生駒吉乃
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出自・生涯
尾張国と美濃国の国境付近で両国の通商に携わっていた生駒家宗(蔵人)の娘[2]。(愛知県江南市出身)『前野家文書』は初めの夫を土田弥平次とする。弘治2年(1556年)に夫が戦死し、実家に戻っていた後に信長の側室となったとされる。信雄・徳姫(所説有り)を産んだとされるが、生駒家以外の記録に残るのは信雄のみである。信忠生母は不明。その後産後の肥立ちが悪く若くして亡くなったとされる。享年39歳(29歳という説もあり)。この辺りは家譜であり創作も含まれるとされる前田家文書(武功夜話)による部分である。香華料として菩提寺の久昌寺に660石が贈られた。その後、豊臣秀吉にも保護され、江戸時代は織田家(信雄流)柏原藩により度々法要が営まれていた。
菩提寺の久昌寺と荼毘地(江南市田代墓地)に墓碑が存在する。 久昌寺の吉乃の墓は、生駒家歴代当主の墓と共に市文化財に指定されているが、久昌寺には専属住職がおらず、建物の老朽化に伴い維持管理が難しくなった為、廃寺が決定した。伽藍は2022年5月より解体し、境内敷地は江南市に売却され2023年度に公園として整備される見込み。なお廃寺後も、吉乃を含む生駒家歴代の墓は残される。また旧境内に近接して、久昌寺の旧本尊や吉乃らの位牌を安置する小堂が建てられる予定となっている[3][4]。
- ^ 菩提寺位牌裏書による。
- ^ a b c 原田 2020, p. 52.
- ^ “信長「最愛の女性」菩提寺取り壊しへ 630年以上の歴史に幕”. 毎日新聞 (2021年8月28日). 2022年5月1日閲覧。
- ^ “信長ゆかりの「久昌寺」9日から解体 跡地横にお堂設置”. 中日新聞web. 中日新聞社 (2022年4月29日). 2022年5月1日閲覧。
- ^ “君の名は希望 =久菴とは、濃姫とは=”. 一般社団法人 生駒屋敷 歴史文庫. 2021年8月29日閲覧。
- ^ “=織田信長の母と恋敵の現実=”. 一般社団法人 生駒屋敷 歴史文庫. 2021年8月29日閲覧。
- ^ 「嫡男信忠卿亦妾人腹也 弘治三年丁巳誕生 是御臺台之御養子也」とある。
- ^ 「信忠妾腹也 弘治三丁巳年誕生給 是御臺御養子也」とある。
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