王貞治 詳細情報

王貞治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/26 10:12 UTC 版)

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1959 巨人 94 222 193 18 31 7 1 7 61 25 3 1 1 1 24 1 3 72 2 .161 .262 .316 .569
1960 130 502 426 49 115 19 3 17 191 71 5 4 3 1 67 5 5 101 7 .270 .375 .448 .823
1961 127 471 396 50 100 25 6 13 176 53 10 5 4 4 64 3 3 72 7 .253 .358 .444 .802
1962 134 586 497 79 135 28 2 38 281 85 6 4 3 2 72 9 12 99 6 .272 .376 .565 .941
1963 140 609 478 111 146 30 5 40 306 106 9 5 0 2 123 12 6 64 7 .305 .452 .640 1.092
1964 140 599 472 110 151 24 0 55 340 119 6 4 0 5 119 20 3 81 8 .320 .456 .720 1.176
1965 135 575 428 104 138 19 1 42 285 104 2 4 0 3 138 29 6 58 7 .322 .490 .666 1.156
1966 129 549 396 111 123 14 1 48 283 116 9 4 0 4 142 41 7 51 5 .311 .495 .715 1.210
1967 133 566 426 94 139 22 3 47 308 108 3 5 0 3 130 30 7 65 7 .326 .488 .723 1.211
1968 131 580 442 107 144 28 0 49 319 119 5 1 1 6 121 18 10 72 5 .326 .475 .722 1.197
1969 130 576 452 112 156 24 0 44 312 103 5 2 0 8 111 12 5 61 7 .345 .472 .690 1.162
1970 129 553 425 97 138 24 0 47 303 93 1 4 0 3 119 24 6 48 8 .325 .476 .713 1.189
1971 130 565 434 92 120 18 2 39 259 101 8 2 0 5 121 17 5 65 8 .276 .435 .597 1.032
1972 130 572 456 104 135 19 0 48 298 120 2 0 0 2 108 18 6 43 8 .296 .435 .654 1.089
1973 130 560 428 111 152 18 0 51 323 114 2 1 0 4 124 38 4 41 7 .355 .500 .755 1.255
1974 130 553 385 105 128 18 0 49 293 107 1 5 0 2 158 45 8 44 4 .332 [注釈 18].532 .761 1.293
1975 128 523 393 77 112 14 0 33 225 96 1 0 0 6 123 27 1 62 9 .285 .451 .573 1.024
1976 122 536 400 99 130 11 1 49 290 123 3 1 0 9 125 27 2 45 8 .325 .479 .725 1.204
1977 130 570 432 114 140 15 0 50 305 124 1 3 0 6 126 16 6 37 14 .324 .477 .706 1.183
1978 130 566 440 91 132 20 0 39 269 118 1 2 0 11 114 17 1 43 7 .300 .436 .611 1.048
1979 120 506 407 73 116 15 0 33 230 81 1 1 0 5 89 10 5 48 9 .285 .415 .565 .980
1980 129 527 444 59 105 10 0 30 205 84 0 1 0 8 72 8 3 47 9 .236 .342 .462 .803
通算:22年 2831 11866 9250 1967 2786 422 25 868 5862 2170 84 59 12 100 2390 427 114 1319 159 .301 .446 .634 1.080
  • 各年度の赤太字はNPB最高、太字はリーグ最高

年度別守備成績



一塁 外野
























1959 巨人 84 515 28 4 40 .993 -
1960 129 1186 71 14 97 .989 -
1961 122 1069 93 7 81 .994 -
1962 134 1339 76 10 103 .993 -
1963 140 1521 77 9 133 .994 -
1964 139 1428 68 10 144 .993 -
1965 133 1299 72 6 108 .996 -
1966 127 1259 79 6 99 .996 -
1967 131 1255 63 12 97 .991 -
1968 131 1198 87 11 118 .992 -
1969 130 1211 62 8 94 .994 -
1970 129 1205 73 3 92 .998 -
1971 130 1175 76 9 97 .993 -
1972 130 1171 68 11 114 .991 -
1973 130 1145 94 8 123 .994 -
1974 130 1316 93 6 126 .996 -
1975 123 1199 76 8 123 .994 -
1976 121 1103 84 5 120 .996 -
1977 130 1187 105 6 127 .995 2 0 0 0 0 .---
1978 130 1159 91 7 121 .994 -
1979 117 924 69 3 78 .997 -
1980 129 1029 80 2 82 .998 -
通算 2799 25893 1685 165 2317 .994 2 0 0 0 0 .---

