玉音放送
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/11 12:20 UTC 版)
参考文献
- 小森陽一『天皇の玉音放送』(五月書房、2003年8月)※玉音放送のCDが付属。
- 川上和久『CDブック 昭和天皇 玉音放送』(あさ出版、2015年6月)
関連番組
- アニメンタリー 決断 第25話「最後の決断」(竜の子プロダクション制作・日本テレビ系、1971年放送) - ポツダム宣言受諾から御前会議、玉音放送に至るまでの、下村総裁をはじめ、徹底抗戦を唱え玉音盤を奪取しようとする陸軍の一部将校など、さまざまな立場からの決断が描かれている。
- 連続テレビ小説「本日も晴天なり」(第35話=第6週・その5 1981年11月13日 NHK総合テレビジョンにて生放送)[32] - 玉音放送の当時の音源を交えて再現したもの。原本の和田に相当する進行役の本多を山本紀彦が演じた。
- ザ・スクープスペシャル「終戦特別企画 誰も知らない玉音放送 "日本のいちばん長い日"の真実」(テレビ朝日、2011年8月14日放送)
- NHK BSプレミアム「玉音放送を作った男たち[33]」 - 下村宏ら玉音放送の制作状況や放送に携わった人々をドラマ形式で。テレビマンユニオン製作(NHK、2015年8月1日放送)
- ニコニコ生放送「【終戦の日】玉音放送」 - ニコ生終戦特別企画として玉音放送をノーカットで配信[34][35]。2015年以降、毎年8月15日正午からノーカットで配信する。
脚注
関連項目
- 大東亜共栄圏
- 大東亜戦争
- 罪己詔
- 昭和天皇
- 迫水久常 - 川田瑞穂 - 安岡正篤
- 阿南惟幾 - 大西瀧治郎
- 終戦の日
- 対日戦勝記念日
- 日本の降伏
- 日本の降伏文書
- 宮城事件
- ポツダム宣言
- 八月革命説
- 人間宣言
- 日本のいちばん長い日
- おことば - 玉音放送と同様、天皇がマスメディアを通じて自らのメッセージを放送した例
外部リンク
- 当庁が管理する先の大戦関係の資料について
- 終戦の詔書(玉音放送) - NHK放送史
- 昭和天皇、終戦の玉音放送 - NHK戦争証言アーカイブス
- 昭和天皇、終戦の玉音放送(2015年8月1日宮内庁発表版) - NHK戦争証言アーカイブス
- 玉音放送、終戦から生まれたのど自慢 - マンガで読むNHKヒストリー
- 玉音放送 現代語訳 - ハフポスト 2014年8月14日
- 開戦と終戦 - ウェイバックマシン(2002年11月22日アーカイブ分) - 開戦の臨時ニュースと終戦の詔書を、文字と音声で確認できる。
- デノン Premium Audio Brand - 歴史のページで玉音盤の録音に使用された機材の写真等が掲載されている。
- 『玉音放送』 - コトバンク
注釈
- ^ この玉音(天皇の肉声)が録音されたレコード盤を玉音盤という。
- ^ のちにレコード盤消滅まで全盛となったビニール盤、バイナルではない。これが登場するのは1950年代。
- ^ それに加え当時は電波管制のために全国共通の周波数(860キロサイクル)を用いていた上に、後述の通り電波出力を通常より大きくしていたため、放送局間の地域では相互の電波が干渉し、受信状態が非常に悪くなった(『真空管の伝説』p.167)。
- ^ 日本はこの戦争で初めて外国に敗北し、降伏することになった。
- ^ この放送では「敗北」や「降伏」といった言葉を用いることができなかったため、昭和天皇はあえて明治天皇が1895年(明治28年)の三国干渉に屈服した際に述べた言葉(「堪ヘ難キヲ…」)を繰り返したとされる[4]。
- ^ 内閣嘱託の小川一平及び大東亜省次官田尻愛義も作成に関与・協力したという[6]。
- ^ メイン局の場合。他の局の場合も可能な限り出力の向上を行ったらしい。(『真空管の伝説』p.167)
- ^ 典拠は春秋左氏伝の『信以て義を行い、義以て命を成す』による[27]。
出典
- ^ “<4> 戦争 人間性奪い家庭も破壊”. 中国新聞 (2009年8月21日). 2013年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月7日閲覧。
- ^ 日本ラジオ博物館 玉音放送とラジオ
- ^ 平和祈念展示資料館 戦地で聞いた玉音放送
- ^ ベン=アミー・シロニー『天皇陛下の経済学』山本七平監訳、光文社文庫、1986年(昭和61年)p.153。
- ^ “官報 號外” (PDF). 国立国会図書館デジタルコレクション. 印刷局 (1945年8月14日). 2018年8月15日閲覧。
- ^ 吉川弘文館『国史大辞典』第7巻「終戦の詔書」(執筆者 : 波多野澄雄))。
