田沼意次 人脈

田沼意次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 00:56 UTC 版)

人脈

田沼意次は幕府内での権力を維持するために表、中奥、大奥の全てに婚姻関係による人脈を作り権力の基盤を築いていた。特に、父の代から田沼に重用されていた奥医師の千賀道有の養女は田沼の側室にあがっており、徳川家基の生母お知保の方は千賀家の縁戚であった。その繋がりを通じてお知保の方や大奥の奥女中たちに贈物を届け大奥を味方につけたとされる[19]

一方で親類縁者を使った政権の基盤固めを行っている。長男の意知は通常は大名の当主しか就任できない奏者番に天明元年(1781年)就任し、天明3年(1783)には若年寄に就任するなど異例の出世を果した。さらに、次男の意正は老中の水野忠友の養子に入り、長女は奏者番の西尾忠移に嫁ぎ、次女は若年寄の井伊直朗に嫁いだ。意知の岳父は老中の松平康福である。このように意次の兄弟、子、孫、甥、姪はかなりの数の大名家に嫁ぎ繋がりを持ち、ついには老中は西ノ丸老中の鳥居忠意を除けば全て田沼の親類で固められるに至った。また江戸の両奉行や勘定奉行なども田沼家の家臣の娘と婚姻を結んでおり、田沼政権は田沼家を頂点とした親類縁者の集まりであった。その強すぎる権勢は他大名家や旗本からの反発を招いた[19]

それにととまらず、意次は次代への権力の維持に力を注いだ。田沼家は一橋家に大きな繋がりを持っていた。意次の妻は一橋家の家老の娘であり、弟の田沼意誠は一橋家の家老に就任し、意誠の息子は後に家斉の御用取次に昇進した。そのため意次は将軍家治の養子選定の際に一橋家に大きな「恩」を売ったのではないかといわれている[19]

仙台藩医の工藤平助は、迫りくる北方の大国ロシアの脅威に備えるため「赤蝦夷風説考」を天明3年(1783年)、当時の幕府老中、田沼意次に献上した。これが田沼の蝦夷地開発の原点になったといわれる。田沼は、蝦夷地調査団に、まず、経世家の本多利明を招聘しようとしたが、辞退されてしまう。代わりに本多から推薦されたのが最上徳内であった。

発明家として有名だった平賀源内のことを田沼は大変気に入っていたといわれる。田沼は平賀をオランダ商人のいる出島に遊学させたこともあった。ところが、平賀源内が殺人事件を起こしたため、田沼は彼とのつながりを全面的に否定せざるをえなかった。もし平賀が殺人事件を起こしていなければ、田沼は蝦夷地開発の責任者を平賀にやらせただろう、とも言われている。ただし、平賀は自身の思った通りのこと(遊学・江戸行など)を行うため、自家の隠居願と引き換えに高松藩より奉公構の扱いとなっていた。


注釈

  1. ^ 実際は斬られて重傷を負い、その傷が癒えないまま亡くなった。
  2. ^ 柳沢・間部の職が側用人のみで正式の老中には就任していなかった(柳沢は老中格→大老格)ことと異なり、田沼は老中も兼ねていた。将軍の取次役である側用人が処罰されることはないが(将軍の政治責任を問うことになってしまうため)、老中は失政の責任を問われるためしばしば処罰を受けていた。
  3. ^ 赤ん坊が手を握る動作と役人が賄賂を受け取ることをかけて皮肉っている
  4. ^ 「猪牙」とは吉原への専用船のこと。固い役人でも吉原で接待すれば骨抜きになる
  5. ^ 田沼時代や田沼意次が汚職政治のイメージで語られたのは辻が始まりではない。上述のように三上の論考や徳富による通史があったり、辻自身が引用している通り、シーメンス事件に関わる貴族院議員の発言がある[11]。辻の論考は佐々木の指摘のように、その意図に反して意次=汚職政治家と学術的に、あるいは中高の教育に引用された経緯がある[12]。また、辻の論旨は民権発達の潮流として当時の民衆が時代や意次をどう認識していたかという部分があり[13]、辻が意次の汚職の根拠として民衆の噂話程度のものすら挙げたという大石の批判は注意が必要である。
  6. ^ 当時、田沼の賄賂政治を批判した松平定信が行った寛政の改革の諸役人への贈り物を規制する触書では、あまりに高価な品を送ることを戒めてはいるが、新年、中元、歳暮などの儀礼的な年中恒例の贈答などを禁止などしているわけではなく、むしろ一年に何度も及ぶ恒例の進物は当然のこととされた。それどころか、幕府役人への進物は大名らへの当然の義務であった。寛政4年の触書では“近年、年中恒例の進物の数を減らしたり、質を落としたり、なかには贈らない者もいる”と非難している。さらに、側衆や表向き役人への進物は、大名と役人の私的な贈答ではなく、将軍の政務を担う役人への公的な性格のものだからきちんと贈るようにとも命じている。 
  7. ^ 同時に藤田覚は「たしかに、個々の冥加金を見ると幕府財政を潤すほどの額とは言えないかもしれない。しかし、少額とはいえ少しづつでも増額させようとしており、そこには明らかに財政収支を増加させようとする意図がみえる」とも書き、財政収入増加説と流通統制説の双方に理解を示している。
  8. ^ 藤田覚は、この新田開発計画が成功すれば、当時全国3000万石あった石高が二割増しになり、しかもロシアまで日本に服属できるというのだから、実現の可能性を考えなければ気宇壮大、だが荒唐無稽な構想であり、蝦夷地開発策はまさに「山師」の時代を象徴するような大規模開発の構想だったと書いている。
  9. ^ 政府が積極的に支出をふやし、経済の拡大を図ろうとする財政政策
  10. ^ 支出をできるだけ減らして歳出規模の縮小を図る財政

