白居易 白居易の概要

白居易

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 03:57 UTC 版)

白楽天・『晩笑堂竹荘畫傳』より
白居易の彫像(蘇州市)
白居易の墓(洛陽市竜門)
白居易
各種表記
繁体字 白居易
簡体字 白居易
拼音 Bái Jūyì
ラテン字 Pai2 Chü1-i4
和名表記: はく きょい
発音転記: バイ ジュイー
英語名 Bai Juyi
テンプレートを表示

名の「居易」は、『礼記』「中庸」の「君子居易以俟命、小人行険而僥倖」(君子は安全な所にいて運が巡ってくるのを待ち、小人は冒険をして幸いを求めるという意)」に由来する。楽天。「楽天」は、『』「繋辞伝」上の「楽天知命、故不憂」(天の法則を楽しみ運命をわきまえる。だから憂えることがないという意)に由来する[1]は酔吟先生・香山居士。

生涯

大暦7年(772年)、父の白季庚と母の陳氏のあいだ鄭州新鄭県に生まれた。子どもの頃から頭脳明晰で、5-6歳でを作ることができ、9歳で声律を覚えたという。十代から二十歳代の世に出る前までは、父の任地である衢州襄州等に移る時もあるが、多くは符離で暮らしていた[2]

陳寅恪[3]、姚薇元(武漢大学[4]、魏長洪(新疆大学[5]などは白居易は漢人ではなく、胡族の出自だったと主張しており[6]、具体的に、劉学銚(中国文化大学[7]、林恩顕(国立政治大学[8]、顧学頡(私立民国大学中国語版[9]などは亀茲に出自をもつと主張している。一方、平岡武夫陳寅恪らの主張を批判しているが、陳三平(コロンビア大学)は、平岡武夫に再反論し、「白居易が漢人ではないことは常識」として、白居易は自らの出自を北斉白建の系譜に完璧に位置づけたつもりでも、各種史料からは白居易の中央アジア出自を容易に把握でき、白居易のあからさまな出自の捏造は、当時、多くの非漢人の要人が自らの出自を古代中国の有名人の末裔だと主張することが一般的だったことによる、としている[10]

彼の家系は地方官として役人人生を終わる男子も多く、抜群の名家ではなかったが、安禄山の乱以後の政治改革により、比較的低い家系の出身者にも機会が開かれており、貞元16年(800年)、29歳で科挙の科目で礼部主催の進士科に試験官高郢のもとで合格した。貞元18年(802年)に、百条の判の模擬問題とそれに対する模範解答を作成して試験対策を行い[11]、貞元19年(803年)に史部が主催する試験、書判抜萃科に合格。ここで初めての任官、秘書省校書郎についた。元和元年(806年)、受験準備のため校書郎をやめて、元稹と華陽観に住む。この時、天子の下問を想定して、治政の要諦・時事への対策等を研究し、「策林」75編(内容は、天子の心構え・経済政策・人材の登用法・臣下の掌握法・官吏の俸禄・官署の経費・軍の統轄・異民族及び辺境対策・刑と法の運用・学問・礼楽・祭祀・諫言ことなど諸般に及び、白居易の思想と官僚としての信念を知ることができる)を制作した。これは、当時の具体的な施策をも含んでおり、史料としても重要な価値を持っている[12]。このような努力が実り、制科に35歳で合格し京兆府の盩厔(ちゅうちつ)県尉になった。同年の冬、七言古詩120句の長編歌行「長恨歌」を作る[13]。その後は、元和2年(807年)11月5日に翰林学士、元和3年(808年)四月末に左拾遺を歴任する[14]。このころ社会や政治批判を主題とする「新楽府」を多く制作する。

元和5年(810年)五月翰林学士のまま、京兆府戸曹参軍に赴任。しかし元和6年(811年)、母の陳氏が亡くなり喪に服さなければならなかったため官を辞す[14]。白居易は母を深く敬愛し、「襄州別駕白府君事状」にて「こうして十数年、子供たちはみな学問によって仕官し、官位は高位高官に到った。これは疑いなく、婦人の慈愛と訓導が導いた結果である。娘としてこれほどに孝行、嫁としてこれほどに順良、母としてこれほどに慈愛」と讃えた[15]。そこから三年間は無位無冠の暮らしを送る。