- ^ 読売新聞社編『昭和史の天皇 4 玉音放送まで』中公文庫 pp.456 - 457 2012年
- ^ 読売新聞社編『昭和史の天皇 4 玉音放送まで』中公文庫 pp.464 - 466 2012年
- ^ a b “DO楽 昭和史再訪セレクション vol.56 玉音放送 「終戦」の記憶、鮮烈に刻む”. 2011年8月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年8月15日閲覧。
- ^ a b “「玉音放送」記録の原盤、初公開へ 宮内庁が8月に予定”. 朝日新聞. (2015年7月9日). オリジナルの2015年7月9日時点におけるアーカイブ。 2015年7月10日閲覧。
- ^ a b “玉音放送:深夜 軍服姿で録音”. 毎日新聞. (2015年8月1日) 2015年9月24日閲覧。
- ^ 半藤一利『日本のいちばん長い日 決定版』文藝春秋、2006年、p284・p291頁。ISBN 978-4-16-748315-9。
- ^ この章、竹山昭子『玉音放送』(晩聲社、1989年、ISBN 4891881844)、および『戦争と放送』(社会思想社、1994年、ISBN 4390603698)より。
- ^ “和田信賢というアナウンサー”. 高森明勅 公式サイト (2021年3月27日). 2023年3月24日閲覧。
- ^ “玉音放送の全文 現代語訳及び英文 Imperial Rescript on Surrender”. 加藤恕(ひろし)のバードビュー(Bird's eye view) (2015年8月14日). 2019年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年11月2日閲覧。
- ^ a b c d e f “「玉音放送」の原盤 来月にも初めて公開へ”. NHK. (2015年7月9日). オリジナルの2015年7月8日時点におけるアーカイブ。 2015年8月5日閲覧。
- ^ a b c “皇居内の戦争記録、8月1日公開 防空壕内の映像など”. 日本経済新聞. (2015年7月9日) 2015年7月10日閲覧。
- ^ 私たちが耳にしてきた“玉音放送”とは? - NHKアーカイブス・2015年7月31日
- ^ “反乱軍の手逃れ70年…曲折あった原盤の命運”. 産経ニュース. (2015年8月1日) 2015年9月23日閲覧。
- ^ a b “玉音放送、10秒以上短かった…原盤を初の公開”. 読売新聞. (2015年8月1日). オリジナルの2015年8月5日時点におけるアーカイブ。 2015年8月5日閲覧。
- ^ 昭和21年5月にラジオ放送された昭和天皇のお言葉
- ^ もう一つの玉音放送「食糧問題に関するお言葉」 戦後復興に向け国民に助け合い呼びかけ
- ^ “宮内庁:玉音放送原盤、8月1日に初公表”. 毎日新聞. (2015年7月9日). オリジナルの2015年7月10日時点におけるアーカイブ。 2015年8月5日閲覧。
- ^ “「玉音放送」原盤を初公開”. NHK. (2015年8月1日). オリジナルの2015年7月31日時点におけるアーカイブ。 2015年8月5日閲覧。
- ^ “よみがえる昭和天皇の肉声、原盤奪おうと事件も”. 読売新聞. (2015年8月1日). オリジナルの2015年8月5日時点におけるアーカイブ。 2015年8月5日閲覧。
- ^ 竹山昭子『ラジオの時代 ― ラジオは茶の間の主役だった』(世界思想社、2002年、141-148頁、ISBN 4790709418)
- ^ 読売新聞社編『昭和史の天皇 4 玉音放送まで』中公文庫 p.438 2012年
- ^ 読売新聞社編『昭和史の天皇 4 玉音放送まで』中公文庫 p.490 2012年
- ^ 読売新聞社編『昭和史の天皇 4 玉音放送まで』中公文庫 pp.458 - 459 2012年
- ^ 岩井克己 (2011年4月1日). “戦後初、天皇陛下の全国民への語りかけ”. 論座. 2013年7月20日閲覧。
- ^ 読売新聞社編『昭和史の天皇 4 玉音放送まで』中公文庫 pp.468 - 473 2012年
- ^ 第35話 本日も晴天なり ―連続テレビ小説―(35)(ザテレビジョン)
- ^ ザ・プレミアム「玉音放送を作った男たち」(テレビマンユニオン)/ザ・プレミアム「玉音放送を作った男たち」(NHK番組表)
- ^ 玉音放送・戦没者追悼式ほか[終戦70年特別企画] - ニコニコ動画
- ^ “「玉音放送」ニコ生で8/15正午より放送、戦後70年を終戦特番で考える”. マイナビニュース. (2015年8月14日) 2015年8月15日閲覧。
[前の解説]
「玉音放送」の続きの解説一覧
固有名詞の分類
- 玉音放送のページへのリンク