年度別監督成績

レギュラーシーズン



























1984 巨人 3位 130 67 54 9 .554 8.5 186 .268 3.66 44歳
1985 3位 130 61 60 9 .504 12.0 157 .279 3.96 45歳
1986 2位 130 75 48 7 .610 0.0 155 .270 3.12 46歳
1987 1位 130 76 43 11 .639 - 159 .281 3.06 47歳
1988 2位 130 68 59 3 .535 12.0 134 .268 3.09 48歳
1995 ダイエー
ソフトバンク
5位 130 54 72 4 .429 26.5 94 .259 4.16 55歳
1996 6位 130 54 74 2 .422 22.0 97 .263 4.04 56歳
1997 4位 135 63 71 1 .470 14.0 132 .264 4.26 57歳
1998 3位 135 67 67 1 .500 4.5 100 .264 4.02 58歳
1999 1位
(※1)
135 78 54 3 .591 - 140 .257 3.65 59歳
2000 1位 135 73 60 2 .549 - 129 .268 4.03 60歳
2001 2位 140 76 63 1 .547 2.5 203 .273 4.49 61歳
2002 2位 140 73 65 2 .529 16.5 160 .267 3.86 62歳
2003 1位
(※1)
140 82 55 3 .599 - 154 .297 3.94 63歳
2004 2位
(※3)
133
(※2)
77 52 4 .597 -4.5 183 .292 4.57 64歳
2005 2位
(※4)
136 89 45 2 .664 -4.5 172 .281 3.46 65歳
2006 3位 136
(※5)
75 56 5 .573 4.5 82 .259 3.13 66歳
2007 3位 144 73 66 5 .525 6.0 106 .267 3.18 67歳
2008 6位 144
(※6)
64 77 3 .454 12.5 99 .265 4.05 68歳
通算:19年 2507 1315 1118 74 .540 Aクラス15回、Bクラス4回
  • ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更
  • ※1 順位の太字は日本一
  • ※2 2004年は選手会ストライキのため2試合が開催されず
  • ※3・4 2004年・2005年レギュラーシーズン勝率1位ながら04年西武・05年ロッテとのプレーオフに敗退し「リーグ優勝=日本シリーズ出場」を逃した。
  • ※5 2006年、癌の治療のため7月8日以降55試合欠場(30勝22敗3分)。監督代行は森脇浩司
  • ※6 2008年、体調不良で休養のため1試合欠場(敗戦)。監督代行は秋山幸二
  • ※7 1984年から1996年までは130試合制
  • ※8 1997年から2000年、2004年は135試合制
  • ※9 2001年から2003年までは140試合制
  • ※10 2005年、2006年は136試合制
  • ※11 2007年から144試合制
  • ※12 通算成績は、欠場した計56試合(30勝23敗3分)を含めない
ポストシーズン










1987 巨人 日本シリーズ 西武ライオンズ 2勝4敗=敗退
1999 ダイエー
ソフトバンク
日本シリーズ 中日ドラゴンズ 4勝1敗=日本一
2000 日本シリーズ 読売ジャイアンツ 2勝4敗=敗退
2003 日本シリーズ 阪神タイガース 4勝3敗=日本一
2004 プレーオフ2ndステージ 西武ライオンズ 2勝3敗=敗退
2005 プレーオフ2ndステージ 千葉ロッテマリーンズ 2勝3敗=敗退
2007 パ・リーグ クライマックスシリーズ
1stステージ
千葉ロッテマリーンズ 1勝2敗=敗退
  • ※ 2006年は森脇監督代行が指揮を執ったため除外。
WBC 国・地域別対抗野球大会

2006年に行われたWBC(ワールド・ベースボール・クラシック第1回大会では、監督として日本チームを世界一の座に導く。

年度 大会名 チーム名 勝敗
2006年 第1回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック) 日本代表 優勝

タイトル

  • 首位打者:5回(1968年 - 1970年、1973年 - 1974年) ※5回は歴代4位タイ、セ・リーグ歴代2位、セ・リーグ左打者最多。3年連続はセ・リーグタイ記録
  • 本塁打王:15回(1962年 - 1974年、1976年 - 1977年) ※最多記録、13年連続は最長記録
  • 打点王:13回(1962年、1964年 - 1967年、1971年 - 1978年) ※最多記録、8年連続は最長記録
  • 最多出塁数:12回(1967年 - 1978年) ※1967年から表彰。最多記録、12年連続は最長記録、出塁率は1962年 - 1979年まで18年連続でトップ。
  • 最多安打(当時連盟表彰なし):3回(1969年、1970年、1973年) ※1994年より表彰

表彰

  • 2004年、母校である早稲田実業学校に、「王貞治記念グラウンド」が竣工される[149]
  • 王貞治 (小惑星)
  • 後楽園球場で現役引退翌年の1981年から閉場の1987年まで背番号に因んで、1番ゲートは「王ゲート」と称されて、レリーフが飾られた。閉場後はいったん姿を消すが、1998年に東京ドームが開場10周年を迎えたことで再度、1番ゲートが前述と同様に称されて飾られている。

