白河市 統計

白河市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/11 00:54 UTC 版)

統計

  • 総人口 - 65,707人(2005年)
  • 世帯数 - 22,320世帯(2005年)
  • 年少(15歳未満)人口率 - 15.7%(2005年)
  • 高齢(65歳以上)人口率 - 20.9%(2005年)
  • 昼間人口 - 66,803人(2000年)
  • 労働力人口 - 34,983人(2000年)
  • 第1次産業就業者数 - 2,740人(2000年)
  • 第2次産業就業者数 - 13,648人(2000年)
  • 第3次産業就業者数 - 17,146人(2000年)
  • 農業産出額 - 9,540百万円(2004年)
  • 製造品出荷額等 - 281,310百万円(2004年)
  • 商業年間商品販売額 - 115,130百万円(2003年)

[3]

歴史

白河の関 古関蹟

古代、白河は奥州の要として重要視され文献にも登場していた。それは陸奥国最大の面積を有していたこと、延喜式神名帳において建国の大祖神として奥州三ノ宮の一つに挙げられていたことからも要衝の地であったことが伺われる。 平安時代には能因法師が「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」と詠んでいる。能因法師以外にも「白河の関」を詠んだ歌は数多く、後年、松尾芭蕉おくのほそ道の中でそれらの歌や散文をもとにして、白河到着時の情景を詠っている。下記は「おくのほそ道」(岩波文庫)よりの引用である。

心許なき日かず重るまゝに、白川の関にかゝりて旅心定りぬ。「いかで都へ」と便求しも断也。中にも此関は三関の一にして、風ソウ(馬偏に躁の旁。騒と同字)の人心をとゞむ。秋風を耳に残し、紅葉を俤にして、青葉の梢猶あはれ也。卯の花の白妙に、茨の花の咲そひて、雪にもこゆる心地ぞする。古人冠を正し衣装を改し事など、清輔の筆にもとゞめ置れしとぞ。                  卯の花をかざしに関の晴着かな   曾良   

「おくのほそ道」では、有名な書き出しの部分にも「春立てる霞の空に白河の関越えんと…」とある。また、芭蕉に同行した河合曾良随行日記には、おくのほそ道本文よりも詳しい記述があり、そこに記されている街並みや、宗祇もどしの逸話にまつわる碑が今も市内に残る。同随行日記は上掲岩波文庫版「おくのほそ道」に所載されている。

江戸時代まで

古代には白河の関が置かれ広くその名は知られていた。江戸時代、城主松平定信が候補地を比定して、現在公園として整備されている辺りを関跡としたのが有力とされている。

中世期には、小山氏の流れをくむ結城氏白河結城氏)の所領となった。長く二つの結城家(白河氏と小峰氏)が比較的平和裏に所領を分割統治していたとされ、両家の居城が今も白川城搦目城)、白河城として市内に残っている。伊達氏をもしのぐ力を有していたとされるが、戦国時代には両結城家による抗争が起こり、さらには佐竹氏の攻撃を受けるなどがあった。 江戸時代最初期、丹羽氏によって城下町が整備され、それ以降は、譜代中藩(一時期親藩)で老中を輩出した名門白河藩城下町として栄えた。奥州街道五街道の一つ)起点の地でもあった。

その後(榊原氏、諸松平氏本多氏阿部氏)親藩・譜代大名家が藩主として赴き、幕末には藩主阿部正外が江戸老中として諸外国との折衝役にあたる難局を担った。結局、阿部の神戸港開港の判断が攘夷派の反発を招くこととなり、棚倉藩へと移封され白河藩領は天領とされた。こうした藩不在という状況にも関わらず、戊辰戦争において白河の地は東西両軍にとって要衝の地と目されたため、一大激戦地になるという悲劇を生むこととなった。

歴史遺産や市街の多くを消失したが、それまでの藩域は現在の岩瀬郡、須賀川市にまで及んでおり、県内では会津藩に次ぐ大藩であった。日本初の公園といわれる南湖公園の造営や日本最古の百科事典集古十種を編纂し寛政の改革を主導した松平定信は今日でも広く市民に親しまれている。定信は藩士の子弟のための藩校立教館と共に、庶民のための郷校 敷教舎も設置し、民衆に学問への道を開いた。

