琉球藩 琉球藩の概要

琉球藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/03 06:11 UTC 版)

琉球藩の印

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概要

琉球藩の設置に先立って日本では全国的に1869年(明治2年)の版籍奉還により諸大名から天皇へ領地(版図)と領民(戸籍)の返還、さらに1871年(明治4年)の廃藩置県と、中央集権化が進んでいた。この時点ではまだ、琉球王国薩摩藩および後身の鹿児島県の付庸国であり続けたが、明治政府としては琉球についても版籍奉還させることを意図していた。

廃藩置県の翌年の明治5年9月14日[注釈 1][1]琉球国王尚泰は明治政府の命により尚健(伊江朝直)と宜野湾親方朝保を慶賀使として東京に送る。明治天皇により尚泰を「琉球藩王」に任じ、華族に列する詔勅を尚健が代理で受ける( 『琉球國王尚泰ヲ藩王トナシ華族ニ陞列スルノ詔』)。天皇より尚泰に下賜金があり、また旧薩摩藩への負債も明治政府が肩代わりすることになった。以上により琉球は鹿児島県付庸国から明治政府の直轄地となり、琉球藩が設置された。

解釈

明治政府側にとっては、琉球王国を日本の天皇が任ずる藩王が治める琉球藩とするものであり、その意味では琉球国王としての尚泰はこの時点(天皇より詔勅を下賜された明治5年9月14日付)で廃位されたものと解釈される。また、琉球王国の滅亡時点をこの時点とする見方もある。

琉球藩王に封ずる明治天皇の詔勅は、単に琉球藩と言う行政単位の設置に留まらず、明治天皇が尚泰王を冊封し、天皇と琉球藩王尚泰との間に君臣関係を設定する意義があるとの解釈がある[1]。これは、薩摩の付庸国とされ江戸上りとして徳川将軍に慶賀使を定期的に送っていた関係とは外交関係の質的に全く異なる。

また、琉球藩の外交権は帝国外務省に移るものとされたが、政体の実態としては琉球藩設置前とあまり変わらず、尚泰と王府臣下一門は琉球に君臨し続けた。尚泰は「皇国と支那の御恩」に感謝し、両国を「父母の国」と仰ぎ奉っているとして、日清「両属」の現状維持を要請し(『琉球見聞録』)、への朝貢を続け、中国に対しては王位を名乗り続けた。

台湾出兵との関係

琉球藩の設置に遡る明治4年11月8日[注釈 2]、琉球御用船の船員が漂着先の台湾台湾原住民パイワン族に殺害された、いわゆる琉球島民殺害事件が起き、生存者が明治5年6月7日[注釈 3]、清国経由で那覇に帰着すると言う事件が起きていた。政府は、事件に対し清朝に厳重に抗議したが、原住民は「化外の民」(国家統治の及ばない者)であるという清朝からの返事があり、これを受け、政府は1874年(明治7年)5月6日より台湾出兵を行った。これに清側は直ちに抗議し、撤兵を強く求めた。明治政府は同年9月、「和戦を決する権」を与えられた大久保利通を全権として北京に派遣。清と交渉し、難航の末、清は日本の出兵を「義挙」と認め、50万両(テール)の賠償をすることで事件は決着した。これは、琉球の帰属問題で日本に有利に働くが、清は琉球の日本帰属を正式に承認したわけではなかった。


注釈

  1. ^ 新暦1872年10月16日
  2. ^ 同治10年11月8日、新暦1871年12月19日
  3. ^ 同治11年6月7日、新暦1872年7月12日。
  4. ^ なお、下関条約においては琉球の問題は一切取り上げられていない。

出典

  1. ^ a b 波平恒男 2009.
  2. ^ 明治12年(1879年)4月4日太政官布告第14号「琉球藩ヲ廃シ沖縄県ヲ被置ノ件」
  3. ^ 山城智史「1870年代における日清間の外交案件としての琉球帰属問題」『研究年報社会科学研究』第35号、山梨学院大学大学院社会科学研究科、2015年2月、95-125頁、ISSN 2189-1117NAID 120005602123 


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