元和9年(814年)に朝廷のある長安に戻り、太子左賛善太夫という職が与えられた。

元和10年(815年)、武元衡暗殺をめぐり、上書(暗殺者を捕まえるだけではなく、その暗殺者を裏で操っている存在を明らかにすべきだという内容)を送ったことが越権行為とみなされ左遷され、この年の冬江州司馬となる。多くの閑適詩が生まれたのはこの時期である。

その後、長慶元年(821年)に中書舎人に転任することによって中央に呼び戻されるが、まもなく自ら地方の官を願い出て、長慶2年(822年)に杭州蘇州刺史となり、行政官として治水を進めるなどして業績をあげる。長慶4年(824年)五月、名誉職太子左庶子東都に任命される。宝暦元年(825年)三月四日に蘇州刺史に任命される。このとき、毎日の事務処理の他に、蘇州から郊外の虎丘に行く、武丘路を開通させるという大きな仕事を成し遂げた[16]。しかし、病により半年で官をやめ洛陽に戻る。その後、秘書監になって長安に移る。大和2年(828年)二月には、刑部侍郎に昇任するも辞し、太子賓客分司東都、洛陽を中心とする河南府の長官河南尹を歴任したのち、太子賓客分司東都を再任、大和9年(835年)太子少博分司東都に就く。最後は会昌2年(842年)に刑部尚書の官をもって「官人は70歳を持って致任すべきだ」という持論に従い71歳で退官。会昌5年(845年)、74歳のとき自らの詩文集『白氏文集』75巻を完成させ、会昌6年(846年)、洛陽履道里の邸宅にて、75歳で生涯を閉じる[17]

詩風

白居易は多作な詩人であり、現存する文集は71巻、詩と文の総数は約3800首と唐代の詩人の中で最多を誇り、詩の内容も多彩である。若い頃は「新楽府運動」を展開し、社会や政治の実相を批判する「諷諭詩」を多作したが、江州司馬左遷後は、諷諭詩はほとんど作られなくなり、日常のささやかな喜びを主題とする「閑適詩」の制作に重点がうつるようになる。白氏文集に収められる諷諭詩については、「元九に与ふる書」中において、彼自身によってその意義が明言されている。そこでは、『詩経』を根元とする「詩道」が衰えていく中で、諫官たる左拾遺の職を授かって諫言を啓奏する立場に就いたとき、直接指摘して延べにくい事を『詩経』の精神に則って詠歌したことを語り、しかしそれらの詩が人々の誹謗を受けたことなどを顧みている。さらに、自身の詩を「諷諭」「閑適」「感傷」「雑詩」の四つに分類し、「諷諭詩」を「兼済(己の能力を発揮する道が開けているとき、そのような状況や立場にある時には広く手天下を救済することに努めるべきであるとすること)[18]の志」に基づいて作ったもの、「閑適詩」を「独善(自分が世に容れられないときには名利に恬淡として自身を良く修めることに努めるべきであるとすること)[18]の義」を詠んだものであると明示した上で、自分の詩作品の中で「諷諭詩」を最も重要なもの、それに次いで意義のあるものが「閑適詩」であると述べ、「感傷」「雑詩」と区別している。「感傷詩」の代表作は「長恨歌」「琵琶行」。他にも、無二の親友とされる元稹劉禹錫との応酬詩も名高い。

彼の「閑適詩」は日本において、理想の生活として愛され、様々な文学に引用された。一方、彼自身が一番重要とした「諷諭詩」もまた、菅原道真や紫式部をはじめとする平安時代の知識人に重く受けとめられた[19]