歌枕の聖地、洪水と称されるほど古来多くの和歌が都人などにも詠われ残されている。

明治時代以後

しらかわし
白河市
白河市旗 白河市章
1956年10月1日制定
廃止日 2005年11月7日
廃止理由 新設合併
白河市(旧)、西白河郡表郷村大信村東村 → 白河市(新)
現在の自治体 白河市(新)
廃止時点のデータ
日本
地方 東北地方
都道府県 福島県
隣接自治体 西白河郡西郷村泉崎村、表郷村、大信村、東村
栃木県那須郡那須町
白河市役所
所在地 961-8602
福島県白河市字八幡小路7-1
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行政区域変遷

変遷の年表
白河市市域の変遷(年表)
月日 現白河市市域に関連する行政区域変遷
1889年(明治22年) 4月1日 町村制施行に伴い、以下の町村がそれぞれ発足。[5][6]
  • 旧白河市
    • 西白河郡
      • 白河町 ← 白河町単独で町制施行
      • 大沼村 ← 大村・久田野村・大和田村・本沼村
      • 白坂村 ← 白坂村単独で村制施行
      • 小田川村 ← 小田川村・泉田村・萱根村
      • 五箇村 ← 双石村・借宿村・田島村・舟田村・板橋村・蕪内村
  • 表郷村
    • 西白河郡
      • 古関村 ← 中野村・内松村・社田村・番沢村・関辺村・旗宿村
      • 金山村 ← 金山村・梁森村・高木村・三森村・下羽原村
      • 社村 ← 小松村・八幡村・中寺村・堀ノ内村・河東田村・深渡戸村
  • 大信村
    • 岩瀬郡
      • 大屋村 ← 下小屋村・隈戸村・大里村
    • 西白河郡
      • 信夫村 ← 増見村・町屋村・上新城村・中新城村・下新城村・豊地村
  • 東村
    • 西白河郡
      • 小野田村 ← 釜子村・千田村・形見村・栃本村・深仁井田村
      • 釜子村 ← 釜子村・千田村・形見村・栃本村・深仁井田村
      • 五箇村 ← 双石村・借宿村・田島村・舟田村・板橋村・蕪内村
1907年(明治40年) 4月1日 五箇村の一部(蕪内)は釜子村に編入。
1949年(昭和24年) 4月1日
  • 大沼村は白河町と合併し白河市が発足。
  • 大屋村の一部(大里)が分立し大里村が発足。
1951年(昭和26年) 4月1日 大屋村が岩瀬郡から西白河郡に移行。西白河郡大屋村になる。
1954年(昭和29年) 3月31日 白坂村は白河市に編入され、消滅。
10月1日 小田川村は白河市に編入。
1955年(昭和30年) 2月1日 古関村・金山村・社村が合併して表郷村が発足。
3月1日
  • 五箇村は白河市に編入。
  • 小野田村・釜子村が合併して東村が発足。
4月10日 大屋村・信夫村が合併して大信村が発足。
8月1日 表郷村の一部(関辺・旗宿)は白河市に編入。
8月20日 東村の一部(小貫・太田輪)は石川郡浅川町に編入。
1966年(昭和41年) 棚倉町の一部(金沢内、天王内の各一部)は表郷村に編入。
1970年(昭和45年)
  • 表郷村の一部(下羽原の一部)は棚倉町に編入。
  • 棚倉町の一部(堤・金沢内の各一部)は表郷村に編入。
2005年(平成17年) 11月7日 表郷村は白河市・表郷村・東村・大信村とともに合併し白河市が発足。
市制・町村制以前の変遷表
市制町村制以前の白河市市域の変遷表
1868年
以前
明治元年 - 明治22年 明治22年
4月1日
白河郡
西白河郡
新町 明治9年
白河町
白河町 白河町
天神町
中町
本町
桜町
横町
十文字村
夏梨村
奉公人新田村
学田新田村の一部
大村 明治15年
大村
大沼村
久田野村
大和田村
本沼村
白坂村 明治9年
白坂村
白坂村
皮籠村
学田新田村の一部
小田川村 小田川村
泉田村
根田村 明治10年
萱根村
新小萱村
双石村 五箇村
借宿村 明治10年
借宿村
細倉村
田島村
舟田村
板橋村
蕪内村
釜子村 明治10年
釜子村
釜子村
若栗新田村
嘉左衛門新田村
千田村
形見村
栃本村
深仁井田村
下野出島村 小野田村の一部
上野出島村 明治9年
上野出島村
大竹村
関辺村 古関村
旗宿村
中野村
内松村
社仁井田村 明治10年
社田村
高萩新田村
番沢村
金山村 金山村
梁森村
高木村
三森村
下羽原村
小松村 明治10年
小松村
社村
小松新田村
関場村 明治10年
八幡村
宮村
中寺村
堀ノ内村
河東田村
深渡戸村
増見村 信夫村
町屋村
上新城村
中新城村
下新城村
飯土用村 明治9年
豊地村
大谷地村
岩瀬郡 下小屋村 大屋村
の一部
上小屋村 明治9年
隈戸村
滑里川村
市制・町村制以後の変遷表
市制・町村制以後の白河市市域の変遷表(※細かな境界の変遷は省略)
1889年
以前
明治22年
4月1日
明治22年 - 昭和64年 平成元年 - 現在 現在
白河郡
西白河郡
白河町 白河町 昭和24年4月1日
白河市
白河市 平成17年11月7日
白河市
白河市
大村 大沼村
久田野村
大和田村
本沼村
白坂村 白坂村 昭和29年3月31日
白河市に編入
小田川村 小田川村 昭和29年10月1日
白河市に編入
泉田村
萱根村
双石村 五箇村 五箇村 昭和30年3月1日
白河市に編入
借宿村
田島村
舟田村
板橋村
蕪内村 明治40年4月1日
釜子村に編入
昭和30年3月1日
東村
釜子村 釜子村 釜子村
千田村
形見村
栃本村
深仁井田村
下野出島村 小野田村
の一部
小野田村の一部
上野出島村
関辺村 古関村 昭和30年8月1日
白河市に編入
旗宿村
中野村 昭和30年2月1日
表郷村
内松村
社田村
番沢村
金山村 金山村
梁森村
高木村
三森村
下羽原村
小松村 社村
八幡村
中寺村
堀ノ内村
河東田村
深渡戸村
増見村 信夫村 信夫村 昭和30年4月10日
大信村
町屋村
上新城村
中新城村
下新城村
豊地村
岩瀬郡 下小屋村 大屋村
の一部
昭和26年4月1日
西白河郡に移行
隈戸村