出典

  1. ^ 藤田 覚 『田沼意次:御不審を蒙ること、身に覚えなし』ミネルヴァ書房、2007年7月10日、4-6頁。 
  2. ^ 藤野保『江戸幕府崩壊論』塙書房、2008年。[要ページ番号]
  3. ^ a b c d e f g h i 日本近世の歴史4 田沼時代. 吉川弘文館. (2012/5/1) 
  4. ^ 大石慎三郎 (2001). 田沼意次の時代. 岩波現代文庫 
  5. ^ 高澤 憲治 (2012). 日本歴史学会. ed. 松平定信. 吉川弘文館 
  6. ^ 領内で起こった大火後、藁葺きの家をことごとく瓦葺にするよう令を発した。
  7. ^ 山本 博文 『武士の人事』KADOKAWA、2018年11月10日。 
  8. ^ 徳川林政史研究所 (監修) 編 『江戸時代の古文書を読む―田沼時代』東京堂出版、2005年6月1日、17-18頁。 
  9. ^ a b 大石慎三郎 1977, pp. 203–208, 「誤られた田沼像」.
  10. ^ 大石慎三郎 1977, pp. 212–215, 「幕府政治の支配システム」.
  11. ^ 辻善之助 1980, pp. 7–9, 「緒言」.
  12. ^ 辻善之助 1980, pp. 345–357, 解説 佐々木潤之介.
  13. ^ 辻善之助 1980, pp. 328–342, 「結論」.
  14. ^ 大石慎三郎 1977, pp. 208–212, 「"顔をつなぐ"社会」.
  15. ^ 大石 慎三郎 『田沼意次の時代』岩波書店、1991年12月18日、37-55頁。 
  16. ^ a b 藤田覚 『田沼意次:御不審を蒙ること、身に覚えなし』ミネルヴァ書房、2007年7月10日、157-163頁。 
  17. ^ 藤田覚 2012, pp. 47–58, 「賄賂汚職の時代」.
  18. ^ 深谷 克己 (2010/12/1). 田沼意次―「商業革命」と江戸城政治家. 山川出版社 
  19. ^ a b c 藤田 覚 『日本近世の歴史〈4〉田沼時代』吉川弘文館、2012年5月1日、29-32頁。 
  20. ^ 徳川林政史研究所 編 『江戸時代の古文書を読む―田沼時代』東京堂出版、2005年6月1日。 
  21. ^ 藤田 覚 『田沼意次:御不審を蒙ること、身に覚えなし』ミネルヴァ書房、2007年7月10日、253-254頁。 
  22. ^ 高木 久史 (2016). 通貨の日本史 - 無文銀銭、富本銭から電子マネーまで. 中公新書 
  23. ^ 徳川林政史研究所 (監修) 編 『江戸時代の古文書を読む―田沼時代』東京堂出版、2005年6月1日、19頁。 
  24. ^ 高木 久史 『通貨の日本史 - 無文銀銭、富本銭から電子マネーまで』中央公論新社、2016年8月25日。 
  25. ^ a b c 藤田 覚 『田沼意次:御不審を蒙ること、身に覚えなし』ミネルヴァ書房、2007年7月10日、128-139頁。 
  26. ^ a b 深谷克己『田沼意次―「商業革命」と江戸城政治家』2010年、山川出版社[要ページ番号]
  27. ^ a b c 藤田覚 (2018). 勘定奉行の江戸時代. ちくま新書 
  28. ^ 藤田 覚 『田沼意次:御不審を蒙ること、身に覚えなし』ミネルヴァ書房、2007年7月10日、148-155頁。 






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