いずれの時期においても平易暢達を重んじる詩風は一貫しており、伝説では詩を作るたび文字の読めない老女に読んで聞かせ、理解できなかったところは平易な表現に改めたとまでいわれる(北宋の釈恵洪『冷斎詩話』などより)。そのようにして作られた彼の詩は、旧来の士大夫階層のみならず、妓女や牧童といった人々にまで愛唱された。また、白居易の詩風に関して渡辺秀夫氏は、「四季折々に循環する風物に取材しながらその推移しゆく季節のなかに直進して再帰しえない時間をみて、ひるがえって我が身の人生の老いやすさを詠嘆する作例がきわめて多く、これが白詩の抒情様式の一大水脈をなしているといっても過言ではない[20]」と述べている。


  1. ^ 下定雅弘 『白居易と柳宗元~混迷の世に正の讃歌を~』岩波現代全書、2015年4月17日、13頁。 
  2. ^ 下定雅弘 『白居易と柳宗元~混迷の世に正の讃歌を~』岩波現代全書、2015年4月17日、18頁。 
  3. ^ 陳寅恪 『元白詩箋證稿』上海古籍出版社、1978年、307-308頁。 
  4. ^ 姚薇元 『北朝胡姓考』中華書局、1962年、374-376頁。 
  5. ^ 魏長洪 『白居易祖籍新疆庫車摭談』〈新疆大學學報〉1983年、107-113頁。 
  6. ^ 劉学銚 『中國文化史講稿』昭明出版社、2005年、342頁。ISBN 9867640659https://books.google.co.jp/books?id=FTe9rljMYtoC&pg=PA342&lpg=PA342#v=onepage&q&f=false 
  7. ^ 劉学銚 『胡馬渡陰山:活躍於漢人歷史的異族』知書房出版集團、2004年、12頁。ISBN 978-986-7640-40-6https://books.google.co.jp/books?id=fuwdXASoxSkC&pg=PP12&redir_esc=y&hl=ja 
  8. ^ 林恩顕 『突厥研究』臺灣商務印書館、1988年、153頁。ISBN 978-957-05-0597-9https://books.google.co.jp/books?id=pOVTKhmW4oQC&pg=PT153&redir_esc=y&hl=ja 
  9. ^ 顧学頡 『白居易世系、家族考』中國社會出版社〈文學評論叢刊 第13輯〉、1982年、131-168頁。 
  10. ^ 陳三平 『木蘭與麒麟』八旗文化、2019年5月15日、211頁。ISBN 9789578654372https://www.google.co.jp/books/edition/木蘭與麒麟/AnMWEAAAQBAJ?hl=ja&gbpv=1&pg=PT211&printsec=frontcover 
  11. ^ 下定雅弘 『白居易と柳宗元~混迷の世に正の讃歌を~』岩波現代全書、2015年4月17日、24頁。 
  12. ^ 下定雅弘 『白居易と柳宗元~混迷の世に正の讃歌を~』岩波現代全書、2015年4月17日、26-27頁。 
  13. ^ 下定雅弘 『白居易と柳宗元~混迷の世に正の讃歌を~』岩波現代全書、2015年4月17日、39頁。 
  14. ^ a b 下定雅弘 『白居易と柳宗元~混迷の世に正の讃歌を~』岩波現代全書、2015年4月17日、45頁。 
  15. ^ 下定雅弘 『白居易と柳宗元~混迷の世に正の讃歌を~』岩波現代全書、2015年4月17日、18頁。 
  16. ^ 下定雅弘 『白居易と柳宗元~混迷の世に正の讃歌を~』岩波現代全書、2015年4月17日、116頁。 
  17. ^ 他の脚注が付いているところ以外は、川合康三 『白楽天 官と隠のはざまで』岩波新書、2010年。 を参考にしている。
  18. ^ a b 『孟子』(巻十三・尽心章句上)
  19. ^ 長瀬由美 『源氏物語と平安朝漢文学』勉誠出版、2019年、第一章 白居易の文学と平安中期漢詩文。 
  20. ^ 渡辺秀夫 『平安朝文学と漢文世界』勉誠出版、1991年、改訂版2014年、144頁。 