行政

歴代市長

旧白河市長
氏名 就任 退任 備考
1 田中仲三 1949年(昭和24年)5月13日 1953年(昭和28年)4月15日
2 中目瑞男 1953年(昭和28年)4月30日 1957年(昭和32年)4月29日
3 木ノ戸徳重 1957年(昭和32年)4月30日 1973年(昭和48年)4月29日
4 今井英二 1973年(昭和48年)4月30日 1981年(昭和56年)4月29日
5 小野亀八郎 1981年(昭和56年)4月30日 1989年(平成元年)4月29日
6 今井忠光 1989年(平成元年)4月30日 2002年(平成14年)8月27日
7 成井英夫 2002年(平成14年)8月28日 2005年(平成17年)11月6日
白河市長
氏名 就任 退任 備考
1 成井英夫 2005年(平成17年)12月4日 2007年(平成19年)6月26日
2 鈴木和夫 2007年(平成19年)7月29日 現職

  1. ^ 平年値ダウンロード”. 気象庁. 2023年3月閲覧。
  2. ^ 観測史上1〜10位の値(年間を通じての値)”. 気象庁. 2023年3月閲覧。
  3. ^ 総務省統計局『統計で見る市区町村のすがた2007』2007年
  4. ^ a b 計量のはなし福島県
  5. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 7 福島県』、角川書店、1981年 ISBN 4040010701 より
  6. ^ 日本加除出版株式会社編集部『全国市町村名変遷総覧』、日本加除出版、2006年、ISBN 4817813180 より
  7. ^ “「QOL イノベーションセンター白河」の竣工について” (プレスリリース), 三菱ガス化学, (2017年4月14日), https://www.mgc.co.jp/corporate/news/files/170414.pdf 2022年6月16日閲覧。 
  8. ^ “福島県白河市の大規模データセンター「白河データセンター」が稼働開始” (プレスリリース), IDCフロンティア, (2012年10月1日), https://www.idcf.jp/pressrelease/2012/20121001001.html 2022年6月16日閲覧。 






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