白居易
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白居易と新楽府
元和三年、三十七歳の白居易は、その年の四月、天子側近の諫官である左拾遺に任じられ、その翌年に「新楽府」五十首を作った。このことは「新楽府」の序に、「元和四年、左拾遺たりし時の作」とあることから知ることが出来る。「新楽府」を作った意図は、作者自身が記した序文に、「その辞は質にして怪、これを見る者をして諭り易からんことを欲すればなり。その言は直にして切、これを聞く者をして深く誡めんことを欲すればなり」と、結論には「総じてこれを言はば、君の為にし、物の為にし、事の為にして作り、文の為にして作らざるなり」と説明している。さらに友人の元稹に送った手紙「与元九書」(「与元九書」は、元和十年、白居易が四十四歳、江州司馬に左遷されていたおりに記されたもの)に、「武徳より元和に訖るまで、事に因りて題を立て、題して新楽府と為す」と言っている。つまり、唐代に見られたさまざまな社会現象や、それを対象にして政治批判・社会批判をする文学として意識し、作ったものであったのだ。白居易は、こうした類の意識に基づいた詩を「諷諭詩」と呼び、「諷諭詩の中にこそ、自分の文学の生命がある」と、「与元九書」において述べている[21]。
白居易の「新楽府」五十首は、その題材を唐王朝の歴史社会に取ったのであるが、作品に取り上げられている事柄と歴史的事実との関係は、さほど明らかではない。玄宗皇帝時代のことを題材にするものが多いことは、作品から想像されるが、それも明確にある事件を直叙すると言った言い方は避けている[22]。
五十首全部の題が、白居易の創出にかかったものではない。白居易の友人でもあった李紳が、既に新題を設けて楽府作品を作っており、白居易は李紳の新題にあやかって、さらに拡充させたものもあったのだ。このことは、元稹の「李校書新題の楽府十二首に和す」の「序」から知ることが出来る。元稹のその序によれば李紳は楽府新題二十を設定し、そのうち十二に、元稹が和したという(李紳の作品は、現在一首も残っていない)。元稹が和した十二首は、『元氏長慶集』に見られ、その十二首の題は、すべて白居易の「新楽府」五十首の中に含まれている[23]。
「与元九書」において、「諷諭」の姿勢の必要を説いていた白居易であったが、『白氏長慶集』の編集された長慶四年(824年、白居易五十三歳)以後、中唐文学において「諷諭」の姿勢は急激に萎え、彼もまた諷諭詩人たることをやめたのである[24]。
- ^ 下定雅弘 『白居易と柳宗元~混迷の世に正の讃歌を~』岩波現代全書、2015年4月17日、13頁。
- ^ 下定雅弘 『白居易と柳宗元~混迷の世に正の讃歌を~』岩波現代全書、2015年4月17日、18頁。
- ^ 陳寅恪 『元白詩箋證稿』上海古籍出版社、1978年、307-308頁。
- ^ 姚薇元 『北朝胡姓考』中華書局、1962年、374-376頁。
- ^ 魏長洪 『白居易祖籍新疆庫車摭談』〈新疆大學學報〉1983年、107-113頁。
- ^ 劉学銚 『中國文化史講稿』昭明出版社、2005年、342頁。ISBN 9867640659 。
- ^ 劉学銚 『胡馬渡陰山:活躍於漢人歷史的異族』知書房出版集團、2004年、12頁。ISBN 978-986-7640-40-6 。
- ^ 林恩顕 『突厥研究』臺灣商務印書館、1988年、153頁。ISBN 978-957-05-0597-9 。
- ^ 顧学頡 『白居易世系、家族考』中國社會出版社〈文學評論叢刊 第13輯〉、1982年、131-168頁。
- ^ 陳三平 『木蘭與麒麟』八旗文化、2019年5月15日、211頁。ISBN 9789578654372 。
- ^ 下定雅弘 『白居易と柳宗元~混迷の世に正の讃歌を~』岩波現代全書、2015年4月17日、24頁。
- ^ 下定雅弘 『白居易と柳宗元~混迷の世に正の讃歌を~』岩波現代全書、2015年4月17日、26-27頁。
- ^ 下定雅弘 『白居易と柳宗元~混迷の世に正の讃歌を~』岩波現代全書、2015年4月17日、39頁。
- ^ a b 下定雅弘 『白居易と柳宗元~混迷の世に正の讃歌を~』岩波現代全書、2015年4月17日、45頁。