  21. ^ 西村冨美子 『白楽天』角川書店〈中国の古典〉、1988年11月1日、411-412頁。ISBN 4045909184 
  22. ^ 西村冨美子 『白楽天』角川書店〈中国の古典〉、1988年11月1日、414-415頁。ISBN 4045909184 
  23. ^ 西村冨美子 『白楽天』角川書店〈中国の古典〉、1988年11月1日、412頁。ISBN 4045909184 
  24. ^ 西村冨美子 『白楽天』角川書店〈中国の古典〉、1988年11月1日、424頁。ISBN 4045909184 
  25. ^ 日本文徳天皇実録仁寿元年9月乙未条(藤原岳守死去の記事)
  26. ^ 『白氏文集』は「文集」と略称され、「文選」とともに平安貴族にもてはやされた
  27. ^ 佐藤一郎 『中国文学史』(3版第4刷発行)慶応義塾大学出版会株式会社、H26.2.20、121頁。 
  28. ^ 白氏文集巻71末尾の「白氏集後記」に白居易自身が「其日本、新羅諸国、及両京人家伝写者、不在此記」(其の日本・新羅諸国、及び両京人家に伝写せる者は、此の記に在らず)と記し、その後、別集『白氏文集』とは別に編まれた民間流布本を列挙する。ここから、日本に自作が伝わっていたことを知っていたことが分かる。更に「其文尽在大集内、録出別行於時若集内無、而仮名流伝者皆謬為耳」(其の文は尽く大集の内に在り、録出・別行、時に若し集内に無く、而も仮名流伝せる者は皆謬りと為すのみ)と偽作への注意を喚起している。当時の本は写本で非常に高価であり、わざわざ偽作への注意を促すほど民間流布本が流通していたと言うことは、当時非常な評判を取っており、それを白居易自身が知っていたことを意味する。
  29. ^ 佐藤一郎 『中国文学史』(3版第4刷発行)慶応義塾大学出版会株式会社、H26.2.20。 
  30. ^ 佐藤一郎 『中国文学史』(3版第4刷発行)慶応義塾大学出版会株式会社、H26.2.20、123頁。 
  31. ^ 「晩秋の一日、庭も掃かず、梧桐(あおぎり)の黄葉が散り敷いた中を、藤枝を手にしながらのんびりと歩く」、白氏文集(0684)、和漢朗詠集収載。
  32. ^ 「遺愛寺の鐘の音は枕を斜めにして聴く。香炉峯の雪はすだれははね上げて看る」、白氏文集(0978)、和漢朗詠集収載。
  33. ^ 川合康三 『白楽天―官と隠のはざまで』岩波書店、2010年1月、149頁。ISBN 4004312280 
  34. ^ a b 川合康三 『白楽天―官と隠のはざまで』岩波書店、2010年1月、152頁。ISBN 4004312280 
  35. ^ 川合康三 『白楽天―官と隠のはざまで』岩波書店、2010年1月、153頁。ISBN 4004312280 
  36. ^ 平岡武夫 『白居易』筑摩書房〈中国詩文選〉、1977年12月、125-131頁。ISBN 4480250174 
  37. ^ 平岡武夫 『白居易』筑摩書房〈中国詩文選〉、1977年12月、132頁。ISBN 4480250174 
  38. ^ 平岡武夫 『白居易』筑摩書房〈中国詩文選〉、1977年12月、150頁。ISBN 4480250174 
  39. ^ 栄新江, 森部豊「新出石刻史料から見たソグド人研究の動向」『関西大学東西学術研究所紀要』第44号、関西大学東西学術研究所、2011年4月、 143頁、 ISSN 02878151NAID 120005686621
  40. ^ 陳寅恪 『金明館叢稿初編』三聯書店、2001年、365-366頁。 






白居易と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「白居易」の関連用語

白居易のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



白居易のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの白居易 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2023 GRAS Group, Inc.RSS