注釈

  1. ^ 現在のメジャーリーグの記録はバリー・ボンズの762本。
  2. ^ 自著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』では「坊や、何で右で打っているの?」と書いている。
  3. ^ 自著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』では「じゃあ、次は左で打ってみたらどうだい。」と言っている。
  4. ^ 荒川はその時の王の印象を後に「なんて素直な少年なんだと思った。普通は大事な試合中に右打ちから左打ちに変えるなんて人に言われたってしない。それをスパッとやってしまうのはすごい」と語っている。
  5. ^ 開幕戦先発出場のセ・リーグ高卒新人は王以外に1957年に日大三高から阪神入りした並木輝男外野手、小学4年で王に憧れ野球を始め1988年にPL学園から中日入りした立浪和義遊撃手の2人。
  6. ^ ただし、シーズンで最多三振を記録したことは一度もない。
  7. ^ 当時の巨人でのシーズン最多本塁打は青田の32本であり、簡単に30本以上が出るとは思っていなかった。
  8. ^ この日は日曜日で、当時日曜日はダブルヘッダーとすることが多く、第1試合は薄暮ゲームで午後4時半から開始することが多かった。
  9. ^ この時の当事者だった別所と荒川は、その後1977年から1984年まで、フジテレビ文化放送野球解説者として『プロ野球ニュース』などで一緒に仕事をすることになる。
  10. ^ 1981年から1987年までは後楽園球場、1998年から現在は東京ドームの1番ゲートは「王ゲート」と称されており、そのモニュメントで再現されている。また2002年には王の現役時代のバッティングを再現した「王貞治スーパーリアルフィギュア」(868体限定)が販売され、一本足打法が再現されている
  11. ^ NPB全体では2001年タフィ・ローズ2002年アレックス・カブレラと並ぶ2位タイ記録。日本国籍選手だと1963年野村克也1985年落合博満の52本塁打が最多タイ記録であった(村上は日本国籍)。
  12. ^ 王が引退した1980年において、メジャーリーグ26球団の本拠地球場の多くは両翼が100mを超えており、両翼が100m以下の球場も左右中間は115m以上あるなど充分な外野の広さを持っていた。これに対し、後楽園球場は両翼が実測87.8m(約288.1ft)、左右中間110.1m(約361.1ft)と狭く、他のセ・リーグの球場もほぼ同様の広さであった。
  13. ^ 当初は助監督の3年間で退任して巨人を去るつもりであったが、球団の要請により、監督に登用されて引き受けることとなった。
  14. ^ 戦後から2015年まで(水原監督から第二次原監督まで)でBクラス経験が一度もない巨人軍監督は、水原と王の2人だけである。
  15. ^ 前年の1993年にも根本から監督の要請があったが、この時は急な話だった為に断っている[81]
  16. ^ 長嶋自身、周囲への助言を求めている自分と、そうでもない王の対比を意識しており、その違いは「ワンちゃんは荒川さん直々の打法があったが、自分はそもそも師匠がおらず、直伝された技術がなかった。だから自分から周囲に教えを乞うしかなかった。」と述べている(「巨人V9 50年目の真実」より)
  17. ^ その際、自分のもとに王から直接電話が来るはずないと思っていた尾花から「王さんですか?失礼ですがそのような方に心当たりないのですが、どちらにお掛けですか」と訊き返し、それに対して王が「福岡ダイエーホークスの監督を務める王貞治と申します」と丁寧に返答したため、尾花が一転して直立不動になってしまったという逸話がある(詳細は尾花高夫を参照)。
  18. ^ ただし、NPB公式の出塁率のシーズン記録は1986年落合博満(ロッテ)の.487である(両リーグで最高出塁率を表彰開始した1985年以降が対象であるため)[137]

