田園都市 日本への影響

田園都市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/07 06:05 UTC 版)

日本への影響

1907年内務省地方局有志により『田園都市』が刊行され[6]ハワードの理念が紹介されたが[7]、この著作では日本の郊外に残る農村風景を加味した都市の形成を視野に入れておりハワードの理論とは多少異なること、そのため本来英国にはない田んぼ「田園」をガーデンシティの略語として充てていることがしばしば指摘されている[誰によって?]。また、ハワードの田園都市において不動産は賃貸を主としているが、日本における「田園都市」を冠する宅地開発は宅地分譲を主としているほか、自給自足を指向しているハワードの田園都市に対して、日本のものはニュータウンと同様、後述のようにベッドタウンとして開発されることが多く、職住分離かつ田園部分がほとんど存在しない(むしろ田園地帯を潰して造る)など、差異が見られる。

関西では小林一三が経営する箕面有馬電気軌道(現:阪急電鉄)が1910年池田駅近郊の室町1911年桜井駅箕面市)の開発をおこなったことが(直接「田園都市」を標榜したものではないが)その嚆矢である。その後、1920年代には、ハワードに影響を受けた大屋霊城の「花苑都市」構想による甲子園藤井寺の開発。そして1920年大阪住宅経営株式会社によるイギリスの田園都市・レッチワースをモデルとし計画された千里山住宅地(吹田市)と、1930年代関西土地株式会社による噴水やロータリーを設けた大美野田園都市堺市)、初芝堺市)などの開発がおこなわれた。名古屋圈では、1910年設立の愛知電気鉄道が、35年名岐鉄道と合併、名古屋鉄道を設立し、鳴海球場(1927年)を中心にした経営地「なるみ荘」を分譲。鳴海球場は3万人収容の鉄傘で覆われたスタンドをもつ大球場で、分譲の際「他の区画整理組合の経営地のやうに、その包含する多くの地主に平等的利益を与へる為めに、全区域を万遍なく妥協的に整理したものとは趣を異にし」、「道路網の妙味、風光との調和、田園都市的色彩(中略)等他に比するべくもない統制美」をもつことが宣伝された。

東京では渋沢栄一らが1918年に田園都市株式会社を設立し、理想的な住宅地「田園都市」として1922年に洗足田園都市を開発、分譲した。またその地の足の便の確保のために鉄道子会社(後の東急)も設立した[8]。土地柄としては「文明の利便と田園の風致」、「天然(自然)と文明」、「田園と都市の長所を結合せる」ことはうたわれているが、ロケーションについてはあくまで「大都市付属の住宅地」、「一時間以内に都会の中心地に到達し得べき交通機関を有すること」と初めからなっており、田園都市内に必ずしも勤務先も包含するものではなく、ハワードの思想とは異なる。その開発手法は後に東急による多摩田園都市開発に応用されることになる[9][10]

田園都市構想

大平正芳内閣による基本施政構想。

デジタル田園都市国家構想

2021年に岸田内閣の下で始動した構想。

日本国内のそのほかの田園都市

内務省地方局有志編『田園都市』(1907年)




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