- ^ 下定雅弘 『白居易と柳宗元~混迷の世に正の讃歌を~』岩波現代全書、2015年4月17日、18頁。
- ^ 下定雅弘 『白居易と柳宗元~混迷の世に正の讃歌を~』岩波現代全書、2015年4月17日、116頁。
- ^ 他の脚注が付いているところ以外は、川合康三 『白楽天 官と隠のはざまで』岩波新書、2010年。を参考にしている。
- ^ a b 『孟子』(巻十三・尽心章句上)
- ^ 長瀬由美 『源氏物語と平安朝漢文学』勉誠出版、2019年、第一章 白居易の文学と平安中期漢詩文。
- ^ 渡辺秀夫 『平安朝文学と漢文世界』勉誠出版、1991年、改訂版2014年、144頁。
- ^ 西村冨美子 『白楽天』角川書店〈中国の古典〉、1988年11月1日、411-412頁。ISBN 4045909184。
- ^ 西村冨美子 『白楽天』角川書店〈中国の古典〉、1988年11月1日、414-415頁。ISBN 4045909184。
- ^ 西村冨美子 『白楽天』角川書店〈中国の古典〉、1988年11月1日、412頁。ISBN 4045909184。
- ^ 西村冨美子 『白楽天』角川書店〈中国の古典〉、1988年11月1日、424頁。ISBN 4045909184。
- ^ 『日本文徳天皇実録』仁寿元年9月乙未条(藤原岳守死去の記事)
- ^ 『白氏文集』は「文集」と略称され、「文選」とともに平安貴族にもてはやされた
- ^ 佐藤一郎 『中国文学史』(3版第4刷発行)慶応義塾大学出版会株式会社、H26.2.20、121頁。
- ^ 白氏文集巻71末尾の「白氏集後記」に白居易自身が「其日本、新羅諸国、及両京人家伝写者、不在此記」(其の日本・新羅諸国、及び両京人家に伝写せる者は、此の記に在らず)と記し、その後、別集『白氏文集』とは別に編まれた民間流布本を列挙する。ここから、日本に自作が伝わっていたことを知っていたことが分かる。更に「其文尽在大集内、録出別行於時若集内無、而仮名流伝者皆謬為耳」(其の文は尽く大集の内に在り、録出・別行、時に若し集内に無く、而も仮名流伝せる者は皆謬りと為すのみ)と偽作への注意を喚起している。当時の本は写本で非常に高価であり、わざわざ偽作への注意を促すほど民間流布本が流通していたと言うことは、当時非常な評判を取っており、それを白居易自身が知っていたことを意味する。
- ^ 佐藤一郎 『中国文学史』(3版第4刷発行)慶応義塾大学出版会株式会社、H26.2.20。
- ^ 佐藤一郎 『中国文学史』(3版第4刷発行)慶応義塾大学出版会株式会社、H26.2.20、123頁。
- ^ 「晩秋の一日、庭も掃かず、梧桐(あおぎり)の黄葉が散り敷いた中を、藤枝を手にしながらのんびりと歩く」、白氏文集(0684)、和漢朗詠集収載。
- ^ 「遺愛寺の鐘の音は枕を斜めにして聴く。香炉峯の雪はすだれははね上げて看る」、白氏文集(0978)、和漢朗詠集収載。
- ^ 川合康三 『白楽天―官と隠のはざまで』岩波書店、2010年1月、149頁。ISBN 4004312280。
- ^ a b 川合康三 『白楽天―官と隠のはざまで』岩波書店、2010年1月、152頁。ISBN 4004312280。
- ^ 川合康三 『白楽天―官と隠のはざまで』岩波書店、2010年1月、153頁。ISBN 4004312280。
- ^ 平岡武夫 『白居易』筑摩書房〈中国詩文選〉、1977年12月、125-131頁。ISBN 4480250174。
- ^ 平岡武夫 『白居易』筑摩書房〈中国詩文選〉、1977年12月、132頁。ISBN 4480250174。
- ^ 平岡武夫 『白居易』筑摩書房〈中国詩文選〉、1977年12月、150頁。ISBN 4480250174。
- ^ 栄新江, 森部豊「新出石刻史料から見たソグド人研究の動向」『関西大学東西学術研究所紀要』第44号、関西大学東西学術研究所、2011年4月、 143頁、 ISSN 02878151、 NAID 120005686621。
- ^ 陳寅恪 『金明館叢稿初編』三聯書店、2001年、365-366頁。
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