出典

  1. ^ 三井ゴールデングラブ賞 歴代受賞選手”. 2021年2月17日閲覧。
  2. ^ 9月5日 初の国民栄誉賞、王貞治氏が受賞”. 日本経済新聞 (2018年9月4日). 2020年12月19日閲覧。
  3. ^ a b 第22回 62年の巨人・王貞治 vs 打たれまくったセの投手”. 週刊ベースボールONLINE (2014年6月8日). 2021年7月25日閲覧。
  4. ^ 第3回WBC 日本代表コーチ陣
  5. ^ “プロ野球の王貞治氏、台湾総統から勲章授与される”. AFP BBNews. (2009年2月6日). https://www.afpbb.com/articles/-/2568605?pid=3757511 2010年4月5日閲覧。 
  6. ^ 台湾週報:一覧:トップページへ > 台灣週報 > 台湾週報 > 馬英九総統が王貞治氏に「二等景星勲章」を授与” (2009年2月6日). 2010年4月5日閲覧。[リンク切れ]
  7. ^ “名誉都民の王貞治氏ら顕彰 理恵さんが手紙代読「精いっぱい生きていく」”. MSN産経ニュース(産経新聞). (2009年9月24日). http://sankei.jp.msn.com/politics/local/090924/lcl0909241241001-n1.htm 2010年4月5日閲覧。 [リンク切れ]
  8. ^ 王さん「この上ない名誉」墨田区名誉区民” (2010年5月14日). 2018年7月18日閲覧。
  9. ^ 名誉区民 王 貞治氏 目黒区” (2011年2月15日). 2014年10月14日閲覧。
  10. ^ 福岡市ホームページ:HOME > 市政情報 > 市政の概要・市のプロフィール > 王 貞治 氏 (平成16年12月17日選定)” (2008年2月7日). 2010年4月5日閲覧。
  11. ^ “王さん 宮崎名誉市民に、長嶋さんに次いで2人目”. YOMIURI ONLINE. (2009年8月9日). http://kyushu.yomiuri.co.jp/sports/baseball/hawks/20090809-OYS1T00346.htm 2010年4月5日閲覧。 
  12. ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』12P参照
  13. ^ 王会長の母、108歳大往生「息子として誇り」”. スポニチ Sponichi Annex (2010年8月18日). 2018年9月21日閲覧。
  14. ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』20P参照
  15. ^ 王貞治、『野球にときめいて 王貞治 半生を語る』2011年、11頁。
  16. ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』14P参照
  17. ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』17P参照
  18. ^ 朝日デジタルのニュース記事「OB王貞治さん祝福 墨田の業平小100周年式典」辻健治 2017年11月24日03時00分
  19. ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』25-26P参照
  20. ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』26P参照
  21. ^ 【 神回 】夢の対談がまさか実現するとは!! 世界の王貞治がクロマティチャンネルに登場!!(前編)【クロマティも超緊張】
  22. ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』27P参照
  23. ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』27-28P参照
  24. ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』29P参照
  25. ^ a b c d e f 「高校野球 熱闘の世紀」ザ・ベスト
  26. ^ WiLL2013年2月号P285
  27. ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』30P参照
  28. ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』32-34P参照
  29. ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』37-39P参照
  30. ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』46P参照
  31. ^ 王貞治が阪神に入っていたら プロ野球「もしも、もしも・・・の物語」
  32. ^ 巨人軍最強伝説〜長嶋茂雄vs王貞治〜1983年1月放送本人談
  33. ^ 千葉茂『巨人軍の男たち』東京スポーツ新聞社、1984年、214頁
  34. ^ a b 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』 61-62P参照
  35. ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』63-64P参照
  36. ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』 64P参照
  37. ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』64P参照
  38. ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』65-67P参照
  39. ^ a b c d e 王の自著「野球にときめいて 王貞治、半生を語る」中央公論新社、ISBN 9784120042171 2011年03月
  40. ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』 71P参照
  41. ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』 73P参照
  42. ^ 王貞治はなぜ二本足ではダメ? 恩師が明かす「王の悪い癖」”. NEWSポストセブン (2016年9月13日). 2021年8月24日閲覧。
  43. ^ 『王選手コーチ日誌 1962-1969 ~一本足打法誕生の極意~』16P参照
  44. ^ 『王選手コーチ日誌 1962-1969 ~一本足打法誕生の極意~』6P参照
  45. ^ a b 『王選手コーチ日誌 1962-1969 ~一本足打法誕生の極意~』54P参照
  46. ^ 上前淳一郎『巨人軍影のベストナイン』角川文庫。なお、近藤唯之も同様の内容を記している。
  47. ^ 荒川博 その2【全4回】 欠点を克服するための努力が生んだ一本足打法 (1)
  48. ^ 『スポーツ20世紀』ベースボール・マガジン社、2000年7月、p25
  49. ^ 『王選手コーチ日誌 1962-1969 ~一本足打法誕生の極意~』55P参照
  50. ^ 元巨人打撃コーチの荒川博氏死去王氏に「一本足打法」指導”. デイリースポーツ online (2016年12月4日). 2022年8月17日閲覧。
  51. ^ 堂本昭彦 『羽賀準一 剣道遺稿集―附伝記・日記』、島津書房、1999年
  52. ^ '77 THE BASEBALL MOOK プロ野球党(日本スポーツ社)
  53. ^ 王貞治はなぜ「一本足打法」をやめたのか?/週べ1964年3月9日増大号”. 週刊ベースボールONLINE (2018年9月20日). 2021年8月24日閲覧。
  54. ^ 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』90P参照
  55. ^ 『王選手コーチ日誌 1962-1969 ~一本足打法誕生の極意~』108-109P参照
  56. ^ a b 王貞治 著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』91P参照
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