌を採録。
『勇猛百人一首』
嘉永7年(1854年)刊。源満昭撰。寛文版『武家百人一首』の作者と歌を少しばかり入れ替えたもの[21]。歌人の名前を間違えるなど杜撰なところがあるほか、歌詞における文字の当て方などから、撰者は和歌に対する理解が不十分な人とされる[21]

近代以降

『横文字百人一首』

 明治6年(1873年)刊。黒川真頼選。ローマ字での国語綴輯兼務を命ぜられていた黒川がローマ字綴りの百人一首を刊行[22][23][24]

義烈回天百首
明治7年(1874年)刊。染崎延房編。幕末志士等の和歌を採録。頭書には略伝が記載されているが、物語的逸話や歌の背景などを省略した簡明なものである[25]
『近世百人一首』
明治26年(1893年)刊『標註七種百人一首』(博文館)所収。佐佐木信綱撰。近世期の和歌を「四季」「恋歌」「雑歌」の題の順に採録[26]
『修身百人一首』
明治26年(1893年)刊『標註七種百人一首』(博文館)所収。佐佐木信綱撰。『明倫歌集』の中より「修身の心深く人々の教えとなるべき歌」を採録[27]
『竹柏園百人一首』
大正6年(1917年)1月号『心の花』の附録[28]。佐佐木信綱撰、石榑千亦書。
『昭和百人一首』
昭和11年(1936年)に『東京日日新聞』で前後17回にわたって掲載[29]。当時の現役歌人による各自撰を採録。
愛国百人一首
同名の物が複数ある。
  1. 昭和15年(1940年)に川田順が雑誌『キング』に掲載し、昭和16年(1941年)に講談社から刊行[30]。恋歌の多い小倉百人一首に代わって「愛国の精神が表現された」名歌を採録。
  2. 昭和17年(1942年)に日本文学報国会が選定[注 10]情報局の検閲を経て各種新聞に発表された後、これに改訂と解説を加えた『定本愛国百人一首解説』が昭和18年(1943年)に毎日新聞社から刊行。概ね上記の川田版と共通しているが[注 11]、こちらは時代が「万葉集から明治元年以前に物故した人」に限定されている[注 12]
『皇国百人一首』
昭和17年(1942年)刊。舒明天皇を筆頭に明治天皇までの皇族15人、以下は柿本人麻呂から与謝野鉄幹に至る歴代の歌を採録。当時の国民精神の動向が窺える[32]

戦後

『平成新選百人一首』
平成14年(2002年)刊。宇野精一編。小倉百人一首、愛国百人一首と重複しないように和歌を採録。明成社から歴史的かなづかい文藝春秋社から新かなづかいで出版という企画が巧妙。
『今昔秀歌百撰』
平成24年(2012年)刊。桶谷秀昭監修、市川浩・谷田貝常夫編。小倉百人一首、愛国百人一首、平成新選百人一首と重複しないように和歌を、一選者一歌人で101首採録。当初は寄贈だけで、販売せず。

注釈

  1. ^ ただし定家自筆の「明月記」(国宝、冷泉家時雨亭文庫)は天福元年(1233年)の記述までしか現存しない。
  2. ^ 101首採録されている。百人秀歌を参照
  3. ^ なお、藤原定家の息子、為家の妻は宇都宮蓮生の娘だったことから、後に蓮生の中院山荘を相続している。
  4. ^ 万葉集』巻一・二十八歌では『春過而 夏来良思 白妙之 衣乾有 天香具山』で、「夏(なつ)来(き)たるらし」(来たようだ)と「現在形」になっているが、『新古今和歌集』は「夏(なつ)来(き)にけらし」で「過去完了」の「推量」に転じている。
  5. ^ 万葉集』巻一・二十八歌では、「衣(ころも)干(ほ)したり」(干してある)と「断定」になっており、「衣(ころも)干(ほ)すてふ」(干すと聞く)の「伝聞」の意味に新古今和歌集』までに変じたとされる[要出典]
  6. ^ 『万葉集』巻三・三百十七歌には「田児の浦ゆうち出て見れば真白にそ不尽の高嶺に雪は降りける」とある。
  7. ^ 柿本人麻呂、猿丸大夫、蝉丸の3名。また、僧侶の内に入っている喜撰法師も経歴・出自が一切不明である。
  8. ^ 空きの方が坊主で負けたら2倍、坊主だったら3倍も銀行に取られるなどの細かいルールもある。
  9. ^ ただし江戸時代以前の人々は、全体の1割程度に過ぎない[15]
  10. ^ 選定委員は佐佐木信綱、土屋文明折口信夫斎藤茂吉太田水穂尾上柴舟窪田空穂吉植庄亮、川田順、斎藤瀏松村英一北原白秋ら12名[31]。ただし白秋は編纂の中途で逝去した。
  11. ^ 歌人は44人、歌は26首が重なっている[30]
  12. ^ 川田版には、岩倉具視西郷隆盛などの明治以後の人による歌も採録されている。

出典

  1. ^ 『大辞林』(第二十四刷)三省堂、1993年、2057頁。ISBN 4-385-14002-2 
  2. ^ a b 吉海直人 2020, p. 139.
  3. ^ a b c コトバンク 日本大百科全書「百人一首」[小町谷照彦]
  4. ^ 吉海直人 2020, p. 142.
  5. ^ a b コトバンク 平凡社世界大百科事典 第2版「小倉色紙
  6. ^ コトバンク ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「小倉色紙
  7. ^ 宗政五十緒(1970)
  8. ^ a b 北海道伝統の競技カルタはまるで異文化。”. タビノト. 2022年9月18日閲覧。
  9. ^ ピーター・マクミラン「百人一首の心 世界へ響け◇英訳やカルタ大会企画、言葉も時代も超え詩情伝える◇」日本経済新聞』朝刊2018年4月20日(文化面)
  10. ^ 吉海直人 (2015年10月26日). “「坊主めくり」の謎”. 同志社女子大学. 2022年12月5日閲覧。
  11. ^ 有吉保 1983, p. 124.
  12. ^ a b 伊藤嘉夫 1971b, p. 57.
  13. ^ 伊藤嘉夫 1971b, p. 78.
  14. ^ 伊藤嘉夫 1971b, p. 84.
  15. ^ 伊藤嘉夫 1971b, p. 60.
  16. ^ 伊藤嘉夫 1971b, p. 63.
  17. ^ 東洋大学貴重書デジタルコレクション小倉擬百人一首小倉擬百人一首 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  18. ^ 伊藤嘉夫 1971b, p. 66.
  19. ^ 伊藤嘉夫 1971b, p. 69.
  20. ^ 伊藤嘉夫 1971b, p. 72.
  21. ^ a b 伊藤嘉夫 1971b, p. 75.
  22. ^ 黒川真頼 撰『横文字百人一首』,朝倉久兵衛,明6.3. 国立国会図書館デジタルコレクション
  23. ^ 川副佳一郎 著『日本ローマ字史』,岡村書店,1922年(大正11年)
  24. ^ 土岐善麿 著『日本式になるまで』5頁,東京ローマ字会,1931年(昭和6年)
  25. ^ 伊藤嘉夫 1971b, p. 81.
  26. ^ 伊藤嘉夫 1971a, p. 41.
  27. ^ 伊藤嘉夫 1971a, p. 44.
  28. ^ 伊藤嘉夫 1971a, p. 50.
  29. ^ 伊藤嘉夫 1971a, p. 59.
  30. ^ a b 伊藤嘉夫 1971a, p. 62.
  31. ^ 田中康二 2012, p. 9.
  32. ^ 伊藤嘉夫 1971a, p. 68.





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